50話 カッシウスの啓示。
至聖所を血に染めたベルニク兵は、休む間もなく神殿兵の元へと背後から襲い掛かっている。
挟撃の憂き目に遇うと、さしもの狂兵達も堅守を維持できなくなっていた。
両面から磨り潰す様に殺されていく
そして、至聖所にて並び立つトールとジャンヌの前には、煌びやかなトーガに身を包む男が未だ息をして立っている。
彼は窮地において意外な俊敏さを見せ、死んだ氏族の下に潜んでいたのだが、当然ながら
「ようやく会えましたね。ポンテオさん」
テルミナによる中継でルキウスの処刑を目にしているが、断頭台の傍で腕を振った男が目前に居た。
「い、いや――儂は――」
正邪を論ずるのを嫌うのがトール・ベルニクである。
自分自身やルキウスの立ち位置を正義とは考えていない。
あらゆる制度、そして思想には経緯と事情があろうし、斟酌すべき合理性が存在するのも事実だ。
だが、
「殺します」
端的に宣したトールが聖剣で男の額を刺し貫くと、刺し所が良いのか悪いのか、即死には至らず口を開いて喋り始めた。
「儂は大神官――おにぃちゃん――だよ――あれ――儂のぷりんは?」
おや人違いか、とトールは呟きながら剣を抜いた。鮮血を迸らせ、大神官ピラト・ペルペルナは床に崩れ落ちて死ぬ。
「閣下、ポンテオと大神官は双子だそうです」
「なるほど、そうでしたか」
――兄弟揃って、素早いんだな。そうは見えないけど……。
脂肪を多分に含んでいそうな肉塊を見下ろし思った。
「となると――」
至聖所の祭壇を越えた先は、雰囲気の異なる空間となっている。
レギオン旗艦に在った神殿で見たものと同じく、飾り気のない白い壁面と、台座、そして階段が在った。
「――悪いですけど、またマリに来てもらう必要がありますね」
斬首作戦は、残すところ後一名のみである。
◇
「とりあえず、元気出してね。オジサン」
「オジサンではない」
箱舟として使った
「コルネリウスだ」
銀髪の少女クリスを見下ろし、ミネルヴァ・レギオン総督――だったコルネリウス・スカエウォラは胸を張った。
「――そして――元気だ」
直ぐにずらかろう、と言うフリッツに急かされて行った先には、コルネリウスが太い腕を組んで数名のソルジャーと共に待っていたのである。
そのままサラも伴って宇宙港へと車両で向かい、
「ホントに、意外な成り行きよね」
レギオン旗艦に到着した直後、クリス自身は、さほどの危機感を持っていなかった。
緊急時にはEPR通信で連絡すれば良いし、何よりミネルヴァ・レギオンは味方なのである。
アドリアに成りすましている件が露見したとしても、トールが仲立ちすれば丸く収めてくれるだろうと甘く考えていたのだ。
他方のフリッツは、忙しく何事かを嗅ぎ回っていたようであるが――。
状況に大きな変化があったのは、そのフリッツが逃げようと言った前日の事であった。
「EPR通信が使えねぇってのは痛いよな」
前日の朝――建物を揺るがすほどの咆哮で目覚めた。
レギオン艦隊に砲撃でもされたのかと、クリスとサラは二人で身を寄せ怯えていたのだが、数分で咆哮は止み街が燃えさかる様子も無い。
フリッツに連絡しようとしたところで気付いたのである。誰ともEPR通信ができないという事実に――。
「どういうカラクリだよ?」
「ECMだが、恐らく帝国が持つものより範囲も強度も桁が違うのだろう」
コンクラーヴェの執り行われた詩編大聖堂、そしてトールの屋敷に在る地下等となるが、コルネリウスの言う通り既存のECMでは通信を阻害できる範囲は限られていた。
「
「そいつは否定しねぇけど、それがカラクリか?」
「全てを話すには、時も場所も悪いんだが――俺たちが勝手にレギオン旗艦なんぞと呼ぶデカい貝殻は、正しくは
コルネリウスは、誰からか聞いた話を語る口調となる。
「ホントに
「全ての機能が解明されてるわけじゃないが、まあ、EPR通信を妨害するってのは、お前達が身を以って証明してくれた事になる」
「チッ」
舌打ちをした後に、フリッツは話を続けた。
「ん、いや、待てよ。なるほどな――
「ほう?」
意外そうな表情を浮かべて、コルネリウスが顎を撫でる。
「
少しだけ遠くを見る眼差しとなった。
「――そう語る男はいたな」
「やっぱ、そうだよな。EPR通信を広範囲で阻害するようなのを相手にするなら、他の通信手段で連携できないと必ず負けちまう」
「カッシウスの啓示だ」
「あ?」
コルネリウスの告げた言葉の意味が分からず、フリッツは丁寧に聞き返した。
「他にも啓示はあるんだが――とはいえ、落ち着いて話せる気分でも無いだろう?」
そう言ってコルネリウスは、ブリッジの全周囲モニタを見やる。
「まあ、な。どこまで逃げてもEPR通信が使えないってわけだしな」
彼等が乗船する
追っているというより、目的地が同じなのである。
「とはいえ、さすがに親父は殺したくないようだ」
レギオン旗艦に戻り、僅かな日数でミネルヴァ・レギオンでは政変が起きている。
つまり、現在の実質的な総督はスキピオ・スカエウォラなのだ。この為に入念な準備をしてきたのか、ソルジャーは彼に与する勢力が圧倒した。
あるいは、コルネリウスが主張するルキウスの意を汲んだ中庸な路線より、スキピオの唱える強硬路線にこそ自分達の活路を見出したのかもしれない。
クイーンの目覚めとルキウスの死が、彼に新たな啓示を与えたのだろう。
不幸にも、思慮深きカッシウスの啓示とは異なるのだが――。
「まずは、お前達を無事に帰す」
自らに言い聞かせるかのようにコルネリウスは呟いた。
「――親のけじめは、その後だ」
◇
「ジャンヌ中佐に任せ、閣下は戻って下さい」
EPR通信で、ケヴィンが怖い表情で告げた。
神殿兵は始末し終えた為、辺りに満ちていた剣戟の音は止んでいる。残っているのは大量の肉塊と血、そして錆びた鉄の臭いだけだ。
台座の前には、マリと忠実なブリジットが立ち、トールが来るのを待っている。
「大質量体が迫ってきており、目的が不明なのです」
「ええと、つまりはレギオン旗艦ですよね。そういえば、アチラに乗り込んだフリッツ君から連絡が無いなぁ……」
「EPR通信が接続できず、クリス嬢とも連絡が取れません」
――それは不味いな。
腕を組んで考える様子を見せたが、急ぐならばやはり自身が待針の森へ行く必要があると判断した。
――ボクが行かないと、ポンテオさんを始末してる間に、こちらの時が流れ過ぎる。
抗エントロピー場の影響で、台座の先は
だが、ベルツ、そしてミネルヴァでも、トールが行って戻った場合には、理由こそ不明ながら抗エントロピー場の影響を受けていないのである。
――銀色も無くならないしな――ボクって何なんだろう?
