31話 いわくつきの。

 テルミナの想定とは異なり、彼女に与えられた帝都フェリクスにおける任務は、イヴァンナ捜索などでは無かった。


「スキピオだけだ」


 そう言うと、彼の上司は珍しく暗い表情で息を吐く。


「――そうですか。ホントに誰も味方がいないんですね」


 任務の都合上となるが、テルミナはメイド服姿となっていた。


 オリヴィア宮で、使節団一行の身辺を世話する傍ら、言動や思想などを調べあげていたのである。


 ――に、似合うわね……。


 ロベニカの感想に気付いたのか、テルミナは「んだよ?」と呟き唇を尖らせた。


「まあ、船内でも嗅ぎ回ってたんだけどよ――」


 既に月面基地から、執政官専用μミュー艦に乗り込み、艦内では一般兵に紛れ込んで活動していた。

 執政官ルキウスの協力があってこその潜入調査である。


「――基本、奴らは帝国が嫌いだな。いや、憎んでいると言っていい」

「なるほどなぁ――これは前途多難そうです」


 宗教、教育、報道、市井の会話、あらゆる機会を通して、選民思想と帝国への憎悪を刷り込まれているのである。


 帝国と結んだ条約を、自国民に履行するよう説得するのは、ルキウスにとって大きな難事となるのは間違いないだろう。


「テルミナさんには苦労を掛けますが、この後はいよいよ船団国です」

「分かってるさ」


 彼女は帝都フェリクスから、船団国のふねに乗って旅立つのである。ルキウスとスキピオの守護があるとはいえ危険はあった。


 変事が起これば即座にトールへ伝え、そして現地においても為すべき任務がある。


「つっても、ミネルヴァまでは、兵隊のフリしてりゃいいだけだろ」


 使節団の面々には、身元が露見しないようにする為である。


「チョロいんだが――ただ、な。どうも、気になる事はある」

「え、何がですか?」


 訝し気な様子を見せたテルミナにトールが尋ねた。


「あーしの部屋、独り部屋なのはいいんだけどさ――」


 スキピオが手を回し差配したのだろう。


「――誰かに見られてる気がすんだよなぁ」


 命知らずな男もいるものだな、とトールは思った。彼女のバヨネットは飾りではないのである。


 ◇


 ともあれ、使節団の訪問日程は終わり、それぞれが帰路に就いている。


 嘗てない規模の客人を迎え、フェリクス経済界は大いに潤っていた。そのせいか、宇宙港には多くの人々が見送りに来ている。


 専用ロビーなどは、身許が確かである人々が集って花道めいた様相を呈しており、各諸侯達はお付き衆を従えて歓声を受け歩いていく。


 その中にロスチスラフの姿もあったが、オソロセアの至宝たる三人娘を伴っていない。


 ――珍しいな?


