29話 トールとルキウス、最後の会話。

 女帝ウルドの刻印の誓いより五日が過ぎている。


 その間、オリヴィア宮に滞在した使節団一行は、大いに歓待を受けた訳であるが、母の会代表ジュリアは目覚めた後も体調不良が続き居室に籠る次第となった。

 

 体調が万全であったとしても、憎き帝国での略奪に勤しむ若者達を愛する彼女ならば、異端の歓待など受けぬと意地を張った可能性はある。


 とはいえ、船団国では手に入らぬ食材の数々で調理された療養食に、秘かに舌鼓を打っていた点には触れておこう。

 宮の記録によれば、彼女が療養と称し籠る居室へと配膳された回数は、一日平均でとうを超えた。


 こうして――、


 彼等が飲み食いと、国許への手土産選びに勤しんでいる間も、ルキウスは諸侯らと共に国交締結に向け実務的な協議を続けたのである。


 協議において最も問題となったのは、女帝ウルドが「くれてやる」と宣した領地をいずれとするかであった。


「領地を取り上げる気と知れば、兵達は背水の思いとなる」


 諸侯が恐れたのはその点である。


 領地を「くれてやる」とは、支配者が代わるだけでなく、市井に暮らす領民達にも類が及ぶのだ。

 当然ながら、兵達は必死になるだろう。


「ですから、グリフィス領邦が妥当です」


 船団国を領邦に加えるという案を考えた時から、トールの中に在った方策である。


「エヴァン公を首謀者としていますので、彼等としては既に背水の陣となります。となれば、士気の上がる余地が最も少ないのがグリフィスの兵達でしょう」


 何れにせよ士気が上がってしまうならば、グリフィス領邦のみに止めておくという意図であろう。


「領民達の扱いについては、別途の決め事が必要でしょうけど――」


 難題とはなろうが、未だ勝ち得てもいない領土の話である。まずは、船団国への割譲地はグリフィスとして、他領邦の反感を抑えようとの結論になった。


 その他、奴隷解放に伴う帰還事業、船団国への経済支援、軍事同盟等々について継続協議する旨を盛り込む事とし、大枠での合意を図ったのである。


 ともあれ、帝国は領地と経済支援を約し、船団国側は奴隷解放と略奪に代わって軍事協力を約した。


 これらを謳う外交文書を廷吏達が起草し、女帝ウルドの玉璽と執政官ルキウスの署名が入って両国の条約は無事に締結されたのである。


 ◇


「大変、お世話になりました」


 帰路に就く前日、ルキウスは護衛官スキピオのみを伴って、ベルニク領邦がフェリクスに設置する領事館を訪れている。


 二人を応接室で迎えたのはトールと、首席補佐官ロベニカであった。


「いえいえ、こちらこそ」


 そう言ってトールは軽く頭を下げる。

 

 ロベニカの方は会釈を浮かべつつも、ルキウスの隣に座する男を不思議に思う気持ちがあった。

 聞いた話によれば、彼はルキウスの護衛官――つまりは警備担当者なのである。


 謁見から諸侯会議に至るまで臨席し、この場でもルキウスの隣にいた。

 

 これではまるで――、


「彼はスカエウォラ家の三男坊なんですよ」


 敏いルキウスは、ロベニカの視線に気付き応えた。


「――え――し、失礼しました」


 他方でロベニカの方は不躾であったと恥じる。


「と言っても、その名が意味を持つのは船団国だけでしたね」


 グノーシス船団国内の権力構造に関する情報は非常に少ない。


 トールとて、スカエウォラという名に特段の驚きなどなく、極短期間のうちにオリヴィア宮で務める女官達の心を鷲掴んだという情報の方が気になっていた。

 

 中でも女官長が夢中になっているそうで、職務に影響があろうな、と女帝ウルドがトールに愚痴めいたものを漏らしている。


「彼の父はミネルヴァ・レギオン総督です」

「あ――なるほど」


 グノーシス船団国には五つの氏族――かつては七氏族だった――があり、彼等に連なる者達が特権階級として君臨した。


 レギオン総督、大神官、司法官、民会議員などの要職は、基本的には氏族達が独占していたのである。


 ――巨乳戦記には、民会とか書いてあったから、民主主義的な感じなのかなぁと思ってたんだけど……。


 彼が抱いていた印象とは異なり、大いに権威主義に寄った政体であり、この点はオビタル帝国と大差が無かった。

 

