51話 首船崩落前の出来事。

 ポンテオの死を以って、今次の斬首作戦は完遂された。


 方法は問わず、斬首対象リストにあった四百六十二名の殺害を終えたのである。


 なお、作戦遂行に伴い犠牲となった対象外の人数は二千余名を超えた。誤殺を含め、十倍程度を許容上限としていたベルニク軍の計画より、遥かに少ない犠牲で済んだ点については申し添えておこう。


 彼等は慎重に、尚且つ迅速に斬首作戦を進めたのである。


 だが、現在のトール・ベルニクは、隣に立つジャンヌと喜びを分かち合えるような状況では無かった。


「ふぎゃあ」


 赤子はポンテオをねぶるのに飽きたのか、くびの千切れ掛けた彼を、背後に放り投げる。


 美しい放物線をえがき、緑葉と枝の摩擦音を響かせながら森の中へと飲まれ、数舜後には大地が彼を優しく迎え入れた。


 相対感覚では長いときを要するだろうが、この世界における微生物や真菌の生態系が同一ならば、やがては土に還っていくのだろう。


「閣下」


 生命の循環に思いを馳せていたトールは、ジャンヌの声で我に返る。


「あ、すみません。早く――直ぐに戻りましょう」


 奇妙な生物は気になるところだが、危険な相手の関心を引く前に撤収すべきと判断したのだ。

 あの状態では、死体を確かめるまでも無いだろう。


 だが――、 


「――え?」


 振り返ったトールの目前に、地響きを鳴らし新たな四つ足が森から頭を突き出してきたのである。

 

「マリッ!」


 トールが叫ぶと同時、後方を歩くマリの前面に立つブリジットがハルバードを構える。


 そこへ、四つ足が前腕を伸ばすと、ブリジットはマリを後ろへと突き飛ばした後に、身体の回転を効かせてハルバードを振り抜いた。


「ひぎぃ」


 柔らかい皮膚を僅かに裂かれた四つ足は、痛みと怯えを含んだ声を上げ、尻をついて座り込んだ。

 四つ足は呻きながら、前腕の傷を口に含んで舐めている。


 だが、マリ達との間に、厄介な障害物が在る事には変わりがない。


 刺激を与えず通り抜ける算段を立てている最中、トールの身体はさらなる異常を感じ取った。

 それは、ジャンヌも同様であったらしい。


 台座の遥か後方に、土煙が見えていた。

 質量の大群が地を駆けているがゆえの地響きも鳴っている。


「クロエ、皆を連れ撤退せよッ!」


 ジャンヌが台座を指差すと、ひとりの装甲歩兵がマリの胴を抱え込み脱兎の如く駆け出した。

 その後に、他の装甲歩兵とブリジットが続いて走る。


「台座に乗るんだ!!」


 トールとジャンヌの退避を待つべく、台座の前で立ち止まった彼らに叫ぶ。


 異常事態は、もはや誰の目にも明らかだった。

 四つ足の大群が、巨大な赤子の群れが、大地を揺るがして迫り来ているのだ。

 

 森の木々を押し倒し、無邪気な微笑みの横陣おうじんは、呪われた絵師の描く地獄絵図を想起させる。


「早くッ!!」


 トールが聖剣を振ると、意を決したクロエがマリを引き摺り台座に飛び乗った。


「――駄目――トール様ッ――駄目ぇっ!」


 マリの悲痛な残響音を残し、彼等はアフターワールドへと消えた。


 プロビデンスを失い、トールとジャンヌに残された選択肢は一つだけとなる。


「ジャンヌ中佐」


 台座に背を向け、トールは聖剣を握り直した。

 

