15話 救いの手。

「まったく、何で使えないのよっ」


 奴隷船グレートホープ号にて、クリスは幾度触れても常の反応を示さないニューロデバイスに苛立っていた。


「――ECMだって、何度も言ってるじゃないか」


 彼女とは三つ歳の離れた弟であるレオンが、面倒そうな表情を浮かべて告げた。


「アタシこそ何度も言ったわよね? 蛮族にそんな技術ある訳ないでしょうが」


 クリスは、プロヴァンス女子修道院において、異端の民がいかに邪悪で知性の欠片も無い民族であるかを叩き込まれている。

 血の滴る骨付き肉を貪る薄汚れた野人──というイメージが脳内に在るのだ。


 弟のレオンは、もう少し現実的である。


「星間空間を航行して未知ポータルから帝国を襲えるんだよ。対ニューロデバイス用のECMぐらい持ってると思うな」

「何なのよ――ホントにもう。EPR通信も使えない蛮族の分際で、邪魔だけは出来るなんて性格が悪いにも程があるわっ!」


 姉弟の繰り言を聞きながら、この状況に至ってなお怒りの声を上げられる我が娘に、フィリップは救われたような思いを抱いていた。


 今となっては遥かな過去に思える数年前――。


 父フィリップを狼狽えさせるほどに乱暴な口調に染まり、使用人達の目を盗んでは夜遊びに繰り出していたクリスティーナ・ノルドマン。


 不良連中と引き離すべく、宰相エヴァンに勧められたプロヴァンス女子修道院に預けたのである。


 見る間に彼女の行状は改善され、父が理想とする嫋やかな少女に育ちつつあった。


 ――だが、全てはまやかし……。


 プロヴァンス女子修道院の呪われた教育は、娘を娘ではないに仕立て上げるものだった。


 天秤衆へ不動の忠誠を誓い、眉尻ひとつ動かす事無く、異端の芽を刈り取って行く尖兵となる未来が待ち受ける――。


 ――今のクリスこそが、


 弟の頭を殴りつける愛娘を見ながら思う。


 ――不肖の我が娘なのだ。


「い、痛いよ」

「あったりまえでしょ」


 クリスが必ず勝利を収める姉弟喧嘩に、日常と錯覚しそうになったフィリップだったが、残念ながらここは彼らの住まう懐かしの屋敷では無い。


「――なあ、アンタら――ちょっと静かにしてくれよ」


 諦念混じりの声と共に、薄汚い身なりの男が床から起き上がった。


 この獄に閉じ込められた全員が薄汚いのだが、中でも男はひと際目立つ粗末な風体である。


 不正規な旅客船に乗り合わせていたとはいえ、大金を支払ったノルドマン一家は特別客室に案内されていた。

 他方の男は三等客室――あるいは貨物庫に忍ぶ違法乗船者であったのかもしれない。


「煩いのは申し訳ないと思うけど、このまま大人しくしてて良いわけ?」


 小声で謝罪を述べ押し黙った弟のレオンとは対照的に、クリスは抗弁すると決したようである。


「――大人しくしているほか無いだろ」


 身なりは薄汚いが、よく見れば顔立ちは整った若い男だった。


「バカね。逃げる方法――最低限、外と連絡を取る方法を考えないと駄目でしょ。それに――」


 獄の前に数名の見張り番はいるが、クリスの様子を気にする風も無い。

 だが、念のため声を落として話を続けた。


「これだけ人数がいるのよ」


 老若男女を問わなければ、五十名ほどが同じ獄に閉じ込められていた。

 

