22話 嘘は言わない・再。
地中海から、軌道エレベータの在るグラマ人工島までの船旅は五日に及んだ。
出張とはいえ、ロベニカ、ジャンヌ、そしてケヴィンにとって、ある意味では休暇に等しい日々となっただろう。
複数のレストラン、シアター、ラウンジ、そしてプールを含むアクティビティまで用意されているのだ。
他方のトールといえば、フリッツと共に部屋に籠り、冊子に記録されている動画を調べる事に、ほとんどの時間を費やしている。
ロベニカが様子を見に行くと、二人でポーカーに興じている時もあり、随分と仲が良くなったものだと驚かされもした。
――悪党同士だし――気が合うのかしら?
「ホントにトール様って変わってるのよね」
氷だけとなったグラスを揺らしながら、ロベニカはバーのカウンターに頬杖をついて呟いた。
「非凡と言うべきよ、ロベニカ」
隣に座るジャンヌは、柔らかに表現を訂正する。
「非凡――確かに非凡よね。あれだけの借金が出来るんだから――」
領邦予算に匹敵する金額を、カジノで借りているのだ。
無論、貸す方も貸す方なのだが――。
ともあれ、戻ってからの対応を考えると、首席補佐官のロベニカとしては頭が非常に痛い。統帥府長官ヨーゼフと共に、予算の工面からメディア対策まで早急に検討する必要があった。
いっその事、ロマン・クルノフ男爵の申し出に応じるのも手だと考え、そのように具申したのだが、張本人のトールは明確にこれを拒否している。
――折角ですし、利用するつもりです。
などと、不穏かつ意味不明な事を言っているのだ。
「何が、折角――なのよ。まったく」
「あら、だったら閣下には、素晴らしいお考えが有るに違いないわ」
ジャンヌ・バルバストルの寄せる信頼は、オーディンの持つ神槍グングニルでも打ち砕けないのだろう。
「はぁぁ――。ギャンブル王にでもなる気なのかしら。ケヴィン中将は、どう思われます?」
思いを同じくする常識人を求め、ロベニカは少し離れたスツールに座っている男に問い掛けた。
「――え?――ああ――ええと――」
突然に話を振られたケヴィンは、カシューナッツに伸ばしていた手を戻す。
「そうですな。私は――」
美女二人の会話を耳にしながら、ケヴィン自身もトールについて考えていたのだ。
――なぜ、私は、ここに呼ばれたのか?
首席秘書官を兼務するロベニカは、随行して当然だろう。
物々しい警護を嫌う領主が、たった一人連れて行く軍人ならば、ジャンヌ以上の適任者も居ないはずだ。
一方のケヴィン・カウフマンは――?
木星方面管区時代、フレイディス・モルトケの捕縛に関与した事実はある。
だが、広域捜査局に引き渡すまでが彼の職責であり、聴取やその後の経緯には何ら関与していない。
実際、フレイディスは、海賊討伐を任務とする一介の軍人など、記憶の片隅にも残っていなかった。
――いやぁ、残念ですね。アハハ。
そうと知った時、トールは愉快そうに笑っていたが――。
――あら、だったら閣下には、素晴らしいお考えが有るに違いないわ。
つい先ほど耳にしたジャンヌの言葉が、脳内に警報の様に鳴り響いている。
確かに、その通りなのだ。
ケヴィンが知る限り、トール・ベルニクは無邪気な笑顔の裏で常に何事かを企んでいる。
つまり、それは――、
――そ、そうかっ!
解を導き出したケヴィンは、思わずカウンターを
――確認――いや――試験なのだろう……。
ヴォイド・シベリア送りになるところを、利害関係者を調整して地表世界幽閉に止めたのは、オリヴァー・ボルツが裏で動いたからである。
ケヴィンが、そうと知ったのは、随分と後になってからだったのだが――。
――私が、本件に関与していないか、フレイディスと引き合わせる事で確認しようとされたのだっ!!
