9話 波紋。

 トール・ベルニクの発言は、いわばオビタルが抱く価値観への挑戦である。

 政治、宗教を巻き込んだ論争に発展する恐れをも孕んでいた。


 それを危惧した首席秘書官のロベニカは、この時ばかりは身近にソフィア・ムッチーノが居合わせた事に女神へ感謝を捧げたかもしれない。


「お願いよ、ソフィア。あなたなら――」

「ええ」


 ソフィアは、嫣然と微笑んだ。


「任せて。ま、個人的には嬉しいし――ちゃ~んす、でしょ?」


 そう言って彼女は、エクソダス・Mや、知人のメディア関係者を巻き込み、トール・ベルニク発言が政治問題化しないよう動いた。


 つまり、事実の矮小化を図ったのである。


 トールは、オソロセアの三人娘をかねてから好んでおり、彼女達を気遣っての発言であった、という論調で報じたのだ。

 出会いは遡ること旧帝都における戦勝祝賀会にて――というような次第である。


 主要メディアは、ソフィアの影響力か忖度かはいざ知らず、この論調に沿って伝える結果となった。


 とはいえ、ロベニカが意図せぬ形での波紋は拡がっていくのである――。 


 ◇

 

 カドガン領邦と面するランドポータル前から、五十光秒付近に第一防衛陣が敷かれ多数の艦艇が相対距離を保って航行していた。


 莫大なコストを要する自走重力場シールドを、常時ポータル面に展開しておく事は出来ない為、量子観測機に反応あればポータル面へ急行して築城するのである。


 第一防衛陣に配置される艦艇は、三つの艦隊で構成されていた。


 ベルニク、オソロセア、マクギガンの各領邦が、女帝ウルドの要請に基づき派出している艦隊で、総計三万隻を超える艦艇数である。

 各領邦の国獣にちなみに、ホーク艦隊、ウルフ艦隊、ベア艦隊と便宜的に呼称された。


 ホーク艦隊を率いるのは、木星方面艦隊司令であった男であるが、その名は後に記そう。

 ここで語るべきは、ホワイトローズなのである。


 ――なんて、優雅にお食事なさるのかしら……。


 ベルニク領邦軍は、大幅な組織変更と配置替えが行われている最中にある。

 兵卒から士官に至るまで、運の良さと日頃の行いが、彼らの運命を分けた。


 憧れのひと――ジャンヌ・バルバストルの向こう正面に座り、昼食を摂る栄に授かった彼女などは、実に運が良かったと言えるのだろう。


「あら、クロエ。どうしたの?」


 ジャンヌは新たな副官として加わったクロエ・ラヴィス中尉に尋ねた。

 副官が自身の食事に未だ手を付けていない事に気付いたからである。


 これまで、艦長として副官一名のみであったが、今次行動においては、ホーク艦隊第五戦隊を預かる戦隊長を拝命した結果、副官が増員されていた。


 超前衛部隊となる第五戦隊の隊長艦ホワイトローズ旗下に、強襲揚陸艦三隻、戦闘艇千隻を従えている。


「し、失礼しましたッ」


 ジャンヌに見惚れていた自覚のあるクロエは、慌てて自らのフォークを使いサラダを口許へと運び始めた。


「食べなければ――」


 と、言いかけた時、隣席の会話が耳に入りジャンヌの動きが止まる。


 ホワイトローズは中型艦艇のため、士官用の食堂というものがなく、時間帯によっては一般兵卒達も混じっていた。


「おいおい凄いな。うちらの閣下は、オソロセアの三人娘を丸ごと貰う気なのか?」

「ははは。まあ、オビタル三人で、ピュアオビタル一人分ってことかもな」


 ジャンヌは耳を澄ませた。

 内容は今一つ理解できないが、トールの事を話題にしているのは確かだろう。


 ――オソロセアで親善行事があるとは聞いていたけれど――三人娘?


「あら、おねえ――あわわ――戦隊長殿はご存じなかったのですか?」


 漏れ聞こえる会話に耳を傾けるジャンヌに気付いたクロエが尋ねる。


「閣下とロスチスラフ侯の令嬢方々に――何の関係が――」


 食事の手を止め、ジャンヌは真剣な表情で呟く。

 興味有りと見て取ったクロエは、歓心を得る機会に心湧きながら口を開いた。


「とぉってもロマンティックな話なんです。さっき見たんですけど――」


 情感込めて語るクロエであったが、残念ながらロマンの部分はジャンヌには全く響いていない。

 彼女の鼓膜と言語野に至ったのは、たったひとつの事実のみである。

 

 ◇


 オリヴィア宮の通路を歩く侍従長シモン・イスカリオテは絶望的な心持であった。

 先ほど、部下の一人から報告を受け、自身でも目の当たりにしている。


 ――ピュアオビタルとかは、どうでも良いですね!


