11話 奴隷船と不良少女。

 なぜ、人が人を奴隷に出来るのか?

 女神がそれを許したもうたからである。


 なぜ、至高神たる女神はそれを許されるのか?

 至高神に慈悲など無いからである。


 ◇


「――そのような後ろ向きな考えを抱いていませんか?」


 白いローブを来た少女が、項垂うなだれて床に座り込む人々に向かって語り掛けている。

 少女は、頭に鍔の広い三角帽子を被り、小脇に抱えた分厚い書物との組み合わせは、童話に出てくる白魔導士にも見えた。


「駄目ですよ。後ろ向きな考え方は女神ラムダへの不信ばかりか、尊い生命への冒涜にも繋がりかねません!」


 明るい口調で告げるが、聴衆は一向に明るくなる様子を見せない。

 

 まあ、いつもの事だけど、と少女は思う。


 彼女と聴衆達の間には、鉄格子があった。

 着の身着のまま、長らく身を清める事もできず薄汚れた人々が、絶望的な表情を浮かべ鉄格子の向こう側でひしめき合っている。


 つまり、グレートホープ号は、本日も満員御礼なのであった。


 グレートホープ号は、ミネルヴァ・レギオンが保有する奴隷船である。

 ウォルデン領邦で襲撃した旅客船から捕獲した人々を移乗させ、レギオン旗艦に向かって航行中なのだ。


 レギオン旗艦にて選別と分配――あるいは競売が行われた後、ようやく彼らから何者かの資産としての価値が発生する。


 グレートホープ号の乗員に与えられた務めは三つある。


 ひとつ、奴隷に叛乱を起こさせぬこと。

 ふたつ、奴隷が互いを傷付け合わないようにすること。

 みっつ、奴隷が自らを傷付けないこと。


 五体満足な状態で、生かしたままレギオン旗艦に届ける必要があるのだが、叛乱などより、自傷、自死の危険性が最も高いのである。

 絶望が生む諦念は、衝動的な行動を誘発させやすい。


 その為、薬物で昏睡状態として運搬するレギオンなどもあるが、奴隷保護監視協会に加盟するミネルヴァ・レギオンには取れない手段であった。また、コストもそれなり要する為、利益率の高い奴隷商売を行うレギオンにしか出来ない。


 かように、とは、面倒な事なのである。


「こう考えて下さい」


 少女は話を続けた。それが彼女の務めなのである。


「皆さんは罪深い異端の畜生ですが、ラムダに選ばれし民――グノーシスの有意な道具となる誉を授かったのです。尚且つ、最も慈悲深く高邁なミネルヴァにです」


 高邁か否かの論は別にして、ミネルヴァの奴隷がマシという点は事実である。

 なぜなら――、


「これが、ユピテルであれば――屈強な男女は不知兵、美しい男女は慰み者、そうでなければ常闇の空間で採掘作業に勤しむ事になります」


 ユピテル・レギオンの、奴隷に対する苛烈さは国内でも有名である。

 ゆえにこそ、彼らは奴隷資産から最も多くの利益を生み出していた。


 他方でミネルヴァに代表される、いわゆる進歩派レギオンは、オソロセアを通した闇貿易から多大な収益を得ており、奴隷資産への依存が比較的少ないのである。

 

 とはいえ、進歩派レギオンであれ、奴隷資産が経済基盤の一部に組み込まれている点に変わりは無い。

 何より、オビタル帝国の民を奴隷にする事は、彼らの宗教的、思想的、さらには歴史観に基づく根源的な要請なのである。


「我々ミネルヴァは、ラムダの慈悲は奴隷をも照らすべきと考えているのです。皆さんがグノーシスの秘儀に触れて悔い改め、真なる世界を目指す僕とならんとした時――奴隷という頸木くびきから解放される未来もありましょう」


 少女は微笑み、鉄格子の向こう側に在る人々を見回した。


 どれほど絶望的な状況であれ、物事には常に明るい側面があるのだ。

 彼女は自らの体験として、それを知っていた。


 それこそが、奴隷船グレートホープ号の船付神官を希望した動機なのである。


 罪深い畜生とはいえ、改心すれば共にアフターワールドを目指す友柄ともなれよう。だが、自死を選ばれてしまっては、その機会を永遠に失ってしまうのだ。


 グノーシスが信ずるところによれば、罪深き畜生は永遠の滅びであるゲヘナに堕ちる。


「さて、レギオン旗艦まで今しばらくの船旅となります。共に女神ラムダへ祈りを捧げ、この航海の無事を――」

「うっさい」


 それは、決して大きな声音では無かった。

 辺りに騒音が有れば、誰にも届かず単なる独白で終わっただろう。

 

