52話 時間的閉曲線。

 遥か彼方の星間空間でトールが逃避行を演じていた頃――。


 ソテルポータルを抜けた親征軍は、一切の抵抗を受ける事なくマクギガン邦都へ向かっていた。


「いったい、どうなっておるのだ?」


 旗艦マウォルスⅣ世のブリッジに座するウルドは、不審気な様子で脇に立つ老将パトリック・ハイデマンに尋ねた。


「――あっさりと降伏しよった」


 ソテルポータルに敷かれた守備陣は凡そ一万隻の艦隊なのだが、白旗信号を発し戦時領邦協定に従い重力場シールドを解除していた。


 残る大多数の艦隊は、クルノフ領邦と面するポータル近傍にて、演習と称する行為を未だに続けているらしい。


「指導層の不在が響いているのでしょう」


 ジェラルドは天秤衆に連行され、領邦を内から腐食させたニコライも消えた。


 それらを裏から操ってきたアラゴン領邦とて、現在はベルニク艦隊を追うのに手一杯の状況である。


 ――主だった家臣達も、多くは亡命していようしな……。


 ガウスと連れ立ちオリヴィア宮を訪れた際、格子門で旧い知人と出会った日の事を老将は思い起こしていた。


「おまけに、ご親征です」


 滅多と感情を表に現さないパトリックにしては珍しく、少しばかりの面白みを言外に滲ませながら告げた。


 指導層を失い傀儡と化したマクギガンには、親征という言葉へ対立軸を示せる者が存在しない。


「抜かせ」


 ウルドは右腕を肘掛に乗せて頬杖をつき寛いだ様子である。


「其方の差配が滞らぬよう押し掛けただけじゃ」


 彼女が親征を思い立ったのは、利かん気の強いエカテリーナ・ロマノフを懸念しての事なのだ。


 連合軍が万が一にも瓦解してしまえば、トールの目論見が潰えてしまう。


 後ろ盾となっているアラゴンの大軍を引きつけ、帝都と接する要衝マクギガンを陥とす――。


 その方針に基づき、天秤衆の動向を察したトールは急ぎクルノフへ向かい、借財の始末をつけながらも挑発用の贄が飛来するのを待った。

 結果として、数万人の人命が贄となったのだが――。


「ともあれ、陛下のご高配に感謝を」


 パトリックは芯からの謝辞を述べた。


 艦隊戦になったとしても、弱体化したマクギガン領邦軍に後れを取るなどとは思わないが、砲艦を交わす必要が無いならば、それこそが最善手だろうと考えている。


「そろそろ、エカテリーナ大将からも報告が入る頃合いでしょう」


 オソロセア領邦の艦隊を先行させ、邦都へ至る航路の安全を確保させている。


 他方のベルニク艦隊は立方陣を組み中央に旗艦を配置していた。女帝ウルドの安全を第一義としたパトリックの差配である。


「――陛下」


 パトリックが名を出した数舜後、ブリッジモニタに当人の姿が映し出された。


 豊かな胸を誇示するつもりは無いのだろうが、自然と仕草が挑発的になるエカテリーナ・ロマノフが立っている。


 ――彼女を見ると、どうにも陛下の眉根が寄る。気のせいだろうか……。


 心密かに懸念を抱いたパトリックをよそに、エカテリーナは自信に満ちた笑みを浮かべて告げた。


「邦都へと至る花道が出来ておりますわ」


 ◇


 花道――というエカテリーナの表現は決して大仰ではなかった。


 邦都宙域を護るべき防衛艦隊は早々に恭順の意を示しており、軌道都市に在る全てのゲートは開放されている。


 また、敵対する意図が無い事を示す為か、壁面砲も外殻部に格納された状態となっていた。


 こうした平和的な雰囲気の中で、旗艦マウォルスⅣ世、並びにエカテリーナが乗艦するオソロセアの旗艦、さらにベルニクの揚陸部隊を乗せた艦艇は宇宙港へ降り立ったのである。


