13話 賢者では無い。英雄である。

 御前会議の前日──。


「よう、大将。狸親父の巣穴から無事に帰れて何よりだな」


 トールの執務室を訪れたテルミナは、開口一番憎まれ口を叩いた。


 彼女は憲兵司令部特務課から異動となり、新設されたトール直属の諜報組織──特務機関デルファイの室長となっている。

 現在のところ人員は彼女ともう一名のみだったが──。


「おはようございます」


 トールが爽やかに挨拶を返す。


 その隣では、首席秘書官ロベニカが照射映像を使って何事かを説明していた。


 遥々オソロセア帰りの朝から仕事熱心な奴らだな、とテルミナは感心と呆れた思いを同時に抱く。


 トール・ベルニクに魅せられるか、あるいは期せずして巻き込まれた者達は、その誰もが不思議と職務に身を捧げる性向を見せた。

 領主の人徳であるのか、あるいは悪魔的な呪いか──。


「頼まれごとは終わったぜ」


 今日までに、という無茶な要求に応えるべく、新米諜報員はそれなりに無理をしたのだが、そうと伝えるのは彼女の矜持が許さない。

 故に、不遜な態度で端的に尋ねた。


「聞くか?」

「わぁ、助かります。是非」

「……」


 この顔を見ると少しばかり報われた思いがする点は、心の内奥に仕舞っておく事にしている。

 

 ◇


「そ、そんな──叔父様が!?」


 ロベニカはショックを受けたのか、身体を支えるかのようにトールの執務机に片手を置いた。


「まあ、気分は良くないだろうが──」


 国務相リストフ・ビッテラウフはロベニカの父と親交があり、幼い頃から彼女が慕ってきた相手なのだ。


「大抵の重臣連中が同じ思いを抱いてたんだ。ほんの少し前までな」


 テルミナがトールを横目で見やる。


「こいつじゃ、太陽系は無理だってさ」


 帝国が絶対強者として君臨した御世みよは遥かな過去となり、各領邦が野心を剝き出しにしつつあった時代──。


 自らの地位と資産を護持しようと動くのは、一概に責められるべき行動でも無いだろう。


「そもそもオソロセアと、オリヴァーを繋げたのもリストフの野郎だ」


 無論、謀略自体の立案や執行には関わっていない。


 便宜を図り、オリヴァーという欲深い男を誘導したのだ。


 裏切り者オリヴァー・ボルツは神輿として担がれ、良いように表舞台で踊らされていたに過ぎない。


「例の前夜祭に国務省と財務省の高官連中が何人か来てたな。さすがに親玉本人は顔を出しちゃいなかったけど──」


 だが、全ては状況証拠である。


 オリヴァーが口でも割らない限り、国務相や財務相の直接的な関与は立件できないだろう。


 いや、そもそも──、


「ですよね~」


 トール自身に、その気が無かったのである。


 ──まあ、領主なんて誰でもいいもんね。


 彼らを恨む気持ちも無ければ、遮二無二となって追求する暇も無い。


 トール・ベルニクが意識するのは、ひたすらな我欲と、それに伴う責任のみである。


「骨の髄まで呑気な野郎だな」


 どうにも理解できぬといった風情で呟いた後、気を取り直してテルミナは話を続けた。


「つっても、リストフの方には罪悪感みたいなもんが有りそうだぜ」


 直接ではなく旧知のロベニカを通して、御前会議開催という観測気球を飛ばしていたのではないか、というのがテルミナの見解である。


「女まで紹介しようとしてたんだろ?」

「ええっ!」


 ロベニカが素っ頓狂な声を上げる。


「いや、彼の奥さん──ええと──カサンドラさんからですけどね」

「聞いてませんよ?」

「し、知らなかったんですか?」


 不思議と強い剣幕のロベニカに圧されつつトールは応えた。


「領主は結婚しなさいって話でして──まあそうですよねと聞いてましたけど──あ、そうそう、でもそのお陰で、クリスさんの──」

「その話は後でいいだろ」


 話が脇道に反れそうな気配を見て取りテルミナが口を挟んだ。


「つーことで、不本意ながら完シロなのは、あの内務相ヨーゼフだけって落ちだ」


 とかく礼儀礼節に煩い男で、この屋敷においてテルミナの天敵とも言える存在になりつつある。

 

 昨日も二人の間でひと悶着があったそうだが──。


「──あの──内務相については、少し気になる点があります」


 言い辛そうにロベニカが口を開いた。


「叔父様──リストフ国務相から聞いた話なんですが──」


 ──内務相の動きに気を付けた方が良いかもしれない。

 ──杞憂に終わるかもしれんが、念のため注意をしておいた。


 オリヴァーの背後にいたであろう勢力に与した相手からの助言である。


 どこまで信じて良いのか今となっては分からないが、ロベニカ自身も調べはしたのだ。


「あーしも、その噂は聞いてるぜ」

「へぇ、どんなのですか?」


 今度は、いかなる謀略が進行中なのかな、とトールは少しばかり好奇心を刺激されていた。


「あいつさ」


 テルミナは人の悪い笑みを浮かべる。


「亡命するってよ」

 