などと、悠長に考えている場合では無かった。
「ケヴィン少将、いや戻ったら中将になってもらいますが――」
「あ、あの」
どこまで買い被ってくれるのだと、もはやケヴィンは怖くなり始めていた。
「――その為にも、しっかりと後方を守って下さいね」
「はあ――」
「レギオン旗艦の到着予定は?」
「六時間後には十光秒付近へと至ります」
さすがに、その距離となればFAT通信を使って、スキピオも何らかの意思表示を示すはずである。
「聖骸布艦隊は、首船から五光秒付近まで退避させ、立体円筒陣にて相対距離を保ってもらいましょう」
「逃げられるように――ですか?」
「まあ、その時は、ケヴィンさんも追いかけないと駄目ですよ。彼等だけではポータルを通れませんから」
「閣下ッ!!」
ケヴィンの怒りを感じ取り、トールも真剣な表情となる。
「万が一です。ともかく、急ぐなら待針の森へはボクも行くほかありません」
「――承知しました」
「では、ジャンヌ中佐、マリ。あ――あとはブリジットさん」
さらには、何名かの装甲歩兵が続いた。
台座へひと時に乗れるのは面積の都合上限りがある。
だが、行った先で待つのは、恐らくはポンテオと贈歌巫女だけなのだ。
「行きましょう!」
十分な人数であろうとトールは考えた。
◇
予想した通りであるが、抗エントロピー場の影響を受けるポンテオと贈歌巫女の
トール達が台座にて転送された直後、待針へと至る道にふたつの背中が見えている。
距離にして数百メートルに過ぎず、遮蔽物も存在しない為に良く見えた。
「追いましょう。マリとブリジットさんは――」
「護衛の兵を置き、後方からついて来させましょう。離れ過ぎるのも危険です」
「それも、そうですね」
台座の傍で待機させようと考えたトールだったが、ジャンヌの意見を取り入れた。
「頼みます」
トールは後ろの兵士と、さらにはブリジットに目礼を送った後、ジャンヌと共に得物を構えて走る。
対数フィードバックを効かせ、迫りくる二人の装甲歩兵に気付いたのだろう。
こちらを振り向いたポンテオは、顔を引き攣らせて何事かを叫んだ。黒と白の悪鬼にでも見えたのかもしれない。
だが、この時、本当の危険は彼の後方から迫っているものでは無かった。
「え――?」
駆けながら、思わずトールは声を上げる。
突然に地面が揺れたかと思うと、ポンテオと贈歌巫女の隣に在る木陰から巨大な四つ足の生物が姿を現したのだ。
「閣下ッ!」
ジャンヌの切迫した声を合図に、二人は慌てて立ち止まった。
至近のポンテオとて当然ながら異変に気付く。
危地における彼の即断即決は冴え渡り、常に余命を伸ばしてきた。
傍にいた贈歌巫女の腕を引き、脇から現れた四つ足へ向かって押し出しのだ。
四つ足が前足を彼女の頭上に振り下ろすと、打突音と共に、不運な巫女は奇妙な角度で腰から折れ曲がった。
巫女の死など意に介さず懸命に走るポンテオだったが、ようやく彼の命運も尽きた。
無造作に伸ばしたかに見える四つ足の柔らかそうな小指が、ポンテオのトーガに巻き付いたのである。
四つ足は笑声めいた声を上げながら、足をバタつかせる小人――ポンテオの巻き付いた前足を自身の
己の指に掛かったそれを、興味深そうに見詰めた後、上半身を口に含んだ。
だが、口元で足を動かされるのを不快に感じたのだろう。空いた前足でポンテオの下半身を掴んで動けなくする。
四つ足としては、ようやく納得がいった様子で、尻を地に着けて座り込んだ。
頬をすぼめ、ちゅうちゅうと
四つ足――否、巨大な赤子が笑う
こうして、臨時執政官ポンテオ・ペルペルナは、栄光に満ちた人生の末路を赤子の玩具として終える。
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