44話 元気に逃げよう!

★帝国地図(2023/06/08更新)

https://kakuyomu.jp/users/tetsu_mousou/news/16817330658542263998

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「お父様、僕の準備は終わりました」


 そう言うレオンの傍にあるのは、小さなキャリーケースひとつだけだ。


 元禁衛府長官フリップ・ノルドマンは、伯爵家の令息が随分と身軽になったものだと、可笑しみと悲しみの入り混じった思いが胸中をよぎった。


「ふむ、私も終わった」


 とはいえ、彼自身の荷物も似たようなものである。


 ノルドマン家の資産のほとんどは復活派勢力圏に残してきたうえ、奴隷として囚われた際に貴金属類を含む全ての手荷物を失っている。


 まさに、その身ひとつでトールの屋敷に転がり込んだのだ。


 ――いやいや、身ひとつではないぞ。心優しい息子のレオンがいる。亡き妻を偲ばせる闊達な姉も――んむむむ――。

 

 不肖の娘クリスは、未だにインフィニティ・モルディブから戻ってこない。


 派手なギャンブルに興じていたかと思えば、今は元海賊の秘書めいた仕事を任されているらしい。


 照射モニタ越しに話す限りは、随分と張り切っている様子だったが、フィリップとしては複雑な思いがある。


 ――娘は、いったいどうなってしまうのか……。


 妃候補でないかという世間の声に押され、トールの嫁になどと夢想する日もあるのだが――。


「お邪魔しますぜ。フィリップ伯」


 一寸先も分からぬノルドマン家の行く末にフィリップが思いを馳せていたところへ、威勢よく扉を開けてトジバトル・ドルゴルが入って来た。


 禁衛府長官であった頃ならば決して交わる事のなかった二人だが、今は何れも屋敷の食客であり尚且つ「ご近所さん」とも言える。


「おお、トジバトル殿」


 レオンが剣技を習っている手前もあって、近頃では食事を共にする日もあった。


「貴殿も準備が終わったのですかな?」


 帝都フェリクスへ向かうノルドマン一家にトジバトルも同行する手筈になっていた。

 トジバトルの用向きはコロッセウム建設を進める為の出張である。


「いや、私はさほどの荷物もありませんからな。それより――」


 と、言いながらトジバトルは、再び居室の扉を開けた。


 そこに立っていたのは――、


「――旅の仲間が増えたと、ご報告に上がった次第でして」


 レギオン総督の座を追われたコルネリウス、故ルキウスの娘であるアドリア、ルキウス家の奴隷だったサラ――いわゆる蛮族三人組であった。


 同じ食客身分でありながらも、これまで触れ合う事を避けてきた相手でもある。


 特にアドリア・クィンクティなどは、今でも悪夢に出てくる奴隷船グレートホープ号の船附神官だった女なのだ。


 彼女が買い取ってくれたお陰で命拾いしたとはいえ、簡単には割り切れぬ思いがあるのは当然だろう。


「こちらの暮らしにも馴れてきましてな。帝都でも見物してみようと思ったのです。わははは」


 息子に叛乱を起こされ異国へ落ち延びた身の上ながら、コルネリウスは何の悩みも無さそうな様子である。


「――す、すみません。ホントに――厚かましいとは思うんですが――すみません」


 他方のアドリアは申し訳なさそうな表情で何度も頭を下げている。


「トール伯とセバス様のご厚意で私まで――。しっかりと学びたいと思います」


 奴隷であったサラが幸せそうな表情で告げた。


 彼女は屋敷の使用人となる事を希望しているのだが、家令セバスからまずはフェリクスに住むある人物を訪ねるよう言われている。


 ――サラ殿、ベルニクにはベルニクの礼儀作法があるのです。

 ――つきましてはミセス・ドルンの元で学ばれるのが宜しいでしょう。

 ――ただ、以前はこの邦都で教室を開いておられたのですが、最近フェリクスへ越されたと聞きました。


 そのような次第で、サラも今回の旅に同行する事になったらしい。


「トール伯から、そろそろ外を見せた方が良いと言われましてね」

「は、はぁ――なるほど」


 グノーシス船団国から来た者達、つまりは蛮族共に何を見せるのか――と、フィリップは疑念を抱くが、直ぐに思いを改めて自身の矮小わいしょうな考えを振り払った。


 ――トール伯は、ああ見えて無駄な事をされない御方だ。


 ノルドマン一家を食客としたのも後に利用する為であり、実際にこれから利用されるべく帝都へ向かうのである。そしてその後は――。


 ――彼らにも何某なにがしかの役割を想定しておられるのだろう……。


「そういえば、トール伯から何か連絡はありましたかな?」


 ベルニク艦隊が無実のロマン男爵を救うべく天秤衆を葬り去ったとの報道はあったのだが、その後の足取りはようとして知れない。


 プロヴァンス女子修道院焼き討ちという衝撃に、メディアと大衆の耳目が集まっていた為でもあった。


「いえ、ありませんが――まあ、あの御仁の事ですから、どこかの星系で元気にドンパチしとるんでしょう」


 ◇