 他方、ギルベルト中将とアルスタリフ中将は邦都へ入らず、艦隊を率いて制宙権を確保する布陣を敷いていた。


「――陛下、出迎えまであるようです」


 パトリックの報告に、女帝ウルドは片眉を上げるに止めた。誰が待っていようとも、名など知らぬ相手と分かっていたからである。


 マクギガンにおける彼女の知己は、故ディアミドと不肖の息子ジェラルドだけなのだ。


 とはいえ、主の消え失せた邦にあって、ある意味では整然と親征軍を迎え入れた人物の手腕は高く評価すべきだろう。


 今となっては大義の不明な乱戦で、無駄に消えたかもしれない多数の命を救ったと言える。


「参る」


 そう短く告げてウルドは席を立った。


 先行した揚陸部隊が宇宙港の安全を確保しているとはいえ、王風を纏う堂に入ったさまである――とパトリックは感じながらウルドの背に続いて歩く。


 この瞬間に、彼がいらぬ夢想を浮かべた事を、誰も責めるべきではないだろう。


 ――いかなる、お子を成されるのだろうか……。


 それほどにパトリックは感じ入っていたのである。


 ◇


 リアムと名乗る男は、故ディアミド・マクギガンの傍付使用人として幼少期から仕え続けてきた。


 秘したるバラ園に立ち入る事が許された数少ない人物でもある。その男が、親征軍を出迎える代表団の中心に立っていたのだ。


「使用人の分限で、全てを動かしたと申すか?」


 邦笏ほうしゃくを確保し勝利を宣する為、女帝ウルドと親征軍首脳は、揚陸部隊五千名と共に輸送機で屋敷へ向かっていた。


 ウルドの希望により代表団の中心人物リアムを、女帝座する輸送機に同乗させている。

 異例の事態ではあるが、くだんの傍付使用人は女帝と直接に面する次第となった。


「い、いえ――ディアミド様が言い残された通り、各所へ連絡をしただけに御座います」


 息子ジェラルドの裏切りと、クラウディオの奸計により命を落とす直前、ディアミド・マクギガンは、最も信用の置ける人物に幾つかの伝言をした。


「先が分かっておったと――?」

「よもや、ご親征とは予想されておりませんでしたが、トール伯ならば必ず息子を討ちに来ると申しておりました」


 帝都フェリクスの安定にとって、要衝マクギガンは是が非でも抑えておくべき地勢なのである。


 既にカドガンも新生派に与しており、結果として帝都は四方を自勢力で守られる状態となった。


「なるほど。軍の各所に子飼いを放してあったという訳か」

「左様で御座います」


 愚かな争いで領邦が疲弊しないよう、ディアミドは戦を避ける手立てを打っていたのである。


 ジェラルドの不在、そしてニコライの逃亡という要素も、彼の打ち手が機能する助けとはなった。


「死して、なおであるな」


 ウルドは瞳を閉じる。


 粗野で粗暴な男と見せかけながら、実際には下々へと目を配る良き為政者であった。命あれば新生派帝国の元老として大きな功績を残したのかもしれない。


 ――やはり得難き男であったのだ。


「ついでと言っては熊に祟られようが、ひとつ詣でさせて貰う」

「墓碑は未だ――」


 そう言ってリアムは悲し気に顔を俯けた。


「墓で死人が眠るものか」


 この言葉は、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。


「バラ園を詣でる。焼いた事を悔いておろうしな」


 手向け代わりとして、ウルドはバラ園を復活させるつもりでもいた。


 ◇


 これより語る内容は、実に不可解な事象である点は最初に申し添えておく。


 ベルニクの装甲歩兵に怯える屋敷の使用人達を宥めつつ、女帝ウルド一行が最初に案内を所望したのはディアミドの遺した秘所――つまりはバラ園であった。


 屋敷の地下に降りて幾つかの隠し扉を抜けた先に狭い通路がある。


「ここから先はEPR通信が使用できなくなります」


 先導するリアムが告げた。


 トール・ベルニクが居合わせたなら「ボクの家と同じですね」などと余計な事を言ったかもしれない。


「――ふむん、それほどに隠したいものか」

「熊の威厳みたいなものかもしれませんわ、陛下」


 エカテリーナ・ロマノフは、女帝に対して物怖じする様子が無い。


「ほう、そうか」


 素直にウルドは頷いた。


 エカテリーナについて、ある一事のみ癪に障る点はあるのだが、自身に畏れ入らないさまをウルドは好ましく感じている。


「こちらで御座います」


 リアムが生体認証らしき壁面に触れると、目前にある大きな二枚扉が音も無く開いた。

 焦げた臭いを予期していた一行は、扉の奥に意外な光景を目にする事となる。


「――え!?」


 最も驚愕していたのはリアム自身だった。


「ば、バカな――」


 足をもつれさせて、彼は転がるようにバラ園へと入っていく。


「わ、私が――ディアミド様と共に――燃やした――燃やしたはず――」


 だが、燃えてなどいない。


 バラ園にはかつてと同じく、色とりどりのバラが咲き誇っていた。ディアミドの愛した美が周囲を彩っている。


「どういう事だ――いったい――」


 呆然と立ち尽くすリアムに構わず、ウルドは奥へと進んでいく。


「これは――見事であるな」


 草花にさほどの興味を持たない彼女ですら、ディアミドの愛したバラ園に感嘆の言葉を漏らした。


 ウルドの進む先はバラのアーチが連続してトンネルの様になっている。その先には小さな丸テーブルと椅子が二脚ほど置かれていた。


「陛下、お気を付けを――」


 前方に潜む者がいた場合を懸念したパトリックが声を掛けた瞬間の事である。


「い、痛てっ」

「バカ、しっかりしなさいよ!」


 最奥のアーチに巻き付いた花々の物陰から、二人の子供が現れたのだ。年の頃は六、七歳程度だろうか。


 何れも銀冠を戴くピュアオビタルである。


「陛下」「陛下っ!」


 声を重ねた老将と女傑がウルドの前に立ち塞がった。


 いくらピュアオビタルの子供とはいえ、どう考えても居てはならない場所に居る二人なのだ。

 危険な因子と判断するのは当然だろう。


「良い。子供であろ」


 そう言ってウルドは、腰の剣に手を伸ばすエカテリーナを止めた。


「ですが、陛下――」

「オバサン怖い」

「お、お爺さんも顔が怖いよ?」


 背格好と顔立ちは似ているが、男児と女児のようだ。


「おば――おば――?――やはり、斬り捨てませんこと?」


 しっかりとエカテリーナの逆鱗に触れていた。


「出来るわけないでしょ」


 自信に満ちた様子で女児が胸を反らし宣言する。


 他方の男児は彼女の背に隠れ、それでも好奇心に満ちた眼差しを輝かせていた。


「だって――」


 女帝ウルドを、ひたと見上げて小王女が告げる。


「ママが許さないわっ!」


--------------------------------------


リアムについては以下を参照。


2話 狐の忠義、熊の激憤。

https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364/episodes/16817330656314922726


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る