34話 ノーリミット。
トール・ベルニクと、ヴィルヘルム・モルトケによる一戦は、EPRネットワーク上にてライブ映像が広域ブロードキャストされる。
これも、トール側からの要請であった。
幸か不幸かクルノフ領邦は何れの陣営に与するかを公にしておらず、結果として新生派、復活派を問わず、全ての領邦で視聴可能となっている。
宣伝広告として活用したいカジノ側としては、実に喜ばしい要請であっただろう。
それほどに、今回のゲームは、世間の耳目を集めていたのである。
英雄と称され始めた男と、銀河系随一のリゾート地を支配する男が、歴史上類を見ない高レート勝負に挑むのだ。
加えて、オビタルが至極の価値を見出す銀冠を賭すとも噂されている。
女神の申し子として豪運を見せつけるのか、それとも堕ちた英雄となり恥辱に塗れるのか――。
この一戦を賭けの対象としているブックメーカーもあった。
◇
その頃、オリヴィア宮では――、
「ホールデムポーカー?」
名誉近習レイラ・オソロセアが映す照射モニタには、トールとヴィルヘルムがポーカーをするフロアの様子が中継されていた。
二人のプレイヤーは未だ登場しておらず、現在は解説者の男が、今回のゲームルールを紹介している。
その中で、耳慣れない言葉を聞き、ウルドはレイラに尋ねたのだ。
「父に連れられ、傍で見た程度の知識ですが――」
ディーラーの前に五枚の共有札、プレイヤーには二枚の札が配られる。合計で七枚となるが、そのうちの五枚で、各プレイヤーはポーカーの役を作り優劣を競う。
「共有札がありますので、カード運の強さより、プレイヤー同士の駆け引きの妙が勝敗を左右するそうです」
「ほう」
そう聞いて、ウルドは満足気に頷いた。
「運も駆け引きも、トールは――いやアレは兼ね備えておる。問題あるまい」
「――え、ええ」
全幅の信頼を表明する女帝に対し、レイラは曖昧な相槌を打つに
――どうにも、伯は考えが顔に出る。ゆえにこそ信用できるとも言えるが、腹芸に長けているとは思えぬな。
かような、父ロスチスラフの評を伝え聞いていたからである。
「あら、陛下。ようやく、伯がお見えのようですわ」
カジノフロアにタキシードを纏うトール・ベルニクが現れたのだ。周囲の物見客達から握手を求められ、律儀に応じているところは彼らしいと言えよう。
「落ち着いたご様子で、いつも通りの――」
と、言い掛けたところで、禍々しい気配を察したレイラは口を閉ざした。
「のう、レイラ」
「――はい」
「余の見間違い、あるいは幻覚であろうか」
応えるまでもなく、レイラにもはっきりと見えていた。
白いカクテルドレスを清楚に着こなすグリンニス・カドガンが、輝くような笑みを浮かべてトールの傍らで歩く姿を――。
◇
「いやはや、閣下の豪運は噂通りですな――今回もフォールドさせて頂きます」
ヴィルヘルムがそう告げた瞬間に、ディーラーが彼の手札を回収した。
トールはレイズで賭け金を吊り上げていたが、ヴィルヘルムは応じずにゲームを降りたのである。
フォールドした場合、レイズ直前までにベットしていた賭け金は取られるが、気にせずヴィルヘルムは損切りをしたのだ。
勝てないゲームの損失は最小限として、尚且つ手札も見せずに済む。
トール・ベルニクは、この勝負においても豪運を見せつけていたのである。
「ボクも、こんなに勝てるなんて、夢みたいですよ」
ディーラーの頭上に映る照射モニタを見ながら嬉しそうに言った。
最高額のチップでも賄えない金額を動かす為、二つの当座アカウントが用意されており、その残高が表示されているのだ。
トール、ヴィルヘルム各人用の当座アカウントで、その残高がベット可能な上限となるのだが、いつでも好きなタイミングで自己資金を送金できる。
