26話 マスカレイド☆ナイト。

 宮改めの式典――ようはオリヴィア宮の改築を賀する式典を終え、集った諸侯が話し合っているのは、帝国中央銀行設立に関する事案である。


 徐々に体裁を整えつつある新生派オビタル帝国であるが、最大の課題は財政基盤の確立であった。


 勢力圏内に徴税可能な公領を保持し、各諸侯も軍役と税の一部を負担する。

 

 それで十分かと問うならば、全く十分ではないどころか、現時点ではさほどの意味を為さない。

 貨幣経済以降における国家の力とは、徴税ではなく通貨の発行にある。


 つまるところ、軍事力や徴税とは、発行した通貨の信認を担保するに過ぎない。

 通貨――帝国CBDCの発行こそが、新生派オビタル帝国にとっての急務なのである。


「ゆえに、我が方の提案で良かろう」


 苛とした様子でロスチスラフが告げる。


「――大変結構な御提案ですが――資料を拝見しますと、総裁及び役員会の選定基準に恣意性が見られ、一部の領邦が非常に有利になるのは間違いありません。無論、この場で特定名を出す事は差し控えさせて頂きますけれど――コホン」


 正面切って反意を述べたのは、この場へトールが伴った補佐官のひとりであるリンファ・リュウであった。

 財務畑ではなく商務補佐官という立場であるが、黙ってはいられなかったのだろう。


 ――噂通りの古狸だわ。うちと同盟だの何だの言って、隙さえあれば美味しいとこ取りをしようとするんだから。


 などとリンファは怒っているが、ロスチスラフからすれば当然の動きであろう。そもそも論として、現在の新生派オビタル帝国を財政面で裏書しているのは、彼が治めるオソロセア領邦の経済力なのである。


 他方のロスチスラフは――、


 ――常の通り惚けた顔だが、何時の間にやら煩型うるさがたの家臣を加えておったか。やれやれ、全く抜け目のない男であるわ。


 リンファの隣で、ボウとした表情で座るトールを、小憎い思いで見やっていた。

 

 とはいえ、トール自身がロスチスラフの想念を知れば、買い被り過ぎであると笑ったかもしれない。

 実際、この時の彼は、全く別の考え事をしていたのである。


 先の式典中にロベニカから耳打ちされた件があった。


 ――も、申し訳御座いません、トール様。私が聞き洩らしておりました……。


 珍しく実にしおらしい様子で頭を下げる。


 ――仮面舞踏会――ええと、お面を着けるんですか?

 ――はい。面なり何なりを着け、身分や身元が分からないようにするのが作法となります。


 おかしな舞踏会もあるものだ、とトールは訝しく感じつつも、作法ならば従えば良いかと考えていた。


 ――私が責任を持って手配致します。お任せ下さい。


 ◇


「んまああ」


 イヴァンナはしなだれかかるように男に寄り掛かった。


「さすがは、フェリクスいちの先生ですわぁん」

「き、君――ここは――僕の執務室――」


 そう言いつつも、緩んだ表情を見せる男は、フェリクスのハイエリアで富裕層向けの心理療法を長年営んできた。

 昨今では侍従長シモン・イスカリオテも顧客のひとりとなっている。


「まさか、オリヴィア宮の女官長様まで、先生を頼っておられるなんて――わたくしなど畏れ多すぎて、何だか疼いてきましたわ」


 意味不明な言説であるが、心理療法士といえども人の子である。イヴァンナという肉感的な果実を前に、職業倫理など彼方へと消えていた。


 数刻、疼きとやらを治める儀式を行った後、彼女は吐息混じりに男の耳元で囁く。


「――宮の仮面舞踏会へのお誘い、ホントに感激ですのよ」

「ああ、末席ながら招待を受けてね。伴うなら君と決めていたんだ」

「でも――心配事がありますわ」


 イヴァンナが欲するのは、女帝ウルドが、いかなる装いで参じるかであった。

 女官長も男の許へ通い始めたと聞き及び、慌てて押し掛けて来たという次第である。


「なるほど。万が一にも被った際に叱責されまいかと――」

「ええ。シモン様のお話しを伺うと、気難しい御方な気がして不安ですの」


 そう言って、肩を震わせ睫毛を伏せる女を見て、男は再び職業倫理など丸めて放り捨てた。


 惚れた女の欲する情報は、既に女官長から聞き及んでいたのである。


 ◇


 ――夜。


 オリヴィア宮の大広間は、多くの招待客で賑わっている。


 大広間の中央は踊りを楽しむ為に広く空けられているが、周囲には丸テーブルが配されており、給仕が運んで来た食事を楽しんでいる者達もいた。


 仮面を着けるだけでなく、幾分か奇抜とも言える装いで参加している客もいる。


 ――そっか。仮面舞踏会って、ようはコスプレパーティって事なのか。


 かくいうトールも、ロベニカが用意してきた黒の燕尾服に、目鼻が隠れる仮面を被っていた。

 鼻先が尖った面を見たトールは、不思議そうに尋ねる。


 ――天狗ですか?

