12話 運命の邂逅。

「急場にて、これで失礼致しますわ。陛下」


 女帝ウルドの前へと進み出たグリンニスは、立ったまま敢然と前を見据えた。

 礼法に則りひざまずけば、そこで事が決してしまうのを怖れたからである。


 とはいえ、ウルドの立つ位置は段差の上に在り、必然的に見上げる体勢とはなった。何よりグリンニスは幼女の背丈である。


 そんな相手を、ウルドは冷えた眼差しで見下ろした。


「グリンニス伯、息災そうで何より」

「光栄に存じます」


 グリンニスは、優雅な屈膝礼カテーシーを披露する。状況が異なれば愛くるしい場面にも見えただろう。


「して、面妖な病を押してまで遠路を渡って来たのだ。さぞかし重用事をたずさえて参ったのであろう。――が、余はときが惜しい。手短に申せ」


 婉曲な宮廷言葉を並べ立てるなと言いたい訳である。

 

「承知致しましたわ」


 小さく頷いて言葉を続ける。


「私どもカドガンは、忠実なる臣下の務めとして、陛下をお救いに上がったのです」

「ほう?」


 ウルドは片方の眉を上げ、短い相槌を打つにとどめた。

 

「先般、陛下はベルニクに手を引かれ、帝都エゼキエルから落ち延びられました。迫る叛乱軍から逃れる為に――でしたかしら」


 帝都フェリクスなど認めていないという思いを言外に込めた。


「ですが、エヴァン公の尽力により叛乱軍は打ち払われ、帝都には悠久の平和が戻っております」


 そう語る、グリンニスの言葉に偽りは無い。


 旧帝都や公領の叛乱軍は鎮撫され、各地で跋扈ばっこした反政府勢力の指導的立場にあった者達は捕縛されている。

 何名かは、ヴォイド・シベリア送りとされていた。


 融和政策を約したエヴァンであったが、人心の乱れを警戒し非常に厳しい統制を敷いている。


 女帝不在を利用して騒ぎを起こそうとする不穏分子を怖れての事だ。


「――にも関わらず、イリアム宮へ未だ陛下がお戻りにならぬ事、臣下臣民一同、忠義にあつき胸を痛めておりました」


 グリンニスの言葉に熱がこもった。


 女帝ウルドの瞳を見詰めて語ってはいるが、グリンニスが真に聞かせたい相手は、周囲でひざまずくカドガン領邦の愚直な兵卒達なのだ。


 人は己が信じたいものを信じる。


 兵達が立ち、再び剣を振るうには、改めて自らの正当性を納得させねばならない。


「その理由は、誰の目にも明らかでありましょう」


 そう言いながら、グリンニスは腰に吊るしたフルーレを抜いた。


 危険を察し、女帝の傍に控えるレイラが立ち上がろうとするのを、女帝ウルドは目で制した。


 グリンニスはフルーレの剣先を、ガウス・イーデンの方へと向ける。両者の距離は開いているが、何を指しているかは誰の目にも明らかであった。


「奸臣、トール・ベルニク」


 女帝ウルドをイリアム宮から攫い、あれよと言う間に帝国を二つに割った。


「叛乱軍から陛下をお救いした功あれど、全ては見え透いた下心有ってのこと」


 ベルニク領近傍の星系を新たな帝都とし、自身は伯爵位を得たうえに、銀獅子権元帥などという特異な職位まで授かっている。

 無能な辺境領主という立場から、舞台の中央に躍り出たのだ。


 とはいえ、その全ては、女帝ウルドの裏書きがあってこそだろう。


「帝国が一丸となって打ち据えねばならないのは、卑しい野心を隠そうともしない田舎領主でありましょう」


 田舎領主とは、ウルド自身がトールを揶揄する際に使う呼称である。


 ――が、余人から聞くと業腹ごうはらであるな。


 単純にウルドは腹が立った。己が小馬鹿にする分には心楽しいのだが、他人からされると――という訳である。


「その為にも、まずは、陛下を奸臣巣食う伏魔殿からお救い致します」


 トールを完全なる悪と見立てる事で、グリンニスは自らの正当性を担保しようとした。


 誰かを貶める際に必要なのは、明らかなる証拠ではない。迷いなく断定し、人が持つ妬みや情に訴えるだけで良いのだ。


 少なくともカドガン領邦軍の腑には落ちただろう。


「どうか、尊き身を我等へ委ねて頂ければと。イリアム宮の愛馬達も、さぞかし陛下のお戻りを――」

「其の方」


 ウルドが、グリンニスの言葉を遮った。


「全てが縮む病であったな」

「――」


 抗エントロピー症に罹患したグリンニスの身体年齢は遡行している。縮むと言われると確かにその通りなのだが、当人からすると不快な表現ではあった。


 この点、トールを田舎領主と呼ばれ、ウルドは怒っていたのだろう。執念深く、やられたらやり返さずにおれない性格である。


「ええ、陛下。女神の恩寵にて、皆様方とは異なり老婆となりませんわ」


 グリンニスとて負けてはいない。


「ふむ。いや、手短に申せと言うたが、やたらと長広舌なのでな。物覚えも縮んだのかと心配したまでじゃ」

「あらあら」


 大仰にグリンニスは驚いて見せる。


「若き奸臣にうつつを――否、悩まれる陛下から、そのような御心配までして頂けるとは臣下の誉。末代まで語り継ぎましょう。フフフ」

「其方に末代があれば良いがのう。ホホホ」


 遠目に眺めるガウスであるが、二人の間に漂う空気感に、少しばかりの変化が生じ始めたと気付く。


 ――な、なんだ?

