51話 白と蒼。

「兄上がご存命であれば──」

「真ですなぁ」

「あの御方はエヴァン公ですら一目を置かれていた」

「ふむ、実に惜しい──」


 若きクラウディオ・アラゴンは、周囲から万の祝福を受けて領主の座に就いた訳ではない。


 この点、トール・ベルニクも同様なのだが、あまりに優秀な異母兄の存在という相違点があった。


 生物学的死という不可侵の城壁は、亡兄の無謬性をより強固にしていく。


 ──"兄上ならとうにベルニクなど屠っていように。"

 ──"当節のアラゴンは実に惰弱──やはり母方の──。"

 ──"また尻を巻いて逃げるのでしょう。"

 ──"ホホホ、見物みもので御座いますなぁ……。"


「──様──クラウディオ様──司令官ッ!」


 ボウと宙へ視線を彷徨わせるクラウディオに、痺れを切らせた副官が思わず大きな声を上げた。


「ん──ああ──どうした」


 不愉快な幻聴を掻き消すべく、クラウディオは頭を一振りした。


 ──"ホホ──フフ──駄目な──母──。"


 だが、姿を見せない者達の声は小さくなるが消えはしない。


 クラウディオは浅く息を吐きながら芝生の上で跳ねる黄球を心中にえがいた。スティッキに没頭する時間だけは世界から不快な声音が消えるのである。


「突出して来た敵勢がおります。艦影から例の悪魔ではないかと──」


 副官の指し示す照射モニタ上には、先陣を切るホワイトローズの白い艦影が映し出されている。


「凡そ二千隻。強襲突入艦の他は、駆逐艦と戦闘艇が続いております」

「まったく──駆逐艦の好きな連中だ」


 ポータル前で築城する牧歌的な戦闘ならば、戦艦の威容と火力は絶対強者と言えたかもしれない。


 そこには、自走重力場シールドの影で陣形を変更する余地もあった。


「射程圏内に入ったら盛大な斉射を見舞ってやれば良い」

「陣立ての途中でして──」

「勿論、整い次第だよ。この艦の装甲ならば、十分に耐え得るだろう」

「た、確かに」


 アラゴン領邦の誇る旗艦シュガールは、重力場シールドの斥力が失われたとしても外殻部の剛性が高く、荷電粒子砲の威力のみで穴を穿つのは容易ではない。


「敵二十光秒地点まで、残り三十秒ほどです。念の為お座り頂いた方が宜しいかと」

 

 射程圏内に入れば敵の砲撃を浴び、慣性制御に乱れの生じる恐れがある。よろめく無様は見せられないと考えたクラウディオは黙って頷くと腰を落とした。


「あの数で、シュガールが揺らぐとは思わないが」


 クラウディオは、迫りくるホワイトローズの艦影を前に努めて平静を装い告げる。


 ──"兄上ならば──不甲斐ない──クク──。"


