32話 ミネルヴァ・レギオン。

 ミネルヴァ・レギオンが奔る宙域へ、スキピオ達一行を送り届けた後、ルキウスが乗船する執政官専用μミュー艦は、ポータルの彼方へと消えた。


 ルキウスは独り、女帝の誓いとトールの手土産を武器に、首船プレゼピオに蠢く有力者達の説伏に向かったのである。


 移乗したミネルヴァの小型艇のブリッジから、スキピオはそれを無言で見送った。


 ――いつも肝心なところで、俺を置いていきやがる……。


 親友と思い、口調とは裏腹に兄と慕った男が執政官に立候補すると聞いた時、スキピオは幾度も思い留まるよう告げた。


 ――結局は、氏族連中が決める。


 自らも氏族の一員でありながら、幼少期の経験から他とは異なる思想を抱く男に育ったスキピオですら、ルキウスの望む国家の在り様は、狂った誇大妄想者のえがく餅と思えた。


 ――奴隷と略奪を喪えば、俺達は飢えて死ぬだけだぞ。


 そう言いながら、彼とて自国が醜く歪な制度に立脚した存在であるとは理解している。

 変革したいと願うルキウスの気持ちには、その生い立ちも含め同調できる部分はあった。


 だが、余りにも現実的ではない。


 ――最初は嘘をつきますから大丈夫ですよ。ですが、やがては帝国を巻き込んで……。


 その言葉通り、友人は彼方かなたを見据えたまま、スキピオの制止も聞かず走り続けて、現在の状況を作り出したのである。


 もはや自分に出来る事と言えば、あらゆる個人的感情を捨て、ルキウスの進む道に転がる小石を出来得る限り排除する程度なのだろう。

 例えその道の先に――、

 