 そう告げた瞬間、喜色を浮かべたオソロセアの三人娘は、市井の町娘の如くトールにまとわりついていた。

 報道によれば、戦勝祝賀会から親交を温めて来たらしい――。


 シモンとしては裏切られた心持ちであった。


 ――無類の巨乳好きでは無かったのか?


 その噂こそが、シモンにとって一縷の希望だったのである。


 トール・ベルニクの周りには、その条件を満たす美女が揃っているが、幸いにも彼女達はピュアオビタルでは無い。


 ゆえに、決して結ばれないはずなのだ。その猶予期間内に、厄介な主人がトールを篭絡してしまえば良い――と考えていた。

 そうなってくれれば、少なくともシモン・イスカリオテの元には安息が訪れるであろう、と。


 ところが、今回の報道で全ての前提が覆ってしまったのである。


「これを、伝える身にもなってくれ――」


 心中が思わず口をついて出てしまう。


 女帝ウルドに事実を伝えるのも恐ろしいが、伝えない場合も恐ろしい。

 まさに八方塞がりである。


 と、ここで再びシモンは、出会ったばかりの奇妙な女を思い起こす。


 ――困っている方々を放っておけない性質たちですのよ~。


 シモンは、日々のストレスに向き合うため、カウンセリングを受けているのだが、そこの待合室で声を掛けられたのである。


 ――どんな、問題でも解決してみせますわぁ。例えばどこかへ逃げるとか――オホホホ。


 間違いなく不審人物であるのだが、シモンの判断力は限界に達していた。


「よ、よし――兎も角、逃げよう――」

「どこへじゃ」

「ひぃっ」


 振り返ると、女帝ウルドが立っていた。


 ――使用人エリアにまで何の用なのだ――ま、まさかッ!?


 見れば、いつぞやと同じく乗馬服姿となっている。そして、その手には――。


「テラスで寛いでおったのだが――ちと、思い立ってな」

「は、はあ」

「次の予定まで、小一時間程の暇があろう」


 一時間も鞭で打たれては死んでしまう――とシモンは震え上がった。


「準備を致せ」


 ◇


 馬として生き残っている種は、サラブレッド種とポニー種のみであるが、オビタルと共に、ポータルを抜け地球から銀河へと拡がっていた。


 多くの貴族と同様に、女帝ウルドは乗馬というスポーツを好んだ。


 ウォルデン領邦に在る頃から嗜んでおり、イリアム宮においては、使用人をいたぶる以外では唯一の息抜きとなっていた。

 大きな馬の背を跨ぎ、意のままに乗りこなす事で、傷付いた自尊心の修復を図っていたのかもしれない。


 改装中のオリヴィア宮でも、花が咲き誇る大庭園など最早取り潰し、芝生を敷き詰めて乗馬可能な状態としている。


 だが、ウルドにとっては手狭に過ぎた。


 ――この点だけは、イリアムが懐かしい。


 頬に掛かる風圧を心地よく感じながら、白い馬を走らせている。


 ――しかし、気に入らぬ面構えであったな。


 オソロセアの三人娘の顔貌を思い起こす。

 侍従長シモンが伝えるまでもなく、既にウルドは報道を知っていたのである。


 とはいえ、シモンが怯えるほどには、ウルドの癇気かんきは刺激されていなかった。


 三人娘との逸話など、政治問題化を避ける為の与太であると看破している。

 無論、愉快な気分では無かったのだが――。


 やはり問題は、トールが銀冠に価値を見出していない点だろう。


 ――ここまで破天荒であったとはな。


 帝国と教会の権威を意に介さず、トールにとって都合の良い政治、宗教情勢を作り上げてしまった。

 自身とアレクサンデルは、その為にこそ担がれた神輿であるとも理解している。


 そして今、ピュアオビタルという価値をも否定したのだ。


 ――まこと、ひと筋縄ではいかぬ……。


 たらすと決した以上、万難を排してたらすのであるが、どうにも手札が不足しているように思われた。


 ――全ての女をくびる――訳にもいかぬしな。やはり、暫しの熟慮が必要であろうな。


 そろそろ刻限かと馬を止め、嫋やかな表情でたてがみを撫でる彼女は、慈愛に満ちた女神にも劣らぬ美しさであった。


 ――それはそれとして……。


 口端に人の悪い笑みが浮かぶ。


 ――娘共には仕置き――否、教育が必要であろ。


 ウルドの中では、当面の為すべきことが明確になってきたようであった。

 

 それは、悪意から始まり、後に意外な結果をもたらす事となる。

 因果の織り成すタペストリーとは、実に複雑怪奇な紋様なのだろう。

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