50話 フィオーレの特権。

「良く言えば盾、悪く言え――いや、実態に即して言うならば、我々は捨て駒というわけです」


 副官のアルジェントは憤懣やるかた無しといった様子である。


 ベルニク艦隊の追走を諦め回頭したアラゴン艦隊は、円筒陣を組んで星間空間を奔っていた。

 先頭を進むのはヴァルキュリア強襲打撃群の五千隻である。


 行く手に迫る五万隻の艦隊の砲撃を、正面からまともに喰らう役回りとなるのだ。


「観艦式では思い出してくれるかもしれませんな」


 そう言って、アルジェントは皮肉な笑みを浮かべた。


 クラウディオ・アラゴンは蒼槍のヴァルキュリアを傘下に擁しているという事実を、自身の政治的虚栄を満たす目的には利用してきたのである。


「それ以外の用途をご存じなかったようですが――」


 他方で、直参ではない軍事力への警戒心は強く抱いており、大きな勲功を上げさせない事に腐心してもいた。


「ええ、ですが致し方のない側面はあるのです」


 クラウディオ個人への感情や評価とは別に、フランチェスカは彼の置かれている状況を斟酌していた。


 直参ではないフィオーレ家は、いわば客将という立場なのである。


 当主は軍属となり准将待遇とされる習わしだが、アラゴン領邦軍の艦艇及び将卒に対する指揮権は保持していない。


 つまりは、ヴァルキュリア強襲打撃群を構成する五千の艦艇及び乗組員達は、その全てがフィオーレ家の子飼いなのである。


 若輩の身で、領地だけでなく選定侯という権力を受け継ぎ、油断のならぬ親族や旧臣から己の権力を護持し、尚且つ権謀渦巻く宮中政治を生き抜かねばならないのだ。


 かような情勢下における客将フィオーレ家とは、政敵と与しかねない軍閥と目されても仕方のない存在なのである。


「つまり、痛し痒しの厄介者ですか」

「端的に言えば、そうです」

「確かに、昨年も妙な動きがありましたな。無役の禿翁とくおう殿に助けて頂きましたが――」


 アルジェントは、顎の無精ひげを撫でながら呟いた。


「まあ、失礼ですよ。いけません。ラニエリ様です」


 ラニエリ・パッツィ。


 自ら、無役の禿翁とくおうなどと名乗っている。


 その名乗りが示す通り、爵位、そして官位すら持ち合わせていないのだが、彼こそがヴォイド・シベリアの実質的な支配者であった。


 なお、量子煉獄プルガトリウムを擁し、特殊な政治状況にある同地についての仔細は後の機会に述べたい。


 ともあれ、自家の軍港まで保有するフィオーレ家の経済力は、ヴォイド・シベリアに所有する幾つかの利権に支えられていた。


 クラウディオ・アラゴンは、これらフィオーレ家の利権に対し、複数の企業体を使って干渉しようと策動していたのだ。


 この動きを阻害し、尚且つフィオーレ家に警鐘を鳴らしたのが、ラニエリ・パッツィだったのである。


「ですが、お嬢。くだんの翁も申されておりましたが、やはり――」

「アルジェント」


 柔らかくはあるが決然とした声音で、フランチェスカは副官の言葉を遮った。子飼いの部下に、分限を越えた危険な発言をさせまいとしたのだろう。


「――申し訳ありません」

「ええ」


 フランチェスカは軽く頷いた。


「ただ、あなたの懸念した状況にはならないでしょう」

「え――?」

「当代殿のお考え通りには運ばないという意味ですよ」


 そう告げる彼女は、アルジェントが幼少時に眩しく感じた笑みを浮かべた。


 ◇


 旗艦トールハンマーのブリッジは、主観時間において丸二日に渡って緊張を強いられ続けていた。


 追われる身から追う側となったベルニク艦隊ではあるが、敵が一斉回頭して火力優位を活かす可能性を怖れ、相応の距離を取って追尾する必要があった為である。


 熊の反撃を喰らわぬよう追い立てる猟犬に例えても良い。


