8話 咲き誇れ三人娘。

 領邦同士の親善行事とは、両者の親密ぶりを内外に知ろ示す事が目的である。


 此度の目的も当然それであるが、同盟批准に向けた機運を醸成するのが第一義である為、専ら互いの領邦民や家臣達へのアピールという側面が強い。


 ゆえに、観艦式のような軍事要素のある行事ではなく、新設された商業施設の見学や、大聖堂にて聖話を聞くなど、トールとしては些か退屈な内容に終始している。


 そのせいだろうか――。


「トール様」


 ウトウトとしていたトールの耳元に心地の良い息吹が届く。


「――う、ううん――もっと――お願いします――」

「――クッ」


 メディアさえ入っていなければ、今回こそ耳朶を引っ張れるのだが――と、ロベニカは横目でトールを睨む。


 ――凄い人になったはずなのに、こういうとこは変わらないのよね。


 己が仕える主人を信じ切れなかった頃、同じく聖話中にうたた寝をしていたトールの横顔が脳裏に浮かんだ。


 オビタルに与えられた寿命を考えるなら、僅かな月日が流れたに過ぎないが、トール・ベルニクを取り巻く環境は大いなる変化を遂げている。

 尚且つ周囲の評価も様変わりしているのだ。


 ――やっぱり――疲れてるのよね……。


 さして大きくはない両肩に、あらゆる重責を担っている。

 

 呑気な表情と、緊張感の無い声音に人は皆騙されるのだろう。

 彼ならば、いかなる窮地であれ、きっと軽々と乗り越えていけるのだ――と。


 だが、タイタンポータルへと向かう月面基地で、彼の小さな背中を見送った瞬間から、ロベニカはその豊かな胸の内奥に秘したる決意があった。


 誰も追えぬほどに早く、そして誰も届かぬほどの高みへと飛翔する存在は、いつかどこかで、その不思議な翼が折れてしまうのではないか――。

 

 首席秘書官には、そんな不吉な予感がある。


 歴史と慣例を意に介さず、凡夫にはえがけぬ未来を見据えるであろう若者は、老獪で退屈な多数派の網にかかり足下をすくわれる可能性があった。


 ゆえにこそ、自分はトールの傍に在らねばならない。

 例え疎まれようとも、一般論を振りかざし続けるのだ。


「あっ――わわ」


 パチリとトールが瞳を開く。 


「す、すみません。寝てましたよ」

「しぃ」


 ロベニカが人差し指を唇に当てて囁く。


「――聖話中なんですよ――ホントにもう」


 その言葉とは裏腹に、どうにもいたわるように穏やかな彼女の表情を見てとり、フェリクスの食事が美味しかったのかな――などと散文的な感想を抱いた。


 ――あんまり怒られなくてラッキーだったなぁ。怖いからね。


 実のところ、彼は大いに寝不足だったのである。


 喉を潤す間もなく、執政官ルキウスは自身の目論見を全て明かした。

 いわば、仰向けとなりトールに腹を見せたのである。


 ルキウスが、付き合いのあるロスチスラフではなく、トールを頼る事情も分かった。


 ――とはいえ、悩ましいな……。


 奴隷制度への忌避感はあれど、太陽系を第一に考えると決めたトールにすれば、それは自らの行動を決定する動機とはならない。


 全ての問題を解決できるという驕りとは無縁であるし、正義を追求するなどと猛る愚かさも持ち合わせてはいない男なのだ。


 ルキウスがスキピオと共に消え、平謝りのロスチスラフに連れられ屋敷へと戻ったが、その後もトールは眠れぬ夜を過ごす羽目となった。


 その代償を、親善行事の最中に支払っている。 


 ――そもそも、聖話って退屈だしね。


 未だ名前を憶えていないくだんの大司教が、熱弁を振るう演壇を見やった。


 ――ルキウスさんなら、面白くできるのかな?


 自らの命を賭すと語りつつ、道化癖の抜けない口許を思い出した。


 ◇


 退屈な行事日程は午前で終わり、残すは昼の食事会のみとなる。


「これは、楽しそうですね」


 詩編大聖堂で諸侯が集った夕餉のような形式を想像していたトールであったが、ロスチスラフが供する食事会――昼食会は全く趣が異なっていた。


「――私も参加させて頂ける理由が分かりました」


 そう言うロベニカも、少しばかり声音が弾んだ。


「父が良く友人たちを招待していた頃を思い出します」

「へえ――ロベニカさんの家って、結構お金持ちなんですね」


 トール・ベルニクの不思議な感性からすると、この手の催しは富裕層がやるものらしい。


「え――いえ、ど、どうでしょう。それに今は――」

「これこれ、いつまで仕事の話をしておる。肉を食ってくれ」


 巨大な肉塊の刺さった鉄串を片手に、ロスチスラフがトール達の元に来た。


「あ、そうですよね」


 屋敷の敷地内に在る庭園エリアは、巨大なバーべーキュー会場となっている。

 使用人達が総出で肉を焼いているせいか、食欲をそそる香りを伴う煙が漂っていた。


 招待客には、オソロセアを支える家臣とその家族、そしてベルニク領邦が置く領事などもいる。

 既にトールの元へと多くの者が、鉄串を持ったまま挨拶に来ていた。


 喧伝する事が目的であるので、当然ながらメディアも入っており、彼らは肉を咀嚼する要人達にインタビューを敢行している。


 その中に、ソフィア・ムッチーノの姿が在る事もロベニカは気付いていた。


 ――トール様のいる所には、どこまでも追いかけてくる人ね。


 ロベニカは、呆れと感心を同時に抱きつつ、トールに倣って肉串をひとつ取った。


 ――あら――美味しい――。


 ともあれ、貴族らしからぬ、実に鷹揚な昼食会なのである。


「あ、あの――」

「ごきげんよう、伯」

「――」


 ロスチスラフが離れるのと入れ替わり、トールの元を訪れたのは――、


「(もぐもぐ)――あ、ええと――」


 誰ですか、などと、さすがに尋ねてはいけない相手であった。

 トールは必死になって、ロベニカから何度も言い含められた娘達の名を、記憶野に探し求める。


 ――ふぇお、ふぇお――フェオドラ――レイラ――オリガ!