 ――テング?――いえ、鷹をイメージした面と聞きました。

 ――へえ。まあ、口が隠れないので、息はし易そうですね。


「とりあえず、まずは座りましょうか。本日は席次も決まってませんし、本当に無礼講のようです」


 空いている席へとトールをいざなった。


「トール様、仮面舞踏会と言えど、昨日お伝えしたマナーは変わりませんよ」


 座るなりロベニカによる舞踏会講座が始まった。


「ええと――同じテーブルになった人とは踊る。女性からの誘いは断ってはいけない。ハンドキスは真似だけする」

「最低限ですが……。後、私と練習したのはワルツだけです。123のワルツだけです。ウィンナーもフォックストロットも――ともかくワルツだけです」

「――はい」


 ワルツ以外となれば、相手の足を踏む前にお手上げしろという意味である。


「はぁ――陛下をお誘いする約束をしてたんですが――」

「ええっ!?」


 ロベニカが驚愕の声を上げた。


「――何だか自信無いなあ」


 と、トールが消沈している頃、オソロセア三姉妹は父ロスチスラフに怒り心頭であった。


「お父様、伯の仮面を聞いておく約束だったではありませんかッ!」


 長女フェオドラが詰め寄っている。

 彼女の後ろに控えるレイラとオリガも、仮面越しであれ機嫌の悪さが伝わってきた。


「す、すまぬな――すっかり失念しておったわ。早速ドミトリに調べ――」

「間に合うわけがありませんわ!!」


 娘達の剣幕に押されたロスチスラフは、じりじりと後ろへ下がる。


「い、いや、しかし――おっと――失礼」


 背後を通った相手に背が当たってしまい、ロスチスラフは振り返って頭を下げるが、あまりに肉感的な女と気付くと思わず眉根を下げた。


 紫紺のドレスを纏って、蝶を象った仮面を着けた女は、覗かせた口許に会釈のみを浮かべて足早に去って行く。

 黒いトリコーンハットに隠され、髪色は分からなかった。


 ――想い人でも在るのだろうか。しかし、これはなかなか……。


 誘うように尻と腰を振って歩く後ろ姿に見惚れていると、


「お・と・う・さ・まッ!!」


 三人娘の声が重なった。


 その声を背中で聞きながら、肉感的な女はほくそ笑んでいる。


 ――オホホ、居ましたわねぇ。可愛い得物ちゃんが。後は、女帝が本当に同じ衣装かを念の為に確認しておきませんとね。


 心理療法士の情報通りであれば問題は無い。

 頃合いを見て、この姿にて三人娘の誰かを少々痛めつけた後に、姿をくらませば良いのである。


 女帝が三人娘を傷付けたという話しに上手く育てれば、小さな一歩とはいえ離間の萌芽となろう。

 これを育て、血で血を洗う大輪の華とする。


 ――ホントにわたくしってば策士ですわ~。


「あ、陛下!」


 ――え、どこにいますの?


 声の主を頼れば、女帝の所在が割り出せるだろうと、立ち止まって辺りを見回した。


「やっぱり、仮面を着けて来たんですね」

「え、ええ?」


 目の前に、鷹の面を着けた男が立っていた。

 頭部は露出しており、貴族――ピュアオビタルである事は分かる。


 ――声も聞き覚えがありますけれど……どうにも嫌な予感が……。


「じゃあ、約束通り踊りましょうか――あ、これじゃ駄目だったのかな――でも曲が始まっちゃいました。ワルツ、ワルツですよ。ボクが唯一踊れる曲なんです」


 そう言うとトールは、強引にイヴァンナの手を取り、大広間の中央に向かった。


 ――な、なんて強引なんですの~。でも、こういうのにわたくし弱いんですわ……。


 こうして、トールとイヴァンナがワルツを踊り始めた頃、女帝ウルドの苛立ちは頂点に達しつつあった。


 ――どこにもおらんではないかッ!


