35話 憤怒。

「本当に――申し訳ありません――」


 屋敷に戻ったルキウスを、項垂れた使用人達が出迎えた。

 中でもサラの消沈ぶりは大きい。


 アドリアが梵我ぼんが党に連れ去られた際に、何も出来なかった自身を恥じているのかもしれない。


「仕方のないことでしょう」


 武器を持った彼らに、使用人――奴隷達が抵抗できるはずも無かった。


「まだ、治安機構でないだけでもマシだったかもしれません」


 梵我党は単なる政治団体であり、ペルペルナ一族や有力議員、そして治安機構が関わっているとはいえ、何らかの法的権力を有している訳ではなかった。


 つまり、現段階ではルキウスに圧力を与えたに過ぎない。


 ――アドリアに怖い思いをさせているのは申し訳ないのですが……。


 恩人であるカッシウス家から託された娘である。

 血の繋がりこそないが、ルキウスなりの愛情は持っていた。


 とはいえ、愛情より多分に恩義が上回っていた点は否めない。


 ――本当の父ならば、ここで歩みを止めるのかもしれませんね。


 条約など反故にすると民会で告げれば、すぐにでもアドリアは解放されるのだろう。


 現時点では、条約を違える事を恐れる者は少ない。


 なぜなら、帝国が攻めてきたとしても、μミュー艦と、それにリンクした艦艇でなければ、未知ポータルを抜けられないと分かっているからだ。


 ベルニクが多数の艦艇を鹵獲し、尚且つμミュー艦を駆動させた事実は広く報道で伝えられていた。

 ユピテル総督のポンテオにとって、大きな汚点となっている。


 だが、彼等が鹵獲した数で攻めてきたしても、たかが知れているのだ。


 仮に攻撃があったなら、首船プレゼピオの自動防衛システムで足止めをしている間に、円環ポータルから各レギオンが艦艇を差し向ければ撃退できるだろう。


 と、人々は思っている。


 ――皆にそう思わせておくべきか……。


 ルキウスは未だに迷っている。


 月面基地に連れ立った多数の輸送艦には、μミュー艦とリンクする為のモノリスを積載していた。

 それらは、朱色に輝く三万の艦艇へと運び込まれている。


 ――真実を告げ、国民の恐怖心を煽れば――。


 帝国の攻撃を恐れ、条約に不承不承ながら従う可能性はあった。


 だが、従わなかったら――?


 その場合は、船団国に守りを固めさせるだけの事態となる。

 攻めて来た帝国軍は返り討ちに遇い、ルキウスは処刑され、奴隷制度と略奪への信仰は盤石となろう。


 トール・ベルニクとの約束は、ルキウスにとっての切り札なのだ。

 

 人々を説得する為の材料とするか、

 あるいは、全てが失敗した場合の保険とするのか――。


「どうしましょうかね――」


 呟いたところで、答えを返す友はいない。

 使用人達を払って、連れ去られた娘の部屋に独りいた。


 ふと、その時――、


 物心ついて以来、初めて娘の部屋に入ったのだと思い至る。


 ベッドの上には開かれたままのキャリーケースがあった。

 支度途中といった有様だったので、グレートホープ号に乗船するつもりで準備をしていたのだろう。


 ――私は――良い父親ではありませんでした――。


 彼女がグレートホープ号の船付神官になると聞いた時、内心では大いに失望していた。

 カッシウス家の血を受け継ぎ、奴隷制度の廃止を目論む男が父なのである。


 ――けれど、何も言えなかった……。


 ルキウスは自信の無い笑みを浮かべ、娘に頷いただけだった。


 今にして思えば、恩人の娘であるという遠慮など捨てて、腹を割って話し合うべきだったのだろう。


 恐らく、アドリアが欲していたのは、の暮らしなのだ。多数派が信じる常識を受け入れて、疑問など抱かずに生きていく――。


 奇異な環境に生まれたがゆえに、却ってそれへの欲求が大きくなっていたのかもしれない。


 その多数派のは、極めて異常な暴力行為に立脚していた。


 奪い、犯し、奴隷とする。


 これをグノーシスの民が平然と受け入れている理由は何か?


 女神への信仰、異端への憎悪、遺伝形質への劣等感――。

 彼らの置かれた歴史的、及び地勢的な影響も大きいのだろう。


 だが――、


 ――嘘なのだ。


 比類なき英知より、カッシウスは啓示を受けた。

 全ての欺瞞と、幾つかの真実を知り――カッシウスは滅んだ。


 後事を歯抜けのルキウスに託し、彼等は去った。


 ――娘へ伝える時間は、私に残されているのだろうか……。

 

 ◇


 翌日――、


 オソロセアとの密貿易で太らせた何名かの高官に、梵我ぼんが党への対応を依頼した後に、ルキウスは民会へと臨んでいた。


 彼等から聞いたところによると、連れ去られたアドリアは、梵我ぼんが党本部にて、神官研修という名目で軟禁状態にあるらしい。

 勿論、本人が希望したというていにはなっている。


 その情報は、集まった民会議員の元にも届いているはずだ。


 議場の中央に在る壇上に向かうルキウスへ注がれる視線は、いつも以上に好奇の色合いが濃くなっていた。


 母の会代表であるジュリアは、フェリクスでの体調不良など嘘のように、ふくよかな身体を椅子に預けて余裕の笑みを浮かべているが、眼差しには敵意が宿っているようにも見える。