 長女の名を思い出すと、関連付けにより全てが浮かんだ。


「フェオドラさん、レイラさん、オリガさん――ですね」

「まあ」


 フェオドラとオリガが、大袈裟な仕草で口元に手を当てる。


「覚えていて下さったのね、トール伯」

「――嬉しい――です」


 カットアウトドレスを諦め、昼食会用ドレスを纏うフェオドラは、一般的には十分に美しく令嬢然としていた。


 ――フェオドラさんて、高校の時に好きだったに似てるなぁ。


 本人が聞けば喜びそうな感慨をトールは抱いた。


 他方で、最も大人しそうなオリガは、勝負に出ている。

 成長過程にあると主張する胸元を、大胆に魅せるチューブトップドレスであった。


「ボクこそ、本日はお招き頂き――有難うございます」

「いえ、何だか庶民的過ぎて恥ずかしいですわ――。お父様――父の好みなんですの」

「え、そうですか?お肉も美味しいですし――ボクは好きですけど」


 豪奢な空間でテーブルを囲み、マナーを気にしながら食事をするより余程良いとトールは考えている。


「――嬉しい――お父様も喜びます」


 オリガが、潤んだ瞳で告げた。


 結局、三人娘は共に行動しようと決めたのである。


 旧帝都で催された祝賀会の頃ならばいざ知らず、今となってはトール・ベルニクがあまりにも高みへと至ってしまった。


 浮かれた思いはあれど、階級社会に厳然と存在する壁を、三姉妹は熟知している。

 それは、彼女達が周囲に見せつけて来た壁でもあるのだ。


 だが、僅かな望みはある――。


 銀冠を戴かぬオビタルで胸も月並みだが、大オソロセアの娘であり、父は彼の盟友になろうとしていた。


 ――それに――美しいはずよ。


 フェオドラは、己の容姿に自信を持っていた。

 レイラやオリガとて同様である。


 勿論、その自己評価は誤りではないのだが――と考えつつ、姉妹の中では冷静なレイラは、トールの一歩後ろに立つ女に視線を移していた。


 ――彼女が、噂の首席秘書官ね……。


 姉と妹が、トールと繰り広げる児戯た会話を聞き流しつつ、レイラはロベニカを観察する。

 直ぐにロベニカは気付いたのだが、失礼にならぬよう会釈にとどめた。


 ――見事としか言いようのない――ね――。


 礼儀を考えれば、目を離さねばならないのだが、レイラはある一点から視線を外すことが出来ない。

 優美にして、雄大な曲線美――。


 ひと目で適わぬ相手と分かる。

 その上、トールの周囲には、彼女に引けを取らない女が他にもいた。


 だが――とレイラは思考を進めていく。

 彼女や他の女にも欠けているピースがある。そのピースの優先度を明らかにした上で、今後の打ち手を決めねばならない。


「トール伯」


 幾分か落ち着いた声音を作って、レイラは口を開いた。

 フェオドラとオリガが、という視線をレイラに送る。


「はい」

「少々、不躾な質問を御許し下さい」

「ええ、どうぞ」


 トールは呑気に応えた。


「では――」


 レイラは、つと背筋を伸ばす。


 彼女は目的に対して手段を選ばず直截に進む性向があり、三姉妹の中で最もロスチスラフの血を色濃く受け継いでいた。


「トール伯に想い人有りとの噂――真なのですか?」

「え、そんな噂があったんですか?」


 名の知られた人物が独身であれば、誰もが巷間で囁かれる類の噂である。

 内容も意味もさして無かったし、レイラ自身も噂の件などどうでも良いのだ。


「へえ――いや、想い人――今のところ居ませんよ」


 フェオドラとオリガの表情に、隠せぬ喜色が浮かぶ。


「あら、噂って下らないですわね――ですが、伯を射止める幸運な方は――」


 レイラは胸元に上げている両の手を強く握った。


「――当然ながら銀冠の乙女なのでしょうけれど」


 フェオドラとオリガの表情から、先ほどの喜色が消える。


 彼女達とて、胸の中では分かっている事なのだ。

 だが、今暫くは、可能性という名の甘味料を味わっていたかった。


「なるほど、ボクがピュアオビタルだからですね」

 

 うんうん、とトールが頷く。


 オビタルに根付いた価値観からすれば、ピュアオビタルという至高の遺伝特性は、確実に子へと継承していくべきものである。


 だが、レイラは質問する相手を間違えたのかもしれない。


「正直なところ――」


 胸のサイズが気になります、とはさすがに公言しなかったのだが――、


「ピュアオビタルとかは、どうでも良いですね!」


 別の意味で爆弾発言となった。


 かくして、にこやかに応えるトールと、浮かれた三姉妹の華やぐ様子は、居合わせたメディアによって拡く報じられる事となる。


 親善行事など他に伝えるトピックも無いのだ。


 だが、この報道は、各所に波紋をもらたす事態へと発展していく――。

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