勝った場合は、相手の当座アカウントからリアルタイムに資金が動くので、チップでプレイする場合と同じ興奮を見物客達も味わえた。
「本当に、閣下はお強いですな、ふはは」
強がりで笑声を上げた訳ではなく、ヴィルヘルムは十分な勝機があると考えていた。
いかなる豪運を持ち合わせていたとしても、イカサマをしない限りは、ポーカーで勝ち続けるなど不可能事である。
カードシューターを用い、ワンゲーム毎に全ての札を廃棄し、ディーラーの動きは、第三者審査機関がモニタしていた。
おまけに、ライブ中継という衆人監視の元でのプレイングである。
両者共にイカサマは出来ない為、駆け引きと僅かなカード運、そして資金力が勝敗を決するだろう。
――おまけに、フレイディスから聞いた話は本当らしい。
――何でも顔に出る御仁だわい。
フリッツが、フレイディスに囁いた話を伝え聞いたのだ。
ゆえに、ヴィルヘルムは確実にフォールドが出来た。トールが浮かべる笑みの度合いで役の強さが読める為、危険を察せば勝負を降りれば良いだけである。
負けるはずのないゲームであった。
「相当に稼がれましたな」
「う~ん、でも、まだもうちょっと――いや、もっともっと欲しいんです!」
トールの当座アカウントの残高は、一兆に迫る数字を示している。
――確かに二百兆の借財返済に至るには、長い道のりですからなぁ、ククク。
後は、トールが笑みを浮かべないタイミングを、逃さずに襲い掛かれば良いだけである、とヴィルヘルムは考えていた。
途方もない金額が動く様を人々が見守るなか、ついにヴィルヘルムの求めたタイミングが訪れたのである。
トールの豪運が途絶えたのだ。
「コール」「フロップ」「レイズ」「コール」「ターン」「レイズ」「コール」
「リバー」
ディーラーが、そう告げると共有札が全て公開された。
レイズを繰り返したヴィルヘルムによって、ベット額は既に二兆を越えている。トールの当座に残る全額であった。
トールの表情から判断するに、間違いなく弱い役しか出来ていない。
「レイズ――十兆」
見物客からは、歓声と悲鳴が上がった。
これをトールが受けるには、自身の当座に資金を追加する必要がある。
――筋の宜しくない例の金融屋は、そこまでの調達が出来ますかな?
負けが込んでいたクリスに、トールを経由して五千万程度貸し付けているが、現在のゲームと比すれば端金となろう。
「うはぁ、これは駄目ですね。フォールドします。失敗したなぁ」
悔しそうな表情で頭を掻きつつ、トールはゲームを降りた。その瞬間、彼の当座アカウントから二兆が失われる。
「いえいえ、次ですよ。次」
ヴィルヘルムとしては、ここでトールに逃げられては困る。トールの資金をショートさせて、刻印を賭ける状況に追い込まねばならないのだ。
「そうですね。諦めたら終わりですもんね!」
トールは、ヴィルヘルムが期待する以上の愚かな応えを返した。
「しかし――その――次のゲームをされるには、少々――」
意味ありげな視線を、ヴィルヘルムは当座残高を映す照射モニタへ送った。
「ああっと、お待ち下さい」
「ふぅ」
トールが溜息を吐くと同時、彼の当座残高に十兆と表示される。
――ほう?――十兆程度ならば、まだ用立て出来たのか。では、先ほどは手札が悪くて降りたという事になるな……。
こうして、再びゲームが始まり「リバー」に至っているが、今回のトールの表情は幾分か明るい。
――これまでの実績上、伯がこの表情の時はツーペアだ。
ヴィルヘルムの役も、ツーペアである。
――リスクは有るが、そろそろ追い込んでしまいたいところだ。
――フォールドさせるのが安全策なのだが……。