 ――断頭台が待っていようとも――。


 スキピオ・スカエウォラは、動揺する事なく先に進まねばならない。他国の力を借りて国柄を変えながら、それでも独立独歩の国体を維持する必要があるのだ。


 奴隷を解放したとて、自らが隷属の身となっては意味が無いのである。


「おい」


 スキピオの背から、テルミナの声が響く。


「どうした」


 振り返ると、幼女、元海賊、そして殺人鬼が立っている。


 トーマスの残虐性は、奴隷船グレートホープ号からの報告で、既にスキピオも知るところとなっていた。

 念の為、テルミナにも教えたのだが、鼻を軽く鳴らしたのみで気にする様子もない。


 ――肝が据わっているのか――コイツがもっとヤバいのか……。


 いずれだろうかと思いながら、スキピオは幼女を見下ろした。


「レギオン船とやらに着いたら、さすがにコイツらとは別の部屋にしてくれんだろうな?」


 トールの判断により、彼等二人の立場は、テルミナ預かりの部下となった。


 となれば、ミネルヴァ・レギオンは、彼等を犯罪者として罰する事は勿論、再び奴隷に落とす訳にもいかないのである。


 当面の間は、ニューロデバイスを覆う衣装を着せ、身許を偽った上で傍に置いておくほか無いだろう。


「当然だ。部屋はある」

「ふうん」


 それなりに長い船上暮らしとなるのだ。


 独りの時間を好むテルミナとしては、性別とは関係なく誰かと共に生活するなど考えられない事である。


「――ならいいんだ。狭いんだろうが、そいつは気になんねーし」


 レギオンの生活環境を知らない彼女は、執政官専用μミュー艦と似たような空間なのだろうと思っていた。


 ◇


 レギオン旗艦とは、扇状の巨大な構造物である。


 その姿は、ふねというより、超古代の人類がえがいた像の背に乗せられた大地に近しい。

 いわば、人工的な天体なのである。


「ところが、大昔はこいつで飛び回ってたらしい。まあ、移動要塞めいた使われ方だったのかもしれないが――今となっては用途など誰にも分からん」


 現状では星間空間を慣性力で奔るのみであり、やがては何れかの恒星の重力圏に囚われる可能性はあった。


「へえ――」


 前を歩くスキピオの解説を聞きながら、テルミナは周囲を注意深く観察している。


 既に小型艇を降り、狭い通路を歩いていた。複雑に入り組んだ構造は、敵揚陸に備えた為とも思える。


 ――確かに、元々は軍事目的だったのかもな……。


 帝国のオビタルであれ、グノーシス船団国の民であれ、彼等が享受し利用しているテクノロジーの大半は、遥かに進んだ技術力を誇る先史文明が生み出したものなのである。


 そもそもであるが、帝国を帝国たらしめているポータルですら、オビタルは作動原理を解明出来ていない。


 ポータルが消滅すれば、必然的に各星系を繋ぐ鎖は絶たれ、古典文明と同じく光速度の孤児となる運命が待っている。


「それにしても、狭くて暗い通路だな」

「いや――」


 収監施設にでも送り込まれそうな道程であった。


「本当なら、接舷部から街まではシャトルモービルで行く。だが――」

「街?」


 テルミナの問いには答えず、スキピオは話を続けた。


「だが、犯罪者同伴だ」

「犯罪者ってのは否定しないんだが――」


 元海賊のフリッツが不満気な表情を浮かべる。


「――オメェらに言われるのは腹が立つな」

「そ、そうですね」


 殺人鬼トーマスも同調する。

 彼等からすれば、先に犯罪行為をしたのは船団国側であった。


「そこは価値観の相違として諦めろ」


 船団国としては、帝国臣民を攫い奴隷にするのは至極当然であり、信仰的観点から言えば義務ですらある。


「ともあれ、テルミナは別にしても、お前達は目立たないようにするほかない。酷く恨んでいる女もいるようなんでな――」


 トーマスが目をくり抜いた男の婚約者の事である。


 彼女は既にレギオン旗艦に戻っており、傷心の日々を送っていた。絶対に出会ってはならない相手となろう。


「そんな訳で、秘密の通路を使ったのさ――ほら着いたぞ」


 一時間ほど歩いて辿り着いた壁面に鉄梯子があった。見上げると小さく丸いハッチがある。


「――どこに出るんだ?」


 まさか檻の中とは思わないが、一応尋ねてみる。


「言っただろ」


 スキピオは手慣れた様子で梯子を登って行く。事情は分からないが、何度か利用した事があるのかもしれない。

 捨て置かれても困るので、テルミナ達も後に続いた。


「――つ」


 先行するスキピオがハッチを開けると、射しこむ光があまりに眩しく感じられ思わずテルミナは瞳を細めた。

 同時に新鮮な空気が流れ込み、心地良さも感じている。


「ほら、早く来いよ。手を――」


 既に表に出たスキピオが、梯子を上るテルミナ達を除き込んで告げた。


「いらねぇ――よっと」


 梯子を登りハッチを出るとそこは――、


「――へえ」


 小高い丘の上であった。


 勿論、人工的に造成された丘であるが、草木があり気持ちの良い風も吹いている。

 見上げれば、適切に調光された天蓋部も存在した。


「ありゃ何だ?――白くて、ふわふわしてて――美味そうだな」

「雲だ」


 帝国の軌道都市においては、天蓋部に入る太陽光を調整し青空の再現はしているが、当然ながら雲など存在しない。


「地表が恋しかった頃の仕掛けなんだろうさ」


 オビタルは地表を捨てた種であるが、全てを遺して消えた先史人類は異なる。


「――街って意味も分かったよ」


 風になびく髪を抑えることもなく、テルミナは丘から下方を見回した。


 道路が整備され、様々な建築物が立ち並んでいる。

 軌道都市と比べると規模感は劣っているが、十分に都会的といえる街並みであった。


「なんつうか、普通だな」


 帝国を荒らし回る蛮族達が、ここで日々を暮らしているのかと思うと、不思議な気持ちにもなった。


「もっと薄汚い場所で、首あらためでもしてると思ったか?」

「そんなところだ」


 この地で平穏に暮らしている人々が、帝国に入れば残酷な略奪者となる。


「なあ、あれが神殿か?」


 何も言わず街を凝視していたフリッツが、唐突に口を開いた。

 

 彼が指差す先には、他とは異なる様式の建築物がある。

 多数の長柱とドーム型の天井が特徴的だった。帝国では見慣れない構造である。


「ほう?」


 スキピオが、少しばかり目を細めフリッツを見やった。


「良く分かったな――そうだ。女神像が在り、レギオン付の神官と巫女が住む」

「へへ、そうか」


 鼻の下をこすり呟くフリッツには、何か良からぬ事を企む気配がある。


「ま、さっさと案内してくれよ、スキピオ」


 フリッツは相手の疑念など気にする様子もない。


「俺やトーマスは、腹が減ると何をしでかすか分からん悪党だからな」

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