14話 皆、巻き込まれる。

 トールにとって、最初でとなった御前会議の当日、ベルニク領邦政府は、新体制に関する発表を行った。

 領邦民に対してというより、経済界及び他領邦に対するものだ。


 これが、統帥府報道官に就任したソフィア・ムッチーノの初仕事となる。


 かつての同僚達から手厳しい質問を幾つか受けているが、硬軟織り交ぜつつ受け答えする様子は、トール・ベルニクの期待に沿う結果であっただろう。


 彼女をトールに推薦したロベニカは、自身の執務室でひとり報道官の様子を見ていた。


 オソロセアにて、新体制の目論見をトールから聞かされた時、最初に感じたのはやはり重臣達への不信があるのだろうという思いである。


「割とボクは信じてますよ」


 取り繕うような嘘を言う男では無いとロベニカは知っている。

 とはいえ、にわかには信じ難かったのも事実であった。


「領主が何もしなくても、どうにか頑張ってくれた訳ですし」


 彼が謎の覚醒を果たすまでの十年間、領邦運営は重臣達の老いた双肩にかかっていたのだ。


 だが――、


 目覚ましい経済発展はなく、貧困問題も改善せず、帝国最弱の軍事力となっていた。

 その上に、私腹を増やす高官と、領邦を売り渡すかの如く動いた裏切り者まで生んでいる。


「だけど、最低限の状態は保ってくれましたよね。それに詳しい事は分からないんですが、経済なんて早々に良く出来るもんでもないでしょう」


 人口や地理的条件などの様々な要因が絡み、早晩解決できるような話では無い。


「そもそも一番悪いのって、ボクとか、まあ後は先代ですよ」


 それなりにを敷いたらしいが、先代エルヴィンについてセバスからある話を聞いて以来、トールの中には少しばかりの不信感がある。


 エルヴィンは、地下室へ至るキューブをセバスに渡す際にこう言ったのだ。


 ――この家で――いやこの領邦で信用できるのはお前だけなのだ。


 理由は不明ながら、彼は大いなる不信に包まれていたのである。

 領主がそのような状態で、領邦経営が劇的に上向くはずも無い、というのがトールの出した答えであった。


「統帥府は、ようはボクが居なくとも、前へ前へと進んでいく為の組織です」

「い、居なくとも?」


 ロベニカは、その言葉に不穏な気配を感じ尋ねた。


「色々と見て回りたい――あ、いや、ええと――ほら、まだまだ戦争とかありそうじゃないですか」


 徐々に細まっていくロベニカのまなこを避けるかのように、トールは窓の外に呑気な顔を向けた。


「領主として責任感を持ってですね――前線の士気も上がるかなぁ――例の重弩級艦と話せるのもボクだけですし――折角、聖剣も授かったと言いますか――」


 ふぅ、とロベニカは息を吐く。諫めても、止めても仕方が無いのだろうと判断したのだ。


「意図は理解できました」


 ロベニカの反応に、トールは喜色を浮かべる。


「ただ、統帥府の人事は――、重臣達を補佐官に据えられるのでしょうか?」

「当面はそうですね。ただし、経済を任せる商務補佐官はリンファさんにします。後、統帥府のトップは内務相にお願いする予定です」


 新体制において、統帥府長官は非常に重要な立場である。

 領主代行とも言うべきポストなのだ。


 内務相ヨーゼフは、トールと気が合いそうにない人物であるが、意外にもトールは高く評価していた。


 口煩く形式に走る傾向があるとはいえ、その忠誠心と生真面目さに価値を見出したのである。

 また、統帥府には多数の若手を登用するつもりでもある為、安全弁としたかったのだろう。


「で、その次に大変なのが、首席補佐官って事になります。これはロベニカさんにお願いしますね」

「ヴえっ!わ、私――ですか?」


 狼狽えるロベニカは、思わず奇妙な息が漏れてしまった。

 首席補佐官とは、統帥府長官に次ぐ主要ポストである。


「はい。お願いしますね」 


 あまりの重責に倒れそうになりつつ、ロベニカには別の意味で気掛かりな点があった。


「で、では、秘書官は――?」


 世間で英雄と持て囃され始めた男――トール・ベルニクというサピエンスは、欠点だらけの為政者である。


「ええと、その事なんですけど――」

 

 だが、間近に在れば在るほどに分かる。


 彼に仕える者にとって、


「――やっぱり、秘書も兼任で続けてくれませんかね?」


 少しばかり照れくさそうに告げるさまは、どうにも悪魔のような魅力が過ぎるのだ。

 

 ◇


「マリーア卿――か、かたじけない」


 女男爵メイドとなったマリに案内され、トールの執務室に入って来たのは内務相――ではなく、統帥府長官を拝命したヨーゼフ・ヴィルトである。


 彼女は従来通り「マリ」と呼んでくれるよう周知しているが、礼節を重んずるヨーゼフが首肯するはずも無かった。


 マリ自身も爵位付きのメイドなど、周囲を困惑させるだけであろうとは自覚している。


 とはいえ彼女にしてみれば、今の職を辞するなど有り得ぬ話なのだ。


 トール・ベルニクに永久とわを誓っており、実際に彼女の人生はその言葉通りとなる。

 胸元を強調するメイド服のせいか、首から下げた光る細い鎖輪の先に在る鍵が谷間で踊った。


「あ、長官」


 遥かな未来に待ち受ける運命など知る由もないトールは、平素と変わらぬ様子でヨーゼフを出迎えた。

 つまり、呑気にである。


「良いところに来てくれました――けど、お話しなら先にどうぞ」

「え、い、いえ――その――」


 ヨーゼフの用向きは単純である。

 領主の決め事に、僭越不敬であろうと悩んだのだが、


 ――なぜ、私なのか?


