10話 賽は投げられた。

 ロスチスラフが、グノーシス船団国執政官との接点を持ったのは十年ほど前の事である。


 歯抜けのルキウスは、執政官に選ばれると直ぐに行動を開始したのだ。彼が最初に目を付けたのは、帝国で腹黒い奸雄かんゆうと呼ばれる男であった。


 領主となる以前より親交のあったアリス・アイヴァースから、どうしても会わせたい人物がいると言われ、アールヴヘイム邸――つまりはくだんのカジノで出会っている。


 互いの利害と腹のうちを探り合いつつ、徐々に取引を大きくしていった。


 ロスチスラフは自領邦の関わる旅客船及び商船の安全を求め、その見返りとしてルキウスは、オソロセアにおけるフロント企業の摘発逃れという果実を得ている。


 グノーシス船団国は帝国内に多数のフロント企業を持つ。

 奴隷という労働力により、異様なまでに価格競争力の高い自国産の希少資源及び工業製品を流通させる為である。


 帝国と各領邦は、それらフロント企業の摘発に熱心であった為、オソロセア領邦内に彼らの企業が集中する状況となった。


 信仰と道徳という問題を別にするなら、これはオソロセア領邦に莫大な富をもたらしたのである。

 他方では、ルキウスの政治基盤と、彼の個人資産を大幅に増やす結果ともなった。


 帝国とグノーシス船団国が国交を結ぶメリットなど何も無かったのである。

 ところが、数年前に状況が変わってしまった。


「原理主義派の台頭が著しいのです」


 ロスチスラフの屋敷には、「禅の間」と呼ばれる狭い一室がある。

 窓も装飾も無い部屋に三人の権力者が集っていた。


「なかでも、ポンテオが率いるユピテル・レギオンが騒がしくなりました」


 ルキウスが困ったものです、と言った風情で語った。


「正直に申し上げれば、私が二つの失策を犯した為ですが――」


 ひとつ目の失策は、オソロセアから得られる権益から、ユピテル・レギオンに代表される原理主義派勢力を排除したのである。

 ルキウスとしては最終目的の為に、彼らの力を削いでおきたかったのだろう。


 次いで、ふたつ目の失策は――、


「私が選挙中に打ち上げた愚かな公約が、彼らの槍玉に上がったのです」

「帝国の領邦を懲らしめる――とな。衆愚におもねる制度は難儀なものよ」


 彼らの突き上げを交わす為、ルキウスは行動する必要に迫られたのである。

 白羽の矢がたったのは、最も弱小とされるベルニク領邦であった。


「もはや明け透けに言うがな、トール殿」


 ロスチスラフが幾分か申し訳なそうな表情を作った。


「貴領を攻めさせて、その後は儂と帝国軍とで追い払う段取りであったのだ」


 適度な勝利を拾わせ、原理主義派の面目を立てさせる。

 かといって、そのまま捨て置く訳にもいかないので、大軍で攻めて仕方は無しに退却させるという筋書きだったのだろう。


 太陽系に傀儡政権を置ける旨味もあり、奸雄かんゆうとして乗らぬはずの無い策であった。


 ところが――、


「見事に完敗です」


 敗戦の将であるはずが、ルキウスは良い気味だといった表情をする。


「作戦を任せたユピテルのポンテオ総督の吠え面は愉快でしたねぇ」


 奴隷部隊を運用するユピテル・レギオンなど、奴隷制度廃止を目論むルキウスからすれば不俱戴天の敵なのだろう。

 損得を越えた感情が生まれたのである。


「ともあれ、我々は帝国最弱の領邦――失礼――最弱と言われていた領邦にも勝てなかったのです」


 オリヴァーという裏切り者まで用意し、必勝の体勢であったはずである。

 ところが、暗愚と思われたトール・ベルニクは、鮮やかな勝利を決めてしまった。


「当面は原理主義派も大人しくなろう――そう安心したところで――」


 ルキウスは二つに合わせた手のひらを拡げた。


「――帝国が割れました」


 またしても、トール・ベルニクである。

 彼が太陽系の政治的重要度を高める為、帝国を二つに割るという奇想を実現させてしまったのだ。


 グノーシス船団国には、再び責め立てる好機であると考える者もいただろう。


「急がねばなりません。好機と危機が同時に来たようなものですから」

「好機ですか?」