「敵、二十光秒地点に到達」

「では、侘びた花火を楽し──」


 二十光秒は荷電粒子砲の有効射程距離であり、クラウディオが想定していたのは、この相対距離を保ちながらの砲撃戦だった。


 だが、トール・ベルニクは、オビタルにおける戦争様式を変化させ続けている。


 商船を壁代わりに使い、蛮族の旗艦に揚陸し、未知ポータルを駆け、軌道都市での戦闘すらも厭わない──否、むしろ好んだようにも見えた。


 遥か異邦の地で軌道都市そのものを撃滅せしめたとの噂まで流布しているのだ。


「え?──二十光秒地点より敵艦からの砲撃確認されず。さ、さらに接近中──亜光速ドライブを保ったまま本艦へ急速接近中ですッ!!」


 ◇


 第五戦隊長ジャンヌ・バルバストル大佐の滾りは、ブリッジに居合わせた誰の目にも明らかだった。


 先鋒を任されたがゆえか、それとも久方ぶりとなる血肉の気配によるものか──。


「二十光秒地点到達」


 オペレータの報告を受け、ジャンヌは小さく頷いた。


「十光秒地点より減速開始」


 亜光速ドライブのまま突貫したなら敵艦は確実に轟沈するが、ホワイトローズ自身も異様なエネルギーを四散させて原子に還る。


 そのような選択をするつもりは当然ながら無かった。


 ジャンヌに与えられた任務はクラウディオ・アラゴンを邦許へ追い立てれば良いのだ。


「ホワイトローズの強襲揚陸に怯えて、直ぐに逃げ帰るのではないでしょうか!」


 クロエ・ラヴィス中尉は、憧れ慕う上司の横顔を見上げて告げた。


 首船プレゼピオへの軌道揚陸を経験して以来、彼女のジャンヌへの傾倒ぶりは拍車が掛かっている。


 ──生首を担がされた時は怖ったけど……。

 ──普段はとっても上品なおねぇ様──このギャップがたまらないのよっ。


「そこまで聞き訳が良いと助かるのだけれど──」


 相手が逃げないのであれば、陣形変更の間隙を衝いて接舷し揚陸を敢行する。


 トール・ベルニクの企図する戦略上クラウディオを殺しはしないが、存分に脅し上げた後に救命艇に放り込んで彼方へ射出するつもりだった。


 剛性の高そうな戦艦も鹵獲できて一石二鳥──などとジャンヌは考えている。


 トールが彼女の思考内容を知れば、女海賊ブラックローズ再来の予感に震えたかもしれない。


「十光秒地点到達」

「減速始め、高速ドライブへ移行」

「──移行完了。敵艦との交差まで残り十五分」


 本来なら敵の集中砲火を浴びる十五分間となるが、幸いにもアラゴン艦隊は未だ陣立ての機動にリソースを喰われ射線の通っていない艦艇も多い。


「では、そろそろ──」


 副官クロエに戦隊指揮を委ね、ジャンヌが格納庫に降りようとした時の事である。


「左舷より急速接近する艦隊がありますッ!!」

「映像を」


 と、告げたジャンヌの睨む先に、蒼い艦影が写った。


「凡そ五千──ヴァルキュリア強襲打撃群です」


 立体雁行陣への陣形変更に与さず、同打撃群は一路ホワイトローズ率いる第五戦隊へと進撃して来たのである。


 ──罠か?


 つまるところアラゴン艦隊による一連の不合理な動きは、クラウディオの罠であったのかとの疑念がジャンヌの脳裏をよぎった。


 ──いや──違うな。


 目前に迫る旗艦シュガールの機動を確認したジャンヌは、ヴァルキュリア強襲打撃群の進撃は独自判断であると解した。


 ──この好機にあって、逃げようとしている……。


 ベルニク艦隊を誘い込む罠ならば、餌役である旗艦は今暫し構えておく必要があっただろう。


 ところが、ホワイトローズの突貫に怯えたクラウディオは、副官クロエの期待に応えるかの如く、接舷される前に艦尾を見せて逃亡を図ろうとしているのだ。


 ──これで──閣下の御下命は果たせた。


 ならば、引き返すか?