コール出来なければ、相手はゲームを降りるほか無い。つまり、絶対にコール不可能なベット額を積めば良いのである。
既にベット額は十兆となっており、トールの当座には余力が無い。
――ここが、俺の勝負どころか。
ヴィルヘルムは傍に控えていた秘書に指示を出した。
直後、照射モニタへ反映された当座残高を見た観衆は悲鳴を上げる。
「レイズ――に、二百兆」
ヴィルヘルムにとっても失うには巨額すぎる為、言葉の震えを抑える事が出来なかった。
だが、資金力の不足するトールは、ベット済の十兆を諦めてゲームを降りるほかなくなるだろう。
新たな借り入れが不可能となれば、彼は資金ショートする。ゲームを続行するには刻印を質に入れる必要がある――。
――さあ、銀冠を手放す時が来ましたな、ククク。
◇
「閣下、降りるべきですぞっ!!い、いや、いいから、降りて――お願い、降りろおおおおおおおっ!!!」
「ああ、トール様――どうなって――どうなってしまうの」
統帥府長官ヨーゼフと、首席補佐官ロベニカの両名は、トジバトル発案のプールサイドに設営されたパブリックビューイングの前で、怒号と悲鳴を上げていた。
関係者一同が集まり、不埒な賭博ではあるが世紀の一戦を応援しようという企画だったのだが――。
「坊ちゃま」
二人の傍に立つ家令のセバスは、最近では珍しく悲壮な表情を浮かべ、想像を絶する金額の動くゲームを見詰めていた。
「せ、セバスさんから連絡して止められませんか?」
幼少期から忠実に仕えて来た彼の言う事ならば――とロベニカは考えたのだろう。
「このままだと、トール様は本当に刻印を賭けてしまいそうで――ああ、大変な事になってしまう」
「はあ――あ、いえ、ロベニカ殿。その心配は――」
何かを言いかけるセバスへ、
「トール様っ!」「閣下ッ!」「坊ちゃま――」
「あ、皆さんもお揃いで」
パブリックビューイングと照射モニタの両方に映るトールが、呑気な様子で屋敷の人々に向けて手を振った。
「ええと、そんな訳で、セバスさん」
「――はい」
「借金と言いますか、ちょいちょいっと資金の移動をお願いします」
「で、ですが、坊ちゃま。やはりギャンブルなどというものは――」
「安心して下さい」
聞く者を不安にさせる枕詞である。
「ギャンブルは、これで最後にしますから!」
遠目に様子を眺めていたトジバトルは、思わず飲みかけのテキーラを吹いた。
◇
帝国史のみならず人類史においてさえ、恐らく史上最高となる賭け額である。
もはや、賭博という事象で語るべきではなく、領土的野心を抱く為政者が、一か八かの侵略行為に及ぶ政治的判断と等しい。
狂乱に近い興奮状態にあるカジノフロアだが、トール・ベルニクだけは常と様子が変わらない。
「リレイズします」
レイズに対して、さらに上乗せする場合に宣する言葉である。
「――え――あの?」
周囲の喧騒による聞き間違いと考え、ディーラーは思わず問い直してしまう。
「ええと、ですから、ボクはリレイズします」
トールの言葉に気付いた観客達は、徐々に静まり始める。彼等の理解が及ばぬ展開となりつつある為だ。
「げ、現在のベット額は、二百兆なのですが――」
「はい。ですから、五百兆――」
――あ、そういえばヴィルヘルムさんは隠し口座にも、いっぱいお金が有ったんだよね。ホントにお金持ちって凄いなぁ。
テルミナから受けた最新情報を、トールは思い起こす。
「――やっぱり、七百兆にしますね」
気付けば、トールの当座アカウントには、千兆と表示されている。セバスによる送金作業が終わったのだろう。
カジノフロアに、羽音も聞こえそうな沈黙が降りた。
これが、ノーリミットである。
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