 と、尋ねざるを得ない。


 彼の実感としてはうとまれているとしか思えなかったのである。

 また、周辺を探っていた小娘から、例の噂とて聞き及んでいるはずなのだ。


「わ、私などより、閣下の用件を先に伺えればと――」

「そうですか」


 譲り合う時を惜しんだのか、トールはあっさりと受け入れた。


「亡命の件なんですけどね」

「ごほごほっ」


 いきなりの核心に、むせたヨーゼフは自身の胸を叩いた。


「そ、それはですな――」

「分かってます。いや、分かってると思います」


 トールは笑顔で頷く。

 

 少し調べれば分かる事であったのだが、ヨーゼフ・ヴィルトの妻の出身地は、カドガン領邦なのである。

 の地にて、製薬事業を営むロイド家に連なる女であった。


「隠居しようとされてたんですよね?」

「――ええ」


 疲労と諦念、そして己への自責も有った。


 とはいえ、領邦最大の行政組織である内務省の長だったのである。

 引退したところで影響力は残るだろうし、何より自分の性格から、いらぬ節介を焼く恐れがあった。


 ならば、いっそ領邦を離れ妻の故郷へ――と考えたのであるが、現在の国際情勢からすると密入国か亡命という事になろう。


「無論、決まった話などでは無いのです。何処かで漏らした下らぬ愚痴が、妙な噂となってしまったのかもしれません」


 言い訳がましい口調となる事を恥じつつ、ヨーゼフは話を続けた。


「カドガンに亡命など、噂だけでもご迷惑になるとは理解しております。いかなる処罰でも――」

「これを、利用します」

「は、はい?」


 理解に苦しむ領主の反応に、些か間抜けな返事となった。


「利用と申されますと――いったい――」

「ヨーゼフ長官、今からする話は秘密ですよ」


 重用事というより、胸に秘めたる想い人を打ち明けるかのような口調である。


「分かりました」

「長官が隠居を希望するカドガン領邦なんですけどね――」

「い、いや、それは――」

「年内から、どれほど遅くとも来年までには攻めてくるはずなんです」


 カドガン領邦は、新帝都が存するベネディクトゥス星系と、ランドポータルで接している。

 ベルニク、オソロセア、マクギガンの連合軍が防衛陣を築いていた。


「確かに大軍を擁する領邦ですが、早々に攻める余裕があるのでしょうか。前回の損耗も残っておりましょう」


 フェリクスから離脱するトール達に襲い掛かったが、背面からマクギガン領邦の艦隊に襲われて撤退戦を強いられる結果となった。

 また、正面から来たベルニク・オソロセア連合軍からも挟撃される形勢となり、多数の艦艇を失っている。


「ですが、カドガンちゃま――グリンニス伯爵に残された時間は僅かです」


 トールの知る物語とは既に異なる状況となっているが、グリンニス・カドガンの患う奇病が癒えた訳では無いのである。


「彼女は、欲しています」

「ベネディクトゥスをですか?」


 ヨーゼフには、病を押してまで奪うべき価値のある星系とは思えなかった。


「全ては明かせませんが、あそこには彼女が興味を抱く場所があるのです」


 そう語りながら、例の不幸な兄弟の姿が脳裏をよぎる。


「なるほど――しかし、その件と私の不名誉な噂に何の関係があるのですか?」

「現在は可能性のひとつに過ぎませんが、近日中にボクはグノーシス船団国へ行く事になると思います」


 次から次へと問題発言の飛び出す男である。


 常に傍に在る首席秘書官ロベニカの苦労を思い、ヨーゼフは彼女の言葉遣いについて、今後は小言を述べる回数を減らそうと決意した。


「でも、ボクの留守中に攻められるのは困るんです」


 前線に行きたいですしね、などと言わない理性はトールに残っている。


「当面の間、ボクとヨーゼフさんは、仲良しではないていでお願いしますね。不平不満をたっぷりと言って下さい。あと、ボクがグノーシス船団国に行く際は、喧嘩別れぐらいしてもいいかもしれませんねぇ、アハハ」


 謀略――という分野に疎いヨーゼフにも、トールの意図するところが、朧気おぼろげながらに見えて来た。


「きっと、向こうからヨーゼフ長官に接近してくるはずですから、そこで――」


 こうして、礼儀と伝統の守護を信条とする男は、トール・ベルニクという大渦おおうずに巻き込まれていくのである。

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