9話 波紋。

 カドガン領邦と面するランドポータルから五十光秒付近に第一防衛陣が敷かれ、多数の艦艇が相対距離を保ち航行していた。


 莫大なコストを要する自走重力場シールドを常時ポータル面に展開するのではなく、量子観測機に反応があればポータル面へ急行して築城する構えである。


 その第一防衛陣は三つの艦隊で構成されていた。


 ベルニク、オソロセア、マクギガンの各領邦が派出し、総計三万隻を超える艦艇数となる。各領邦の国獣にちなみに、ホーク艦隊、ウルフ艦隊、ベア艦隊──と便宜的に呼称されていた。


 さて、ホワイトローズである。


 ──なんて、優雅にお食事なさるのかしらん……。


 と、ボウとした表情を浮かべる女がいた。


「クロエ中尉──どうしたの?」


 ジャンヌ・バルバストルは、ホーク艦隊第五戦隊を預かる戦隊長となっていた。隊長艦ホワイトローズ隷下に襲揚陸艦三隻と戦闘艇千隻を従えている。


 併せて副官も増員されていたのだ。


 新任副官クロエ・ラヴィス中尉の働きぶりに不満は無かったが、時折自分の世界に入ってしまう傾向が見られる点は気になっていた。


「し、失礼しましたッ」


 クロエは慌ててフォークを使いサラダを口許へ運び始める。


「食べなければ──」


 と、言いかけた時、隣席の会話が耳に入りジャンヌの動きが止まる。


 ホワイトローズは中型艦艇のため士官用の食堂が無く、時間帯によっては一般兵卒達も混じっていた。


「おいおい凄いな。俺等の閣下はオソロセアの三人娘を丸ごと貰う気なのか?」

「オビタル三人でピュアオビタル一人分ってことかもしれん」


 ジャンヌは耳を澄ませた。


 ──オソロセアで親善行事があるとは聞いていたけれど、


「三人娘……」

「おねえ──あわわ──戦隊長殿はご存じなかったのですか?」


 漏れ聞こえる会話に耳を傾けるジャンヌに気付いたクロエが尋ねる。


「閣下とロスチスラフ侯の令嬢方々に何の関係が──」


 食事の手を止め、ジャンヌは真剣な表情で呟く。


 興味有りと見て取ったクロエは、歓心を得る機会に心湧きながら口を開いた。


「とぉってもロマンティックなお話なんです。オソロセアの友達から聞いたんですけど──」


 ◇


 オリヴィア宮の通路を歩く侍従長シモン・イスカリオテは絶望的な心境であった。

 

 部下の一人から報告を受け、自身でも目の当たりにしている。


 ──ピュアオビタルとかは、どうでも良いですね!


 おまけに喜色を浮かべたオソロセア三人娘が市井の町娘の如くトールにまとわりついていた。


 一部メディアによれば戦勝祝賀会から親交を育んで来たとか来ないとか──。


 シモンとしては裏切られた想いがある。


 ──無類の巨乳好きでは無かったのか?


 その噂こそが、シモンにとって一縷の希望だったのである。


 トール・ベルニクの周りには、その条件を満たす美女が揃っているが、幸いにも彼女達はピュアオビタルでは無い。


 故に決して結ばれないはずなのだ。


 その猶予期間内に女帝がトールを篭絡してしまえば良い──と考えていた。


 ところが、今回の報道で全ての前提が覆ってしまったのである。


「これを、伝える身にもなってくれ――」


 心中が思わず口をついて出てしまう。


 女帝ウルドに事実を伝えるのも恐ろしいが、伝えない場合も恐ろしい。

 まさに八方塞がりである。


 と、ここで再びシモンは、出会ったばかりの奇妙な女を思い起こす。


 ──困っている方々を放っておけない性質たちですのよ~。


 シモンは日々のストレスに向き合うため、カウンセリングを受けているのだが、そこの待合室で声を掛けられたのである。


 ──どぉ〜んな問題でも解決してみせますわぁ。例えばどこかへ逃げるとか──オホホホ。


 間違いなく不審人物だったが、シモンの判断力は限界に達していた。


「よ、よし──逃げよう──」

「どこへじゃ」

「ひぃっ」


 振り返ると、女帝ウルドが立っていた。


 ──使用人エリアにまで何の用なのだ──ま、まさかッ!?


 見れば、いつぞやと同じく乗馬服姿となっている。そして、その手には──。


「テラスで寛いでおったのだが──ちと、思い立ってな」

「は、はあ」

「次の予定まで、小一時間程の暇があろう」


 一時間も鞭で打たれては死んでしまう、とシモンは震え上がった。


「準備を致せ」


 ◇


 馬として生き残っている種は、サラブレッド種とポニー種のみであるが、オビタルと共にポータルを抜け地球から銀河へと拡がっていた。


 多くの貴族と同様に、女帝ウルドは乗馬というスポーツを好んだ。


 ウォルデン領邦に在る頃から嗜んでおり、イリアム宮においては、使用人をいたぶる以外では唯一の息抜きとなっていた。

 大きな馬の背を跨ぎ意のままに乗りこなす事で、傷付いた自尊心の修復を図っていたのかもしれない。


 改装中のオリヴィア宮でも、花が咲き誇る大庭園など最早取り潰し、芝生を敷き詰めて乗馬可能な状態としている。


 だが、ウルドにとっては手狭過ぎた。


 ──この点だけは、イリアムが懐かしい。


 頬に掛かる風圧を心地よく感じながら、白い馬を走らせている。


 ──しかし、気に入らぬ面構えであったな。


 オソロセアの三人娘の顔貌を思い起こす。


 侍従長シモンが伝えるまでもなく、既にウルドは報道を知っていたのである。


 とはいえ、シモンが怯えるほどには、ウルドの癇気かんきは刺激されていなかった。


 三人娘との逸話など、トールの発言が政治問題化するのを避ける為の与太であると看破している。

 無論、愉快な気分では無かったのだが──。


 喫緊の課題は、トールが銀冠に価値を見出していない点だろう。


 ──ここまで破天荒であったとはな。


 帝国と教会の権威を意に介さず、トールにとって都合の良い政治情勢を作り上げてしまった。


 自身とアレクサンデルは、その為に担がれた神輿であるとも理解している。


 そして今、ピュアオビタルという価値をも否定したのだ。


 ──まこと、ひと筋縄ではいかぬ……。


 たらすと決した以上、万難を排してたらすのであるが、どうにも手札が不足しているように思われた。


 ──全ての女をくびる──訳にもいかぬしな。やはり、暫しの熟慮が必要であろうな。


 そろそろ刻限かと馬を止め、嫋やかな表情でたてがみを撫でる彼女は、慈愛に満ちた女神にも劣らぬ美しさであった。


 ──それはそれとして……。


 口端に人の悪い笑みが浮かぶ。


 ──娘共には仕置き──否、教育が必要であろうな。


 ウルドの中では、当面の為すべきことが明確になってきたようであった。

 

 それは、悪意から始まり、後に意外な結果をもたらす事となる。


 因果の織り成すタペストリーとは、実に複雑怪奇な紋様なのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る