52話 英雄の選択。

 昏睡状態となったジャンヌの重みは、対数フィードバックにより気にはならない。


 とはいえ、両手の自由が利かない為に聖剣が振るえず、土煙を上げる四つ足の群れが到来すれば終わりだろう。


 ――まあ、聖剣が使えても同じか……。


 耳障りな四つ足の金切声を後にして、トールは唯一の退避場所である待針へ入った。


 ミネルヴァのレギオン旗艦と同じく、エントランスを抜けると巨大な空間、そしてμミュー――いや、λラムダを収めた水槽がある。

 

 その水槽の下部には制御室へ至るハッチが見えた。


 ――贈歌巫女が居ないから、拘束方法が分からないな。


 λラムダが目覚めたとしても、彼女の自傷行為を防げない。


 ――今回は、転送さえしてくれれば良いのだけど……。


 薄情な話であるが、現在のトールにとっての優先順位は明らかであった。装甲を通して感じる戦乙女の微かな鼓動を守るのみである。


 その為にこそ、λラムダの目覚めを促すべく、トールは水槽へと歩を進めた。


「こんにちは。ボクは、秋川トオル――」


 水槽の中には、膝を立て、その上に顔を埋めた状態で座る少女が――、


 ――え――!?


 膝の前で結ばれている指先は骨ばっており、身体中に病的な斑点がある。

 溶液の色合いにも濁りがあり、透過度が低い。


 ゆえにこそ、艶やかすぎる黒髪は、別の生き物であるかのように見えた。


「――体調――不良?」


 彼の名か、不躾な言葉に反応したのかは不明だが、堅く結んだ指先は解かれてゆき、伏せっていた顔貌がんぼうを上げる。


 青白く細ったおもてに在る双眸が、これまでと同じくトールを見降ろした。


「――そう――だ――よ」


 か細い声が、空間に響く。


 立ち上がる気力も無いのか、座ったまま膝の上に顎を乗せている。


 ――暴れたり、自傷の心配はなさそうだけど……。


 みゆうや、ミネルヴァのらむだとは異なり、眼前の存在はあまりに弱々しかった。

 だが、それでもトールの呼びかけに応じ、目覚めてしまったのである。


 ――日本語に反応するのか――それとも――。


 疑問は尽きぬが、ともかく転送シーケンスが始まらなければ元も子も無い。

 トールが不安に思い始めたところで、空間内に待ち望んだ音声が流れた。


 ――覚醒レベルの閾値到達を確認しました。


「え――」


 ――転移シーケンスを開始します。


「嫌」


 巨大な少女が、弱々しく首を振る。


「止めて――お願い――嫌なの――行きたくない」

「な、何故ですか?」

「怖いから。ここで静かに――死にたい――」


 だが、トールは止める方法など知らなかった。


「あなたが言えば、止まる」


 哀願する声音となる。


 ――転移ポイント存在確認完了。


「お願い――秋川さん――あなたが言えば止まるのっ!」


 確かに、トール・ベルニクにもその予感はあった。


 銀冠を失わず、抗エントロピー場の影響を受けず、巨大な眠れる少女達を目覚めさせる存在――。

 いかなる経緯か見当も付かないが、この怪しい世界に自分は関りがあるのだ。


 重要で密接な関りが――有る。


 だが、トールは黙したままに前を見た。可能であったとしても、転移を止めるつもりなど無い。

 胸に抱く存在と共に、アフターワールドへ戻る道を選ぶ。


 ――転移します。


 少女の絶望的な悲鳴が、彼の鼓膜を打った。


 ◇


 スキピオ・スカエウォラから送られたFAT通信は、事務的な通告のみであった。


 ――急ぎ、首船より離れられよ。


 無駄とは予想しつつ、アドリア・クィンクティの身柄確保の旨を返電したりもしたのだが、何の応答も無かった。


 義理の娘では、スキピオの意思を変える材料になり得ないのだろう。 


 既に聖骸布艦隊は、首船より五光秒付近にて立体円筒陣で相対距離を保っていた。


 レギオン旗艦へ三万の艦艇から斉射するという意見もあったが、期待した効果を得るには五光秒以内まで迫る必要がある。


 EPR通信が無効化されるというフリッツからの報告は、この作戦行動を思い止まらせるに十分であった。


 μミューポータルを通過する為にリンク・モノリスを利用したが、艦艇同士の連携手段は従来通り閉域EPR通信に依存していた為である。


「童子は、未だ幽世かくりよから戻らぬのか?」


