11話 威。

 女帝の威とは、個人の才覚に依拠するものではない。


 オビタル帝国が二千八百年に渡り営々と築いてきた歴史の重みである。

 

 曲がりなりにも、帝国はポータルで結ばれた広大な銀河の版図を、領邦間の小競り合いや不満分子の小規模な動乱にとどめ支配してきたのだ。


 寛大だが揺るがぬ専制主義、遺伝特性に基づく貴族制度、緩やかな封建制――先祖返りと評されようとも社会の安定には寄与した。


 さらには、宗教と社会制度を絶妙に組み合わせ、オビタルが抱く共同幻想において、女帝に対し無謬の価値を与えたのである。


 その結実が、今であろう。


「双方、控えられよ」


 剣戟の止んだのを見て取り、頃合いと考えたレイラ・オソロセアが告げる。


 ――余の――いや、女帝とやらの威で抑える他あるまい。


 そうウルドから企図を聞かされた時、寝起きのレイラは悪夢の続きであろうかと考えた。

 顔貌がんぼうを矢面に晒し、敵の侵攻を食い止めるというのである。


 興奮した兵が、そのまま女帝のくびねるさまが容易に浮かんだ。


 ――それもまたおもむきがあろうな。


 レイラの懸念を汲み取り、ウルドは片頬を上げた。


 ――錆びた幻を砕いた気骨者には誉を与えよ。余の遺志とする。

 ――陛下……。


 自らの立場を幻と言い切る女帝に、ていに言ってレイラは痺れた。

 男が男に惚れるが如く、女が女に惚れる事もあろう。


 ゆえに――、


「御前であるッ!」


 生き延びる。生き延びさせねばならない。


 レイラは裂帛の気迫を込め、血濡れの戦斧を持った兵達に吠える。

 叱咤、あるいは叱責とも取れる彼女の声音が事態を動かした。

 