 ◇

 

 内務相ヨーゼフ・ヴィルトは、伝統と形式を重んじる男である。


 職務に真面目に取り組み、領邦に対して忠実であると自負はしているが、ともすれば周囲に煙たがられる存在であろうとも分かっていた。


 蛮族を払ったトールが、バスカヴィ宇宙港へ凱旋帰国する段となり、威儀を正して盛大に出迎えようと内務省を上げて計画した。

 だが、出迎え不要──と、首席秘書官を通して冷徹に却下されたのみである。


 派手な勲功とメディア報道により目立ちはしないが、瓦解しかねなかった領邦経済、増え続ける移民が生む国内の軋轢、遷都による行政から民間に至る混乱──これら諸問題にあたってきたのは領内政治を司る内務省である。


 内務省を預かる身として日々の対策に追われ続ける中、御前会議で直言する機会もなく次から次へと周囲の状況が変化していく。


 生意気で横柄な小娘が、自身の周囲を嗅ぎ回っている事も気付いていた。


 ──領主と私は、根本的に反りが合わないのだろう。


 内務相ヨーゼフの抱いた正直な感想である。


 先代エルヴィン・ベルニクならば、ヨーゼフの知る常識の範疇に収まっていた。


 また、トールが無能と疎まれていた頃とて、他の重臣とは異なりヨーゼフは発奮したのだ。


 己こそがベルニク領邦を支えねば何とする──という思いである。


 だが、領邦経済は停滞し、軍事力は弱体化、不届きな裏切り者まで出してしまったのである。


 ──私は至らぬ。無駄に歳を重ねただけの朽ち木なのだ。

 ──ならば、せめて邪魔とならぬようにすべきか……。


 眠れぬ夜、彼はそんな思いに囚われ日々を過ごし、久方ぶりとなる御前会議を迎えたのである。


「では、新体制の発表をしましょうか!」


 他方、そんな彼の想いなど露知らず、トールはいつもの調子で話しを始めた。


 ──我々を払い、お気に入りの若手連中を重臣に据えるのだろう。


 だからこそ、ヨーゼフの部下である内務省経済対策局のリンファ・リュウなどが列席しているに違いない。


 メディア関連の女まで居合わせている理由は、ヨーゼフには見当もつかなかったが──。


「ええと、まずは」


 ロベニカが手元を動かすと、照射映像に新旧の組織図が映し出される。


 最初のひと言からして、ヨーゼフの想定を超えてしまった。


「省という単位を廃止しますね」


 新組織図においては、各省の配下にあった局が、独立してえがかれている。


 幾つかの局は合併しており、中には省を跨いでいるケースもあった。


 ともあれ、人事異動どころでは無いのだ。


「次に、この上に統帥府という新組織を置くことにしました」


 照射映像の組織図の頂点に、統帥府が配された。


 詳細を見れば、政策分野ごとに補佐官が置かれているが、各局に紐づいている訳ではない。


「政策立案と執行を分けた──という事ですな」


 国務相リストフの反応に、トールは笑顔で頷いた。

 

 政策立案機能を統帥府に一元化する事で、横断的な政策を推進できるようにしようという狙いである。

 尚且つ、側近と巨大な官僚機構を切り離す事で、組織力に裏打ちされた権勢を育てない利点もあった。


「統帥府補佐官の人事は別途お知らせしますが、経験豊かな方々にもお願いするつもりですよ」


 現状で重臣とされている者達は、それなりに遇するという意味である。


「統帥府長官──というのは、閣下ご自身なのでしょうか?」


 名称からするなら、統帥府を束ねる役職なのであろうと考え、リストフが尋ねた。


「あ、これですか」


 トール・ベルニクは模範的な為政者ではなかったと評する識者は多い。


 模範的と言うには、あまりに冒険的であり、あまりに現場と前線を愛し過ぎたがゆえだろう。


 騎馬で大陸を駆けた太古の覇者であるかのように、艦隊を率いて砲火に身を投じ、剣を掲げて数々の死闘に挑んだのである。


「これはですね、ボクの代わりに頑張る人です! 忙しい時とか、留守の時とか、統帥府長官に頑張ってもらいます」


 諸々の史料が示す通りなのだろう。


「例えばグノーシス船団国に行ったりとか──後、死んだ時の後継者でもありますよ、アハハ」


 彼は賢者などではなく──、


「で、統帥府長官は、ヨーゼフさんにお願いしますね」


 英雄なのだ。

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