 中でも、敵艦隊の通信トラフィック量等に基づき行動分析を行う担当官は、少女艦隊到着まで交戦に至らせない責務を双肩に担っていた。


 ――無事ベルニクに戻れたなら、無理にも長休を取らせねばな。


 疲労が色濃く浮かぶ担当官の横顔を見詰め、ケヴィンは中間管理職めいた決意を心中に抱いていた。


 だが、乗組員達の神経を摩耗し続けた航行も、次の報告でようやく終わりの時を迎える。


「少女艦隊が目標地点に到達ッ!」


 亜光速ドライブで駆け続ける少女艦隊が、光学映像としてブリッジに在る全周囲モニタ上に投影された。


「敵艦隊の鼻先まで、三百光秒です」


 ドップラー効果により当然ながら可視状態にはない。


「全周囲モニタって、ホントに優秀ですよね」


 光速度の九十パーセントで移動する質量を、光速度の五十パーセントで移動する慣性系から観測しているにも関わらず、原型に限りなく近似した形状で少女艦隊が投影されている事にトールは感動していたのだ。


 ――ホワイトローズもスターボウ効果を上手く処理してたから、どんな船でも大丈夫なのかな。

 ――やっぱり超未来って最高だよね!


 かつての初陣で抱いた感動を、再びトールは噛みしめていた。


「色までバッチリです」

「え?ええ――あの――はい。仰る通りですな」


 相変わらずケヴィンには理解できない部分に拘る男なのだが、いかなる時も心の余裕を失わない司令官とは得難いものだ――と、最近では自身を納得させるようになっていた。


「そろそろかな――」


 トールが呟くと同時、五万隻の少女艦隊は円筒陣で進むアラゴン艦隊を避けるかのような軌道へと移った。


 少女艦隊側は射線を活かす為に立体単縦陣で航行しており、敵艦隊からすれば側面を無数の砲門を備えた壁が通過するようなものだろう。


 とはいえ――、


「二百秒後に接敵、有意交戦時間は三十五ミリ秒です」


 相対速度がほぼ光速となる今次反航戦において、敵艦隊を射程圏内に捉えられるのは人の感覚では瞬きする間もなかった。


 アラゴン艦隊に甚大な損耗を与えたくないトールが、射程境界線上を進むよう指示した事も要因のひとつである。


「十分だ」


 だが、照射モニタ上で少女Aは、不敵な表情を浮かべている。


「程よく焦がした秋刀魚は実に美味なのだろう」

「わぁ、懐かしいなぁ」

「食した事はないが」

「太陽系に戻ったら頼んでみますよ。マリに言えば何とかなるかもしれません」


 真剣な表情で二人の会話を見守るケヴィンには、凡そ想定外の話題となっていた。


「秋刀魚は――いや、少女艦隊は交戦後、迅速に回頭してボク達と合流して下さい」

「うむ」

「抜かさないで下さいよ。一緒に追い駆けっこすれば良いだけですから」

「――うむ」


 トールの最後のひと言に、少女Aは些か釈然としない様子を見せた。


 ◇


「二百秒後、自走重力場シールドを右舷側面に展開」


 仕える少女が予測した通りの成行となった事に驚きつつ、アルジェントは声を張って指示を下した。


 ――正面からの交戦にはならないでしょう。

 ――え?

 ――マクギガンへの親征軍侵攻に伴い、トール伯は我々が邦許へ帰ると期待していたはずです。


 フランチェスカ自身が進言した動きでもある。


 ところが、自領と合理性を放棄しベルニク艦隊を追い続けるクラウディオに、結果としてトールは二の手を打つ必要に迫られたのだ。


 ――次いでトール伯は、何ら偽装工作を施す事も無く、切り札とも言うべき大艦隊を押し出してきました。


 インフィニティ・モルディブからの出艦においても、トールは一切のメディア規制を敷いていないのである。

 地中から飛び立つ劇的な映像は、現在もEPRネットワーク上を拡く流通していた。


 ――驚倒して逃げ出すのを望んでおられたかのようではありませんか?