 レギオン旗艦が放つECM圏内に至るまで、残り数刻となっていた。タイムラグの無い通信が可能となるのは、あと僅かである。


「はい。不測の事態が在りまして――同行した部隊は帰投したところです」


 マリを拘束したクロエは、第一、第十連隊を引き連れ、神殿から艦艇へと戻っている。


「ポンテオの死も確認しております」

「目的は達成されたが――」


 後に続くのは繰り言のみになると気付き、教皇アレクサンデルは口を閉ざした。


「あ――聖下――少々お待ちください」


 至聖所付近に、大きな熱源反応が検知されたのである。


「待針です。きっと閣下が――」


 言いかけたところで、ケヴィンの眼前に新たな照射モニタが投影される。


「閣下ッ!」


 なぜかジャンヌを抱き抱え、階段を駆け上るトールが居た。


「遅くなりました。ええと、お迎えを――」

「え、ああッ糞ッ!」


 全てのEPR通信が切断され、懐かしい気もする上司の顔と、教皇アレクサンデルの顔も同時に消え失せた。


「――ECMか」


 遂に、ミネルヴァのレギオン旗艦が五光秒圏内に入ったのである。

 師団本部に入り続けていたラプラスからの情報も途絶えた。


「全通信回線をFAT通信に切り替えよ」


 ケヴィンが席を立ちながら告げる。


「宇宙港の封鎖は解いたか?」

「ハッ」


 手伝う余裕も義理も無いが、船団国の人々が脱出するのを妨害するつもりはなかった。


 ただ、指導層を失った彼等に、土壇場で身動きが取れるとも思えない。

 死んだポンテオによる戒厳令を解除できる者すら居ないのだ。


「閣下とジャンヌ中佐以外の帰投も間違いないな?」

「ハッ」


 ベルニク全軍は、死傷者含めて自艦艇に戻っていた。


「ならば、小型艇を用意してくれ。その――E3は在るか?」

「随分と旧型ですね、ええと、予備機として一艇のみ本艦に。操縦士含めて三人乗りですよ?」

「頼む」


 指示を受けた部下は、くびを捻りながら格納庫へと走る。


「FAT通信切り替え完了しました」

「よし」


 ケヴィンが咳払いをする。

 全ての艦艇は、既に発艦準備を終えていた。


「全艦、二分後に通常手順にて発艦し、聖骸布艦隊と合流する」


 言い残しがあるような気がしたケヴィンは、少しの沈黙をおいてから再び口を開いた。


「諸君らの尽力により斬首作戦は完遂された」


 ――遥かな蛮族の地で――上から下まで――、


 ブリッジに居並ぶ部下達の眼差しを見回し、告げた。


「感謝する」


 ――酔狂が過ぎるな。


 ◇


 先史文明から遺産を受け継いだオビタル――いわゆる軌道人類が避けてきた禁忌があった。

 存在の根源を脅かし、尚且つ甚大な被害が容易に想定できる為である。


 軌道都市への直接攻撃――、


 ある者は五光秒の時差で、ある者は天蓋ゲートへと飛翔しながら、ある者は家族と共に最後の晩餐を、ある者は愛しい者の手を握り、ある者は――。


 ――宙域に在る全てのサピエンスは証人となるが、その大多数は死して語らぬ者となる。


 神殿を出たトールが目にしたのは、そのような光景であった。


 レギオン旗艦から放たれた荷電粒子砲は、軌道都市の外殻部を破砕する。


 穿うがたれた穴を埋める為、緊急エアフィルターの膜が張られるが、飛来する多量の質量兵器を防ぐには十分とは言えないだろう。


 外殻部を失いやわとなった軌道都市は、大気の喪失にこそ至っていないが、太古の総力戦で見られた都市攻撃に似た有様となっていた。


 つまりは、地獄である。


 その地獄で、トールは広場へ降りる階段の頂上に立ち、空を睨み待っていた。


 EPR通信を失い、状況を把握するすべなど無い。後事を託したケヴィンは、必ずや艦隊を避難させていると信じている。


 ――後は、救援が……。


 そう願うのは都合が良すぎるかもしれないな、と幾分か自嘲する思いも湧く。


 左前腕を喪ったジャンヌには悪いが、ここで生を終えるのも、あまりに血を流してきた己に相応しい因果とも感ぜられた。


 夢とうつつの狭間にて、何かに衝き動かされるかのように選択してきた果てが今である。


 彼が学んだ倫理観に沿って正邪を判ずるならば、明らかに邪であった。


 ――目が覚めても、会社どころか、まともに暮らせそうにないなぁ……。


 そんなトールの想念を破るかの如く、空に輝く機体が見える。


 ――ち、小さい――というか――E3?