 遠目に彼の姿を見やりながら、トールは幾分か不思議な面持ちとなった。


 とはいえ、彼自身は機嫌の良さそうな表情を浮かべているので、特段の問題があった訳ではないのだろう。


 ――先に帰ったのか――いや、フェリクスで羽でも伸ばすのかもしれないな。


 G.O.Dに繰り出していた彼女達のことである。


 父親の目を逃れ、暫しの間は姉妹だけで、急速な発展に湧く帝都を愉しむのは自然な話だろう。


「フェリクスに心残りでも在るか?」


 女神艦トールハンマーに同乗する教皇アレクサンデルは、ボウとした表情で立つトールの傍に寄り言った。


「それとも、誰ぞに髪を引かれて――否、アレは従わねば残らず引き抜く女であるな」


 悪漢の軽口を気にする風もなく、トールは笑顔を向ける。


「いえ、何でもないです。それより、暫く退屈になるかもしれませんね」


 アレクサンデルは地球軌道都市に滞在し、引き連れてきた聖骸布せいがいふ艦隊は、月面基地にて当面の間は駐留を続ける。


 聖兵達は交代で休暇を取っており、月面基地から軌道都市へと繰り出す日もあるらしく、それなりの経済効果をもたらしていた。


「我にも、為すべき事はある」


 かねてより計画していた通り、アレクサンデルはベルニク領邦にて、自身の屋敷を建立するつもりなのである。


「哀れな肉人形にも魂を入れてやらんとな。始祖たる大地を見せるのも良かろう」


 地球には、さほどの陸地は残されていないので、多分に詩的な表現なのだろう。


「――に、肉――ええと、ブリジットさんの事でしょうか?」


 ブリジット・メルセンヌ。


 ハルバード使いの天秤衆にして、プロヴァンス女子修道院においては、クリスティーナ・ノルドマンは彼女の傍付であった。


「いかにも。だが、罪を全て喰ろうたら、からになりよったわ」

「は、はあ」


 如何にして食べたのだろうか、という疑問はよぎるが尋ねはしなかった。


「ええと、では今回も同行されてるんですか?」

「知らなんだのか。行き違いになった訳だな――既に其方の屋敷で世話になっておろう」

「え?」


 手筈通りであれば、クリスも屋敷に滞在しているはずであった。 

 尚且つ、トールの指示により誘拐行為に協力したマリもいる――。


 ――これで、ボクとロベニカさんまで戻ったら……。


 恐怖の天秤衆ブリジット・メルセンヌとして再び蘇るのではないかと、少しばかりトールは不安になった。


 こうして、若干の懸念を抱きつつ、トール達は帝都フェリクスを起った。


 ◇


「お客様が待っておられます」


 屋敷に戻ったトールを迎えた家令のセバスは、心の底から主人を労わる口調で告げた。

 彼としては、多忙な領主に一刻も早く休んで欲しいのである。


 ――嘗ての遊び惚けておられる坊ちゃまも困りものですが、お忙し過ぎるというのも心配に……。


「え――まさか――カサンドラさん?」


 ――今日は疲れたし、お嫁さんの話は面倒なんだけど……。


「いえいえ。フィリップ・ノルドマン伯で御座います」

「あ、なるほど――」


 さすがに会わねばならない相手であろうし、船団国の状況なども知り得るかもしれないとの期待が湧く。


「応接室で待たれております」


 そう言って案内したのは、常のマリではなくセバスである。


 ――マリはどうしたのかな?


 トールの帰宅を出迎えたメイド達の中にも姿が無かった。


 近頃では屋敷の客人も多くなり、彼女も忙しいのだろうと考えつつ案内された応接室に入って行くと――、


「あれ――マリ?」

「トール様」


 セバスだけは気付いたのだが、彼女は若干の微笑みを浮かべている。あまりに僅かな笑みではあったのだが――。

 

 他方、彼女の隣に立つ人物が浮かべる笑みは、誰にもそれと分かる白痴の微笑みであった。


「ブ、ブリジットさん――」


 嘗てハルバードを自在に操っていた右手は、女男爵メイドとなったマリの腕を掴んでいる。


「――これは一体!?」

「アンタのせいでしょうがッ!」


 嫁に欲しいなら貰われてやろうか、などと考えたのは一時の気の迷いであったのだろう。


 屋敷に着き、傍付として仕えた高貴な修道女の無残を目にして以来、クリスの中は消えぬ怒りで充満していた。


 その上、彼女がどれほど事実を語っても、クリスを誘拐した一味の女――マリから離れようとしないのである。


「絶対に結婚なんてしてあげないわよッ」

「こ、これ、クリス」

「姉さん」


 トールに詰め寄ろうと立ち上がったクリスを、父フィリップと弟レオンが慌てて抑えていた。


 戸口の傍に立つマリとブリジットに気を取られていたが、ノルドマン一家はソファに座り待っていたのである。


 ――結婚?――何の事だろう。


 ともあれ、諸般の事情は後回しとして、まずは一家が無事に戻れた事を祝そうと考えた。


「フィリップさん、皆さん――ともかく良かったですよ。あ、めましょう」


 ソファから立ち、跪こうとしたフィリップを止める。


「いえ、しかし――」


 爵位こそ同格とはいえ、相手は領主であり、尚且つ銀獅子権元帥という職位まで授かっている。

 

