34話 夢の始まり。


 遠目には普通の都市に見えたレギオン旗艦だが、矮小な領域に多数の人々が暮らしている為、所狭しと比較的高層で細い建築物が並んでいる。


 いずれの建物も老朽化が進んでおり、道路の舗装状態も良いとは言えない。


 案内されたスキピオが暮らすというアパートメントも似たようなもので、氏族の一員が住むとは思えないような外観だった。


「ボロいな」


 フリッツが思ったままの感想を告げる。


 他方で、スラム育ちのテルミナからすれば、不思議と落ち着ける雰囲気だったのだが、何も語る事は無かった。


「ま、これが、船団国の限界って訳だ」


 肩を竦めスキピオが告げた。


 首船プレゼピオは例外として、他のレギオン旗艦も似たような状況である。


「そもそも、俺達がここで過ごすのは年に数日も無い」


 略奪、輸送、商業、採掘、工業――彼らにとっての生産活動は、艦船に乗り宇宙を飛び回る事で成立する。


「ルキウスについて回ってるあんたも――って事だな」


 ああ、とフリッツの問いに頷いた。


「俺も、ここに戻るのは半年ぶりだが――」


 アパートメントの玄関ロビーを抜けると、幾つかの昇降機が並んでいる。


「ほら、こっちへ」


 スキピオに手招かれ、端に在る昇降機に乗ると、聞いた事もないような異音を立てて上昇をし始める。

 七階についたところで扉が開き、同時に良い香りが周囲を満たした。


 直接に居室へと繋がる昇降機だったようである。

 氏族の特権だろうか、とテルミナは思ったが、良い香りの方が気になった。

 

 先客がいる事を意味する為、自然と脇に潜ませたバヨネットの手応えを確かめている。

 その点はフリッツも同様らしく、少しばかり警戒感を滲ませる表情となった。


 だが――、


「いやぁ、良い匂いですね」


 殺人鬼トーマスは気にする様子もなく、他人の居室へ我先にと足を進めていく。


「私はもう腹ペコで誰かを――いやいや――まずは腹ごしらえをしないと――ぐはあ」


 打突音の後、前方でトーマスが悲鳴を上げ倒れる。


 と、同時に彼の頭を打ち付けたフライパンらしきものが床に転がった。


「お、おい、トーマス」


 駆け寄ろうとしたフリッツの肩を、スキピオが掴んだ。


「待て――」

「帰って来たか」


 物陰からエプロン姿の大男が現れる。


「糞坊主」

「チッ」


 スキピオが舌を打つ。


「随分と手荒な歓迎だな。――親父」

 

 ◇


 エプロン姿の大男が、テーブルの上に次々と料理を置いていく。

 ワインボトルを持参したところで、ようやくエプロンを外して腰かけた。


「ま、食ってくれ」

「頂きます」


 額から流れる血はそのままに、トーマスは幸せそうな表情で頬張り始めている。


「気配からして屑だと分かってな」


 それだけでフライパンを使い殴打されては堪ったものではないが、今回に限っては正しい行いだったかもしれない。

 何しろ、殺人鬼なのである。


「――客人ならば仕方あるまい」


 そう言って、トーマスも含めて各人のグラスにワインを注いだ。


 つまりは、レギオン総督コルネリウス ・スカエウォラの手酌という事になる。

 船団国の国民であれば名誉に感じただろうが、生憎とテーブルを囲んでいるのは、帝国臣民の中でも札付きの礼儀知らずな輩であった。


 当たり前のような顔でワインを煽り、供された料理を食している。


 ――どうせ、帝国から奪ったもんだろうしな。


 似たような商売をしてきたフリッツが、己を棚に上げた想念を抱く。


「旗艦にいたのか」

「皆いるぞ。お前達のせいで、ミネルヴァは暇なんだよ」

「――そうか」


 ルキウスの後援者たるミネルヴァ・レギオンは、彼の外交事に合わせて帝国からの略奪行為を停止していたのである。

 グレートホープ号が戻ってきたとしても、次に運ぶ商品など無い状態であった。


「苦労掛けるが――もう暫くの辛抱だ」

「小僧の分際で、一丁前に心配する必要はない」


 そう言ってグラスを一気に煽る。

 ワインなどより、本当ならもっと強い酒が飲みたかったのかもしれない。


「それはそうと、少しばかり気になる事がある」


 大食ではないテルミナは、既に食事の手を休めていた。

 

 本当はいちごジュースを欲していたが、馬鹿にされそうなので仕方は無しにワインを舐めている。


「そいつらは奴隷船に乗ってたんだ」


 猛然と飢えを満たしている最中の二人を顎で指した。

 

