45話 女帝宣下。

 帝都フェリクスの統合防衛本部は、オリヴィア宮の行政区画に存在する。


 女帝直属となる近衛師団が整備されていない状況下にあって、ベルニク、オソロセア、そしてかつてはマクギガンが、互いに協力して帝都防衛にあたる為に設営された司令所であった。


 マクギガン離反後の現在は、ベルニクとオソロセアの二領邦が防衛の任に就いている。


「今暫し、お待ち頂ければと――」


 オソロセア領邦から派遣されているアリスタルフ中将が、申し訳なさそうな表情で再び頭を下げた。


「お気遣いなく」


 向かいに座るパトリック・ハイデマン大将は常の表情で短く応える。


 己が待たされている事には何の痛痒も感じていないが、些か先方の将校に緊張感が足りないように思われた。


 女帝ウルドより託された重用事を共有し、互いの認識を合わせる為に設けた会議体なのである。


 ――あるいは、先方に何か含むところがあるのかもしれんな……。


 会議体へ遅参ちさんする非礼を、敢えて冒している可能性を考えていた。


 同盟を結んだくに同士とはいえ、それが軍の現場レベルに浸透するには暫し月日の流れを必要とする。

 極稀にはなったが、今でも兵卒同士の諍いはあるのだ。


 ――その齟齬こそが、マクギガンの離反を招いた要因のひとつと言えよう。

 ――異なるくにの軍隊が連携する作戦行動とは古来より難しいものだ。


「――とはいえ、さすがに遅いですな」


 不機嫌そうな表情で腕を組んでいたギルベルト・ドレッセル中将は、パトリックの代わりに素直な想いを表明した。


 ホーク艦隊司令及び連番性で順番の来る統合司令官として、平謝りをしているオソロセアのアリスタルフ中将と共に長らく帝都防衛を担ってきた将校である。


 その為に、ある程度は忌憚のない意見を述べられる関係性が築かれていた。


「え、ええ。では、私が少し外を見て――」


 落ち着きなくアリスタルフ中将が席を立った時の事だった。


「皆様方――」


 統合防衛本部作戦会議室へ、金色の髪を豪奢に結った女が入って来た。


 彼女に気付いたアリスタルフ中将は慌てて立ち上がり敬礼をする。寸刻遅れて、パトリックの隣に座るギルベルトも席を立って敬礼をした。


 同盟軍においては、くにが違えど軍の階級は絶対である。


「ご機嫌は――フフ、良くなさそうですわね」


 自身の遅参ちさんを悪びれる様子もなく軽口を叩いた後、アリスタルフ中将の隣に腰掛けて足を組んだ。


 オソロセア領邦軍の女性士官が纏う制服は、深い切れ込みの入るタイトなスカートとなっており、向こう正面に座る者は些か目のやり場に困る絵姿である。


「エカテリーナ・ロマノフと申します。良しなに、パトリック提督」


 提督という敬称を、オビタルはあまり使用しない。古典文明と異なり陸海空という活動区分を設けていない為である。

 

 但し、少数派とはいえ、懐古主義や特定思想に基づき、その名に拘る者もいた。


 ――その辺りを因として、件の流言があるのかもしれんな……。


 エカテリーナ・ロマノフには、軍関係者の間で囁かれる不穏な噂がある。事の真偽を確かめる術は無いのだが――。


 気取られぬよう注意しつつ、パトリックは相手の様子を観察した。


 オソロセア領邦における軍組織の詳細は割愛するが、彼女は外征軍を統括する司令官である。

 つまり、その主たる任務は、ポータル防衛ではなく他領邦への積極攻勢にあった。


 帝都防衛に派出されていた艦隊は外征軍に属しており、アリスタルフ中将は直属の部下という事になる。


「火星方面管区司令パトリック・ハイデマンです。此度、帝都防衛連合軍への参画を拝命致しました」

わたくしと同じ、というわけですわね」


 本日未明、外征軍司令エカテリーナ・ロマノフ大将は、増派艦艇一万隻を率いてフェリクスに到着したのだ。


 アリスタルフ中将率いるウルフ艦隊と合わせ、二万隻のオソロセア領邦の艦艇が、ベネディクトゥス星系に集った事になる。


 対するベルニク領邦は、パトリックが率いて来た火星方面管区艦隊を合わせ、ようやく一万隻という状況だった。


「そうですな」


 パトリックは慎重に考えた末、短く肯定するに止めた。


「ええ」


 嫣然と微笑みながらエカテリーナが満足気に頷く。


「ところで提督――今次の作戦ですが、とても帝都防衛とは言えませんわね」


 何を今さら白々しい事を、とパトリックは思った。


 トール・ベルニクが蒔き、女帝ウルドが花開かせようとしている。その為にこそ、実行部隊である彼等は、この地に参集しているのだ。


「存念でも?」


 否定も肯定もせず、パトリックは相手に問うた。


「作戦自体はとても魅力的に感じておりますわ」

「ほう」

「ただ、わたくしは外征軍司令を長く務めて参りましたので――」


 そこで、エカテリーナはすっと瞳を細め、パトリックに対して挑発的な眼差しを送った。


 ――そういう事か。


 相手の意図を、パトリックは理解する。


「今次作戦につきまして、連合軍総司令官殿には、幾つか申し上げておきたい儀が御座いますの」


 先の思いやられる予感に囚われたパトリックだったが、努めて表情に表す事は無かった。


 ◇


 クラウディオ・アラゴン選帝侯が座するのは旗艦ブリッジではない。

 