 ――どうにも雲行きが……。


「ところで、陛下。お戻りを待っているのは何も馬だけでは御座いませんわ」


 馬しか待たぬ身であれば、戻る必要も無いだろう。


「ご尊父から、つい先頃も相談を受けましたの――あっ」


 グリンニスが口元に手を当てる。


「私としたことが記憶違いでしたわね。ご尊父ではなくエヴァン公からですの。陛下が仰った通り、物覚えまで縮んだのかもしれませんわね。フフッ」


 ぎりとウルドは奥歯を噛んだ。


「苺を沢山揃えて、お待ちかねですわよ」

「お、おの――れ――」


 エヴァンと苺はウルドにとって禁忌とすべきトラウマである。


 成長著しい彼女であるが、全てを知る相手から塩を塗られ、荒くなる呼吸を抑える事が出来ない。


 だが、兵達に掛かれと号すれば負ける。

 斬り合いとなれば、ウルドに残った兵数では足りないのだ。


「フフ。ですから、ね」


 他方のグリンニスには余裕の笑みが浮かんだ。


 ――さ、大人しく捕まりなさい。オリヴィア。


「立てッ!!!」


 フルーレを天へとかざし、叫ぶ。


 ◇


 話は少し遡る。


 女帝の前へと歩みゆくグリンニスを追おうとしたフォックスだったが、行政区に設営された臨時指令所に呼び戻されていた。


 信じ難い報告が入ったからである。


「ベルニクと聖骸布艦隊?」

「フェリクス宙域で挟撃されています。火星方面管区艦隊も出張ってきたようでして――」


 火星方面管区艦隊はパトリック・ハイデマン率いる艦隊であるが、聖骸布艦隊三万と挟撃となれば、カドガン艦隊は壊滅的損耗を被るだろう。

 

 いや、実際に被っていた。


「宇宙港にも多数のベルニク艦が入っており、しきりと輸送機を飛ばしているようです」


 昨今のベルニク軍と言えば揚陸戦である。


 ――十日を要するはずだったのでは……。

 ――いや、今はそれより輸送機が不味い。本当の猛者が来てしまう。


 言葉を失ったフォックスだったが、頭の中では火急の策を巡らせていた。


 ――ともかく姫様を逃がさねば……。


「まず、宙域の戦闘を停止させましょう」

「え?」

「さっさと降伏しろという事ですよ」


 無暗に人死にを増やしても意味がないし、これ以上心象を悪くする訳にもいかなかった。


「し、しかし――」


 今回の侵攻の総指揮官はグリンニス・カドガンである。

 彼女の許可を得ずに決断を下すのは、明らかなる軍規違反となろう。


 だが、現在の彼女は、鉄火場にて舌戦の最中にあった。


「責任は私が取ります」


 そう言うと、フォックスは臨時指令所を駆けだした。


 ◇


「雄々しきカドガンの子等よ」


 グリンニスのフルーレに合わせ、カドガンの兵達が立ち上がる。


「正義と女神の加護は我等に在る。陛下の御身を守護する為、奸臣の雑兵共を皆殺しにせよッ!!」


 その声で立ち上がったのは、カドガン兵だけではない。


 ベルニクの兵達も腰を上げ、ウルドの傍に控えていた女官達もいよいよ立ち上がった。

 女帝ウルドとて、吊るしたクリスを手に取っている。


「掛かれえええッ!!!!」


 保護する相手であるはずのウルドに向け、グリンニスはフルーレを構えて雄叫ぶ。


 その時である。


 ちょっと待ったああ、と言ったか否かは分からないのだが、相も変わらずエアボーンシステムに不慣れな男が大音響と共に落ちて来た。


 ウルドとグリンニスの狭間にある落下地点を中心として、噴煙と衝撃波が辺りを襲う。


 パワードスーツを装着しているウルド達は踏みとどまれたが、生身のグリンニスは吹き飛ばされてしまい、したたかに地へと小さな体躯を打ちつけた。


「ひ、姫様ッ!!」


 ようやく臨時指令所から駆け付けてきたフォックスの悲鳴が響く。


 だが、姫様――グリンニス・カドガンの許へ最初に馳せ参じたのは彼では無かった。


「うわぁ、すみません」


 地に伏した幼女の傍へ走り寄ったトールは、しきりと謝っている。


「カドガンちゃま――じゃなくて、グリンニス伯が、こんな場所に居るなんて思わなかったんです」

「――つ――ぅ」


 打撲の痛みで、グリンニスはまだ言葉を返せない。


 いや、それだけではないのだろう。


 地に倒れ空を見上げる彼女の視界に、多数の装甲歩兵達が降って来るさまが写っているのだ。


 ――またも――ベルニクか――。


「だ、大丈夫ですか?」


 幼女に見える為に不安を与えないよう考えたのだろうか。戦地に在るにも関わらずトールは頭部装甲を取って、倒れたグリンニスをそっと抱き抱えた。


「赤十字――いや、ええと、何だろう。そうだ、衛生兵の方はいますか?」


 唖然とする周囲を見回し、トールは告げる。


 始まるはずだった戦闘は始まっていない。悪名高き野蛮なベルニクの装甲歩兵達が空から降ってくるのだから当然だろう。


「あ、あと、皆さん降伏して下さいね」


 神妙な顔のトールが話しを続ける。


「ボク、一万人ぐらい連れてきたんです」


 かくして、カドガンの兵達は戦意と契機を失った。


 だが、この時のグリンニスが感じていたのは失意や諦念ではない。


 ――ど、どういうことなの!?


 驚愕、あるいは歓喜であったのかもしれない。


 ――何が――いったい――。


 彼女は全身で、全神経で感じ取っていた。


 自らの身体で刻まれる時が、と進んでいる事を――。

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