33話 裏切り者達の競演。
「――か、閣下?」
照射モニタに写るケヴィン・カウフマンは、敬礼した後に訝し気な声を上げた。
「はい?」
「い、いえ――その――」
「ああ」
と、声を上げて、トールは首元の蝶ネクタイを左右に伸ばした。軍属となって以来、公私を問わず軍装で過ごしてきた彼がタキシードを纏っている。
いつでも戦場に行けるように――というより、単にあれこれと着るのは面倒だと考えていたのだろう。
「ポーカーのプレミアムテーブルって、厄介な事にドレスコードがあるそうなんですよ」
普段は使用されないポーカーテーブルで、特別な試合のみに解放されると聞かされていた。
「で、では、やはり本当にポーカーで勝負を?」
「ええ、ここまで来れたのも、全てはケヴィン中将のお陰です」
そう言ってトールは頭を下げた。
「ん――いや、オリヴァーさんのお陰でもあるのか。そろそろ牢屋から出してあげましょうか。誰も喰い付きませんしね」
彼が繋がっていたであろう組織が接触を図るのを待っていたのだが、一向にその気配が無いのである。
言葉悪く言えば、トールとしてはもはや用無しの存在なのだ。
「牢屋ではなく、留置所ですが――」
随分と覇気を失った元上司の収監施設をケヴィンが訪れたのは、地中海への船旅から戻って数日後の事だった。
――中将が会われてみるのも良いかもしれません。アレから面白い話が聞ければ、閣下も喜ばれる事でしょう。
元々は自白を促すつもりだったのだが、憲兵司令ガウスから勧められるがまま、オリヴァーとの面会は世間話に終始した。
――フレイディス・モルトケを
己の愚痴と悔恨だけに口髭を揺らしていた男が、初めて他者の状況に興味を示したのである。
――ええ。閣下がクルノフ領邦へ伴われるそうです。
トールとしては、殺人鬼トーマスの母親でもあるし、エドヴァルトの宝探しにも役立つかもしれない――程度の腹積もりだったのである。
膨大な借財も、刻印譲渡で返済すれば良いと考えていた。
――アホ領主は、ロマンとヴィルヘルムを殺させるつもりなのか?
――夫を殺されたのですから恨んではいるでしょう。閣下がどうなさるおつもりかは測りかねますが……。
とはいえ、ケヴィンから見たトール・ベルニクとは、復讐を否定しないどころか推奨する男である。
未亡人の握るカットラスが、因縁を断ち切るのを止めはしまい。
だが、オリヴァーは片頬を歪めて嗤った。
――フレイディスの恨みつらみは、そこではない。あの女もグルになってエドヴァルトを殺したのだからな。
――え?
――ヴィルヘルムとは愛人関係にあってな。二人で仲良くモルトケを簒奪したものの、彼女は広域捜査局に売られ――、
そこでオリヴァーが介入し、幾らかの利権と引き換えにして、地平世界幽閉という措置に留めたのである。
――そ、そこまでの悪女だったのですね……。
――悪女も悪女。儂などよりよほどの大悪女だ。というより、城塞に魅入られた者の宿痾かもしれぬ。
――城塞?
――コホン――いや、口が過ぎた。ともあれ、あれを宥める方法はない。銀冠でも呉れてやれば収まるだろうが、無価値な金髪のヴィルヘルムには叶わぬ。大事なアレを切り刻まれて兄の許へ旅立つのだろうな、ふはは。
自然とケヴィンの睾丸が縮んだ。
――閣下にお伝えします。しかも殺人鬼の息子まで連れて行くのでは……。
――息子?――ああ、トーマスの事か。
――ええ。大人しい風体なのですが、悪女の血を色濃く反映しているようです。
――何を言っている、ケヴィン。あれはな――、
と、思いのほか長くなった面会を終えたケヴィンだったが、妻と子が待つ家へ無性に帰りたい心持ちとなっていた。
家庭内序列が最底辺である事など些細な悩みであり、少なくとも自分は妻から殺されはしないだろう、と考えたのだ。
――ん?――ええと――だ、大丈夫だよな?