 前門の赤子、後門の赤子――。


「待針へ」

「ハッ!」


 些か面妖な死地とはなったが、ジャンヌ・バルバストルに怖れるものなど存在しない。


 至高の想い人が己の隣で剣を振るうのである。


 高ぶる気持ちは、秘かな吐息でなだめた。


 ◇


「第八連隊の帰投確認しました」


 オペレータの報告に、ケヴィンは軽く頷いた。


 ジャンヌ率いる第一連隊、及びトール率いる第十連隊以外は、輸送機にて艦艇への帰投が確認された。


 降下した一万の装甲歩兵のうち、死傷者は百名に満たず、ほとんどは神殿兵との戦いによる。


 今次の作戦が大成功であると同時に、一方的な殺戮行為であった事をも示していた。


 ――とても、戦争とは言えんな。


 トールの伝記を勝手に書き始めているソフィアから、凱旋後に詳細を聞かせるよう頼まれているが、どうにも気乗りがしないと感じ始めていた。


 とはいえ、まずはトール達の帰投を確認しない事には元も子も無いのである。


「大質量体の光学映像、捕捉しました」

「来たか――出してくれ」


 量子観測機ボブにより、概ねの構造は把握されているが、サピエンスとは光学映像を好み、尚且つ信頼してしまうものなのだろう。


 存在の本質とは異なり、認知における錯誤に過ぎないのだが――。


「確かに貝殻みたいだな」


 照射モニタに映るそれは、比較対象が存在しない為に巨大さを認識できない。そのせいか、ケヴィンの漏らす感想は月並みなものとなった。

 

「現時点で一光時付近を亜光速ドライブ中でしょうが、そろそろ高速ドライブに切り替える頃合いでしょう」


 大質量体の甚大な慣性力を考えると、一般の艦艇よりも早く減速動作に入る必要があろう。


「到着まで残り二時間――」


 ミネルヴァの目的は今もって不明であった。


「おい、ケヴィン」

「え?」


 馴れ馴れしく彼の名を呼ぶのは、テルミナ・ニクシーである。軍属では無いが、旗艦トールハンマーに居室を割り当てられていた。


 彼女に与えられた役回りは既に終えているが、μミューポータルを超えて単身帰るという訳にもいかないのである。


「いや、何か、あーしの連絡先しか知らなかったらしくてさ」


 テルミナが指を振ると、照射モニタがケヴィンの鼻先に現れる。


「うわ」「うわ」


 ケヴィンと、照射モニタに映るフリッツが同時に声を上げた。


「オッサンの前に飛ばすなっての。気色悪い」

「か、海賊――いや、フリッツ――」


 テルミナの暫定部下となったフリッツ・モルトケである。

 隣にはクリスティーナ・ノルドマンが、アドリアの衣服を着込み立っていた。


「――クリス嬢!」


 無事で良かったと、同じ父親としてフィリップに通ずるものがあるケヴィンは、胸を撫で安堵した。

 背後にはコルネリウスと、サラも居たがケヴィンには面識が無い。


「いったい、これまで連絡も寄こさず――」

「詳しい事は後で話すけどよ、レギオン旗艦の五光秒以内は、EPR通信を使えなく出来るらしいんだよ」


 大質量であるレギオン旗艦が減速したところで、ようやくフリッツ達の乗るμミュー艦はECM圏外に出れたという次第である。


「トールに――痛ッ――閣下に伝えてくれ」


 クリスに耳朶を引かれたようだ。


「直ぐに、ずらかれ。皆殺しにされるぞ」


 ◇


 待針が戻ったレギオン旗艦の神殿地下には、λラムダフロントだけでなくブリッジも存在する。


 クイーンの目覚めによりレギオン旗艦は駆動力を得たが、全ての力を解放するには動力源が圧倒的に不足していた。


 巨大な質量を推進させるには、旗艦都市の生活機能を全て停止する必要があった。最大範囲でECMを有効にしているのも過負荷状態の要因だろう。


 スキピオ・スカエウォラは、子飼いのソルジャー達が行き交うブリッジで、黙したまま眼前に在るモニターを眺めている。


 ――計画通りに進んでいる。何が問題なのだ?


 決裂した父コルネリウスは、ソルジャーに抑えつけられてなお吠えた。


 ――分かったんだよ。


 スキピオは理解したのである。


 ――ルキウスの計画は上手くいかない。


 原理主義的な指導層を排除し、船団国の主導権をミネルヴァが握る。その上で新生派帝国と組み、経済支援を得ながら殖産し、星系を手に入れ、奴隷や略奪を必要としないまともな国家へと――。