 彼女はトールに告げた通り、仮面など着けず素顔のままであった。


 仮面舞踏会に素顔で出ると聞き、女官長からは泣きそうな顔で止められたのだが、大喝して黙らせている。

 母シャーロットはといえば、目のやり場に困りそうな薄衣を纏い、既に踊り狂っているようだ。


 ――まさか来ておらんのだろうか……。


 女帝と重臣は、直接にEPR通信などせずに、傍付を介してやり取りする仕来りである。


 ――考えてもみれば、かような仕来りなど守る義理は無いな。次にうた時には、デバイスに触れて吸ってやろう。


 そうなれば、オリヴィア宮で日がな連絡を待つ必要も無いのである。

 周囲に知られると面倒となる為、二人の秘事とするべきではあろう。


 こうして――、


 ワルツ曲が終わろうとする頃、自身と同じ色のドレスを纏い、蝶を象った仮面を着けた女に気付く。


 女と踊っていた男も、ウルドの視線に気付いたのか、驚いた様子で足を止めてしまった。

 きゃあ、という声を上げ、その拍子に女が倒れ仮面が外れてしまう。


「あれ?」


 ウルドの視線の先にある男――つまり、トールにすれば驚きの連続であった。


 彼女と一緒に踊っているつもりでいたが、素顔のウルドは恐ろしい形相をして向こう正面に立っている。


 ――確かに、胸の様子が随分と違うと思ったんだよなぁ。


 互いの想念が通じたならば、さらなる惨劇が起きたであろう。


 ――それに、こっちの人は……、


 倒れたイヴァンナに手を差し出しながら告げた。


「イヴァンナさんじゃないですか」


 その声に、慌てて仮面を着けようしていたイヴァンナの手が止まる。


「ええと、ボクですよ。あ――」


 トールは仮面を取り、微笑んだ。


「トール・ベルニクです。お久ぶりで――あっ」


 彼が言い終える前に、風のような早さでイヴァンナは走り去って行った。

 俊足の猟犬であれ、彼女には追い付けなかったかもしれない。


 ――そりゃあ逃げるよね。あ、それよりも――陛下を――。


 トールは向こう正面を見たが、既にウルドの姿は無かった。

 どうやら、彼女も脚が早いようである。


 ◇


 なぜ、逃げるように出て来たかは己でも判然としていない。

 気が付けば、常となったテラスに在った。


 フェリクスにも衛星は有るが、彼女が見慣れたエゼキエルとは大きさが異なる。


 ――あれは、勘違いなのだろうか。


 それこそが、最大の懸念事項なのである。

 トール・ベルニクは、自身が伝えた衣装と同じ女と踊っていたのだ。

 

 ――それとも、あの女を気に入っていたのだろうか。


 遠目にも、自分とは異なる肉感的な身体であると分かった。ウルドとて、トールの嗜好に関する噂は耳にしている。


 ――無類の――きょ、きょ――好き――。

 

 性根こそ腐っていると自覚しているが、外見には絶対的な自信を抱いていた。

 だが、例の噂が真であるならば、実に由々しき問題となるだろう。


 ――困ったのう……。


 と、息を吐いたところで、閉ざしたテラスの窓を叩く音が響いた。

 呼び戻しに来たシモンかと思い振り向くと――、


 頭を掻いて、所在無さげな様子の男が立っていた。

 

「――」


 ウルドは口を閉ざしたまま、右手の人差し指を前後に揺らすにとどめた。

 入ってこいという意味であろう。


 鍵掛けてないんですね、などと言いながらトールが窓を開けた。

 

「申し訳ありません――。すっかり陛下なのかと――」

「うむ」


 彼女をウルドと違えていた点は理解した。


 ――まず、そこは良い。


「が、なぜ面を着けた。素で参るという約であったろう」


 だからこそ、ウルドは面など着けずに参加したのである。

 

 他方のトールは、最初から勘違いの連続だったのだ。

 仮面舞踏会とは知らずにウルドと会話をして、当日にそれと知り仕来りに流されたのである。


 とはいえ、筋論から言えば、不審な点はあろうとも約は守るべきであった。

 下らぬ小事であろうとも、手落ちがあったのは確かなのである。


「誠に申し訳あり――いや――ホントに、ごめんなさい」


 礼儀も必要だろうが、己の言葉で謝ろうと決めた。

 頭を下げ、珍しく真剣な表情でウルドの瞳を見詰める。


「ボクが色々と勘違いをしてしまって――」

「二度は無い」


 その言葉に、トールは黙して頷いた。


「――許す」


 ようやく、ウルドの面から険が消える。


「しかし、ようここまで至れたな」

「ええ。色々と権力を使いまして――」


 銀獅子権元帥などという妙な役職は、平時であれ役立つ時もあるらしい。


「では――」


 戻るか、とウルドが言いかけたところで、トールは再び頭を少し下げてから告げた。


「――踊ってくれませんか?」


 申し込むならば今であろうと考えたのだ。


 以降は、作法である。


 数舜の躊躇いを見せた後にウルドが右手をつと差し出す。

 トールは、紫紺の手袋を嵌めた手を握り手の甲を表へと回した。その手を持ち上げ、顔を甲に寄せた後にそっと手離すと、ウルドは少しだけ笑んだ。


「曲は?」


 ウルドが問いかけると同時、テラスの向こうに立つ衛兵は背を向ける。

 気が利く男であるな、と彼女は褒美を与えると心中で決めた。


「ボクは不慣れなので――」


 指を振ると照射モニタが現れてワルツを流し始める。


「――踊れるのはこれだけなんです」


 フェリクスの月が、二人を照らした。

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