 他方のフィリップといえば、禁衛府きんえいふ長官の職を追われ、肝心の爵位すら新生派オビタル帝国における扱いが定かではない。


 現状の彼は、船団国の奴隷となる危地から救われた避難民――といったところだろうか。


「実に不幸な目に遭われましたが、よくぞご無事で――本当に良かった」


 静かに語るトールの顔を見て、思わずフィリップの瞳に涙が浮かぶ。

 

 二人の子供を抱え、過酷な流転の中に在って、彼の中にも張りつめていたものがあったのだろう。

 屋敷の主人から、人としての温かみを感じ、ようやく己に安堵を許したのかもしれない。


「く――う――」


 そんな父のさまを見て、さすがのクリスも一旦はほこを収める気になったようである。

 トールも、今は船団国での状況など聞く時ではないと考えた。


「もう少し落ち着いたら事情を聞かせて下さい。当分はゆっくりと――」


 そう言ったところで、彼にEPR通信が入る。テルミナからであった。


 ――屋敷に、クリスがいるだろ。


 開口一番、少しばかり苛立ちを感じる声音である。


 ――呼び出して、ちょっと照射モニタに頼む。


「え、ええ――良いですけど」


 公開通話にしたいという事なのであろうと考え、トールが照射モニタを出すと、テルミナの姿が映し出された。


「――お、ちょうど居たのかよ」


 こちらの映像も送られている。

 

「あ、アンタは!?」


 またもや、誘拐犯の登場であった。しかも、ジャンヌと共に主犯格である。


「おっと、恨み言は今度聞いてやる。だが、まずは――」


 テルミナがバヨネットを左右に振ると、照射モニタに新たな姿が現れる。

 

 元海賊フリッツと、殺人鬼トーマスであった。

 両名ともに、後ろ手を縛られているようである。


「え――な、何――やってんの?」

「よう、クリス。そっちは結婚相手のとこに転がり込めたようだな。へへ」

「――お、お久しぶりです」


 月面基地で行方不明となった二人は、船団国のふねに潜り込んでいた。


「馬鹿――せっかく助かったのに、またあっちへ行く気?」


 船団国からは救われたが、ベルニクに引き渡されれば、そのまま収監される身の上である。

 彼等が潜んでいたのは、テルミナに割り当てられた居室の上部ダクト内であった。


「ほう、一応はホントの話だったわけか」


 テルミナは、人の悪い笑みを浮かべて言った。


「どっちにしろ、地獄行きだけどな」

「――いや、俺から提案がある」


 いかなる提案もする権利など持たない立場でありながら、フリッツは堂々とした風情で告げた。


「このふねに潜んだのは、ベルニクから逃げる為じゃない。仮にそっちで収監されても抜け出せた自信はある」


 その真偽は確かめようが無かった。


「俺が知り得た情報と、月面基地に居並ぶ艦艇の数を見てピンと来たんだよ」


 フリッツが器用に片目を閉じてみせたが、女を惑わせるスキピオのそれとは微妙に異なった。


「こりゃあ、蛮族どもを殺る気だなってな」

「――」


 トールは黙ったまま、彼が「知り得た情報」について、調べる必要がありそうだと考えている。


「で、お先に乗り込んで協力しようって思ったわけさ。ともあれ、俺を使ってみちゃくれないか?トール・ベルニク伯よ」


 雇用主を探す方法としては、随分と急で、且つ特殊な状況である。


「ええと、お名前は?」


 断るにしても名前は知っておくべきだと思いトールは尋ねた。


「フリッツ・モルトケ」


 ――え――モルトケ――?


「モルトケ一家の次男坊だよ。海賊なんてチンケな商売が嫌で抜け出してきたんだ。ベルニクで拾ってもらうつもりで――随分な遠回りになったもんだぜ」


 既にトールの耳に、彼の言葉は届いていない。


 ――す、凄いぞ……。


 彼は感動していたのだ。

 エヴァン・グリフィスと初めて会った時と同様である。


 元海賊のフリッツ・モルトケといえば――。


 彼の知る物語において、銀河に覇を唱えたエヴァン公を、最後まで苦しませ続けたとある領邦の名参謀なのであった。


 いわく付きの人物としてえがかれてはいたのだが――。

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