 だが、生憎と聖堂にも劣らぬ静謐さがあった。


 偶々に乗り合わせた旅客船を襲われ囚われの身となり、二週間が経過している。

 生きるに必要な水と食料は与えられているが、身の上話と不安を語り合う機会は減っていた。


 幼子や乳幼児は、母親と共に別の房に入れられている。


 この場に残っているのは、非情なる不運と、暗澹たる未来を前にして、気力をほとんど失った人々なのだ。


 だが――、


「うっさい、うっさい――うっさい!」


 再び、その声音が響く。

 徐々に苛立ちを、怒りを、不屈の闘志を伴いながら声音が響いた。


「あら?」


 少女は小首をかしげつつ、声の主を求める。

 怒りを買っては不味いとばかり、囚われの人々は慌てて顔を伏せた。


 その中に、禁衛府きんえいふ長官フィリップ・ノルドマンの姿もある。


 政権に近い廷臣であり、伯爵位まで授かりながら、トール・ベルニクの奇想に巻き込まれた結果が今なのであった。


 宰相エヴァンから疎まれるようになり、ベルニクを頼ると決め旅立ったのだが、運悪く一家揃って虜囚となっている。

 新生派と復活派の間は既に往来が禁じられており、警護の緩む不正規船であったのが仇となったのだろう。


 フィリップは身を震わせながら隣に座る娘クリスの頭を抑えつけていた。


 無論、プロヴァンス女子修道院に預ける以前――素行不良であった時代に娘の口調が戻っている事を責めている訳ではない。


「何か言いたいことをお持ちの方がいるようですけど――どなたかしら?」


 フィリップの背を、嫌な汗が流れ落ちる。


 絶対的な力関係が存在する状況下で、不用意な言動は命取りになると宮廷政治において彼は骨身に染みていた。


 彼の背には、クリスの弟が息を止めしがみ付いている。

 成年すらしていない二人の子供の為にも、そして亡き妻の為にも――この危地を脱する必要があると決意していた。


 だが、そんな父の想いは、猛る娘には届かなかったらしい――。


「うっさいって言ってるでしょうがっ!!」


 父の手を払い、いよいよクリスは立ち上がり叫んでしまった。


 誘拐されたと恐慌し、プロヴァンス女子修道院の実態まで知らされ、手元で大事に育てる他あるまいと決したフィリップである。

 あわよくば、娘をトールの嫁になどという野心も有りはしたが、家族三人で慎ましく暮らす日常でも良かったのだ――。


 ところが、事態は想像し得る中でも最悪の状況となっている。

 眠れぬ夜を過ごす日々、幾度も女神を呪った罰を受けているのだろうか、とフィリップは悲痛な思いを抱く。


「五月蠅い――ですか?」


 怒る風でもなく、少女は静かに尋ねた。


「あんたら蛮族に都合の良いバカ話ばっかり聞かされる身にもなりなさいよ」


 フィリップは額に手をやりつつ、立ち上がった娘を見上げる。


「人を奴隷にしていいなんて、女神が赦すわけないでしょーが」

「いいえ。姿こそ似ておりますが、罪深い異端者は導くべき畜生なのです」

「はあああ?バカじゃないの。異端はね、あんた達なのよ」


 クリスが、傲然と相手を指差す。


 その姿は、勝気であった亡き妻の姿をフィリップに想起させたが、懐かしむ心の余裕など無かった。


「ふう」


 少女が深く息を吐く。


「皆さんは間違った教育を受けていますから、狼狽えるのも無理からぬ事でしょう。ですが、女神が唯一であるのと同じく真理もまた唯一です」

「だから、それが――」

「グノーシスの民のみが、女神に選ばれた民なのです」


 古典文明においても、選民思想という厄介な妄想に囚われた民族は数多存在した。

 その多くは、周囲に不幸をばら蒔く存在となったのだが――。


「ハッ、蛮族が笑わせるんじゃないわよ。EPR通信も無ければ、星系一つも無いじゃない。どこが選ばれてるって?」


 外形的に見るならば、明らかに栄えているのはオビタル帝国側であった。


 グノーシス船団国を蛮族として恐れはするが、いかなる辺境に暮らそうとも彼らを羨む帝国臣民など存在しない。


「皆さんは、女神が秘された知恵の実を盗んだに過ぎません。いわば姦婦の末裔であり、必ずや裁きが下りましょう」

「何を言ってるのか――」

「さて」


 少女は、クリスの話を遮るように告げた。

 彼女の務めは論争に打ち勝つ事ではなく、人々が自傷せぬよう計らう事である。


「神学論争は以上と致しましょう。奴隷としてのあがないが始まってからも、慈悲深きミネルヴァであれば神官と触れ合う機会が設けられますから」


 頃合いとばかりに、フィリップはクリスの手を引いた。


 ――なんと……。

 

 ようやくフィリップは、娘クリスが震えていた事を知る。

 彼女は最大限の勇気を振り絞って、誰も成し得なかった抗弁を図ったのだ。


 手を引かれるまま座りつつ、クリスは再び口を開く。


「名前――あんたの名前を教えなさいよ」


 クリスが、なぜその問いを発したのかは分からないが、恐らくは呪う為だろう。


「常であれば名乗る事など無いのですが――」


 奴隷相手に名を告げる義理など無いのである。

 それでも、いかなる慈悲か気まぐれかは不明ながら少女は応えた。


「私は、アドリア」


 彼女が持つ書物の表紙には、サークルに十字が穿たれている。


「アドリア・クィンクティです」

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