52話 時間的閉曲線。

 星間空間でトールが逃避行を演じていた頃、ウルド率いる親征軍は一切の抵抗を受ける事なくマクギガン邦都宙域に入っていた。


「いったい、どうなっておるのだ?」


 旗艦マウォルスⅣ世のブリッジへ届けられる報告にウルドは首を捻った。


「──誰一人として拳を上げぬ……」


 ソテルポータルに敷かれた守備艦隊は、戦時領邦協定に従い重力場シールドを解除して白旗信号を発していた。

 また、クルノフ方面のポータル近傍で演習中の主力艦隊も動く気配が無い。


「指導層の不在が響いているのでしょう」


 老将パトリック・ハイデマンがウルドの疑問に答えた。


 ──主だった家臣達も、多くは亡命していようしな……。


 ガウスと共にオリヴィア宮を訪れた際、格子門で旧い知人と出会った日の事を老将は思い起こしていた。


 指導層を失ったマクギガンには、親征という言葉へ対立軸を示せる者が存在しないのだ。


「これぞ、ご親征ですな」


 滅多と感情を表さないパトリックにしては珍しく、少しばかりの面白みを言外に滲ませながら告げた。


「抜かせ」


 ウルドは右腕を肘掛に乗せて頬杖をついた。


「其方の差配が滞らぬよう押し掛けただけじゃ」

「陛下のご高配に感謝を」


 パトリックは芯からの謝辞を述べた。


 女帝の威を借りて指揮権を行使する事で、同盟関係となって間もないオソロセアとの指揮系統に乱れが生ずる可能性を低減できるのだ。


「そろそろ、エカテリーナ大将からも報告が入る頃合いでしょう」


 オソロセア領邦の艦隊を先行させ、邦都までの航路を確保させていた。


 << ──陛下 >>


 パトリックが名を出した数舜後、ブリッジモニタに当人の姿が映し出された。


 << 邦都へと至る花道が出来ておりますわ >>


 花道──というエカテリーナの表現は決して大仰ではなかった。


 邦都宙域の防衛艦隊は恭順の意を示し、壁面砲もシールドに覆われている。


 唯の一度も砲火を交える事なく旗艦マウォルスⅣ世及び旗下艦隊は威風堂々と宇宙港へ降り立ったのだ。


「──出迎えまであるようです」


 主の消え失せた領邦で整然と親征軍を迎え入れた人物の政治手腕は評価すべきである。


 大義不明の乱戦で無駄に消えたかもしれない多数の命を救ったと言えた。


「参る」


 と、短く告げウルドは席を立った。


 王風を纏う堂に入ったさまである――とパトリックは感じ入りながらウルドの背に続く。


 この瞬間に、彼がいらぬ夢想を浮かべた事を、誰も責めるべきではないだろう。


 ──お二方は、いかなる御子を成されるのだろうか……。


 ◇


 リアムと名乗る男は故ディアミド・マクギガンの傍付使用人として幼少期から仕え続けてきた。


 秘したるバラ園に立ち入る事が許された数少ない人物である。その男が、親征軍を出迎える代表団の中心に立っていた。


「使用人の分限で、全てを動かしたと申すか?」


 邦笏ほうしゃくを確保し勝利を宣する為、女帝ウルドと首脳陣は揚陸部隊五千名と共に輸送機で屋敷へ向かっていた。


「い、いえ──ディアミド様が言い残された通り、各所へ連絡をしただけに御座います」


 息子ジェラルドの裏切りと、クラウディオの奸計により命を落とす直前、ディアミド・マクギガンは最も信用の置ける人物に幾つかの伝言を残した。


「ご親征とは予想されておりませんでしたが、トール伯は必ず息子を討ちに来ると申しておりました。その上で我らが成すべき──」


 帝都フェリクスの安定にとってマクギガンは是が非でも抑えておくべき要衝であり、トールがジェラルドを捨て置くはずがないと看破していたのである。


「ほう。軍の各所に子飼いを放してあったという訳だな」

「左様で御座います」


 愚かな争いで領邦が疲弊しないよう、ディアミドは戦を避ける手立てを打っていたのだ。


「死して、なおであるな」


 ウルドは瞳を閉じる。


 粗野で粗暴な男と見せかけながら下々にまで目を配る良き為政者だった。命あれば新生派帝国の元老として大きな功績を残せただろう。


 ──やはり得難き男であったのだ。


「ついでと言っては熊に祟られようが、一つ詣でさせて貰おう」

「陛下──過分な御言葉ながら、未だもがりの差配も──」


 そう言ってリアムは悲し気に顔を俯けた。


「墓で死人が眠るものか」


 この言葉は、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。


「バラ園を詣でる。焼いた事を悔いておろうしな」


 ◇


 これより語る内容は、実に不可解な事象である点は最初に申し添えておく。


 ベルニクの装甲歩兵に怯える屋敷の使用人達を宥めつつ、女帝ウルド一行が最初に案内を所望したのはディアミドの遺した秘所──つまりはバラ園である。


 屋敷の地下に降りて幾つかの隠し扉を抜けた先に狭い通路があった。


「ここから先はEPR通信が使用できなくなります」

「それほどに隠したいものか?」

「熊の威厳みたいなものかもしれませんわ、陛下」


 エカテリーナ・ロマノフは、女帝に対して物怖じする様子が無い。


「そうか」


 素直にウルドは頷いた。


 エカテリーナについて、ある一事のみ癪に障る点はあるのだが、自身に畏れ入らないさまをウルドは好ましく感じている。


「こちらで御座います」


 リアムが生体認証らしき壁面に触れると大きな二枚扉が音も無く開いた。

 

 全てが炭化した灰色の光景を予期していた一行は意外な光景を目にする事となる。


「──え!?」


 最も驚愕していたのはリアム自身だった。


「ば、バカな!!」


 足をもつれさせ転がるようにバラ園へ入っていく。


「わ、私が──ディアミド様と共に──燃やした──燃やしたのです──」


 だが、燃えてなどいない。


 バラ園にはかつてと同じく、色とりどりのバラが咲き誇っていた。


「どういう事だ──いったい──」


 呆然と立ち尽くすリアムに構わず、ウルドは奥へと進んだ。


「見事であるな」


 草花にさほどの興味を持たない彼女ですら、ディアミドの愛したバラ園に感嘆の言葉を漏らした。


 彼女の進む先はバラのアーチが連続するトンネルになっている。その先には小さな丸テーブルと椅子が二脚置かれていた。


「陛下、お気を付けを──」


 と、周囲を警戒したパトリックが声を掛けた時の事である。


「い、痛てっ」

「バカ、しっかりしなさいよ!」


 最奥のアーチに巻き付いた花々の物陰から二人の子供が現れたのだ。


 年の頃は六、七歳程度で、銀冠を戴くピュアオビタルである。


「陛下」「陛下っ!」


 老将と女傑がウルドの前に立ち塞がった。


 いくらピュアオビタルの子供とはいえ、どう考えても居てはならない場所に居る二人なのだ。

 

 危険な因子と判断して当然である。


「良い。子供であろ」


 そう言ってウルドは腰の剣に手を伸ばすエカテリーナの腕を抑えた。


「ですが、陛下──」

「オバサン怖い」

「おば──おば──? ──やはり、斬り捨てませんこと?」

「出来るわけないでしょ」


 自信に満ちた様子で女児が胸を反らし宣言する。


 他方の男児は彼女の背に隠れ、それでも好奇心に満ちた眼差しを輝かせていた。


「だって」


 小王女は女帝ウルドをひたと見上げた。


「ママが許さないわっ!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る