 ――このクリティカルパスを通すには、俺達には力が足りない。


 その点は、ルキウスも自覚していた。


 指導層が消えたとしても、ミネルヴァのみで他レギオンを抑えるのは困難であろうし、新生派帝国に足元を見られぬ軍事力も必要となる。


 だからこそ、クイーンの目覚めを望んでいたのだ。


 ――我等のクイーンの魂を解放なさい。


 スキピオにとって、これがルキウス・クィンクティの遺言となった。


 ――だから、目覚めたろう。馬鹿が。


 漆黒の遮光グラスに隠された双眸に危険を感じ、父コルネリウスはスキピオの胸倉へと手を伸ばす。


 ――まだだ。


 分かっているだろうと言いたげに、スキピオは父の万力がこもる拳を抑えた。


 ――お前――まさか――。


 意図を理解し、コルネリウスは瞳を見開く。


「スキピオ」


 自身の名を呼ぶ声に、スキピオの詮無き追憶は中断された。ソルジャーに伴われ、ひとりの女がブリッジを訪れる。


「ああ――」


 無論、欲するのは力だけでは無い。


 あの広場で――。

 友と認めた唯一の存在の死を願い、祝う、あの呪われた広場で――。


 スキピオ・スカエウォラの心は定まった。


 よしんば、友が企図した計画の一部だったとして、免罪符にするつもりは無い。


「――アリス・アイヴァース、君も視るべきだと思った」


 彼が欲するのは――、


「これから、首船を消す」


 ――報復である。


 ◇


 巨大とはいえ、その姿は赤子であった。


 今となれば歴戦の勇士と言うべき二人の剣筋とて、些かの躊躇いがあり殺傷するに至っていない。


 ポンテオを貪り殺した四つ足も、その踵を斬るに止めていた。


「ここにも、はぐれ四つ足が――」


 大群で迫りくるのとは別に、森に潜み出てくる相手を、トールは「はぐれ四つ足」と称した。

 既に六体のはぐれ四つ足を追い払っている。


「邪魔ですね」


 そのはぐれ四つ足が、ようやく辿り着いた待針のエントランス前に座り込んでいたのだ。


「私が引きつけましょう」


 これまで繰り返してきた手筈である。


 頭部装甲を外したジャンヌが相手の気を引いて、その間にトールが背後から踵を斬るという段取りだった。


「頼みます」

「はい」


 慈母の笑みに切り替えたジャンヌが、手を打ち鳴らして近付いていく。

 

 優しい声音で、トールが聞いた事の無い歌を口ずさんでいた。


「だぁ」


 はぐれ四つ足の視線が反れ、その隙に聖剣を横に流したトールが走る。


 ――毎回、少し心が痛むんだけど……。


 無防備になった踵を前に、それでもトールは聖剣を振り上げた。


 が、その時――唐突にジャンヌの歌声が止んだ。


「え――?」

「だぁだぁ!」

「くっ」


 さかしさか、偶然か、それとも二人の不注意だったのか。


 音も無く背後から迫っていた新たな四つ足が、ジャンヌの左腕を咥え持ち上げている。

 その弾みで、彼女はツヴァイヘンダーを取り落としてしまった。


 玩具――あるいは母を取られたと感じた四つ足は、不満そうな声を上げて、ジャンヌを取り返そうと前腕を伸ばす。


「離せッ!!」


 形相を変えたトールは、四つ足の弾む肉塊の上を奔り、足元から尻、そして背中へと駆け登っていく。

 そのまま脊髄まで進むと、聖剣で柔肌を切り裂いた。


「ふぎゃああああああああッ」


 絶叫を上げた四つ足が地に臥す前に、トールはその背から跳ね飛んで、ジャンヌの腕を咥える他方の四つ足の眼球に聖剣を突き刺した。


「ふぎゃああああああああッ」


 刺された四つ足が口腔を拡げ雄叫んだ為に、解放されたジャンヌは地に落ちる。


「ジャンヌ!!」


 聖剣を引き抜き、ジャンヌの許へ駆けた。


「――か、閣下――不覚を――置いて――」

「黙って」


 パワードスーツの応急機能が働き、止血、殺菌、判断力を失わぬ程度の鎮痛剤の投与までは為されている。


 だが、激痛を抑えるには十分では無い。


「大丈夫――帰ろう」


 トールは微笑んでから、彼女のパワードスーツ背面を操作する。


 緊急医療モードとして彼女の痛みを和らげる事にしたのだ。昏睡状態となるため、単独行動は取れなくなる。


「一緒に帰るんだ」


 そう呟いて、左前腕を喪ったジャンヌ・バルバストルを抱き上げた。

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