38話 反対1。
「賛成、百九十九。反対一、よって、ポンテオ・ペルペルナを執政官代理に任ずる」
民会議長が告げると、議場内は歓声で包まれた。互いに肩を叩きあって喜びを表現している者もいる。
代理とはいえ、執政官を冠する職位が、解放奴隷の手から栄えある氏族の手に戻ったのだ。
ただし、執政官代理の権限は、執政官の持つ外交専権を含んでいない。
外交専権を得るには、投獄したルキウスを廃し、氏族会議を開いて臨時執政官に任ぜられる必要があった。
――物事には順序があるのだ。
全ては巡礼祭において執行すれば良い、とポンテオは考えている。
そうすれば自らの正統性をより強く民衆に印象付け、その後の執政官選挙では、彼にとって有利に働く可能性が高い。
――ともあれ、ルキウスを徹底的に貶め、二度とあのような馬鹿が現れないようにせねばならん……。
目下の彼が抱える課題は、国民と奴隷共に分からせる事にあった。
「賛成票を投じてくれた賢明なる議員諸氏に感謝したい」
議場中央に立ち、周囲を囲む議員達を見回した。
「とはいえ――ひとりは、
議場は笑いに包まれたが、実際のところポンテオの内心は穏やかではなかった。
民会議員の中でルキウスに与する者など皆無であろうと考えていたからである。
無記名投票の為、誰が反対票を投じたかまでは分からないが、オソロセアで甘い汁を吸っていた議員か、頭のおかしな奴であろうとポンテオは結論付けた。
「無論、私の話しを聞けば、考えを改めてくれると信じているが――」
――反対票などと――民会議員の中にすら馬鹿がいる。
――こんな有様では、ルキウスの甘言を信じる無知な国民も案外多いかもしれんぞ……。
批判を怖れ、表立って口にはしないが、帝国と結ぶのも内心では良い面があると考えている者は一定数存在した。
彼等の目を開いてやるのが使命である、とポンテオは決している。
「ルキウスは異端の女首領に尾を振ったうえ、略奪と奴隷を我等から奪おうとした」
原理主義勢力にとっては、万死に値する罪であった。
「誇りと引き換えに得たものは、
ポンテオには、レオ・セントロマの持参した土産がある。
――この為にこそ、異端の糞坊主に気分を良くさせたのだ。
「二つに分かたれた異端の片割れは、異なる提案をしてきている」
復活派オビタル帝国を率いる宰相エヴァン・グリフィスは、腹心の聖レオを派遣してポンテオに約したのである。
略奪や奴隷はそのままに、彼等の勝利した暁には星系を――ベルニクが治める太陽系を割譲する、と。
「
己のマチズモを気取る為、ポンテオは胸を反らせ片頬を上げた。
「――我らの温情により、グリフィス領邦だけは見逃してやろうとな」
議場が、大きな拍手に包まれる。
◇
治安機構政治部に連行されたルキウスは、拘置所の独居房に在った。
狭い房の中でベッドに寝転がり、何をするでもなく瞳を閉じている。重度の情報中毒者である彼は、板状デバイスが手元に無い事が最大の不満であった。
――皆さんのゴシップを愉しめないじゃないですか……。
仕方はなしに、看守に幾つかの書籍を頼んだが、それすらも未だに届けられていない。
――ひょっとしたら、食事も無かったりしませんかねぇ。
こんなことであれば、外にいるうちに拘置所の待遇を改善しておくべきだったと考えたりもしていた。
だが、全ては遅い――。
ルキウスが決定的なひと言を述べるまでもなく、既に事態は船団国にとって悲劇的な状況へ向かいつつある。
勿論、救いの種は蒔いたつもりだが、あまりに多くの血が流れるだろう。ルキウスが憎悪する相手だけでなく、善良な人々も死んでいくのだ。
その罪と
「執政官」
房の外から男の声が響くが、ルキウスは己の想念に沈んだままだった。
「執政官」
「――え――」
ようやく看守に呼ばれたことに気付き、小さな窓枠の付いた扉を見やった。
――執政官なんて言うから気付きませんでしたよ。
「いやはや、お待ちしていましたよ。書籍でもないと暇で――」