 彼等にしてみれば、まともな食事にありつくのは月面基地で姿をくらませて以来となる。

 あらゆる好奇に、食欲が勝った。


「聞いたところによるとだな――ルキウスの娘が見張り番をしてたそうなんだが――」


 奴隷制度廃止を目論む男の娘が、奴隷船で働いているという点に、テルミナは大いに違和感を抱いていた。


「――どうにも変じゃねぇか?」


 皿を舐めるように食するフリッツとて、油断のならない視線をスカエウォラ親子に送っている。


 ルキウス達を完全に信用するのは危険だ――と、テルミナに忠告していたのはフリッツなのだ。


「それが普通なんだ」


 コルネリウスが、空いた自身のグラスにワインを注ぎながら言った。


「船団国は異端から奪う権利がある。なぜなら、選ばれし民として約束の地アフターワールドへ至るまでは、食って糞をして子孫を残す必要があるからだ」


 帝国では、ピュアオビタルが死後に召される世界こそが、アフターワールドである。


 他方のグノーシス船団国によれば、アフターワールドという真の世界があり、その地を約束されたのが我々なのだ――となっていた。


「――ルキウスこそが異常ってことだ。いや――」


 少しばかり躊躇いを見せた後に口を開く。


「俺達こそが異常なんだろう」

「つまり、テメェも含むって意味か?」


 テルミナが質問を重ねるが、コルネリウスは応えず目を伏せた。

 

 この話しが好きではない様子の彼に代わり、息子のスキピオが話し始める。


「アドリアは、カッシウス家の娘だ」

「あん?」

「氏族だよ」


 名家の出自であったという訳だ。


「ルキウスの父親を自由奴隷としたのもカッシウスだ」


 息子のルキウスは解放奴隷となり、執政官にまで上り詰めている。


「だが、カッシウス家は取り潰しとなり、その多くが処刑されたよ。良くて流刑、あるいは奴隷だったな」

「アドリアは救われたのか――」

「ああ」


 恩返し、あるいはルキウスの信条かは分からないが、アドリアを救い自らの養女として保護下に置いて来た。

 だが、思想までは、義父に染まらなかったらしい。


「色々と不幸が重なったからな。実際のところ彼女の本心は誰にも分からない」


 神官職以外の道もあったはずである。

 実際に、ルキウスは自身の秘書となるよう薦めた事もあった。


「単なる反抗期なのかもしれんが――学生時代の苦労が祟った可能性もある」

「色々と属性が乗っかってるからな。分かるぜ」


 フリッツが、常とは異なる眼差しとなる。


「身許を隠して幼年学校に行ったんだが――俺もなかなか悲惨な目にあった」


 モルトケ一家といえば、各領邦の広域捜査局に手配されている海賊組織だが、フロント企業や団体も多数あり、表社会で暮らす一員も存在する。


 一族の子息ともなれば、金にあかせて名門私学にでも紛れ込ませていたのだろう。


 だが、火のない所に煙は立たない――フリッツについて良からぬ噂が出回り、学校という閉鎖空間においては致命傷となったはずである。


「解放奴隷の養女にして、元を辿ればカッシウスの娘――集団から排除する材料は豊富だったろうな」


 スキピオは、溜息混じりに呟く。親友の娘であれば、口にしたくはない事情も幾つかは耳にしているのだろう。


「ふうん」


 スラムで育ち、修道院では肉人形にされかけたテルミナは、実のところ学生時代にも良い思い出が無かった。


 ――つっても、逃げるか――殴るかはしてきたぜ。


 憲兵隊を経て、今は特務機関デルファイを任される身となった。

 

 今が幸せかと問われれば、確たる答えなど持ち合わせていないのだが、昔に戻りたいかといえば明確に否定するだろう。


 特にトール・ベルニク――ここで、テルミナは頭を振り余計な思考を中断する。


「事情は色々あるわな」


 適当に理解を示した後、テルミナは最後の質問をする。全ての起点が、そこに在るのではないかと思ったからだ。


「で、カッシウスは何をやらかしたんだ?」


 氏族が取り潰しに遇い、娘が奴隷に落とされようとしたのである。国家反逆罪相当の案件なのだろうと想像が出来た。


「――これ以上は、ルキウスかアドリアにでも聞くんだな」


 スキピオから、にべもない応えが返る。


「だが、そこから彼奴あいつの――ルキウスの夢は始まったんだろう」

 

 ◇


 スカエウォラ一家と、脛に傷持つ連中が会食をしている頃――、


 首船プレゼピオに迫る専用艦に在って、ルキウスは怒りに打ち震えていた。

 梵我ぼんが党の蛮行を知り、円筒デバイスを力任せに壁へと投げつける。


「いいでしょう」


 民会へとはかる前に、連中は実力行使に出て来たのだ。


 懸念していた事態のひとつではあったが、自宅の警護を強化したところで意味など無かった。

 心情的には味方であろう奴隷達には抵抗力が無く、他方で頼るべき治安機構こそが原理主義者達の巣窟なのである。


「もはや、どちらに転んでも私に敗北は無いのです」


 そう呟いた彼の瞳に、昏い炎が宿った。

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