 ──とはいえ……、


 冷ませぬ滾りがあった。


 ──蒼槍がいる。


「全艦、亜光速ドライブへ移行準備──」


 ◇


「当代殿が、尻を捲りましたぞっ!」


 副官のアルジェントは嬉しそうな声音で告げるが、フランチェスカは小さく頷くに止めた。


 戦場における暴虐性が喧伝される白き悪魔に迫られ泰然と構えていられるような男ではないと分かっていたからである。


「宜しき判断でしょう。それをお助けするのが我等の務めです」


 左舷方向より射程圏内に入り、旗艦シュガールへ突貫すべく機動するホワイトローズと、それに続く旗下二千隻の側面を狙うのだ。


 敵が引き返そうと動いたなら後背を衝けば良い。陣立ても何も無く逃亡し始めたアラゴン艦隊の時間稼ぎにもなる。


 無論、深追いは出来ない。


 ベルニク艦隊には攻勢に参加していない五万隻の艦艇と、旗艦トールハンマーを擁する本隊が残されていた。


「敵先鋒へ一撃を加えた後に、当代殿を──あらあら──まあ」


 ブリッジモニタを見据えていたフランチェスカは、まなじりを少し下げて並びの良い歯を見せた。


「白き悪魔──二つ名は伊達ではないのですね。ふふっ」


 これまでとは一転して、楽し気な様子となる。


「お、お嬢──奴等は、こちらに向かって来るようですが──」

「そうですね」


 ジャンヌ率いる第五戦隊は撤退する意思を見せた旗艦シュガールを捨て置き、迫り来るヴァルキュリア強襲打撃群へと舳先を向けて機動を開始していた。


「ならば、我等もお応えしなければなりません」


 太古、馬上で刀剣を振るう事が誉であった時代──。


 名の在る将官同士が一騎打ちで戦の趨勢を決する習わしがあったという。


「ヴァルキュリアは速度を保ち、敵の右舷側面を駆け抜けます」

「──反航戦」

「ええ」


 フランチェスカが肩に乗る黒髪を払いつつ告げた。


「目一杯、砲撃しましょうか」

「こいつは、まるで一騎──」


 フランチェスカの隣に立つアルジェントが呟く言葉を、三十光秒先のブリッジに座する呑気な男も同じく口にしていた。


「まるで、一騎打ちみたいですよ!」


 トールが嬉しそうな声を上げる。


「ええ」

 

 実のところケヴィンにも湧き立つ感情はあった。


「ですが一撃のみの反航戦となれば、馬上搶試合という表現がより相応しいでしょう」


 少女艦隊が見せた反航戦と同様、白き悪魔と蒼槍の繰り広げた反航戦も、相対速度が光速に近しくなる為に一瞬の火花で幕を閉じるのだ。


 互いの荷電粒子砲は幾らかの損耗を与えたが、高精度射撃計算の限界と重力場シールドにより決定打とはならない。


 また、艦尾を取り合う戦術的意味は既に無く、ヴァルキュリア強襲打撃群は反航直後に軌道を変え、逃走を開始したアラゴン艦隊の後を追った。


 ホワイトローズが一門のみ備えられた主砲から虚空へ白光を放つと、ヴァルキュリア強襲打撃群からも一筋の白光が虚空へ伸びてゆく──。


 互いの壮健と、再戦を誓ったのである。

 

 ◇


「ふう」


 制帽で喉元を扇ぎ、トールが軽く息を吐いた。


「後は、のんびり追いかけて、ゲオルクポータルから帰って頂くだけです」


 蒼槍のヴァルキュリアを目の当たりに出来たトールは、疲労の影はありながらも随分と満足した様子である。


「そうだ。ケヴィン中将」

「はい」

「クルノフに戻ったら、希望者には休暇を取って頂きましょう」

「は、はあ──ベルニクではなくですか?」

「インフィニティ・モルディブが全部ボクの物になりましたからね! 会社の保養施設みたいなものですよ、アハッ」


 後半部分の意味するところはケヴィンに理解できなかったが、リゾート地を部下達に開放しようという領主の粋な計らいである事は分かった。


「なるほど。それは皆も喜ぶでしょう」

「だったらボクも嬉しいですよ」


 そう応えながら、トールはロマン男爵の事を思い起こしていた。ECMを張り巡らせた居室で軟禁状態としたままなのである。


 ──例の人物を紹介して貰わないと。

 ──でも、一眠りしてからにしよう……。


「ケヴィン中将、ボクは少し仮眠を──ん?」


 緊急EPR通信ではないが、蔑ろには出来ない人物からのEPR通信が入ったのだ。


「陛下だ」

「え?」


 焦るケヴィンに構わず、トールが照射モニタを浮かべると女帝ウルドが映し出された。

 乗馬服を纏う彼女の両脇に立つのは老将パトリック・ハイデマンと、オソロセア外征軍司令エカテリーナ・ロマノフ大将である。


「陛下、どうしたんですか?」

「う、うむ──ともあれ、其方は無事か?」

「諸々無事に終わりそうです」


 トールは笑んで告げた後に、ウルドが立つ部屋の様子に気付く。


「──変な部屋ですね?」


 執務室のようにも見えるが、子供向けの玩具が散らばっている。


 ──古戦場セットまで?


「ここは、熊の──かつてはディアミドの執務室であった」


 童子に還った僭主ジェラルドは天秤衆に連行され、埋伏の毒ニコライは姿を消している。


「という事は、陛下も万事つつがなく──なんですね。良かった!」


 彼等が領主の屋敷に並び立っているのは、親征が無事に終わった証と言えよう。


「ま、まあ、そうなのだがな」


 珍しく歯切れの悪い様子で、女帝ウルドは言葉を継いだ。


「どうにも困った事態になっておる──」

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