39話 ケンカ別れ。

「そ、想定したより――随分とお客様が増えましたな」


 月面基地の司令官室にて、ケヴィン・カウフマンは幾分か緊張している。


 ――女帝陛下に鞭打たれた時ほどではないが……。

 ――しかし、あれは痛かったな。


「まあ、直ぐに出発ですから。お構いなく」


 彼の呑気な上司はそう言ってくれるが、小市民と自覚するケヴィンとしては構わないわけにもいかなかった。


「喉が渇いておる」


 菓子皿を空とした教皇アレクサンデルが告げた。


「あ、し、失礼をば――」


 席を立って自ら茶の用意に行こうとしたケヴィンを、女男爵メイドが手を挙げて引き留めた。


「――炭酸水ならある」


 トールの好きな、マリ特製炭酸水の入ったタンブラーを何処いずこからともなく取り出した。


「ちょっと、アタシにも飲ませなさいよ。誘拐犯なんだからッ」


 奴隷船叛乱を率いた伯爵令嬢としてメディアを席巻中のクリスティーナ・ノルドマンである。

 娘が彼女の大ファンである為、サインを貰おうと秘かにケヴィンは考えていた。


「ううぅ」


 マリの背後にいる女が、不安そうに唸った。先ほどからクリスが話すと彼女は怯えるのである。


 ――こ、この方は――確か――。


 泣く子も天秤衆と聞いていたが、目の前に在る女性からは、哀しき白痴の美のみを感じた。


 ともあれ、


 ――カオス――恐怖のカオスとなっている……。


 悪漢教皇、無愛想な女男爵、叛乱首謀の伯爵令嬢、白痴の天秤衆、そして呑気がいるのだ。


「念の為にお聞きしますが――グノーシス船団国へ皆さまも行かれるのでしょうか?」


 作戦の詳細はまだ聞かされていないが、トール以外の面子は軍属では無かった。


「異端を払うのだ。我が行かずして何とする」


 教皇アレクサンデルは異端討伐により、教会内における力学を自身へ有利に傾けようとしている。

 彼が持つ目論見を達成する為、組織内での権勢が今一つ必要だった。


「まあ、聖下は計画通りなんですけどね――」


 トールは申し訳なさそうな表情でマリを見やった。


「――私は大丈夫」


 気丈な様子でマリが頷く。


 ミネルヴァ・レギオン旗艦の神殿にて、巫女を人質として消えたフリッツ達を追うにはベルツの血が必要となったのである。


 ――まさか、あの台座があちらにもあったとはなぁ。


 深刻な状況ながら、好奇心を抱くトールは心を湧かせていた。


 さらには、


 ――名参謀フリッツ君も、あの世界を知っているのかもしれない……。


 二人と悶着を起こした女ソルジャーの証言によると、「台座」「城塞」という単語が出て来たのである。


 なお、フリッツ達を追う事はトールの好奇心を満たす為だけではなかった。


 彼等が連れ去ったのは、貴重なμミュー艦を駆動させる贈歌巫女だったのである。

 スキピオの父、レギオン総督はフライパンを振り回し激怒していたが――。


「うう」


 結果として、マリから離れないブリジットも同行する事態となった。


「――お姉さま――ああ――おいたわしいわ」


 さらには、ブリジットから離れないクリスまで――という次第である。

 軍属ではないどころか、未成年という事でトールも渋ったのだが、ロベニカに耳打ちをされて同行を許可したのだ。


 ――ブリジットが正気に戻った場合の保険が必要です。


 少女を人身御供にするかのような助言とはいえ、マリの安全性を優先したいトールは頷いた。

 どこまで使えるカードかは分からないが、何もないよりはマシだろう。


「ま、まあ、出発までは、こちらで寛いで頂ければと――」


 妙な面子が揃い、落ち着かない気分のケヴィンは、予定より少し早いが部屋を出ようと立ち上がった。

 率先して茶を用意しようとしたのも、それが理由なのである。


「――私はドックの視察に行く予定がありましてね。いやはや、月面基地司令というのも意外に忙しいもので――わわ」


 出て行こうとしたところで、司令官室の扉が横へと開く。


「あら――司令」


 優雅な敬礼で立つ、ジャンヌ・バルバストルであった。


「遅くなりましたが、ただいま到着致しましたわ、閣下」


