27話 虫酸。

「ルキウス」


 早朝、相手の居室を訪れたスキピオ・スカエウォラは、眠そうな顔で椅子に座る友人の名を呼んだ。


「――やぁ、おはよう――ふわぁ」


 大きな欠伸をしたが、欠けた歯を隠そうともしなかった。


「寝てないようだな――。さすがのお前でも緊張しているのか?」


 彼らが乗船する執政官専用艦は、月面基地を発ち帝都フェリクスへと向かう途上にあった。

 建国以来、正規の外交手段で訪問する初の執政官となるのだ。


「いえ別に。ただ、ちょっとした娯楽小説を読んでいたら意外に面白くてですね」


 そう言って板状デバイスを振った。


「ほう?」


 あらゆる意味合いで、ルビコン川を渡ろうとしている男にしては、随分な余裕だとスキピオは感心する。


「――大元は帝国のEPRネットワークで公開されているそうですが、どういうルートでかグノーシス船団国にも流布してるんです」

「運び屋がいるんだろうな」


 ルキウス・クィンクティが秘かにオソロセア領邦と共益関係を築いたが如く、帝国内の領邦や組織――その多くは海賊であるが――と、繋がりを持つ勢力は他にも存在する。


「この小説、我々の国も登場してて――」

「親父からだ」


 訪問の目的を果たすべく、娯楽小説などに感心を持たないスキピオは相手の言葉を遮った。

 小さな円筒状のデバイスを、ルキウスに放り投げる。


「――おっと」


 両手で受け取り、セキュアFAT通信であると確認する。


「念入りですね」

「当たり前だろ。おまけに俺達は帝国に居るんだぜ?」


 そりゃそうだ、と呟きながらルキウスは円筒状のデバイスを自身の瞳に向けた。

 虹彩認証が行われた後、網膜に文字が投影される。


 ――大祭たいさい参加を見合わせる。


「良かった」


 ルキウスは破顔する。


「スカエウォラ家――いや、ミネルヴァ・レギオンは友情を選択したようです」


 大祭たいさいとは、首船プレゼビオで催される十年に一度の巡礼祭を指す。

 となれば、同時期に開かれる氏族会議にも、スカエウォラ家は出席しない。


「そんな綺麗なもんじゃないさ」


 スキピオが肩を竦めて応える。


「恨みと野心だろう。お前だって親父の性分は分かっているはずだ」

「ええ、勿論。因果を決して忘れぬ義理深い御方です。つまりはカッシウス家への消えぬ友情の証し――と、未だ傷の癒えぬ娘には遺しましょう」


 そう言いながらルキウスは席を立った。


「何れにしても、スキピオ君の父上には、またも借りが出来てしまいました」


 ルキウスが解放奴隷でいられるのも、スカエウォラ家が彼の父を自由奴隷とした為なのである。


「君との友情に、天秤の傾きが影響しない事を願います」

「お前は兄――」

「スキピオ君」


 今度は自分の番だとばかりに、ルキウスは相手の言葉を遮った。


「私は寝ます」


 眠そうな声でルキウスが言う。


「――よく考えたら、大事な日ですからね」


 などと今さらな事を呟き、居室の端に在る寝台へと向かった。


 ◇


 グノーシス船団国の使節団訪問がおおやけとされたのは、彼らがフェリクスポータルを通ると同時の事であった。


 随伴したケヴィン少将のトールハンマー号と共に、二隻の異様な姿の巨艦が宇宙港天蓋部ゲートから現れる様を、メディアを通じて多くのオビタルが幾分かの驚きを持って目の当たりにしている。


