5話 不器用につき。

 オリヴィア宮は、大きく三つの区画に分かれていた。


 庭園区画、行政区画、そして宮殿区画である。女帝ウルドの愛する乗馬施設は庭園区画に存在するが、当然ながら今回の防衛戦においては重視されない。


 守るべきは、帝都――しかも宮に留まる事を選んだ女帝ウルドの命である。


 数刻前、ウルドは謁見の間を背景として、EPR通信にて臣民に対して以下の様に告げた。


「逆賊カドガンのフェリクス侵入を許したが、余はオリヴィア宮より引かぬ」


 敵に情報を与える事になろうとも、帝都に存する政治的意義を優先したのである。


「狙いは我が身ひとつである。帝都の民は安んじて暮らせば良いが、念を置き戒厳令を発した」


 真の狙いは台座にあると知ってはいるが、その点については秘している。

 

 言っても詮無き事であろうし、城塞という秘蹟を広く知ろしめるべきではないとの判断だった。


 ともあれ、カドガン領邦軍の目的を考えるなら、市街地を攻撃する意味も、そもそもの人的余力も無い。


「なお、余の銀獅子権元帥は、既に蛮族共を討ち掃い凱旋の途に就いておる」


 凱旋と呼んで良いか否かは不明だが、帰路にあるのは事実である。


「十日をこらえ――」


 ここで、ウルドは凄烈な笑みを浮かべる。


 その表情は、内裏だいりで見せてきた悪辣さを想起させたのか、シモンや女官長などを震え上がらせるに十分だった。


はらわたを地に落とすカドガンをさかなに、血の祝杯を上げる」


 ◇


 台座を擁する釣鐘状の建築物は中庭に建つ。


 その中庭に至るには宮殿区画へ侵入する必要があった。


「輸送機による直接侵入の可能性を除外できるならば――」


 かつてのトールはイリアム宮へと、骨董品レベルのティルトローター機で侵入を果たしている。

 ECMを軸とした対空防衛システムの網を潜り抜ける為だ。


「――守るべきポイントは二カ所となります」


 オリヴィア宮にしつらえられた統合防衛本部にて、ガウス・イーデン少将が照射モニタに映し出された地図を示しながら説明をしている。


 場に臨席するのは、連番制により現在の統合司令官を拝命するアリスタルフ中将と、本部詰めとなっているベルニク及びオソロセアの士官達だった。


 ジェラルド・マクギガンの利敵行為を鑑み、マクギガンの士官達は不本意であろうが排除されている。


「正面に在る中央格子門及び裏手の通用口――この二つを固めれば良いでしょう」


 オリヴィア宮は二重構造で、使用人の住居や炊事場に割り当てられている外周部の建築物が正方形の壁となる。


 低階層の窓については強化シャッターで覆わせた為に、侵入経路としては前述の二つに絞られるという事だ。


「軌道揚陸で高名なベルニクの貴殿が申される事ではあるが――」


 統合司令官アリスタルフ中将が口を開くが、その高名さと俺は何の関係もないのだが、という思いはガウスにある。


 ――そもそも憲兵だよ、俺は。


 とはいえ、当時の各領邦軍には、艦艇を降りての戦いなど、あまり念頭に無かった。


 叛乱軍がイリアム宮を占拠せしめたのも、近衛師団が分断された事だけが原因ではないのだろう。


「――敵が重機を前面に押し出し寄せてきたなら如何する?」

「我々にはパワードスーツがあるのです」


 装甲歩兵であれば、重機と抗する事は可能である。


「そもそもですが、相手方としても重機類は虎の子――というより、中庭を占拠するまで出してくる事はないでしょう」


 台座を持ち去るのが主目的であれば、土木工事用の重機は必須となる。中庭を占拠した後に、慌てて民間から徴用するのでは、速やかに撤収したいカドガンの思惑から外れるはずだ。


