36話 連鎖は続くよ、どこまでも。

「――そうですか」


 予測された結果のひとつとはいえ、トールは些か消沈した想いとなっている。


 テルミナからEPR通信があり、照射モニタには彼女とスキピオが並んでいた。

 見知らぬエプロン姿の大男もいるが、未だに紹介を受けていない。


「拘束理由はやはり――」

「国家反逆罪及び神権冒涜罪――国と女神に逆らった容疑ってわけだ」


 民会にて彼が答弁している最中に事は運ばれたのである。


 治安機構政治部が、神官兵を伴い議場に現れ、その場で執政官ルキウスを拘束したのだ。

 あらゆる法令に違反しているはずであるが、議員達は抗議するどころか万雷の拍手で見送っている。


「――筋書があったんだ。知らぬは歯抜けだけってことさ」


 メディアを意識した動きである。


 ペルペルナに代表される原理主義派としては、帝国と手を結んだ場合の利益に、国民の関心が向くことを望まなかった。

 ゆえにこそ、ルキウスを国家と女神を裏切り、帝国になびいた罪人として強烈に印象付けたかったのだろう。


 だが、もう少し待てば、ルキウスは条約を違えると宣したはずである。

 積み重なった怒りに流された彼は、既に船団国を見限り、滅びの道へといざなうつもりでいたのだから――。


 結果としては、ルキウスがそれを宣する前に拘束されてしまった。


「まだ、条約を違えるという結論は出ていない」


 刻印の誓いは、彼等が条約を違えた場合に履行されなければならない。

 ルキウスを救出する為に、今すぐ攻め入るという訳にもいかないのである。


 逸って行動した結果、誓い破りと判断され、女帝ウルドの銀冠が失われる事態となれば新生派の権威が失墜してしまう。


 ――けど、不思議だよね……。


 トールが疑問に思っているのは、どこの誰がその判断を下し、そして銀冠喪失というペナルティを与えているのだろうか――という点にある。


 ――本当にそうなるのかな?

 ――女神なんて居るわけないし……。


 試してみたい誘惑にも駆られるが、現在の情勢下で不要なリスクを負う愚は冒すべきでは無かった。


「ルキウスが言った通り、巡礼祭で派手にやるつもりなのかもな」


 ポンテオ・ペルペルナは、ルキウスを大罪人へと仕立てあげ、ベルニクに敗戦した恥をも彼に転嫁するだろう。

 それをもって氏族会議に臨み、自身への支持を取り付けて、臨時執政官――そして選挙を経て執政官の立場を得る可能性が高い。


「巡礼祭は何日後でしたっけ?」

「半月後だ」


 刻印の誓いに即した上で奇襲を成功させるには、条約を違えたという情報が速やかにトールの許へ届けられる必要があった。

 巡礼祭にテルミナを派遣するのは、やはり必須要件となるだろう。


「とはいえ、そちらも近場には来ておいた方がいい」


 月面基地から、首船プレゼピオに至るには十日以上を要する為だ。


「分かりました」


 星間空間へ行き、首船プレゼピオへと繋がるポータル近傍で待機しなければならない。

 常闇の中に大艦隊を潜ませておくのである。


「あとさ」


 渋面のテルミナが口を挟んだ。


「――もうひとつ問題が起きてんだよ」


 隣に立つスキピオは肩を竦め、エプロン姿の大男がフライパンを振り回しながら怒鳴った。


「テメェんとこの馬鹿が、底なしの馬鹿をやってくれたぞ」

「は、はあ――?」


 顔立ちはスキピオさんに似ているなぁ、とトールは思いながら応える。


「お父さんですか?」

 

