53話 乱の息吹。
★帝国地図(2023/07/23更新)
https://kakuyomu.jp/users/tetsu_mousou/news/16817330660832281347
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旧帝都エゼキエル――。
教理局最上階に在る局長室を統べる現在の
近頃ではイリアム宮へ姿を見せず、専ら教理局から影響力を行使していたのだ。
その様子に、イドゥン太上帝の近習役を疎かにしているのではないか――などと眉をひそめる廷臣もいたが、レオの持つ天秤の力を怖れ誰も口にはしなかった。
また、宰相エヴァン・グリフィスが、状況を静観する構えを見せていた点も大きいだろう。
――何と言っても、お二人には長年の友誼があるのだ。
――イリアム宮に顔を出さずとも道は同じくされていようさ。
分かたれた帝国、争いも辞さぬ領主達、藻屑とされた天秤衆、燃えるプロヴァンス女子修道院――。
復活派帝国の心ある者達は、乱れた世相を憂い
――いったい、誰の責任なのだ?
誰もが同じ応えを返した。
――ベルニクの青二才と生臭教皇に決まっておる。
――いかにも、いかにも。
――これらを正されるのは、エヴァン公と聖レオをおいてほかにあるまい。
そのレオ・セントロマであるが――、
虚飾の都市が放つ腐臭に変わりはないが、レオの心を曇らせる事はもはや無い。
――随分と様子が変わられたと聞いたが……。
微動だにせず窓外を眺め続けるレオの後背で、ひとりの女が白濁した眼球を
視力を喪失した彼女が、相手の気配を探る際に見せる癖だった。
「良く来た。親愛なるガブリエル」
ガブリエル・ギー。
全ての天秤を統べる総代という立場にある女である。
歳の頃は百を超えており中年期と言えるが、天秤衆の些かセクシュアルな装束が覆う彼女の肢体からは一切の衰えを感じさせない。
「猊下も、お変わりなく」
注意深く言葉を選びガブリエルは応えた。
「ふむ――ところで、ガブリエル――」
レオは背を向けたまま話を続けるつもりなのだと悟り、ガブリエルはさらに眼球を動かした。
音、風、匂い、生体電位等々――視覚以外の全情報を脳内で統合する事で、彼女は周囲の状況を正確に把握している。
「カミーユの件は無念であったな」
プロヴァンス女子修道院長にして天秤の母カミーユ・メルセンヌは、己の棲家を焼き尽くす業火に包まれ消し炭となっていた。
教皇アレクサンデルの戦槌にて頭骨を砕かれていた為、灼熱の炎に苦しむ事がなかったのは、むしろ慈悲であったのかもしれない。
「――必ずや」
と、応えるガブリエルこそ、ラムダ聖教会の原理主義勢力内では、故カミーユ・メルセンヌの最高傑作と評されてきた。
歴史上、最も多くの異端者をプルガトリウムに墜としたがゆえにだろう。
「かの大罪人を救済してみせましょう」
大罪人の救済――これ即ち量子煉獄プルガトリウムである。
「実に女神ラムダの御心に適う言である」
盲目のガブリエルは、相手が満足する様子を全身で感じ取った。
「だが、それへの備えは十分か?」
「マクギガンへ派出した者共が夜半には戻って参ります」
ジェラルド・マクギガンと数百人に及ぶ関係者を連行した天秤衆は、ウルド率いる親征軍と入れ違いで同領邦を後にしていた。
「各所に散っていた天秤も集い、帝都に凡そ三十万の手足が揃いました」
天秤砦とも称される聖座異端審問所だけでは当然ながら足りず、詩編大聖堂を筆頭として旧帝都に在る聖教会関連の施設は天秤衆で溢れかえっている。
「無論、忠実で思慮深き奴隷級も猛っております」
忠実で思慮深き奴隷級とは、自我を完全に喪失し異端の血肉に飢えた殺戮部隊である。
彼等を放し飼いにしたなら、互いに異端と見做し殺し合いを始めてしまう為、聖座異端審問所の地下倉にて隔離幽閉されていた。
ある意味では、天秤衆の精鋭部隊、もしくは規範と言えよう。
「素晴らしい報告だ、ガブリエル。弛まぬ真理の光に感謝を」