「ふむん」


 アリスタルフは思案気に腕を組むが、さりとて彼に他案がある訳でもない。


 彼が知る戦争様式に従えば、防衛陣を突破され軌道都市の宙域を制圧された段階で勝敗は決している。

 後は外交のテーブルにて、文官同士が沙汰を決めれば良い。


 それこそ、オビタル帝国治世における領邦間の争いを、牧歌的たらしめた流儀であった。


 だが、時代は変わりつつある。


「さらに、もうひとつ。閣下より――トール伯より授かった策も御座います」


 実際には、策というほどのものではない。

 紳士的な軍人である事を止めるだけの話だった。


「我々の盟約、そして不文律を違えぬ形で――」


 ◇


「ええと、俺らは、これをぶん投げれば良いと?」


 オリヴィア宮外周部に位置する建物の最上階に、トジバトル・ドルゴルと、彼の世話を受けている剣闘士達が集められていた。

 何れの剣闘士も、パワードスーツを装着済みである。


 トジバトルを含め、多くの剣闘士はパワードスーツの扱いには慣れている。

 客が求めるのは、生身の剣闘だけではないし、軍属だった者も多い。


「そうです」


 ウルドの名代という訳ではないが、酒の匂いも抜けぬ荒くれ者達に相対しているのは、名誉近習のレイラ・オソロセアであった。


 見た目に反して意外に紳士的なトジバトルには馴れたのだが、彼が引き連れてきた者達は、自分とは住む世界が完全に異なると分かる。


 ――昼間から飲んでいる者達で――本当に大丈夫なのかしら……。


「なるほど――数はある」


 大人数の会食向けに用意された部屋である。平時ならば、窓外の景色を楽しみながら食事をするのだろう。


 だが、今並んでいるのは湯気立つ食事ではなく、ツヴァイヘンダーなどの刀剣類がうず高く積まれていた。


「こいつらを、連中の頭上に叩き落とすわけか」


 トール・ベルニクがオリヴィア宮に備えた武器類は相当量に及んだ。


 叛乱軍を目にし、尚且つ自身も揚陸戦に関わる事の多い彼らしい備えではある。

 但し、今次においては兵員の数が少なく、却って装備類の方が余っていた。


「余らせるくらいなら、投げちまおうって事だな」


 艦艇内だけでなく、軌道都市における遠隔兵器の利用は禁じられている。


 無論、オビタルの有する技術力を以てすれば、容易に都市を壊滅せしめる兵器を実現する事は可能だろう。


 法と名誉に基づき、これを長らく避けてきたのだが、原始的な投擲とうてきという脱法行為によって、先人達が築いた栄えある紳士協定に小さな穴が穿たれた。


 この点、スキピオ・スカエウォラによる軌道都市崩落と併せ、後に直面する戦いが酸鼻さんびを極めるものとなった一因である。


 サピエンスが見るのは、常に今なのだ。


 ◇


「配置は整ったのだな」


 現在、女帝ウルドが在するのは、中庭に面した小さな居室である。


 寡兵の為、兵を分散せる事が出来ない。

 

 台座は渡さぬという不退転の決意をウルドが示した以上、彼女を中庭近くに配するほか無くなった次第である。


 粗末な椅子でありながら、不思議と優雅に座る女帝の面前に、ガウス、アリスタルフ、そして緊張した面持ちのトジバトルが立っていた。

 女帝の脇には、レイラとシモンが控えている。


 ――ま、まじかよ!?


 危地にあってオリヴィア宮に召喚された身とはいえ、まさか女帝ウルドの御前に立つ事態になろうとはトジバトルも思っていなかったのである。


「格子門はベルニクが、通用門はオソロセアが固めております。上からは、トール伯の食客であるトジバトル殿が――」


 言いながらガウスは、トジバトルの背をそっと叩く。


「と、トジバトル・ドルゴル――です。ぶ、ぶん投げます」


 我ながら情けない、とトジバトルは感じたが、絶対的権力を前にして緊張していた。

 本来なら、この距離で触れ合うなど有り得ない相手である。


「ほう」


 訳の分からぬいらえとなったが、ウルドは気にする様子も無かった。

 トジバトルに与えられた役割は、ガウスから説明を受けている。


「投げて、存分に叩き割るが良い」


 あまりに勇ましい訓示を受け、トジバトルは唾を飲み込んで頭を下げた。


「――陛下」


 この後の作法が分からず困っていたトジバトルだが、ガウスが言葉を挟んでくれた事に胸を撫でおろす。


 だが、続く彼の話は、別の緊張感を強いた。


「只今、報告があり――天蓋ゲートに敵が取り付いた模様です」


 これより数刻後、フェリクス宇宙港は再び破られるのだ。


 狭隘きょうあいな地勢を十日の間だけ守り抜けば良いとはいえ、失した場合の損失があまりに大きい事が各自の肩へ重くのしかかる。


「些か不安な思いもあろうが――」


 そんなよどみを感じたせいか、女帝ウルドは、努めて平静な声音で眼前に立つ者達を見回し告げた。


「――幼子に聞かせる法螺ほらを作って参れ」

「ほ――ハハ――い、いえ――」


 ウルドの意を汲み、ガウスも明るく応じた。


「承知しました」


 ガウスとアリスタルフが敬礼をすると、トジバトルも慌てて真似てみせる。


「うむ」


 ウルドは頷き、誰も予測しなかった事であるが、椅子から立ち上がった。

 傍らで控えていたシモンなどは、ビクリと肩を揺らす。


「――宜しく頼む」


 そう言った後、少しばかり不器用な仕草で女帝ウルドは答礼をした。

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