ともあれ、報告を受けたトールは、フリッツと共に幾つかの算段を巡らせて今がある。
「どうも、蝶ネクタイというのはいけません」
トールは不満気である。
「何の悩み事も無い坊やに見えるんですよ――」
言いたい事は幾つか浮かんだのだが、ケヴィンは軽い咳払いをするに
「それはそうと中将。まだ、天秤衆の皆さんは来ていないんですね?」
「はい」
「なるほど――」
トールが腕を組んで首をひねった。
「うーん、早く来ないかなぁ。これからボクは忙しくなりますし――」
◇
「良くやったね、ヴィリー坊や」
ヴィルヘルムの膝上に座ったフレイディスが、彼の頭を撫で回した。
死の恐怖と隣り合わせでありながら、彼女を裏切って以降、他の女では決して得られなかった性的情動の高まりを感じている。
「いや、先方――トール伯からの申し出なのだ」
テーブルステークス無しのノーリミット、尚且つステーキング有りで勝負をしたい。
トール・ベルニクは、明確にそう告げたのである。
「おまけに相手として私が指名された。無論、額面的にも受けられる者など他に居ないだろうしな」
平素のヴィルヘルムならば、例え指名されたとしても、このような馬鹿な勝負は決して受けなかっただろう。
「本当の上限無し。おまけに全ての資産をベット出来るって事だろう?」
ノーリミットでも、通常はテーブルに在るチップ総額が上限となる。不足分を後から追加する事は出来ない。
「賭博に狂った連れ合いが居るようでな」
クリスティーナ・ノルドマンである。
「その女の為にさらに借財を重ねている。これまでとは異なって、かなり筋の悪い所からだ」
「ククク――それで首が回らなくなって、ステーキングにした訳だねぇ」
ステーキング、つまりは貴金属や証券など、あらゆる資産をキャッシュの代わりにベットできるルールだ。
「どうやら、本当に刻印を賭けそうじゃないか」
「――としか思えんな。もはや、伯には刻印か領土そのものしか残されていないのだろう」
「ああ、ヴィリー。ぞくぞくする。疼くよっ」
長い舌で下唇を湿らせたフレイディスが服を脱ごうとしたところで――、
「ふ、フレイ――降りてくれっ。ロマン卿からEPR通信が――」
軽く鼻を鳴らしてから、フレイディスは滑るように足下へと降ってゆき、執務机の天板下でしゃがみ込んだ。
照射モニタへ写らないようにとの配慮だったが、別の目論見もあったらしく、朱色の爪をヴィルヘルムの腰ベルトに伸ばしている。
「ヴィルヘルム」
「――は、はっ。これはロマン卿。ご、ご機嫌麗しゅう」
「ん?」
妙な挨拶に、ロマン・クルノフ男爵は不審の念を抱いたが、懸念事項を先に伝える事とした。
「先に行っておくがな、私の機嫌は悪い」
邦都宙域にベルニク艦隊が居座り、寝耳に水な天秤衆まで領邦に迫って来ているのだ。
ロマン男爵としては先の展開が全く読めない状況に陥っていた。
さっさと臣従の要請に訪れれば良いものを、ベルニクからは未だに何の音沙汰も無い。
このままでは、確たる庇護者が居ないままに、異端審問の荒波に飲み込まれる事態となる恐れがあった。
「そちらの状況は問題無いのだろうな?」
「も、勿論――でございますともっ」
そう口では言いながら、ヴィルヘルムはロマンを見限るつもりでいる。端緒はフレイディスの来訪と脅迫なのだが、異端審問が方針変更の決定打となった。
――もう、ロマンは終わりだ。
ベルニクが何をするつもりかは分からないが、ヴィルヘルムには、天秤衆の行く手を阻めるとは考えられない。
つまり、異端審問が執行され、ロマン男爵は断罪されるだろう。
――トール伯にカジノで勝たせるなどと、小手先の
「さっさと伯に稼がせて、我が邦都を訪れるよう促すのだぞ」
「はい、間違いなく――う――ですな――はい」
小刻みに震える執務机の天板を見詰めながら、再びの裏切り行為に手を染める己を奮い立たせていた。
――完全に上限無しならば、金を持つ側が必ず勝つのだ。銀冠を奪い、フレイディスを宥め、ロマンを切り捨て――そして、俺は今回も生き延びるっ!
「頼むぞ、ヴィルヘルム」
邦都から動けぬ身柄となっているロマン男爵は、遠く離れた地に在る海賊に領邦の
――裏切り者は何度でも裏切るものだ……。
ヴィルヘルムとの通信を切った後、ロマン男爵は物憂げな表情で再び照射モニタを宙に出した。
――ヴィルヘルムの資産状況を全て教えろ――か。
表に出ていない数値まで明かせという意味である。目付きの悪い幼女から、やたらと執拗に、尚且つ脅迫紛いの口調で凄まれていた。
――どれ、やはり私も保険を掛けておくか。
つい先ほど浮かんだ裏切り者に関する想念を自ら立証するが如く、彼はEPR通信で
「ああ?」
不機嫌そうな声音の後に相手がロマン・クルノフだと気付き、テルミナは人相の悪い笑みを浮かべた。
「ほう――どうやら、テメェは選択を間違えなかったようだな」
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