 その長くはない歴史において、認知革命以降のサピエンスは、実に様々な政治体制を試みている。


 挙句の果て、己が生んだ超越知性体群による頸木に繋がれ、オビタル誕生までの時を隷属者として過ごした。


 宗教的修辞を借りるならば、女神ラムダによるオビタル創生によって、サピエンスは再び自身の支配者足り得たのである。


 かようにして、我等の祖先が選択した道の末路が、現在いまなのであった。


「スカエウォラは私の後ろ盾でもあり、尚且つ恩人でもあります」


 ルキウスが恩人と語る理由はひとつだけであろうと考えたトールは、その点について問おうとはしなかった。


「以前、閣下にはお伝えした氏族会議にも、彼等から参加しないとの約を得ました」

「――それは――良かった――ですね」


 良い、と応えるべきか否か迷ったが、ルキウスの瞳を見て決した。覚悟を終えた男に対して、その逡巡を煽るような言説を述べるべきではない。


「巡礼祭にて決するでしょう。ポンテオが動くならばその時をおいて他にありません」


 条約を破棄し、ルキウスを廃するならば、その時であろうという意味である。


「幸いな事に、ミネルヴァを除く全ての氏族が首船に集っています」


 ルキウスの声音には、触れれば火傷を負いそうな熱が籠っていた。


「一網打尽にできましょう」


 笑みを浮かべると覗く欠けた歯も、この場においては笑いを誘わない。


「――執政官」


 トールとしては、この点について、口を挟まざるを得ない。


「彼等が受け入れる可能性もあります」


 その為にこそ、領地の割譲という禁忌に踏み込んだのである。


 住み慣れた土地を追われるグリフィス領邦民が抱く遺恨は、後の世に大きな禍根を残すだろう。


 そのリスクと船団国の安定化を、トール・ベルニクは天秤に掛けたのだ。


 とはいえ、天秤の傾き具合など、奪われる市井の民からすれば関係の無い話しなのである。代替地を提示したとて、住み慣れた土地に根付いた想い出は贖えない。


「勿論ですとも、トール伯。あまりに寛大な申し出まで用意して頂きました」


 己の熱を宥めつつルキウスが語る。


「国許へ戻り、全力でこれに当たりましょう。巡礼祭を私が生き長らえたなら――まさに全てが変わる。数多の問題が残ろうとも全てが変わるのです」


 彼とて、しんの底から、そうとも願っていたのだろう。

 巡礼祭に至るまでの短い期間、彼の歩んだ道を追ったならば、その点に疑問を挟む余地など無かった。


「ですが、悪い目が出た場合――私が案ずるのは両国の距離です」


 タイタンポータルを抜け、円環ポータルから首船プレゼビオに至るには凡そ十日を要する。

 さらに、かの国で起きた事象を即座に知る方法も無い。


 このタイムラグこそが、女帝ウルドの約した討伐の成否を左右しかねなかった。


「情報の伝達については、方策があります」


 テルミナ・ニクシーを、彼等の帰路に同行させるつもりである。

 彼女が同国に在れば、EPR通信を使い即座に連絡が可能となろう。


「以前、ご相談頂いた方法ですね。スキピオ君に――スキピオに同行させます。私が首船で虐められている間は、ミネルヴァ・レギオンで待機されれば安全でしょう」

「――な、ルキウス」


 初めて、スキピオが口を開く。


 ルキウスが首船に戻れば、あらゆる勢力から攻撃される。多くは政治的攻勢となろうが、不埒な馬鹿の刃で襲われる可能性もあった。

 その為にこそ、自分が居るのではないか、とスキピオは苛立ったのである。


「優先事項を違えてはいけませんよ、スキピオ君」


 そう言って、相手の背を叩く。


「君は最悪時に備え、トール伯の長手ながてを守るのです。そして――」


 黙って聞くスキピオの顔貌には、常の余裕に満ちた笑みは無い。


「――我等のクイーンの魂を解放なさい」

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