41話 女神、じゃなくて邪神?

「デカすぎるだろ、これ」


 巨大な球体の下部から伸びる黒い立方体が、地面に杭のように突き刺さっている。


 あまりに巨大な構造物の支柱にしては頼りなくも見えるが、見上げるフリッツの頭上は球体に覆われ影が落ちていた。

 支柱が地面と接する部分には、エントランスらしき作りになっている。


「やっぱり入口まで続いてたんだな」


 ここへと辿り着くには、一本道の石畳を二時間以上も歩き続ける必要があった。


「大きすぎて距離感が分からなくなってたんですね。そもそも僕は全ての距離感が分からなくなってしまいましたが――うう――若――」


 アポロニオス結束体による応急措置を施したとはいえ、トーマスの顔面には凄惨な血糊が拡がっていた。


「泣き言は帰ってから聞いてやる」


 結局、水と食料の確保の前に、己の好奇心を満たすことを優先させたのだ。


 ――食わなきゃ死ぬが、


 つまるところ、フリッツ・モルトケが、トールから終生の信を得た理由はこれなのだろう。


 ――好奇心には抗えねぇよな。


 ◇


 月面基地を発ち、七日が過ぎた。


 艦隊をμミューポータルから二光時付近に潜ませ、トールは小型艇に乗ってミネルヴァ・レギオン旗艦を訪れている。


「ここで消えたんですね」


 スキピオに案内された先は、神殿の奥に在る狭い部屋だった。


 部屋の中は白い壁面で覆われており、装飾などは一切施されていない。神殿という宗教施設らしからぬ場所である。

 殺風景というよりも、必要性のみを指向した結果と思える無骨な部屋であった。


 中央には台座があり、その裏手にはさらに下へと降りる階段がある。


「奴らは巫女様を人質に、待針まちばりの森へと――」


 件の女ソルジャー、セレーナが真ん中に位置する台座を指差して言った。


 ――ベルツ家以外でも――というより、何らかの遺伝特性なのかな。


 三人のうち誰が原因で台座を通れたのかをトールは考えている。


「ちなみに、階段を降りると何があるんですか?」

「――ただの空洞だ」


 少しだけ間を置いてからスキピオが応えた。


 ――気になる間だけど……。

 

 行動を制限されているわけでもないので、降りて行っても実際に空洞しか無いのだろう、とトールは判断する。


「まあ、フリッツ君――いや巫女様の救出を優先しますか」

「その台座を通るには、その巫女が必要なんだが――」


 スキピオが、トール達一行を見回しながら言った。


 目の前には、トール、マリ、そしてブリジットが並んでいる。クリスティーナ・ノルドマンについては、台座を通り銀冠を失う事態となれば、いよいよ父フィリップが憤死する恐れがあると判じケヴィンに預けてあった。