 ランドポータル方面の防衛陣にて第五戦隊を指揮していたが、ホワイトローズ旗下千隻と共に月面基地へ参じたのである。


「無理を言ってすみません。ジャンヌ中佐」


 今回の長征に連れ立つため、休暇日を返上させて急ぎ呼び寄せたのだ。


「いいえ――光栄ですわ」


 フェリクス宇宙港で見た領主の背中は、彼女が死の眠りに就くまで輝きを失う事が無いだろう。


「閣下と共に、全てを薙ぎ払いに参りました」


 不吉な宣言に、ケヴィンは肩を震わせた。


 ――こ、怖い――やはり怖い――。


「今回は、全てをというよりですね――」

「で、では、皆さん。私は視察の予定がありますので」


 妙な話に巻き込まれる事が無いよう、ドックを司令官が視察する予定を組ませておいたのだ。

 頭は使いようだ、とケヴィンは思っている。


「ごゆっくりと――」

「よし、これで仲間が全員揃いましたね」


 悪気など一切持ち合わせていない男、トール・ベルニクは急ぎ足でケヴィンに近付くと、彼の腕をなぜか力強く掴んだ。


「か、閣下!?」


 無礼とはならぬ程度に腕を揺すってみたが、一向に手放してくれる気配は無い。


「さ、行きますよ。ケヴィン少将」


 トールが微笑んだ。


「今回も一緒に頑張りましょうね!」


 ◇


 ベルニク領邦に在るトールの屋敷では、ひとりの男が激怒している。


 生真面目で礼儀に煩い男、統帥府長官ヨーゼフ・ヴィルトであった。


 会議室にて、補佐官を集め重用事を打ち合わせている最中、彼を激高させるに足る報告が部下より入って来たのである。


まこと――なのだな――」

「は、はい」


 怯えた様子で部下が応えた。


「明日には、オソロセア領邦との同盟締結に向けた外交事があるのだぞ」


 会議室に集った補佐官達と詰めている議題が、まさにそれだったのである。


 オソロセアの外交を預かる国務大臣と、ドミトリ領事が来訪する予定となっていた。

 統帥府が中心となって進めてきたのだが、いよいよと両領邦の同盟締結は大詰めなのである。


 明日の協議には参加してくれるようトールには何度も念を押してあったのだ。


 ところがである――。


 聖骸布艦隊を交えた木星方面管区艦隊の演習に、トールが同行するとの連絡があったのだ。


 対海賊用の艦隊が、ラムダ聖教会を守護する艦隊と何を演習しようというのか?


「馬鹿も休み休みに言えッ!」


 面と向かって言うわけにもいかないので、仕方はなしに不運な部下に当たり散らしていた。


「――はあ、まあ」


 部下も内心ではそう思っているが、さりとて肯定する事もできず生返事を返すのみとなる。

 会議室に居る各補佐官達も、緊張した面持ちでヨーゼフを見詰めていた。


「少しはまともな領主になったかと思っていたが――」


 さすがに口にしてはならない言葉であろうが、この時の彼はもはやこらえる事が出来なくなっていた。

 色々と積み重なったものもあるのだろうと、多くの補佐官は内心で同情もしている。


「――骨の髄まで沁みた愚かさは消えんと見える」

「長官」


 首席補佐官のロベニカ・カールセンである。


「お言葉ですが――閣下には何かお考えが有っての事でしょう」


 忠実なる彼女としては、当然ながらトールを弁護するだろう。


「海賊艦と戦争ごっこをする事にかね?」


 ここで、注意深い者は気付いたかもしれない。


 ヨーゼフ・ヴィルトは決して人から好かれるような性格では無い。

 礼儀礼節に煩く、小言が多い点は大いに煙たがられている。必要とあらば、誰が相手でも直截に指摘するタイプでもあった。


 だが、多くの人は知っている。

 平素の彼ならば、嫌味な言い回しを好みはしない。


「それは――分かりませんけれど――」


 ロベニカの方も珍しく、しおらしい様子を見せて早々に矛を収めた。


「ふん」


 後味の悪い小さな一幕は、口の軽い者達による伝言ゲームにより、遠くカドガン領邦に在るフォックス・ロイドの耳にも入る事となるだろう。

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