 昨夜とは異なる論旨の展開に興味を抱きつつ、トールは初めて口を開き尋ねた。

 この場に在るルキウスは、トールではなく、ロスチスラフを納得させようとしているのだ。


「ええ、好機です。国交を結ぶなら今を置いて他にありません」


 ルキウスの言う好機とは、敗北による原理主義派の弱体化を指しているのではない。

 むしろ彼らは、より過激化しており、二分された帝国を攻めたいと考えているほどなのだ。


「我が国の経済は略奪と奴隷に依存している。非常にいびつな経済構造です。邪悪――と言っても良いでしょう」


 宗教という濾過ろか装置を使って、そのいびつさを糊塗しているに過ぎない。


「ですが、星系領土とEPR通信を持たぬ我らの生存圏を確保する、最も手っ取り早い手段であるのも確かなのです」


 グノーシス船団国のオビタルは、ニューロデバイスに適合しない人々なのだ。


 国家としての成立過程は不明とされているが、遥かな昔、片端かたわとして追放された被差別階級者であったのかもしれない。


 機器同士をつなぐ為のEPR通信デバイスも存在するが、ニューロデバイスに適合したオビタルが、と呼ばれる認証操作をしなければ疎通しないのである。


「そのような次第で、我々はどうあっても帝国と結ぶ事は出来ない――というのが、これまでの常識でしょう」


 一対一の関係性であれば、必然的にそうなる。


「ところが、幸いな事に三つの勢力に分かたれました」


 新生派オビタル帝国、復活派オビタル帝国、そしてグノーシス船団国である。

 敵の敵は味方――という関係性を構築できるようになった。


 新生派と国交を結び正規の通商を始め、他方で復活派の勢力圏内においては、従来通りに略奪が行える状況である。


 実に手前勝手な理屈であるが、実現可能性の高い方策ではあった。

 新生派は輸送と移動の安全、さらには新たな交易相手を得て、尚且つ復活派を害する事まで出来るのだ。

 

「その間に、我々は準備運動が出来ます」


 まともな国家になるための下地を作る。


 新生派との国交及び通商を通して、略奪と奴隷に依存する経済から、希少資源の輸出や加工貿易へと軸足を移していく――。

 長い時は要するだろうが、略奪や奴隷は不要になっていくだろう。


 さらには、技術協力によりニューロデバイスに適合しない彼らも、EPR通信に準ずる超光速通信を手にする可能性もある。


「上手く出来た――さらには良い話しであろう」


 国交締結に尽力するならば、オソロセアとベルニクに対して、優先的な通商利権を提示する用意もあるとルキウスは付け加えた。


「トール殿は、いかが思われるか?」


 ロスチスラフは、事前に聞いていた内容でもある。

 既に彼の心は決しており、トールに旨味を渡すためにこの場を設けたのだ。


 利に敏く、合理的なロスチスラフからすれば、実に腑に落ちる内容であったに違いない。


「そうですね――」


 と、呟くように告げたトールを、ルキウスは素知らぬ顔で見詰めている。


 トールは知っていた。


 この目論見を成功させたいとルキウスは願っているが、失敗する可能性も高いと考えている事を――。

 失敗した暁には、自らの命が無くなるであろうと彼は自覚している。


 だが、ルキウス・クィンクティはいていたのだ。

 執政官の任期は二十年であり、既に十年が経過している。


 また、原理主義派の勢いに衰えが見られないとはいえ、外交専権は執政官に在り、国交を結ぶ千載一遇の好機が目の前にぶら下がっていた。


 この機を逃さぬ決意をし、さらには失敗しとしても、最大限の楔を打ち込む手筈でいる。


 但し、それを担保するには、トール・ベルニクの協力を必要としていた。

 ルキウスは、トールが欲するであろう果実を、昨夜段階で既に提示している。


 後は、トールが頷くのを待つほか無かった。


 ロスチスラフとルキウスが見守る中、暫しの逡巡を経た後に、ようやく彼は首肯する。


 こうして――、


「分かりました」


 賽は投げられた。


 ルキウス・クィンクティは、断頭台へ向かう。

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