 ――ま、散々な悪口を言いましたしね。


 おまけに、彼女の意に沿わぬ条約を結び、女帝に対して臣下の礼までとってきたのである。


「さて、皆さん――ただいま戻りました」


 壇上に立ったルキウスは、恭しくも滑稽な礼をしてみせた。


「少し留守をした間に、娘が家出をしてしまったようで――思春期が再び訪れたのかもしれません」


 議場から乾いた笑声が幾つか上がる。


「さて、皆様もお聞き及びのように、歴史的な条約を結んで参りました」


 早々に野次が飛び交い始めるのを、むしろルキウスは心地良く感じていた。


 ――歯抜けが、大いにしでかしてきましたよ。

 ――皆さんの嫌がるであろうことをね。


「お怒りも分かりますが、我々が得る果実は非常に大きい。先祖方々が枕を濡らし望まれた安住の地が約されたのです」


 新生派が勝利した後となるが、グリフィス領邦が治める星系である。


「しかし――」


 年老いた議員が声を上げた。


「勝たねばどうなる?」

「その場合は、再び略奪者に転ずれば宜しいでしょう」


 あるいは与する相手を変えても良い。

 トール・ベルニクに恩義はあるが、外交とは浮き沈みで変遷するものだ。


「いや、先の話しよりもだな、そもそも略奪しなければすぐにでも――」

「既に報告したではありませんか。軍事協力と引き換えに、経済援助がありますし、通商も大きな利を産み出すはずです」


 オソロセアとの密貿易に、指を咥えて妬みを抱いていた者達へも、商機の門戸が開かれるのである。


 ――物事には常に良い側面がある。


 これは、彼に啓示を与えた人物の口癖である。

 

 民会に集う分からず屋達に、その先に在る民へと伝える為に、ルキウスは大いに語ったのだ。

 帝国と結ぶ良い側面を、明るい未来を、そして豊かな生活を語った。


「勿論、今日だけで納得頂こうなどとは――」

「馬鹿馬鹿しい」


 冷淡な口調で、ルキウスの言を遮った議員がいる。


 梵我ぼんが党に属しており、ペルペルナとも縁戚関係にあった。つまりは、議員の中では超原理主義者の代表格とも言えよう。


「欲するは約束の地のみである。腐った星系など不要」

「何をおっしゃいますか。星系があればこそ、地表民による安定した生産活動という大きな利が生まれましょう。略奪という不安定な経済基盤では、船団国の発展など見込めません」

「殺し、奪い、服従させよ。それこそが我らに与えられた使命である」


 何の感情も浮かべぬままに、議員は話し続ける。


「条約を守らねば、連中が攻めてくると言ったな?」

「そうです、そうなのです。誠に不本意ながら、彼等の親玉は刻印に誓いましたので、確実に攻めて参るでしょう」


 使節団に随行した議員から、お前が言い出したのだろうという野次も上がったが、ルキウスは惚けた表情で聞き流す。


「とはいえ、仮に奴らが攻めて来たとしても五千程度の艦艇数となる」


 なるべく触れないようにしてきた部分であるが、ルキウスの意見を崩すには妥当な急所だろう。


「プレゼピオに備わる多数の砲門で足止めをして、レギオンからの援軍を待てば問題など無いはずである」


 五つのレギオンの艦艇を合わせれば、五万隻程度にはなる。ミネルヴァ・レギオンの援軍が無かったとしても劣勢にはならない。


 単純明快な算数に基づく意見に、何名かの議員から賛同する声が上がった。


「そう――ですか――」


 二つの選択肢がある。


 ひとつは、事実を告げて民会議員を脅す。

 ルキウスは失脚し刑罰を受けようが、怯えた彼らが条約を受け入れる可能性は十分にあった。


 大規模艦隊戦の経験など無い中で、必勝とは誰も言い切れない。

 実際に、ベルニクにすら敗北したのである。


「彼らには、実は――その――」


 ふたつは、事実を伏せたままとする。


 ペルペルナ一派は勢いづき、そのままルキウスを失脚に追い込むだろう。

 国家の裏切り者として処刑される可能性が高い。


 だが、小規模な艦隊と侮る相手を、帝国は大艦隊により急襲して打ち滅ぼす事が出来よう。


「待て、儂の話しが終わっておらん」


 再びルキウスの言葉を遮り、超原理主義者の議員が口を開いた。


「つまりは、条約など破れば良いというのが結論となろう」

「ですからね――」

「卑しい父親の血は、グノーシスの慈悲をもってしても消せぬようだ」


 議員が侮蔑の眼差しを浮かべる。


「やはり、奴隷とは生まれながらにして奴隷である。執政官、貴様は帝国に新たな主人を見つけたのだろう?」

「――いや」


 この時、ルキウスの心に生じた情動は、本人にも良く分からなかった。


 ――素晴らしい……。


 父と共に自身を罵倒した頑迷な議員に感謝の念を抱いていたのである。ルキウスは満面の笑みを浮かべている事に気付き、慌てて神妙な表情を作った。


「確かに含蓄のあるご意見ですな。ご指摘通り、攻めてきたとしても――」


 頭の中で、ワルキューレの騎行が鳴り響く。


「――寡兵となりましょう」

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