躁状態とも感ぜられる声音で礼を告げるレオから、鋭敏なガブリエル・ギーは匂い立つ不満の気配を察した。
「とはいえ、やはり十分ではなかろうな」
「――はい」
不満の理由に見当がつくガブリエルは短く相槌を打つに止めた。彼女の分限で解決できる問題ではない為である。
「数多の天秤は揃ったが、どうあっても聖都アヴィニョンへは渡れまい?」
「無念ですが」
聖都へ至るにはエステルポータルを抜けなければならないが、聖骸布艦隊の堅牢な防衛陣が敷かれており、天秤衆の艦艇で押し入る事など不可能なのだ。
「
実際のところ、教皇アレクサンデルはプロヴァンス焼き討ち以降、聖兵士官を交えた酒宴を頻繁に設けていた。
彼には彼の思惑が有ったのかもしれない。
「刻が
これは、ガブリエル独自の意見というより、当時のイリアム宮における共通見解を述べたに過ぎない。
迂闊な言説は命取りになると彼女は骨身に沁みていた。
宰相エヴァン等の復活派勢力首脳陣は、暫しの間、聖都と教皇は捨て置いて、自陣営の引き締めと勢力拡大を優先させようとしていたのだ。
教皇アレクサンデルに否定されたとはいえ、教理局と天秤衆の持つ権勢が一夜にして消え失せるはずもない。聖教会の争いから一定の距離を置き、異端審問という実効力だけは利用しようとしていたのである。
血祭となるジェラルドも、彼等の健在ぶりを示す好機となろう。
「甘い」
だが、レオ・セントロマの考えは異なる。
「実に甘いのだ」
いかなる変事によるものか、彼は味覚と共に一切の罪悪感を喪っていた。
味など分からぬままに犬歯で血肉を咀嚼し臓腑へ落とし、遥か彼方まで見通せそうな全能感に包まれ続けている。
この世に生を受けて初めて感じる悦びの日々だった。
「ベルニクの悪鬼は動きが早い。悠長に構えていては事を仕損じよう」
「仰る通りかと存じます」
宮廷人の動きに歯痒さを感じていたガブリエルは大きく頷いた。
プロヴァンスを焼いた教皇を捨て置くなど、本音を語るなら許し難い怠慢である。自身の領袖たる聖レオが意を同じくしていた点に心強さを感じた。
「つまりは、銀獅子を動かすほかあるまい」
近衛師団擁する銀獅子艦隊は、本来なら禁衛府の指揮下にあった。女帝ウルドと禁衛府長官が消え失せた現在、同艦隊は宰相エヴァン・グリフィスの手の内にある。
「動いてくれれば聖都入りも果たせましょう。とはいえ、エヴァン公が同意されるかは――。公はクルノフの支配権に執心されているご様子なのです」
と、些か告げ口めいた口調で言った。
数舜の沈黙が降りガブリエルが不安を感じ始めた頃合いで、レオが両腕を拡げて窓外の景色を抱えるような仕草を見せ――そして叫んだ。
「否否否否否ッ!!」
不穏な空気の振動に、多数の命を奪って来たガブリエルの全身に鳥肌が立つ。
「女神ラムダへの信仰のみが、無価値な世に在って無謬の価値であると知らしめるのが我等の務め」
――銀冠など無価値だよ、レオ。
全てを与えられた少年は、銀冠以外に何も持たない少年に告げた。
「銀冠、世俗の地位に権力、富も美も名声も――全てに意味など無い」
――僕は言葉を時々間違えるんだ。そうだな――こう言い換えようか。
「我等が信仰の行く手を阻む者は、全て異端として裁きを下す」
――全ては等しく無価値だ。
「ゆえに、捕らえよ――」
そう言いながら、レオ・セントロマはようやく振り向いて、四肢を微動も出来ずに立ち尽くす
「エヴァン・グリフィスをな」
レオの口角を裂けるように上げる表情筋の音色を、天秤衆総代ガブリエルの耳は確かに聞き取っていた。
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参考、[乱]章 40話 少年の二人。
https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330659673376391
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