 尚且つ、男の方が圧倒的に人数が多い。母親や乳幼児は別の房に入れられているからだ。


「いざとなれば――」

「ハッ」


 男の表情が、諦念から嘲笑に変わる。


「ここに居るのはな、武器も持たない素人だけだ。無理に決まってら」


 見張り番達はといえば、反身の剣を腰に吊るしていた。

 叛乱を警戒する奴隷船なればこそ、他にも多数の武装した連中が乗り合わせているだろう。


「でも、このままじゃ、ニューロデバイスを切除されちゃうわ。そうなったら――」


 帝国から攫われたオビタルは、ニューロデバイスを切除された上で奴隷に堕とされる。

 主人が持たぬ力を奴隷が持つなど有り得ぬ話だからだ。


 ――この場で切られなかったのは、確かにマシな連中に攫われたのかもしれない。


 アドリア・クィンクティの語るユピテル・レギオンであれば、多少の気狂いが出る事など構わずに切除していただろう、とクリスは思った。

 

「――そうなれば終わりよ……」

「そ、それは、嫌ですねッ!! 困ります、困りますよッ!!」


 そう言って話に割って入って来たのは、傍に居た別の男であった。

 素食となって久しいが、今もって影響が見られぬ小太りの体型を維持している。


「でしょ!」


 思わぬ援軍を得て、クリスの声音が少しばかり弾んだ。


「奴隷になるのも恐ろしいですが、これを無くすのはもっと恐ろしいですよッ」


 赤子の頃からニューロデバイスに依存する帝国のオビタルにとって、それを失うことは半身を引き裂かれるに等しい苦痛を伴う。


 単なる通信手段に留まらず、日々の生活から娯楽を支え、何よりも知覚の一部となっているのだ。

 サピエンスに備わる脳だけで思考するなど、もはや想像も出来ない。


 結果として、事故や稀な故障によりニューロデバイスを喪失した者は、精神の平衡を崩す事例が多いのである。


「どうしましょう」


 小太りの男が狼狽えた声音で言った。


「――だから、どうしようもないって言ってるだろ。トーマス」


 連れ合いだったのかと気付き、クリスは薄汚い男と小太りの男を見やる。


「で、ですが――若――」


 ――若?


 不良少女クリスの中に好奇心が芽生え始めていた。


 ◇


「神職様――よろしいでしょうか」


 船付神官に割り当てられる船室は、船長に次ぐ扱いとなる。


 アドリア・クィンクティは、広く華麗な装飾の施された居室にて、茶の香りを楽しみつつ読書に耽っており、扉の向こうから聞こえる声に気付いていない。


 EPR通信やニューロデバイスは持たないものの、グノーシス船団国とて空間照射するデバイスは有ったが、帝国よりは書物という形式が身近な存在として残っている。


「神職様?」


 ようやく声に気付いたアドリアは、ページを繰る手を休め顔を上げた。


「ゴメンなさい。どうぞ」


 書物を閉じ、脇に在る小さな丸テーブルの上に置く。

 

 眼鏡を掛けたままである事を思い出し、そっと外してケースにしまうと白いローブの袖元に入れる。


 アドリアが秘かに抱える劣等感の一つである為、決して眼鏡姿を人前で晒しはしないし、治療も受けてこなかった。


「――失礼致します」


 ソルジャーの制服に身を包んだ女が、一礼した後に入って来る。


「ご苦労様です。ええと――どうしたのですか?」


 随分と馴れはしたが、ソルジャーを前にすると、自身の身体が未だに強張るのをアドリアは感じた。


 ――大丈夫――味方――みかた――。


「神職様宛にセキュアFAT通信が入っております」


 言いながらソルジャーの女は、小さな円筒状のデバイスをアドリアに手渡した。


 EPR通信を持たないグノーシス船団国は、光速通信と未知ポータルを連携させた通信網を構築している。


 帝国には馴染みの無い仕組みだが、これを知ったトール・ベルニクの感想を付記しておこう。


 ――国際郵便みたいなもんかな?


 故に、リアルタイム性は全く無い。


「では、失礼致します」


 務めを終えたソルジャーの足音が遠ざかるのを確認した後、アドリアは円筒状のデバイスを瞳に向けた。

 虹彩認証が行われた後、網膜に文字が投影される。

 

「あら――」


 父ルキウス・クィンクティからのFAT通信であった。


 ひと言のみ記されている。


 ――クリスティーナ・ノルドマンを保護すべし。

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