 他方のブリジットは、愛用のハルバートを手に持ち聖兵服を着込んでいる。


 ――こんな事もあろうかと、な。


 そう言って教皇アレクサンデルが持ってこさせた彼女用の聖兵服は、些か一般兵とはおもむきを異にしていたが、重なるΛラムダの徽章は天秤衆などではないと示している。


 ――なんとも――ゴクリ。


 トールの様子を見るに、彼女に似合う姿だったのだろう。


 ともあれ、様子の変わったブリジットであるが、マリの傍を離れることはなく――いや、むしろ益々と離れなくなっている。


「――そちらにも居るってわけだな、トール殿」

「はい、多分」


 形状は似通っているが、ベルツの屋敷に在ったものと同一かどうかは分からない。


「ですから早速行ってみましょう」

「ミネルヴァとしても二人しかいない贈歌巫女は必要だ」


 彼女等が居なければμミューポータルを抜けられず星間空間の孤児となる。


「案内してやりたいところだが、俺と長手ながては、もう首船に向かった方が良いだろう」


 彼の言う長手ながてとは、テルミナ・ニクシーのことを指す。


「行って直ぐ戻るだけですよ?」

「いや――ちょっと時間の経ち方が違うんだ」


 抗エントロピー場の影響で、台座の向こうはこちらに比べてゆっくりと時間が流れる、とスキピオは説明した。


「え――いや――でも――」

「行ってもいいが、連中を連れて直ぐに戻ってくれよ。一時間で三日ぐらいが過ぎてしまう」


 単純計算で、およそ七十二倍速でこちらの世界は時が進むわけである。正確性を期すならば、時ではなく事象の積み重なりの速度と言い換えた方が良いだろう。


 だが、トールは、城塞の建つ島から戻った時のことを思い起し疑念を抱いた。


 ――そこまでの差異は発生しなかったはずだけど……。


 とはいえ、今はそれを議論し合っている猶予は無い。


「分かりました。――では、そちらはよろしくお願いします」

「ああ」


 スキピオは頷き、早々に背を向けた。


「それと――うちの大事な贈歌巫女を頼むぜ。あれには重用事を任せてるんだ」

「重用事?」

「こちらの話だ」


 ルキウスの望みであり、またミネルヴァ・レギオンの生き残りにとっても必要なことであった。

 だが、未だに果たせず、不要なトラブルで時を浪費してしまっている。


 ――クイーンの目覚めは――もはや不可能だろう――許せルキウス。


 ともあれ、スキピオはテルミナと共に首船へと向かうのだ。


 恐らくは迎えるであろう友の死を見届ける為に――。


 ◇


「トール殿、アイツらですわッ!」


 フリッツが振り向くと、大木に縛ったはずの巫女が怒りの眼差しで立っていた。


「げっ、どうやって拘束を解きやがった――」

「いやぁ、なかなか苦労しましたよ」


 そう言って、彼女の背後から現れたのはトール・ベルニクである。


 マリもいるが、ブリジットの方はハルバートを床に放り投げ、早々に跪いてこうべを垂れていた。


 彼女が畏怖しているのは、μミューフロントのような空間を占拠する巨大な存在に対してであろう。


「べ、ベルニクの大将――あ、いや、閣下って呼ぶべきなのか?」

「何でも良いですよ、フリッツ君」


 トールからの呼び名は既に決まっていたらしい。

 理由は誰にも分からなかったが、彼はフリッツだけはこのように呼んだ。


「というか、来るのが早すぎねぇか?」


 七日は要すると見込んでいたのだ。

 だが、フリッツの感覚では一日すらも経っていない。


「その説明は後にしましょうか――それより――」


 トールは好奇を抑えきれぬ眼差しで、彼らの眼前に存在するを見詰めている。

 それに気付いたフリッツは、似た者同士と感じ思わず片頬を上げて微笑んだ。


「おもしれぇよな」

「――ええ――実に――」


 面白かった。


 待針のように地面に突き刺さった球形は、μミューフロントの外殻部を想起させる。

 尚且つ、その中には――、


「女神――いや、これがμミューなんですね」

「そうです。とはいえ、彼女は未だ目覚めていませんが――」


 幾分か無念そうな表情を浮かべて巫女が言った。


 水槽の中に在る巨大な少女は、膝を立ててその上に顔を埋めた状態で座っている。

 艶やかな黒髪が、液中にも関わらず自然な様子で肩に掛かっていた。


 ――拘束されてないし――体育座りなんだな……。


 帝国における女神像や、トールが初めて目にしたみゆうと異なり、壁に無残な様子で拘束されているわけではなかった。


「記録に在る幾万の贈歌を試みましたが――」


 他とは異なり目覚めることが無い。


「なるほど」


 かつてと同じく、トールは透明なパネルに近寄って行く。


 ――足の組み合わせが絶妙だなぁ。ちょっと、こっちから……。


 少女の持つ豊かな胸は、立てられた二本の膝で隠されていた。


「トール様」

「す、すみません」


 ――マリって、何で気が付くんだろう……。


 今さらなことを思いつつ、トールは真面目な様子を取り繕った。


「じゃあ、ちょっと試してみましょうか。変な言葉を使いますけど、気にしないで下さいね」


 かつて、みゆうと初めて出会った時と同様である。


「こんにちは。初めまして!」


 不思議なトールの音節が響くが、特に何の反応も無い。


 ――あ、そっか。挨拶だけじゃ駄目だったな。


「ボクは、秋川トオルです!!」


 アキカワトオルという音節に気付いた巫女は驚いた様子を見せるが、眼前ではさらなる奇跡が生じていた。


 膝を抱えて座する少女の肩が揺れ、固く結んでいた指先が解かれていく。


「お、おい、動いた。動きやがったぜ!」


 フリッツが悲鳴にも似た歓声を上げつつ、逃げ去ろうとするトーマスの首根っこを掴んでいた。


 異変に気付いたブリジットは、信仰と忠誠の狭間にあり忠誠を選択する。彼女は跪いていたが、立ち上がってハルバートを構え、マリを守るかのようにして立ち上がった。


「そんな――いったい?」


 呆然とする贈歌巫女になど、目覚めた少女は感心を示さない。


 かつてと同じく、瞳を開いた巨大な少女は、唯ひとり――ひとりトールだけを見詰めていた。


 女神――否、少女の声が、広い空間に響く。


「お前、煩い」


 ――あれ、随分と様子が違うな。


「だから――殺す」


 立ち上がった少女は大きく口を開け、獣の様に咆哮した。

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