 ◇


 ミネルヴァ・レギオン旗艦の中心に、神殿がある。


 日が落ちる――気象制御システムによるものだが――まで門戸は解放され、誰でも中に入って祈りを捧げる事が出来た。


 拝殿には、剣と天秤を持った女神像が立ち、その前に多数の椅子が並んでいる。夜の近い時間となり、未だ残っているのは悲しみに暮れる女ひとりだけだった。


 ――なぜ、このような悲劇を許されたのですか……。


 この場にて、朝から祈り続けている女は、乾かぬ涙を拭き取る気力もなかった。


 ――ヴィンスはあなたに忠実で優しい人でした。数え切れぬほどの畜生共を輝けるグノーシスの許へと送り届けて来たのです。

 ――心を改めぬ畜生には剣で報い、悔い改めた畜生には、我等の奴隷となる救いを与えてきました。


 ああ、と思わず女は悲嘆の声を漏らす。


 信仰心に篤く、そして義に満ち溢れた気高き男が、聖なる務めを果たす最中に殺害されたのである。

 喉を掻き斬られ、目を潰された上にくり抜かれていた――。


 行政解剖の結果によれば、ヴィンスは先に目を潰されたそうである。


 彼が味わった痛み、恐怖、そして絶望を思う時、女は帝国に暮らす畜生全てを贖いとして捧げても足りぬと感じていた。


「セレーナ」


 拝殿の奥から白い巫女服を纏った女が現れ、祈り続ける女の傍に立った。


「神職様――」


 神官の中でも特別な存在――バイオレットの髪を持つ巫女に、セレーナは純然たる尊崇の念を抱いている。


 常ならば、略奪部隊を率いるμミュー艦の船付神官となり、危険で神聖な務めに殉じている乙女なのだ。


 セレーナには与り知らぬ事情から、略奪部隊は長らくレギオン旗艦に逗留しており、この特別な巫女も神殿に在った。

 毎日訪れる女と会話をするうち、彼女の事情を知って心底から同情もしている。


「そろそろ夜になります」


 帰った方が良いと遠まわしに告げたのだ。


「――はい」


 独りだけの居室に戻るのは彼女を裏寒い気持ちにさせるが、自分の為に神殿を一晩中解放してくれなどとは言えまい。


 セレーナが嗚咽を堪え立ち上がった時のことだった。


「へえ、広いな」

「そうですね。何だか聖堂――んぐ」

「馬鹿野郎。滅多な事を言うんじゃねぇ」


 粗雑そうな声音で話す二人の男が拝殿に入って来たのである。


 ――え?


 その声を聴き、セレーナの全身が総毛立つ。


「――おっと、バイオレットの――へえ?」

 

 女神の導きだろうか――元海賊フリッツと、殺人鬼トーマスであった。


「聞いてた通りだな。神殿には――白装束の巫女がいる」


 嬉しそうに告げるフリッツが、トーマスを引き連れ巫女の傍へと歩み寄って行く。


「あの――なにか――?」


 そう応える巫女の声音に、若干の怯えが混じる。風体、顔付、話し方、何れをとっても、凡そ真っ当な相手とは思えなかったからだ。

 女神が住まう拝殿に上がりながら、なおもフードで頭部を覆っている点にも信仰心の欠如が伺える。


「いや、なに心配するな」


 心配すべき相手が言う決まり文句だろう。


「少しばかり教えて貰いたい事があるだけなんだ」


 安心させる為にフリッツは片目を閉じて微笑むが、却って怖がらせる結果となったかもしれない。


「えっとさ、城塞へ至る台座――じゃ分からんか――人が消えちまう台座を――」

「ぎゃあああああああ」


 フリッツが言い終える前に、トーマスの悲鳴が拝殿に響く。


「な――」


 振り返るとトーマスが床に蹲って両手で顔面を覆っていた。その手の隙間からは血が漏れ出している。 

 止めを刺そうと短刀を振り上げたセレーナの横面を、フリッツは思いきり殴り飛ばした。


「立てトーマス!――こいつは、地獄号の女だ」

「いだひふぁfだ」


 訳の分からぬ事を喚くトーマスの腕を引いて、無理矢理に立たせる。

 血濡れの顔面から傷の度合いは分からなかったが、恐らくは右目をやられたように見えた。


「逃げるぞ」


 そう叫ぶが、既に遅い。


 拝殿の戸口に、神殿を警備する兵達が集まり始めていたのだ。さらには、セレーナも態勢を立て直し短刀を構えている。


「糞」


 短く悪態をついた後、身を震わせている巫女を右腕で抱えるよう強く抱いた。さらに、空いている左手を、彼女の頬にあてがった後に告げる。


「来るな。殺しはしないが――」


 フリッツは凄惨な笑みを浮かべた。


 彼は無慈悲だが、残虐な男では無い。とはいえ脅すなら、徹底的に脅さねばならないだろう。


「――二度とは歌えないよう頬を割いて舌を刻む」


 人差し指に仕込まれた鋭利な刃先で、少しだけ巫女の頬を切って見せる。


「こ、この、腐った畜生共がッ!!」


 セレーナは怒りのあまり顔面が蒼白となる。


「トーマスの右目で、チャラにしようぜ」

「ほんなふぁdさだ!!」

「殺す。絶対に殺す。八つ裂きにする」


 まあ、無理だよな、とフリッツは内心で息を吐く。憎悪の連鎖は、ウロボロスの環の如く循環し途切れる事など無い。


 ――ともあれ、時間を稼がないとな。

 ――ま、トーマスもいるこったし――賭けるか――。


「おい」


 巫女の耳元で囁くように告げた。


「――台座に案内しろ」


 信仰に忠実な彼女は、帝国に住まう無辜の民たちを、数え切れぬほどに女神へと捧げて来た。

 だが、その女神は、頬に感じる小さな刃先からすら彼女を救わない。


 ゆえに――、


「よし、いいコだ」


 頷いて、自身で己の身を救う。

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