7話 彼の瞳は澄んでいる。

「侯を介さずに、お会いしたかったんですよ」


 と、帝国臣民から忌み嫌われる国家の元首が告げる。


 トールとしても非常に興味深い邂逅かいこうであった。

 

 屋敷の地下で見た書物に始まり、実際に砲戦と剣戟を繰り広げ、現在は勢力に取り込もうとしている相手である。

 それでいて、帝国においてかの国の実態を知る者は少なく、EPRネットワーク上にも有意な情報は存在しない。


 ――巨乳戦記でも詳細は語られなかった国なんだよなぁ。


 異端にして、EPR通信を持たない蛮族。

 オソロセアと手を結び、帝国と国交を結ぶに至るが、最終的には教皇となった聖レオの介入があり再び決裂した。


 ――ただ、帝国からの視点しか無かったから、グノーシス船団国内部の動きは分からないんだよね……。


「なるほど――じゃあ、これってロスチスラフ侯に内緒なんですね?」

「はい」


 ルキウスが頷く。


 となれば、ルキウスとアリス・アイヴァースが繋がっている事を意味する。

 彼女がロスチスラフとトールを引き離し、スキピオがここにいざなったのである。


 上得意の客なのか、あるいは――。


「今さらですけど、なぜですか?」


 明日の親善行事が終わった夜には、ロスチスラフの屋敷で密議が執り行われる予定である。

 帝国では唯一の窓口であろう男を同席させず、初対面の相手と接触すべき理由が見えてこない。


「トール伯、その問いに応える前に、少しばかり私の自己紹介をさせて下さい」


 と、ルキウスが言い終えたところで――、


「さて、と」


 スキピオはグラスを置き席を立った。


「――俺は失礼するよ」


 役目は終えたとばかりにトールの肩を軽く叩きカジノへ戻って行く。

 給仕役の女達の視線を奪いながら、人込みに消えていった。


 執政官相手に不躾な態度に思えたが、ルキウスは気にする様子もない。


「彼は耳にしない方が良い話しになりますから」

「え、ああ――はい」


 正体の分からぬ戦士への好奇心は残ったが、さらに謎多き人物が隣に座っている。

 カジノへの興味を失っているトールからすれば、実に有意義な夜になったように思えた。


「では、改めまして。私はルキウス・クィンクティ。グノーシス船団国の執政官です」

「ボクはトール・ベルニクです」


 頭を下げて応えるトールを見て、ルキウスはクスリと笑った。


「何だか面白いな――。あなたを見ていると血が騒ぎます」

「え?」

「失礼になるかもしれませんが、ね。実のところ――私の前職はコメディアンなのですよ」

「こ、コメディ?」

「そうです」


 トールはあまり視聴する機会は無かったが、EPRネットワーク上でも多数のコメディアンが活躍している。

 社会や政治を風刺した内容が多く、階級社会における一種の風穴的な役割を果たしているのだろう。


 同種の存在は、蛮族と言われるグノーシス船団国にもあった。

 最高権力者である執政官を直接選挙で選ぶという土壌もあり、風刺内容は帝国などよりさらに過激で先鋭化されている。


「コメディアンというのは大層なひねくれ者――いや、笑うという行為自体が悪意の塊ですからね」

「そういうものですか」


 自分などは、さぞかし茶化せる部分が多いだろう、とトールは素直に思った。


「ただし、発する悪意が許される存在であり続けねばなりません。誰から見ても欠点の無い者が人様の悪口を言っても面白くありませんからね」


 その言葉の意味するところは、トールにも何となく理解できる。


「分かり易い弱点のあるコメディアンほど強いものはないのです」


 トールは無意識のうちに、ルキウスの口から覗く欠けた歯を見ていた。


「これは違います」

「す、すみません――」

「いえいえ。違うというのは不正確ですね。因果のひとつではあります」

「はい?」


 訝し気なトールの表情を、ルキウスは楽し気な様子で見る。


「私はね――」


 ここだけの話ですよ、という素振りで話を続けた。


「――解放奴隷なんです」


 ◇


