12話 御前会議☆。

「そいつは難儀なこったな」


 トジバトル・ドルコルは、相談に訪れた知人に、デッキブラシを動かす手を休めて言った。


 剣闘士仲間の男であるが、トジバトルやリンファなどとは異なり、新生派と復活派の往来が禁じられてからベルニクに渡って来たのである。


 いわゆる密入国という事になるのだが、今のところベルニク領邦では、亡命という扱いで受け入れていた。


 とはいえ、互いの情報戦が激化していく事が予測される中にあって、誰でも彼でも受け入れるという体制は、安全保障という観点から近いうちに終焉を迎えるだろう。


 それは、さておき、多くの者が直面する問題は――、


「あっちの金しかなくてさ――」


 知人は力なくうなだれたまま告げた。


 金――といっても、オビタル帝国において紙幣や貨幣は流通していない。

 通貨はCBDCであり、EPRネットワーク上に存在するのみである。


 各領邦の中央銀行は、各々の金融政策に基づいて独自にCBDCを発行しているが、基軸通貨は帝国CBDCである。


 領邦間の交易は、すべて帝国CBDC建てで行われて来たのだ。なお、グノーシス船団国との交易方法については後の機会に記す。


 ともあれ、もっとも安全な資産は、帝国CBDCだったのである。


 だが、新生派オビタル帝国の発足により、新生派勢力圏内においては、帝国CBDCの流動性が著しく損なわれている。

 旧帝都に在る中央銀行と疎通できないのであるから当然だろう。


 新中央銀行設立に向け、各領邦の中央銀行が協力し動いている状況であるが、利害調整の問題から難航していた。


 その間隙を縫うようにして通貨の地位を高めているのが、ベルニク、オソロセア、そしてマクギガン――いわゆる三大功臣が治める領邦の発行するCBDCである。

 実質的に基軸通貨に代わる役割を果たしていた。


 需給、利便性、そしてに領邦への信認から、自然発生的にその立場になっていくのだ。


 ベルニクのCBDCについていえば、その価値の多くは、トール・ベルニクに依るところが大きいのであるが、地政学的有利性も加味されている。


 オソロセアとの同盟が成立した場合、両領邦の通貨こそが二大通貨となり得る可能性もあり、他領邦としては是が非でも阻止したいところだろう。


 だが――、


「来たはいいけど、宿代も――いや晩飯を食う金もねぇんだよ」


 庶民にすればマクロ経済より、晩飯代の方が重要なのである。


 不正規船でしか行けない場所に行くのに、流動性のある手元資産を用意して来なかったのだ。

 トジバトルからすれば実に愚かな男に思えた。


 こういう手合いは、遅かれ早かれ、何かに躓いて野垂れ死ぬのかもしれない。


「あんたなら、何とか出来るだろ?だって、こんな場所に――」


 トジバトルは、真新しいプールサイドに立っていた。


「――暮らしてるんだからさ」


 ベルニクに渡ってきたトジバトルであるが、客人としてトールの屋敷に遇されていた。


 旧帝都の隠れ家に、トールと陽気な犯罪者達を匿うという先行投資が実を結んだ結果である。

 また、多くの資産は、ベルニクかオソロセアの通貨、さらにはアヴィニョン聖貨、及び新生派勢力圏内に本社機能を持つ企業の債権と証券に置き換えていた。


 贅沢をしなければ、ベルニク領邦にて悠々と暮らしていけるだろう。

 それでも、屋敷で世話になっているのは、トールに引き留められたからである。


 ――実は、またまたお願いがあるんです。ただ、もうちょっと先の話になるので、それまでは屋敷でゆっくりしてて下さいね。きっと興味を持って貰える話ですから。


 そう言われただけで、既にトジバトルは興味が湧いていた。

 とはいえ、何もしないのも気が引けたので、セバスに頼み少しばかり屋敷仕事を手伝っている。


「いや、俺の家じゃないからな」


 デッキブラシで、床を叩いた。


「プール掃除で食っていけるのか?」

「まあ、何とか」


 暇つぶしにやっているだけの作業だが、あの妙な領主が、プールサイドに水着美女をはべらす様子を想像しながら掃除をするのも面白かった。


 ――とはいえ、そんな事をするタイプでもないか……。

 ――健康のために、こいつを作ったにしても、泳いでるのを見た事が無い。


