46話 駆ける無法伯。

 ベルニク艦隊が逃亡を続けている理由は、もはや誰の目にも明らかだ。


「奴らの狙いはマクギガンか――」


 復活派勢力は異端審問によってマクギガン家を取り潰し、潜ませた毒――つまりはニコライを使って支配しようと考えていた。


 突飛な行動に出かねないジェラルドより、七つ目のコントロール下にある男ニコライを選んだのである。


「まさか、親征とはね」


 翻って、ウルド率いる新生派勢力は迂遠な道など選ばなかった。


 不肖の息子ジェラルドのマクギガン家継承を認めず、軍事力によって正面から排除する道を選択したのである。

 裏切りへの懲罰という大義名分を掲げられる優位性を利用したのだ。


 とはいえ、背後に控えるアラゴン領邦の軍事力は警戒すべきである。


 その為に――、


「ベルニクの無法伯は自らを囮として、我等を戦場から遠ざけていたと――」


 クラウディオが言うところのは、今なおアラゴン艦隊を遠ざけ続けているのだ。


 直ぐに回頭して戻ったとしても、クルノフ領邦へ至るだけで五日を要する。


 また、アラゴン艦隊が転身の動きを見せれば、間違いなくベルニクは背後から襲い掛かって来るだろう。


 さらには、自領を経由せずクルノフからマクギガンへ直行したとしても、戦場となるマクギガン邦都宙域までの日数を考慮に入れなければならない。


 ――となると、今さら加勢に戻っても意味がないな。

 ――だったら……。


 アラゴン、七つ目、ニコライが弱体化させたマクギガン領邦軍では、恐らくは三日も保つまい――と、それなりに冷静な分析を行いクラウディオは決断を下した。


「決めたよ――」


 そう告げた若き領主を見詰める将校達は、誰もが「帰る」という一言を望んでいた。


 このまま追ってトール・ベルニクを亡き者にする戦略的価値は認めるが、マクギガンへの動きを見る限り、既にアラゴン艦隊は敵の術中に嵌っているのである。


 結果として、フランチェスカ准将の言い分に理が有ると考えていた。


 ――招く寡兵を追うのは愚策。


 ゆえに、領主の続く言葉は、彼らを少なからず落胆させた。


「無法伯を追う」


 照射モニタに並ぶ将校達の冴えない表情を見て、クラウディオは首をかしげて尋ねた。


「何か意見でも?」


 そう問われた彼らは、視線を落とすにとどめた。


 誇り高きアラゴン家を受け継ぐ者が、家臣の反論など望んでいないと知っていたからである。

 