 旧型の小型艇で、海賊相手の作戦行動でも昨今では使用されない。


 ――操縦士は、相当なオジサンだぞ。


 ケヴィンが聞けば気を悪くしそうな思いを抱く。


 広場には、狼狽え天を仰ぐ人々が集まっていた。

 眼下に拡がる建物の中には、数多の喜びと悲しみが残っている。

 路上で走り叫ぶ者達の夢と希望も、叶う事は永遠に無いのだろう――。


 トール・ベルニクは、それら全てを払うかのように、天に向かって大きく聖剣を振る。


 E3尾翼に在るライトが明滅し、Ωフラッグを紅く照らした。


 ◇


 かくして、銀獅子権元帥により、女帝ウルドの刻印の誓いは為された。


 以降の事象については、ミネルヴァ・レギオン総督によるものである。


 トール率いるベルニク艦隊、聖骸布艦隊、及びフリッツ一行が乗り合わせたμミュー艦が、首船より五光秒離れた後、ミネルヴァのレギオン旗艦より首船に向けて白光の波紋が放たれた。


 ダイソン球外殻は残存したが、首船及びテュールの隻腕は消滅している。


 新生派帝国を震撼させるに足る光景であった。


 さらに、消滅確認より二時間経過した後、遂にスキピオ・スカエウォラの目論見が白日の元となる。


「動力源ってわけか……」


 ダイソン球に格納されていたドッキングアームと、レギオン旗艦が接続されたのである。

 無尽蔵の動力を得て、言葉通り移動要塞と化した。


 同時に、スキピオからFAT通信にて打電が入る。


 ――ECMは解除した。急ぎ巣に戻られよ。変事有りの由。


 不吉な言葉の後、EPR通信が旗艦トールハンマーへと入る。


 ベルニク領邦火星方面管区司令、パトリック・ハイデマンであった。


「閣下――ご無事で――ようやく繋がりましたな」


 安堵ゆえか、常より口数が多くなっている。


「ご報告があります」


 とはいえ、本来は余計な修辞などしない男であった。


「マクギガンの裏切りで、ランドポータルが破られました。陛下におかれましては――」


起転[承]乱結Λ.....了


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―― 起転[承]乱結Λ あとがき――


 重い展開で、尚且つゆるりと進む[承]章にお付き合い頂いた皆様に感謝を。


 また『小説』と僭するには、多くの欠点を抱えていようとも自覚しております。


 かような物語に――、


 いいね、フォロー、評価、感想、レビュー、ギフトなどにつきまして、改めて御礼申し上げます。

 定例句めいた文となりますが、これは本当に嬉しいのです。


 なお、以下URLで評価頂けますので、ご支援頂けましたら嬉しいです!

 https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364#reviews


 今回の[承]は、当初計画より大幅に長くなってしまいました……。

 

 本来なら先に続くのですが、あまりに長くなる為に、首船崩落で一旦は区切らせて頂いております。


 [乱]章も、同程度の長さとなりますでしょう。


 どれだけ読み続けて頂けるか些か不安なのですが、書き切るほかございません。


 とまれ、次章で「少年、青年編」というべき下りは終わりとなります。

 色々と[乱]しますので、お楽しみに――と言って良いのかどうか分かりませんが――。


 それでは、多くの皆様と次章で再会できますように。


 次章: 起転承[乱]結Λ 第1話「フェリクス防衛☆乙女決死隊」


 今回は、アホっぽいタイトルで始まります!


 もう一つ。


 新章開始前に、閑話①、SS①、サポーター様限定SS①を、予定しております。


 何れのお話しも、本編で忘れ去った「巨乳」に入魂しますので、数少ない女性読者様は引かれるかもしれません。


 タイトルで分かるようにはしますので、無理と思ったら目を通されませぬよう臥してお願い申し上げます。


 本編は、大丈夫です――多分――。


S.M. / S.S.

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