先ほど頼んでおいた書籍を届けてくれたのだろう、と考えた。
「面会です」
彼の想定に無かった言葉が告げられる。
「はい?」
◇
娘のアドリアが用無しとなり、
「ジュリア殿?」
母の会代表のジュリアである。
彼女の誇る豊かすぎる身体のせいで、面会室に在る小さな椅子が破損しそうにも見える。
「どうされたのですか?」
両者の間に透明な遮蔽物はあるが会話に困る事は無い。
ゆえに、聞こえないはずもないが、暫くはジュリアは口を閉ざしたままであった。
「――あなたの大好きなポンテオ・ペルペルナが、執政官代理になったわよ」
いかなる事情であれ執政官が不在となれば、民会の権限において執政官代理を決する必要がある。
「そうですか――まあ、満場一致だったのでしょう」
自身が議場にて拘束された際、その無法を抗議するどころか、全ての議員が快く送り出してくれたのだ。
反対する者などいるはずがないと考えていた。
「いいえ」
ジュリアが首を振る。
「ひとりだけ反対したようね――
「え――」
咄嗟には言葉が出てこなかったが、ジュリアの瞳を見て確信をした。
「――な、なぜ?」
思わず、弁舌に生きた男の舌がもつれる。
実効上で考えるなら、たった一票の反対票になど何の意味も無かった。
だが、違う――。
解放奴隷として、歯抜けの元コメディアンとして、極少数の理解者しか得られなかった理想主義者として――彼は常に敵陣に在ったのである。
「私に、他人の気持ちなど分かるはずも無いけれど――」
面会室での会話は録音も盗聴もされないとはいえ、傍には係官が立っており、聞き耳を立てているのは分かった。
ジュリアは慎重に会話を進めざるを得ない。
「――想像は出来る」
母の会代表は、全ての若者の母として思索の旅をした。
「仮に、その人物が使節団に居たとする。彼は初めて帝国を訪れた――些かの緊張感と敵意を抱いてね」
使節団が視たのは月面基地に並ぶ多数の美しい艦隊――実のところ聖骸布艦隊であるが――と、新帝都フェリクスにおける眩いほどの発展である。
彼等にすれば十分に先進的な都市と思えたが、長い停滞を抜けて未だ発展途上にあると聞いて再び驚かされた。
誰も素表には現わさなかったが、彼我の国力差に圧倒されたのである。全ての次元が、グノーシス船団国とは異なっていた。
「現実的に言って、私たちを守るのは
それすらも、ルキウスの秘したる利敵行為によって失われている。
「ポンテオ・ペルペルナのように、あちらを上手く躍らせるつもりで動くのはリスクが高い――と考えたのかもしれないわ」
ここまで言った後、ジュリアはさらに声を低くした。
「若者達の血が流れ過ぎるのを――彼は――いや、私は望んでいない」
――もっと、早く、
喜びもあったが、ルキウスは心内で唇を噛んだ。
――この人が味方となってくれていれば……。
多数派工作が出来た可能性はある。
だが、全ては遅いのだ。
歯車は回り始めており、行きつく先はもう決まっている。
――ああ――私は愚かだった――。
自身にも反省すべき点があろう。
原理主義派と繋がっているという色眼鏡を通して評価を下し、彼女の若者に対する思いを見誤っていたのだ。
――考えるんです。考えるんですよ、ルキウス・クィンクティ!
――物事には常に良い側面がある……。
人生の師と仰ぐ男の言葉だ。
――私は死ぬ。それはそれで良い。
貧相な自身の肉体になど、何の未練も無かった。
――この国が亡ぶのも良い。
略奪と奴隷に依存する国など滅ぶべきだろう。
だが――、
「ジュリア殿――いや、全ての若者の母君よ」
かつての皮肉とは異なり、今は本当にそう思っている。
「あなたに祝福を――そして、今から話す事をどうか真剣にお聞きください」
この忌々しい透明な壁め、とルキウスは思った。
今こそ、彼女を強く抱きしめたかったからである。
――私が潰されちゃいますかね?
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