49話 戻るも地獄、進むも地獄。

 

「――逃げる――いや、転進するほかありませんぞ、クラウディオ様」

「尻をベルニクにつつかれながら、五万の艦隊を突破など出来るのか?」

「だが、追い続ければ、その尻は大艦隊に焼かれるだけだろう」

「光速度の九十パーセント――未だに信じられん」

「いっそ、ここに留まって築城してはどうか?」

「星間空間で籠城するなど、血迷うにも程があろう」

 

 クラウディオ・アラゴンの周囲に写る照射モニタ上では、旗下将校達が喧々諤々たる争議を繰り広げていた。

 

 諫言を嫌う領主の命令に汲々と従う事を旨として来た彼等も絶体絶命の危地に直面して、ようやくその職分を思い出したのかもしれない。

 

 このままベルニク艦隊を追い続けた場合、トールの襟足を掴むより早く少女艦隊に追い付かれ、アラゴン艦隊は挟撃の憂き目に遭遇する。

 

 他方、直ぐに回頭して帰路に就いたとしても、異様に足の速い少女艦隊がアラゴン艦隊の行く手を阻むだろう。その後背からはベルニク艦隊に襲われる可能性が高い。

 

 どうあっても、アラゴン艦隊は挟撃されるのだ。

 

 引くも地獄、進むも地獄というわけである――。

 

 ――ベルニクの無法伯は最初からこれを狙っていたのか……。

 

 表面上は取り繕っているが、クラウディオの内心は恥と怒りで煮え滾っていた。甚大な損耗を被る事への恐怖よりも、虚仮にされたという思いが先行したのである。

 

 但し、この点について言えば、トール本人にとっては心外だったかもしれない。

 

 彼本来の目論見では、ベルニク、オソロセア連合軍がマクギガンへ侵攻した段階で、アラゴン艦隊は国許の守りを固める為に引き揚げると期待していたからである。

 

 ところが、予想に反していつまでも追い続けて来る――と、少しばかり焦っていたほどなのだ。

 

「――けいらの意見は大いに割れているようだね」

 

 泰然とした姿勢は崩さず、努めて冷静な口調でクラウディオは告げた。

 

 彼とて具体的な方策については腹が定まっていないのだが、家臣達に狼狽えたさまを見せるのはアラゴンの誇りが許さなかった。

 

 ――しかし、実に不味い状況ではある。

 

 光速度の九十パーセントで航行可能な艦隊と交戦し、数的不利を抱えたまま勝利できると思えるほどの楽観主義者ではない。

 

 ――だが、そんな艦艇を建造可能な企業や組織を僕は知らない。

 ――そもそも帝国には存在しないはずだ。

 

 名立たる軍事企業の役員達と研究機関のお偉方を脳裏に浮かべるが、彼等が重要顧客であり尚且つスポンサーでもあるアラゴンをないがしろにするとは考えられない。

 

 ――となると――やはり、蛮族――異端船団国か。

 ――連中は我等と異なる技術系譜を持ち、幾つかの分野では帝国を上回ると聞いた記憶がある。

 

 だが――と、ここでクラウディオは頭を振った。

 

 現状では考えても詮無き事であると感じたからである。

 

 達成すべき命題は明らかなのだ。

 

 ――僕の命。アラゴンの命。ともあれ、これを護持する事だ。

 

 彼がアラゴン家当主として幼き頃より叩き込まれたのは、自らの血統を絶やさないという一事のみであった。

 

 クラウディオ・アラゴンさえ存命ならば、名誉ある家門はその輝きを失わない。

 

 ――結局は、いかにして僕が生き残るか。それだけだな。

 

 その為ならば、全ての艦艇が藻屑と消えたところで問題はない。

 

「フランチェスカ」

 

 常になくさえずる将校達の中に在って、黙したまま瞳を閉じている武門の華へと声を掛けた。

 

「はい」

 

 フランチェスカが瞳を開いた。

 

「君の意見を聞こう」

 

 退けと言い続けて来た相手に、改めて方策を問うたのである。

 

 ――再び同じ事を言わせ、それへ首肯するのが良い。

 

 退却を否定し続けてきた手前、自身で提案するのは居心地が悪い。

 

 ――フランチェスカに提案をさせた後、僕が生き残る作戦も立案させよう。蒼槍ならば己が露払いを務めると言い出してくれるかもしれない。

 

 気付いた将校達もさえずりを止め、幾らかの好奇を抱いて少女の口許を見詰めた。

 

 フィオーレ家の女ならば正解を導き出してくれると考えたのかもしれない。

 

「――分かりました」

 

 フランチェスカが短く応え頭を下げると、艶やかな黒髪が彼女の頬を覆った。

 

「もはや――」

 

 彼女の隣に立つ副官のアルジェントが、頬を人差し指で掻きつつ天井を見上げる。

 

「退くも進むも不可能事でしょう」

 

 逃げ込めるポータルは遥か彼方に在り、援軍を期待できる状況にもない。

 

 遮蔽物の存在しない平原で、迫りくる騎馬の大軍に怯える砲兵隊が、クラウディオ率いるアラゴン艦隊の置かれた立場なのである。

 

「当代殿の望みを確実に叶える方法は、現状ではひとつだけです」

 

 相手の心根を見通す冷然とした眼差しで、フランチェスカは照射モニタ越しにクラウディオを射抜いて告げた。

 

「降伏なさるのが最善かと」

 