 カドガン兵の戦斧が床を打つ音と、装甲歩兵の硬い膝が地に着く音は、現況においては心地が良い。


 崩壊の瀬戸際に瀕していたオソロセア兵のみならず、攻め手の熱狂に包まれていたカドガン兵までが武器を置いてひざまずいたのだ。


「将は前へいでよ」


 レイラが告げると、奥から地に伏したまま進み出る者があった。

 最高権力者たる女帝の前で立ち姿を晒すには、彼の身分は余りに卑賎である。


 前衛部隊を率いる隊長に過ぎないのだ。


 儀礼ついでという訳でもなかろうが、頭部装甲を外した後に口を開いた。


「――お、畏れながら、大隊長殿は通用門にて待機されており、暫しのお時間を頂戴できればと……」

「笑止、余は待たぬ。ゆえ、狼藉の目的をうぬの口から申せ」


 はなから知った事でありながら、敢えてウルドは問うた。


「ハッ――。我等は陛下を保護するよう命ぜられております」


 中庭の確保が優先事項であるが、あえて彼は口にしていない。


「何から保護する?」

「か、奸臣からに御座います」


 どう言い繕っても穴の開いた理屈であるとは分かっている。

 勝った後であれば何とでもなるが、未だ戦の途上にあった。


「無用であるゆえ退くが良い。うぬらの沙汰は追って下す」

「あ、いや、ですが――その――」


 彼としては上官の指示に従う必要があるのだ。

 言い募ろうと口を開くが、それ以上の言葉を続けられなかった。


「くどい」


 ウルドの持つクリスが、彼の鼻先にあったからである。


 刺せるのだろうか、という疑念を抱く者などいない。


 それほどに、彼女の眼差しは酷薄だったのだ。


 ◇


 他方の格子門では、ベルニク兵とカドガン兵の間で、激烈な剣戟が繰り広げられていた。


 多数のシールドを数珠つなぎとし、投擲とうてきを防ぎ格子門へ至る屋根としている。

 その内を兵が駆け抜け、既に格子門は打ち破られていた。


 格子門を突き抜けて来た敵兵を、地勢を活かし包むように抑えてはいるが、兵力差からすると長くは持たないとガウスは判断している。


 ――加勢が無いと、やはり厳しいよな。


 クレイモアを振るいつつ、余力の無さを嘆いた。


 その時、彼から離れた左翼方面で、大きな鬨の声が上がる。


「開いたぞッ!!!抜けええええええッ!!!」


 とうとう抜かれたかという諦念と、何とか駆け付けなければという焦りが、ガウスの集中力に乱れを生じさせた。


 クレイモアで目前の戦斧を弾いたが、右手から迫る雑兵の戦斧に気付くのが遅れたのだ。

 避け切れないと判断し、ガウスは身体を反らして上腕装甲で戦斧の打撃を受ける。


「クッ」


 踵の踏み込みが足りず、押し込まれたガウスは思わずよろめいてしまった。

 好機と見た別の敵兵が戦斧を振り上げ、ガウスに向けて駆ける。


 だが――、


「でああッ」


 雄叫ぶ巨体が割り込み、右手に持った片手剣を振るった。

 見た目通りの剣圧に、たたらを踏んだ敵兵に向かい巨体は果敢に踏み込んでいく。


「トジバトル!」


 もはや投擲とうてきの意味は失われたと判断し、トジバトルは剣闘士達を引き連れ格子門へと加勢に来たのである。


 軍属ではない彼等が、死地へ向かういわれなど無かったはずだが、後に理由を問われた彼はこう応えている。


 ――いつもの事だ。先行投資に決まってるだろ?


 ともあれ、トジバトルは敵の戦斧をかいくぐり、片手剣を素早く繰り出し装甲の急所へ打撃を与えている。


「左ッ!」


 ガウスは、自身も剣を振りながら、トジバトルの左手から迫る新たな戦斧に気付き声を上げた。だが、そこから先の動きは、闘技場の観客席で見たならば立ち上がり手を打った事だろう。


 左手で脚部収納から片手剣を取り、トジバトルは敵の戦斧を防ぐ。尚且つ、そのまま両の手を使って、二人の兵を相手に剣戟をして見せたのである。


 ――す、すごいな……。


 本来は客に魅せる為の技術なのだろうが、死地に在っても見惚れるような華を咲かせた。


 だが、彼の素晴らしい剣技を持ってしても、大勢を変えるには至らない。


 敵が雪崩れ込んで来た左翼は完全に崩れた。


 中央と右翼が徐々に後退し、守備面を狭める形で、どうにかオリヴィア宮前面口への侵攻を防いでいる状態だったのだ。


 初日でクイーンのくびが取れていれば――と悔やむが後の祭りである。


 ――囲まれるのを怖れた俺が臆病だったのか……。

 ――閣下ならあるいは……。


 正解など誰にも分からない。


 ――ああ――最期に――アイツに――。


 ガウスが憎まれ口ばかり叩く娘の顔を、脳裏に浮かべた時である。


「え――?」


 オリヴィア宮正面口に、多数の装甲歩兵が現れたのだ。


 ――オソロセアか?――いや、通用門はそれどころじゃ――。


 新手の装甲歩兵達は戦いに加わるのではなく、なぜか二手に別れて跪いた後に花道を作った。


 その花道を歩くのは、当然ながら女帝ウルドである。

 通用門であったと同様、彼女は頭部装甲など着けず素面すめんを晒していた。


 照明のみでは不十分と考えたのか、女官達は照射モニタを使い、彼女の周囲のみを燦燦と輝かせる。

 

 それらが、花道の先に立つウルドを、闇夜に浮かぶ一幅の絵とした。


 端的に表するなら、つまりは――、


 神々しい。


 ◇

 

「――困ったわ」


 グリンニス・カドガンは正直な感想を呟いた。


 こうも正面切って女帝が出てくる事態など想定しておらず、かといって配下の兵に飛び掛かれとも言い辛い。


 ――こんなに肝の据わっただったかしら。


 二人の仲が決裂し、他方が女帝となって以来は、宮廷的ともいえる陰湿な嫌がらせをされて来ただけである。

 勿論、グリンニスも陰湿な応報を与えてきたのだが――。


 剣戟が止み静まり返った格子門一帯を前に、グリンニスは進退窮まっていた。


「姫様――そのう――先方がお呼びのようですが――」

「聞こえてるわ、フォックス。陛下って大声なのね」


 手持ち無沙汰で地を叩いていたフルーレを腰に戻す。


「行くわよ」


 それだけ告げ、グリンニスは歩き出す。


 ――もう、腹を決めてやるしかないわね。


 兵を再び動かす事さえ叶えば必ず勝てる。

 既に二つの門を破り、相手の守備兵はさらに数を減らしているのだ。


 女帝の威に圧され、跪いたまま動かぬカドガン兵達へ、今すぐ襲い掛かれと叫びたい衝動を堪えつつグリンニスは小さな歩を足早に進めた。


 エヴァン率いる復活派勢力としては、ウルド生存は最優先事項では無い。


 かといって、エヴァン側の正統性を確立出来ていない今の段階で、表立って殺すのは問題となる。


 ――さっさと、大人しく捕まってくれたら楽なんだけど……。


 歩む先で、光を背に傲然と立つ女を見やり、グリンニスは秘かに息を吐いた。

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