現在は月面基地司令という立場だが、中将昇進に伴い、次はいよいよ中央方面管区司令という内示が出ていた。
ベルニク軍においては、火星方面管区司令に準ずる職位であるが、邦都を守るという性格上、領主から最も信頼されている人物が就任する。
その重責を思い、彼は眠れぬ日々を過ごしていた。家庭内序列において最底辺のケヴィンだったが、さすがの冷徹な妻子も、最近では労わる様子を見せている。
――私の裏切り、そしてオリヴァーとの繋がりを、全て水に流して下さった閣下だが、さすがに海賊を匿う悪行に関与していれば、お許しにならなかっただろう……。
ケヴィンは震えた。
――こ、これは――最終試験だったのか――。
合格した事は幸運だったのか、あるいは不合格の方が良かったのか。
その答えは持ち合わせていない。
ただ、ひとつだけ確かな事はある。
「ロベニカ殿」
長い沈黙の後、ようやくケヴィンは口を開いた。
「閣下には、間違いなくお考えがある。私もそう思いますな」
達観した老僧のような口調で告げる。
――上に戻ったら、俺には行くべき場所がある……。
老僧ケヴィン・カウフマンは達観の後、ある決意に至っていた。
◇
ともあれ、一行は軌道エレベータを登り、無事に地表世界を離れた。
久方ぶりに感じる慣性制御の生み出す重力は、里帰りしたかのような気持ちにもさせる。
ジャンヌとケヴィンとはバスカヴィ地区で別行動となり、他の面子はトールの屋敷へと戻って来た。
「アタシと坊やは同じ部屋にするんだよ。分かってるかい?」
「は、はぁ?――畏まりました」
屋敷に着くなり女海賊フレイディスは、出迎えたセバスに対してモンスターペアレントな要求をした。
小太りで気は弱そうだが、どう見ても成人男性であるトーマスを、セバスは不思議な思いで見やる。
「――それはそうと、坊ちゃま」
新たな客人の事はメイド長に任せ、フリッツと楽しそうに話しているトールに声を掛けた。
「筋はいいんだけどさ、アンタは顔に出過ぎるんだよ」
「そうですかねぇ」
「スリーカード如きでニマニマしてちゃ、ド阿呆を晒してるようなもんだぜ?」
「でも、やっぱり、嬉しいですし――」
セバスには嫌な予感のするワードが散りばめられた会話である。
「あ、あの――坊ちゃま――トール様?」
「おっと、すみません。セバスさん、何ですか?」
ようやく元海賊との会話を中断したトールは、セバスの方に目を向けた。
「例によって、お客様がお待ちかねですので、私めがご案内を」
女男爵メイドのマリは不在の為、案内はセバスがするつもりでいる。
「マリは――ああ、もう行ったんですね」
「は、はあ、左様で御座いますが――もしやトール様のご指示だったので?」
「ボクというか、テルミナさんの推薦ですけど」
奇妙な組み合わせで旅に出たなとはセバスも感じていたのだ。
――となると、何らかのお仕事だったのでしょうか。
――テルミナ様、マリ、ブリジット、それに……。
「フィリップ伯は怒ってませんでしたか?」
「帝都フェリクスに召喚され、御子息のレオン様共々ご不在だったのです」
「それは、また――」
なぜか、トールは人の悪い笑みを浮かべた。
「――何の打ち合わせもしてなかったんですが――陛下とボクって気が合うのかな」
かような不敬な物言いにも、トールの周囲は馴れつつあった。礼儀正しく温厚な男だったが、基本的には権威への畏怖を持ち合わせていないのだ。
「うんうん、良かったです。じゃ、お客様の所へ行きましょうか。セバスさん」
◇
「待ちかねましたぞ――閣下。実に嘆かわしい事態ですからなっ!!」
苦虫を嚙み潰したような表情の統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトは、応接室に領主が入って来るなり直截な思いを口にした。
この点こそ、彼が重用され続けた要因なのだろう。
「いやぁ――アハハ。皆さん、お待たせしました」
ヨーゼフの叱責を軽く流し、トールは彼等の面前にあるソファに座る。
首席補佐官であり、尚且つ秘書官でもあるロベニカは迷ったが、結局はトールの傍に立った。
対するは、ヨーゼフ、ソフィア、そしてリンファである。
「早速ですが、閣下。ロマン男爵の申し出を断る理由をお聞かせ願いますぞ」
ヨーゼフとしては、弱みを握られようともロマン・クルノフを頼るほかないと考えていた。
先方の求める見返りが分かり易い点も良い。
つまりは新生派帝国に与した場合に、政権中枢に入りたいだけなのだ。
結果として、下賤な過去の問題は消えて、新生派勢力の味方まで増える。
「メディアへ漏洩した場合の対策は、私にお任せ頂ければ――と」
いかなる悪行であろうと、過去は過去なのだ。今のソフィアにとって、新生トール・ベルニクは、全ての良心を捨てでも守るべき存在である。
「クルノフ領邦への投資活動を活発化させるのも良いでしょう」
商務補佐官リンファ・リュウは、経済的結びつきを強化する事で、後ろ暗い経緯で生まれた友誼を本物に育てる道を探っていた。
領主の過去へ真剣に対峙しようとする同僚を目の当たりにして、ロベニカは内心で感動を覚えている。
以前であれば考えられない状況だろう。
後は、トールが頷けば、全てが動き出す。
愚かであった時代のトールの悪行は闇へ消え、偉大な英雄としてのみ歴史に刻まれるのだ。
これまでの事績を考えるならば、そうなって然るべきではないか――?
そう思い、ロベニカは穏やかな笑みを浮かべ、トールの横顔に語り掛ける。
「さ、トール様――」
「ソフィアさん、準備をお願いします」
この時、ロベニカは忘れていた。
侵略してきた船団国との戦いに先立ち、彼がどう行動したのかを――。
「はい――いえ、何の準備でしょうか?」
「会見ですよ。メディアの質疑も有りで良いですからね」
トール・ベルニクは、悪辣な謀略を巡らせはする。
だが――、
「ぜーんぶ、洗いざらい話してから――ボクはクルノフに行きます」
嘘は言わない。
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