 遥かな昔日より特別な立場であり続けた血統は、己の無謬性を固く信じていた。


「――御座います。当代殿」


 だが、フランチェスカ・フィオーレは異なる。


 直参ではなく外様を貫く武辺の家門は、アラゴン家当主に対して特別な呼称を許されていた。


 即ち、当代殿――。


 仕えこそすれ、飼われはしない。


 異質な呼び名は、フィオーレの意思表明であり、高祖母がアラゴン家と交わした盟約のひとつなのだ。


「ふう――また、同じ話を聞かされるのかい?」


 露骨に不快そうな表情を浮かべるクラウディオに対し、フランチェスカは否定も肯定もせず淡々と語り始めた。


「直ちに回頭し、ご領地へお戻りになるべきです」


 全てはトール・ベルニクのはかりごとに組み込まれているのだ。


 彼がマクギガンを陥とす為に自身を囮としたならば、何の備えも用意していないとは考え難い。


「また、マクギガン領邦へ寄せた親征軍が、余勢を駆ってご領地に押し入る可能性も考えられます」


 クラウディオが自領に残してきたのは、僅か一個艦隊一万隻のみなのである。


 とはいえ、万が一にもアラゴン領内へ敵影が現れたなら、エヴァン公の許に下った銀獅子艦隊やグリフィス領邦からの援軍を期待できるだろう。


「その場合、プロイス選帝侯が問題となりましょう」


 両者がアラゴン領邦へ向かう場合、プロイス選帝侯領を通る必要がある。だが、彼は未だに何れの勢力に与するかを明らかにしていない。


「ふむん――」


 痛いところを衝かれ、クラウディオは考える様子を見せて黙り込んだ。


 なお、この時点で無法伯が何れの道を期待していたかと言えば――、


 ◇


「なかなか、帰ってくれませんねぇ」


 腕を組んだトールは、珍しく困ったなという表情を浮かべている。


「――怒らせすぎたのかもしれませんな」


 兵卒の疲労を鑑みて途中から取り止めはしたが、カトンボ攻撃は思いのほか相手へ損耗を強いる結果となった。

 ジャンヌ・バルバストル率いる第五戦隊の戦果が図抜けていたのである。


「普通に考えたら帰ると思ってたんですけど――ボクが甘かったです」


 逃げ続ける僅か一万隻の艦艇の為に、自領を危険に晒すはずがないと考えていたのだ。


「やはり、バリア作戦という事に――」

「アンチフェノメンシールド、または女神の盾ですってば」


 昼行燈トールとて、譲れない一線というものがある。


「も、申し訳ありません」

「しっかりしてよぉ、ケヴィンのおじさまっ」


 トールの肩に乗る猫型オートマタが、可愛らしい声音で苦言を呈した。


 ――おじさまって呼ぶ事にしたのか。

 ――ケヴィン中将も言葉が分かれば面白いのになぁ。

 ――あ、そうだ!ユキハさんにお願いすれば……。


 良い事を思いついたとトールは楽しい気分になるが、今はそれどころではないと意識を切り替えた。


「ただ、出来ればそっちは使いたくないんです」


 トールとしては、アラゴン艦隊に引き返して欲しかったのだ。


 アンチフェノメンシールドの有効時間は短く、距離にして僅か二光秒程度となる。


 迂回して逃げ切るには十分ではないので、回頭し相手艦隊と交差して突っ切るほかにない。その場合、アンチフェノメンシールドの有効時間以外は、甚大な損耗を被る事になるだろう。


「陛下とパトリック大将に、アラゴン攻めまでお願いするか――それとも――」


 不確定要素ながら、トールには今一つの手札が残されている。


 ◇


「りょ、領地ですってええええええっ!!」


 クリスティーナ・ノルドマンは、仕事の出来る若手秘書らしからぬ叫びを上げた。


「めでたい話しなんだろうが、ちっと口を閉じてろ」


 会議室の面々が、照射モニタに写る女帝ウルドと、フリッツの隣に座る秘書の間で視線を彷徨わせている。


 ――よく見たら、ノルドマン伯爵家の御令嬢なのでは?

 ――おお、そうでしたな。トール伯の妃候補の……。

 ――なんと領地まで下賜されるとは。


 フリッツの秘書とのみ相手方には紹介していたのだが、最前の雄叫びにより彼女の身許を皆が知るところとなった。


「――親征である」


 だが、女帝による衝撃のひと言は、ノルドマン家の話題を吹き飛ばしてしまった。


「ま、まじかよ」


 会議室にざわめきが拡がるなか、フリッツとて驚きを禁じ得ない。


 女帝自らが戦場へ赴くなど、旧帝国史においては建国時の些か神話めいた物語の中にしか事例が無かった。

 

 元来、女帝とはその権威に基づき諸侯を束ね、利害により調停者として君臨してきたのである。


「どうなってんだろうな、今度の女帝さんはよ。なあ、クリス――」

「領地、復興、領地、復興、領地っ!」


 女帝ウルドの歴史的宣下すら、欲望を最優先するクリスの耳朶には途中から届いてなどいなかった。


「や、やったわよぉぉ!」


 この彼女が抱く不屈な魂のともしびがプロヴァンスにより消されなかった事を、後にフリッツ・モルトケは感謝するのだが今はまだその時ではない。


 但し――、


 ――っとに、面白い奴だよな。


 と、思ってはいた。


「じゃ、そろそろ話し合いに戻るか」


 時間に追われるフリッツとしては、会議の終了時刻を厳守したいと考えている。


 だが、多事多忙である者には、さらなる役務が降りかかってくるものだ。


「――フリッツ様」


 急ぎの用件らしく、ユキハからEPR通信が入ったのである。少女シリーズでありながら、彼女は大海賊エドヴァルトの計らいでニューロデバイスを装着していた。

 

 オビタルであれば幼少期以降の装着には大きなリスクを伴うが、幾つかの機能は利用できないもののユキハに拒絶反応は出なかったらしい。

 イヴァンナを重用する七つ目あたりが知れば、食指を動かしそうな事実だろう。


「どうした」


 フリッツは応えながら照射モニタを前面に出した。


 申し訳なさそうな表情でユキハが立ち、その隣には同じ顔の少女が立ち、その隣にも、その後ろにも、そのさらに後ろにも、そのまたさらに後ろに――。

 

 バイオレットの髪をツインテールにした少女Aが居並んでいる。


「全ての少女ブランチが目覚めているのですが――」


 八日ほど前から、十四万四千人の少女達は、秘されてきた五十の拠点にて作業に勤しんでいた。


 その間、インフィニティ・モルディブに在るバーガー系食材は、準紛争地域である事も相まって記録的なインフレ率を記録している。


「我の準備は万端である」


 ユキハを押しのけ前に出た少女Aは、フリッツには分からぬ言葉で言った。


「で、いずれへ飛ぶ?」

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