 事実、そうなっているのだ。


 ――伯の深謀は私などでは測れませんが、多少の損耗を覚悟したなら我等は無事に帰れるはずです。

 ――となると、お嬢が降伏を進言されたのは――まさか――。


 真意に気付き表情を変えたアルジェントに対し、フランチェスカは目を細め己の唇に人差し指を当てた。


 武人然とした涼しい佇まいでありながら、相変わらずフィオーレの女は怖ろしい――と、アルジェントは先の会話を思い起こしながら告げる。


「仰る通りの状況となりましたな」

「ええ――」


 読み通りとはいえ、慶賀すべき状況では無いのだ。


 何れにしても円筒陣の側面を奔る艦艇には損耗が生じようし、一隻が轟沈しただけでも数百名の人命が失われるのである。


 敵艦隊の航路予測から、最も損耗を被るのは中段側面を奔る艦艇となるだろう。


「接敵しますッ!!」


 と、オペレータが告げた直後には、既に事が決しており被害状況が映し出されている。


「第二艦隊、損耗率三パーセント。第三艦隊、損耗率二パーセント。他、被害状況軽微」

「結構」


 フランチェスカは満足気に頷いた。


 予測と覚悟の範疇であったし、何よりヴァルキュリア強襲打撃群は無傷だったのである。


「では、皆さん。帰りま――」


 ◇


 クラウディオ・アラゴンが、この期に及んでなおも選択を誤った理由は判然としない。


 反航戦による損耗が思いのほか軽微であった為か、少女艦隊が減速して回頭機動に入った点を好機と取り違えたのかもしれない。


「相対距離を保ちつつ全艦即時回頭せよ。急ぎ立体雁行陣を敷く」


 クラウディオの指示が、閉域EPR通信で流れた。


「敵の大半は駆逐艦だ。我が方の火力を活かせ」


 いわゆる、T字戦法となるのだが、迫り来る敵艦隊を前に回頭して陣立てするなど正気の沙汰ではない。


 フランチェスカ・フィオーレも己の聴力を疑ったが、口を半開きにしたアルジェントの横顔を見て幻聴ではないと悟る。


 他方のトールは、相手の動きを見て取り即座に決断を下した。


「ジャンヌ大佐ッ!」


 この状況でも、トールは戦略目標を捨てていない。


 目先の勝利より優先すべきものがあると考えているからだ。


「敵の陣形が整う前に、第五戦隊で敵旗艦を衝いて下さい。第二から第四戦隊には支援をさせます」

「ハッ」

「自分の命が危なくならないと、お尻に火が着かない無謀な指揮官のようです」


 多くの識者から無謀と評されるトールが腹を立てていた。


 ――閣下の無謀とは意味が異なりますものね。


 ジャンヌは微笑ましいような感情を抱いたが、おもてには現わさず旗下艦艇へ進撃命令を下すと同時、その先陣をホワイトローズに切らせていた。


 ◇


 突出したホワイトローズ率いる第五戦隊の直線上に、クラウディオ擁する旗艦が無防備な横腹を晒している。


 だが、回頭機動と陣立てを同時進行で行っているアラゴン艦隊は、旗艦を守護する備えが間に合っていない。


「白き悪魔――」


 その響きは、フランチェスカの心中を大いに滾らせていた。


「今こそ、フィオーレの特権を行使すべき時でしょう」


 戦場での危機的状況において、アラゴン領邦の利益相反に該当しない限り、フィオーレ家は独自の裁量権を有する。


「この期に及んで、立体雁行陣など意味がありません」


 ヴァルキュリア強襲打撃群は、陣の右翼上段前方を担う役割を放棄すると宣したのである。


 つまり、クラウディオ・アラゴンの下知より逸脱するのだ。


 代わって、独自の判断により――、


「蒼槍で、白き悪魔を貫きます」

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