 実は幾つかの手違いから出来てしまった施設であり、セバスを悩ませている要因でもあるのだがトジバトルには知る由もない。


 ――けど、使わないと勿体ないしな。あの朴念仁では有効活用しないだろうが……。ふむん、俺がひと肌脱いでやるか。


「なんだか、楽しそうでいいな。お前は」


 知人が息を吐く。


「どうかな――まあ、そこそこだ。で、お前の金についてだが――」


 愚かかな知人であるが、助けた方が良いだろう、とトジバトルは判断した。

 彼が目論む計画でも、必要な存在になる可能性がある。


「――当面の金は貸すよ」

「ホントか!?」


 喜色を浮かべる知人であるが、互いの絆は友情では無い。単なる仕事仲間だった相手である。


「書面を用意させるから、待ってくれ」


 トジバトルはEPR通信を使い弁護士に連絡をした。


 ◇


 ノルドマン一家が奴隷船で絶望の航海に在った頃、太陽系に戻ったトールは御前会議に臨んでいた。


 壁面から女神像が見下ろす大会議室である。


 彼が頃、迫りくるグノーシス船団国艦隊への対応を、家臣や軍高官に諮った会議室であった。


 ――ここを使うのも久しぶりだなぁ。


 トールは、そんな感慨を抱いて室内を見回した。


 ――オリヴァーさんを騙す為の会議以来かも……。


 当時、火星方面管区司令官であったオリヴァー・ボルツ大将を陥れる目的で、重臣達を集めトールは道化を演じた。


 それ以外は、単独か、あるいは執務室、及びEPR通信で事を進めて来ている。

 尚且つ、自身が信用できると判断した者だけに限定していた。


 局所的な軍事作戦や謀略に限るならば良いだろうが、今後の領邦運営を考えると、国務相リストフ・ビッテラウフが懸念する危険性も頷ける。

 首席秘書官のロベニカが、長らく問題視してきた点でもあった。


 ようやく、彼らの懸念を払しょくすべく、トール・ベルニクは御前会議を開催したのである。


 内務相、国務相、財務相、軍務相、参謀本部長、各軍管区指令が一同に会した。


 重臣達の向こう正面には、領邦領主たるトール・ベルニクが座する。無論、彼の傍らにはロベニカが在った。


 いや――、


「で、いつになったら始まるんだよ?」


 ロベニカだけでは無かった。


「御前会議ってのはさ」


 もう一方の傍らに座するテルミナ・ニクシーが頬杖をつきながら言う。

 その口ぶりに、内務相ヨーゼフ・ヴィルトの額に筋が入る。


 彼を苛立たせているのは、何もテルミナの態度だけでは無い。

 

 ――なんだ、この御前会議はッ。


 御前会議とは、いわば領主への報告会であり、さらには領主が重臣達に諮問する場なのである。


 ヨーゼフの記憶にある限り、先代エルヴィンの治世から、御前会議とは枢密室にて限られた重臣のみが列席してきた。


 ところが、である。


 トールの両隣にロベニカとテルミナが座するばかりか、他にも多数の人間が参集している。その中には、ヨーゼフの部下というべき立場の人間もいた。


 ――どうなっている――これは本当に御前会議なのか?


「ええと――」


 誰かを探すかのように、トールは室内を見回した。

 そこへ、メイドに案内され、慌ただしく一人の女が入って来る。


「申し訳ありません」


 嫣然と謝罪の弁を述べるのは、ソフィア・ムッチーノであった。


「遅くなりまして――」


 そう言いながら、適当な空席に腰かけた。

 座する場所も特段の指定がされていなかったのである。


「うんうん。これで揃いましたね。じゃ、ロベニカさん――」

「はい」


 幾分か緊張した面持ちでロベニカは頷き立ち上がった。


「では、御前会議を開催致します。なお今回は、新体制の発表が主題となります」

「し、新体制?」


 内務相と、国務相の声が重なるが、ロベニカはそちらを見る事なく話を続けた。


「ご質問などは、新体制の説明後にお願い致します。では、トール様」

「はい」


 トールが笑顔で応じると、ロベニカは軽く頭を下げつつ席に戻った。


「では、新体制の発表をしますね」


 どうにも不吉な予感がする、と内務相ヨーゼフは喉を鳴らす。

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