 特別にしつらえさせた屋敷と同様の快適さを供する豪奢な執務室である。彼は下士官達と同じ空間を共有するブリッジを好まなかったのだろう。


「あのバカ共は、どこまで逃げるつもりだろうね……」


 苛とした思いを込めクラウディオは呟くが、照射モニタに写る将校達とて答えを持ち合わせてはいない。


 追走撃は五日に及び、目的地と思われたヨハンポータルを遥かに通り過ぎて、艦隊は星系の外――つまりは星間空間に入っていた。


「このまま太陽系まで逃げるつもりかもしれませんな、ハハハ」

 

 ポータルを使わねば五百光年以上の距離があるのだが、第三艦隊司令は場を和ますつもりで戯言を述べたのだろう。


「――ただ、補給を考えれば、敵も逃げ続ける事は出来ません」


 追う側も同じだが、航続距離ならば積載量の大きい戦艦級に分があった。尚且つ、補給艦も十分に引き連れている。


 その為、航行が半年に及んだところで問題はない。無論、乗組員達の精神的負担は大きくなるだろうが――。


「宜しいですか」


 作戦会議に集う将校のひとり、ヴァルキュリア強襲打撃群司令のフランチェスカ准将は、作法に則り右手を上げて発言の許可を求めた。


 彼女の意図が分かっている為か、クラウディオは不機嫌そうに頷く。


かねてより申し上げておりますが、招く寡兵を追うのは愚策と考えます」

「同じ話を聞いた。三度みたびもね」


 何名かの将校が、気まずそうに尻を動かした。


「だが、君の言う罠など無かった」


 クラウディオが言う通り、ベルニク艦隊はひたすらに逃げるのみだ。カトンボを使った嫌がらせのような攻撃すらも今は止んでいる。


「確かに――罠も、そして伏兵もありませんでした」


 その点をフランチェスカとて不審に思い続けているが、となれば敵の狙いはひとつだけと思われた。


「ですが――」

「おわ」「わっ」「ま、またも」


 フランチェスカが何かを言い掛けた時、将校達から驚きの声が上がる。


 各人の眼前に、紫紺のフレームで囲まれた照射モニタが唐突に現れたのだ。


「――へ、陛下!?」


 ピュアオビタルとしてのさがなのかもしれないが、クラウディオ・アラゴン選帝侯とて僅かながらに居住まいを正した。


 女帝ウルドと玉璽による全域ブロードキャスト、つまりは宣下なのである。


 ◇


「おお、始まりましたね」


 ケヴィンと並び、紫紺の照射モニタを眺めるトールは、小さく掌を打って拍手をしていた。


 乗馬服姿で傲然と立つ女帝ウルドの前に、パトリック・ハイデマンら統合防衛本部の将校達が跪いてる。

 その中には、元禁衛府長官フィリップ・ノルドマンの跪く姿もあった。


「銀河を統べる正統なる帝国のあるじ、ウルドである」


 ――ん――乗馬服?


 不思議に思いトールは首をひねった。


「まずは、ディアミドを偲ぶ。粗野なれど忠義に篤く、何より内では風雅を愛でる男であった」


 暫しの間、女帝ウルドは瞳を閉じた。


「真に得難い男であったが、惜しむらくは世継ぎを決めずに旅立った事となろう」


 親殺しの叛逆者ジェラルドなど、マクギガンの後継者として認めないと宣した訳である。

 名すら出さず、その存在を否定したに等しい。


「ゆえ、ノルドマン伯爵家に領地を下賜する事とした。女帝の傍にて、禁衛府を代々預かって来た家門の功に報いる日が来たのだ。――受けよ」

「は、はっ」


 フィリップ・ノルドマンの緊張したいらえが響く。


「以後、其方の家名を取り、ノルドマン領邦と改める」


 感涙にむせんでいるのか、厄介な荷物を背負う羽目になったと嘆いているのか――彼の震える背中からは読み取れなかった。


 あるいは、そのいずれでもあったのだろう。


 何より、領地を下賜されたところで、実効支配しているのはジェラルド・マクギガンなのである。


「とはいえ――」


 その点は女帝ウルドも承知している。


「――年初以来、領主を僭称する賊の腐臭は遥かなオリヴィア宮にまで至る。よって――」


 帝都フェリクスに集うベルニク、オソロセアの連合軍は三万隻に及んだ。


 対するマクギガン領邦は、ジェラルド謀反による混乱と、政府及び軍高官の離反が相次いだ結果、まともに運用できる艦艇数は半数以下となっていた。


 尚且つ、天秤衆の到来、艦隊の大半がクルノフ領邦と面するポータルで演習――と、防衛するには悪条件が重なっている。

 頼みの綱である宗主アラゴン領邦の艦隊も、今は星間空間を奔っているのだ。


 年初の遺恨を晴らす為の機は熟したと言えよう。


「パトリック大将もたぎっておられるでしょうな」


 少しばかり嬉しそうな様子でケヴィンが言った。


「ええ。留守番役をお願いする事が多かったですからね」


 パトリックが不動の火星方面管区司令として構えていたからこそ、トール・ベルニクは神出鬼没に銀河を駆け巡ってこられたのである。


 今回は連合軍を率いる総司令官という難しい立場を彼に委ねた。


「後は、陛下の勅命を――」


 トールは、連合軍総司令官パトリック・ハイデマンに対し、ジェラルド討伐の勅命が女帝より下されるのを待った。


 だが――、


「よって、余自ら起ち、これなる賊を討つ」


 と、女帝ウルドは高らかに宣する。


 目前に跪く軍人達はさらに深くこうべを垂れた。


「か、閣下――こ、これは――?」


 狼狽えるケヴィンの隣で、トールは参ったなと小さく呟き、頭を掻いて苦笑いを浮かべた。


 ――面白いな、陛下って。


 ともあれ、以下の言葉で宣下は結ばれた。


「親征である」

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