 ◇

 

「このままならば、百時間以内に我等の射程圏内に入る。後背から薙ぎ払ってやろう」

 

 なお、彼女が言う百時間とは、静止系を基準とした場合の数値である。

 

 トールの主観時間ではそれよりも短く、少女Aの主観時間ではさらに短くなるだろう。

 

 とはいえ、EPR通信による情報伝達自体は、互いの主観における矛盾を自己解決してしまう。慣性系の因果律に拘束されないからである。

 

「薙ぎ払う――ですか」

 

 少女艦隊が備える荷電粒子砲の射程距離は凡そ二十光秒であり、話を聞く限りは威力もオビタルの艦艇と大差が無さそうに思えた。

 

 ――薙ぎ払うってほどにはならなそうだけど……。

 ――数的有利はあるから、挟撃の効果は出るのかな。

 

 あるいは挟撃ではなく同航戦に持ち込んだとしても、足の速さという利点を活かせるとトールは考えていた。

 

 ――まあ、だから勝てそうな気はするけど――ううん――。

 

 だが、トールには、このまま交戦した場合の勝利に確信がない。

 

 少女艦隊の実力が未知数である点と、ベルニク艦隊と演習も行っていないのだ。

 

 端的に評するなら、実戦で使うには準備不足と考えていたのである。

 

 また、そもそもトールの戦略上、アラゴン艦隊を全滅させるのも愚策であった。

 

 ――もう暫く、アラゴン君には頑張って貰わないと……。

 

 彼の計画に支障を来たすのである。

 

「そうですねぇ――」

 

 とはいえ、逸る味方の気持ちを冷やし過ぎたくはなかった。

 

「確かに、現在の状況で接敵したなら、皆さんと我々で敵を挟撃しましょう」

「うむ」

 

 その場合は、不本意ながら相手艦隊の全滅を企図して動く必要がある。

 

 全ての合理性を無視して襲って来る相手に、手心を加え対峙しては命取りになるからだ。

 

「ただ――」

 

 トールの知識に基づくクラウディオの性格と性向は――、

 

 ――なんだか、中途半端な人だったんだよね。

 ――アラゴンの誇りに狂うでもなし、かといって理詰めという程でも……。

 

「このまま追われ続ける事はないと思うんです」

「ほう?」

「もうすぐ回頭して、自領へ引き返そうとするでしょう」

 

 何れにしても挟撃のリスクがあるなら、逃げようとするのが人のさがなのだ。

 

「それならその方が良い。接敵は四十二時間以内に短縮される」

 

 仕事が早く終わるといった口ぶりである。

 

「ボクとしては、今回は逃げてくれれば良いんです」

「逃がす?敵をか?――意味がない。殲滅せよ」

 

 他文明の破壊を行動原理のひとつとする少女Aは不思議そうに首をひねった。

 

「ええと――彼等には、まだ使い道があるんです」

 

 但し、使い終わった駒となれば、盤面から取り除く事をトールは躊躇わないだろう。

 

「駒か――ふむん。理解した」

 

 少女Aがあっさりと了承した事に、トールは少なからず安堵した。情理は通じないのだろうが、合理は通じる相手と分かったからである。

 

「接敵ポイントが迫ったところで進路を反らし、反航戦を行って下さい」

 

 つまりは、側面から擦れ違いざまに砲撃せよという意味である。

 

「相対速度が凄い事になりますけど――」

 

 亜光速の艦艇が反航する状況下では、荷電粒子砲の命中精度が著しく劣化する。高精度射撃計算の最適解を得るには、射程圏内における滞在時間が短すぎる為である。

 

 結果として、少女艦隊に損耗は出ないだろうし、アラゴン艦隊とて軽微な損耗で済む可能性が高い。

 

「問題ない」

「さすがは、なでし――い、いや、さすがは少女艦隊ですね!」

「我等はワイアード艦隊θシータ世代第137方面隊なのだが――まあ、好きに呼べ」

 

 艦隊名について少女Aの同意が得られたところで、ケヴィンが口を開いた。

 

「閣下、逃げるのではなく、いっそ降伏してくるという可能性はありませんか?」

「それなんですよね」

 

 降伏される事こそが、トールの最も困る打ち筋である。

 

 ある程度の戦力を持った敵勢力というのが、現時点でアラゴンに期待している役回りなのだ。

 

「聞こえない振り――なんて無理ですしね――」

 

 領邦間の協定により、降伏は必ず受諾する必要がある。

 

「――ただ、降伏しない気がします」

 

 理屈のみで考えるなら降伏しかない。

 

 情動のみで考えるなら追い続ける他にない。

 

 その何れでもないクラウディオ・アラゴンならば――、

 

 ◇

 

「全艦回頭し、アラゴンを目指す」


 領主の決断に将校達は黙したままに頷いた。

 

「フランチェスカ准将」

 

 クラウディオは、降伏を進言した女を冷たく見やった。


「ヴァルキュリア強襲打撃群は、円筒陣の穂先となってもらうよ」


 円筒陣とは、立体的な単縦陣とも言える。


 正面から接敵するならば、先頭に位置する艦艇が最も損耗を強いられるのは必然だろう。

 

「君が持つ自慢の剛槍で、得体の知れぬ敵を貫いてくれ」


 クラウディオ・アラゴンは降伏などしない。


 代わりに蒼槍を生贄として捧げ、その間隙を衝いて窮地を脱すると決めたのだ。

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