 トール率いる一万隻のベルニク艦隊は、本隊から第五戦隊までの戦隊単位で編成されていた。


 ジャンヌ・バルバストル大佐の預かる第五戦隊は、強襲突入艦及び戦闘艇のみで構成されており最も機動力に優れている。


「あの別動隊は、実に嫌な動きをしていますね」


 ブリッジに映る戦況図を見据えるフランチェスカ・フィオーレ准将は、人差し指で唇の下を抑えながら呟いた。


 彼女はチェスでも、盤上を見下ろしながら同じ仕草を見せる。「もののふ」らしからぬその癖は、フランチェスカが活発な思索を巡らせている証左でもあった。


「そうですな――当代殿が殊の外にお怒りでしょう」

「別動隊を率いているのは、白の強襲突入艦ですね。となると噂のジャンヌ・バルバストル中佐――いえ今は大佐だったかしら」

「白き悪魔、揚陸戦における鬼神ぶりは耳にしておりますが、艦隊運用もなかなかどうして侮れません」


 ベルニク艦隊はトールの命じた通り元気に逃走中である。


 ゲオルクポータルを出たアラゴン艦隊へ一矢を放つ事もなく、回頭してサヴォイア領邦と接するポータル方面へと向かっていた。


 ポータル近傍で迎え撃たれる想定でいたクラウディオ・アラゴンとしては、完全に当てが外れた状態なのである。


 トール・ベルニクは、はなからクルノフ領邦を取るつもりなどなく、このまま逃げ帰るのではないか――。


 との読みが、クラウディオや側近達にも当然ながら浮かんだ。


 ベルニク艦隊が巣に逃げ帰るならば、あえて追う必要も無い。殲滅する事は叶わなくなるが、クルノフ領邦を復活派勢力圏に加えるという当初目的は達成できるのだ。


 それを以ってして、メディアに向け華々しく勝利宣言するのも可能だろう。


「逃げるなら逃げるに任せ、我等はゲオルクに築城するのが勝ち筋に思えます。とはいえ、あの別動隊の動きは当代殿の性格からすると許し難いでしょうね」


 ジャンヌ率いる第五戦隊は、アラゴン艦隊の矢面に入り嫌がらせのような砲撃をした後、機動力を活かして速やかに射程圏外へと立ち去っていく。

 尚且つ小憎いほどに砲撃精度が高い為、ある程度の損耗も受けるのだ。


 大兵力を率いているクラウディオとしては追いたくなる。忌々しい虫けらを、取るに足らない存在として叩き潰し、その立場を分からせてやりたいのだ。


「どう考えても、罠へ誘導されているように思えますな」

「ええ」


 副官アルジェントの言にフランチェスカは頷いたが、遠距離索敵の結果によれば他に敵艦隊の気配はない。

 クラウディオが躍起になって追う一万のベルニク艦隊のみなのである。


「頼みの綱であるロスチスラフ侯も、今は大軍を送れはしないでしょうし……」


 オソロセア領邦とポータルで接するファーレン選帝侯が、かねてより威力偵察を活発化させている。


 その為、帝都フェリクス防衛へ先頃に増派した一万の艦隊が、現状ではロスチスラフの限界なのだ。

 熊の息子ジェラルド・マクギガン裏切りの余波とも言えよう。


「――やはり、追うべきではありません」


 熟慮の末、フランチェスカ・フィオーレ准将は結論を下した。追って来るよう挑発する寡兵は、必ず先に罠を配しているのが定石である。


 とはいえ、彼女は総司令官という立場ではない。今次の戦いにおいて出番が無いとまで言われた分艦隊を預かっているに過ぎないのだ。


「当代殿へ?」

「ええ、具申します」


 そう告げた主人に対し、アルジェントは肩をすくめて見せる。


 確固たる罠の証拠でもない限り、追うなというフランチェスカの意見が、虫けら潰しにたぎるクラウディオに採用される可能性は低いだろう。


 ――ま、いざとなれば、お嬢だけを連れて逃げればいいのさ。


 副官アルジェントの忠誠は、唯一人の幼馴染だけに捧げられているのだ。


 ◇


 クルノフ領邦には、三つのポータルが存在した。


 ゲオルクポータル ⇔ アラゴン領邦。

 アントンポータル ⇔ マクギガン領邦。

 ヨハンポータル ⇔ サヴォイア領邦。


 星系内の周回軌道としては、最も外周に位置するのがヨハンポータルである。


「今のところ全て順調ですね」

「はい。順調に――逃げております」


 逃走するベルニク艦隊の進行方向はサヴォイア領邦と面するポータル、つまりはヨハンポータル方面である。


「カトンボ役は、八時間毎に交代させて下さいね」


 名称の由来は誰にも分からないのだが、第五戦隊が現在担っている役割を、トールはカトンボと命名していた。


「皆さんの元気と健康が一番大切です」

「承知しております」


 ――けど、あそこまで損耗を少なく出来るのは、ジャンヌ大佐だけだろうな。


 正直なトールの思いとしては、ずっと彼女に頼りたいところだったが、いかなる猛将でも人の体力には限りがある。


「ボク等は五日間、ひたすら逃げ続けるわけですからね!」


 つまり、ベルニク艦隊が目指しているのは、ヨハンポータルではない。


 進む先の直線上に同ポータルが存在するのは、星系の周回軌道と時節が生んだ偶然に過ぎないのだ――。

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