 蛮族と蔑み怖れても来た国とよしみを結ぶ旨の宣下はあったが、遥か先の話であろうと考えている者が多かったのだ。


 これに合わせ、新生派に与する各領邦の報道官達は、一斉に公式なコメントを発表している。


 ベルニク領邦統帥府報道官となったソフィア・ムッチーノも同様であった。


「陛下の御威光が、かの国をも照らす吉兆となりましょう」


 本件におけるトール・ベルニクの動向を問われ、ソフィアは豊かな胸を反らせて応える。


「無論、閣下の御尽力の賜物でもあります。なお、今回の慶事に合わせ、一部解放された帝国臣民をベルニク領邦にて預かっております」

「――異端――いや、グノーシス船団国に攫われた人々という意味ですか?」

「そうです」


 質問者に向けてソフィアが頷いた。


「ベルニク領邦で預かる理由は――」

「彼等がくだんの憂き目にあったのは、ウォルデン領邦から我が領邦へと逃れる最中さなかの事でした」


 彼女は長い睫毛を伏せ、目元にチーフを当てた。傍で見る記者達に向けてではなく、報道としての映えを考えての所作である。


「簒奪者エヴァンの非道を嘆き、亡命を図っていた方々なのです」


 非道か否かは別論として、それぞれの事情は異なるものの、ベルニク領邦を目指すふねであった点は事実なのだ。


 若き英雄が治めている――などという情緒ではなく、移民や亡命者への施策を充実させつつあるベルニク領邦は、移住先として最も人気のある地となっていた。


「後日、会見の場を設けますけれど、高官でありながら簒奪者へ反旗を翻そうと立たれた方も含まれます」


 元禁衛府きんえいふ長官フィリップ・ノルドマン一家の事である。


 彼等をプロパガンダに利用すべく、ソフィア・ムッチーノの元では既に幾つかのプロジェクトが動き始めていた。


 奴隷船における叛乱の失敗から、その危地をトールとルキウスによる友誼が救ったという経緯を含め、実に大衆向けのナラティブが形成できるのは確実であろう。


 ――そうだ、映画も作っちゃいましょう。


 記者達の質問に上機嫌で応えつつ、ソフィアの中では次々に大衆を煽動する為のプランが浮かんでいく。


 ――ただ、例の報告は気になるわね……。


 月面基地にて、グノーシス船団国より引き渡された帝国臣民の人数は百三十名であった。


 そこから地球軌道都市に在る屋敷へと移送した訳であるが、移送直前に二名の行方が分からなくなっているのだ。


 ――ま、元海賊というのが事実なら、逃げるのも当然でしょうね。


 船団国から解放されたは良いが、元海賊と露見すれば、今度はベルニク領邦で収監されるだろう。また、彼等の犯歴次第では、極刑が科される可能性もあった。


 とはいえ、行方をくらませたのが月面基地であるとすると、隠れる場所など有りそうにもないというのが捜索チームの見立てである。


 ――どこかで野垂れ死んでくれてれば良いのだけど……。


 海賊など、腐肉にたかる毒蠅に過ぎぬ、とソフィアは考えている。


 ◇


「少しは印象が変わりましたかね?」


 ルキウスは、自身の少し後ろを歩く、母の会代表のジュリアを振り返って尋ねた。


 オリヴィア宮に到着し車を降りた使節団一行は、廷吏や女官達の出迎えを受けている。

 彼らの足許から、宮の正面口まで赤い絨毯が敷かれていた。


 使節団を、蛮族、異端、敵としてではなく、真っ当な国賓として遇するという意思表示なのである。


 ジュリアは幾分か面食らった様子で、帝国側の歓待を受けていた。


 また、改築したばかりのオリヴィア宮の壮麗さにも、若干のひるみと妬みを感じていたかもしれない。

 二つに分かたれたとはいえ、グノーシス船団国との国力差は、骨の髄まで至る原理主義者であろうとも認めざるを得ない厳然たる事実である。


 ――グノーシス船団国など、所詮は野盗、輩の集まりに過ぎないのです。


 ルキウスの眼差しから、その心中を察したのはスキピオのみであった。


「ま、まあ――船団国を恐れているのだから当然でしょうね。女神ラムダの真理に至り、寵愛を受けているのは我々なのだから――」


 強気を装って応えるジュリアであるが、笑みを浮かべる余裕までは無い。


「皆様」


 赤絨毯の先、見上げるほどに高い扉の前で待っていたのは、侍従長のシモン・イスカリオテであった。


 国賓の案内は、侍従長自らの役回りとなったのである。この重責も、彼が頻繁に心理療法士の許でカウンセリングを受ける一因であろう。


「遠路遥々の来臨に、ウルド陛下より、望外の幸甚こうじんとの御言葉を賜っております」


 ともあれ、来てくれて女帝も喜んでいると言いたい訳である。


「痛み入ります。私共も望外の――噛みそうです――ハハ。ともかく嬉しいですよ」


 微笑み応えるルキウスは、あるいはトールと終生の友となり得たかもしれない。だが、いにしえより神とは嫉妬深き存在なのだろう。


 侍従長シモンは深々と頭を下げて言った。


「それでは、これより謁見の間にご案内致します」

「はい」


 ルキウスがいらえた、その時の事である。


「――お待ちなさい」


 シモンの後に続こうとしたルキウスの袖を強く掴み、血相を変えたジュリアが囁いた。


「謁見の間?」

「ええ、そうですね」


 平然とした様子の相手に、ジュリアは苛立ちを募らせた。


「執政官という立場で行くおつもりかしら?」


 謁見の間とは、己より身分が低いと見なした相手と会う場である。国賓として遇されてはいるが、帝国に朝貢すべき周辺国と位置付けられたのだ。


「駄目です。断わりなさい――これでは――死した英霊達の――」

「おお、ジュリア。あらゆる若者達が望まぬ母君よ」


 ここに至れば、ルキウス・クィンクティに怖れるものなど何もない。

 正規の外交使節団として、専権を伴い女帝の許へと至る道が開かれたのだ。


「少しの間で良いのです」


 ゆえに、彼はもう隠さない。


「その臭い口を閉じなさい」


 道化の仮面を取り去る時が来たのである。


「虫酸が走る」

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