 グノーシス船団国の奴隷になる方法は三つある。

 帝国から攫われるか、罪を犯すか、あるいは奴隷の子として生まれるか――。


 執政官ルキウス・クィンクティは、奴隷の子として生まれた。


「扱いはレギオンによります。一番悲惨なのは、ユピテル・レギオンでしょうかね――」


 ほとんどの奴隷は、恒星間天体における希少鉱石採掘に従事する。


 過酷で危険と隣り合わせな作業となり、このためにこそグノーシス船団国は奴隷を欲するのであった。

 人力不要の採掘システムを何度か構築したのだが、最終的には奴隷を利用するのが最も安上がりという結論に達したらしい。


 また、使い捨て可能な兵士として利用するレギオンも多かった。

 ユピテル・レギオンなどは、その分野では最もとされ、実に忠実な奴隷部隊を作り上げたそうである。


「ですが、進歩派のレギオンであれば、奴隷を解放する制度があるんです」


 奴隷の主人――つまり所有者が、所定の手続きを行えば自由奴隷という身分を得る。

 だが、国民と同等の権利を得る解放奴隷は、自由奴隷の子世代からであった。


「つまり、私の父親が奴隷ではなくなり、ようやく私の代で解放奴隷となった訳です」


 そこが、ルキウス・クィンクティの弱点なのだ。


「それはもう悲惨な少年時代でしたよ」


 権利が与えられたところで、即座に周囲の見方が変わるはずも無い。

 思春期の少年少女には、古典文明同様の残酷さが残っている。


「この歯はね、当時の記念に残しておいたんです」

「記念――ですか――」


 トールには、記念というより、自身への決意表明であるかのように思えた。

 滑稽で無様だが、ルキウスはそれを武器としてコメディアンとしての地位を確立したのである。


「まあ確かに、この無様な口許と解放奴隷という身分は役に立ちました。醜い解放奴隷の雑言を真に受けるなど、お偉方のプライドが許しませんからね」


 ルキウスは巧妙に大衆の気を引いた。


 道化として振る舞い、時折は賢し気に鋭い意見を述べる。

 常に半歩先を読んだ言動をするが、気楽でお喋りな男を演じ続けた。


「けど、そこから執政官になったんですよね?」


 レギオンという強い自治権を持つ船団があるとはいえ、それらを束ねる最高権力者である。


「理由は幾つかありますが、言葉悪く言えば、直接選挙って知名度と金があればチョロいんです」


 レギオン総督の名は知らずとも、歯抜けのルキウスは知っている――。

 民会と呼ばれる議会も存在するが、議員達の動向を気にする者などいない。


 誰もが日々の生活と、帝国からの略奪に忙しいのである。


「運も良かった。コメディアン時代、虚仮こけにしまくった前執政官が、ラムダ聖教会と接触しているのがバレましてね」

「え?」


 この情報は、トールにとって初耳である。


「やはり帝国では報道されていませんでしたか。十年ほど前の話ですが」

「知りませんでした――けど、何の為でしょうね?」


 教会とグノーシス船団国とは犬猿の仲ではなかったのか?


「そこが不明なんですよ。ただ、会っていたのは間違いないのです」

「教皇――当時の教皇ですか?」

「いいえ」


 ルキウスが頭を振った。


「レオ・セントロマという枢機卿すうきけいです。皆様は聖レオと呼ばれていますよね?」


 独りであれば、面白いと膝を打ったかもしれない。

 

 是非とも、アレクサンデルと会って真相を聞き出したいところである。

 今後、聖レオが障害物となれば、追い払う材料としても使えるだろう。


「ともあれ、そのお陰で、私の株が上がったんです」


 歯抜けのルキウスには見る目がある、という大衆の意思が形成されたのだろう。


「おまけに、私には手堅い票田が在る」


 その票田については、トールにも予想が出来た。


「ははあ――ルキウスさんと同じ立場の方々――解放奴隷ですね」

「そうですそうです。ご明察!」


 彼らにも、それぞれの苦労があったはずである。

 同じ立場の者がったとなれば、自身に与えられた権利を間違いなく行使するだろう。


「後は、耳障りの良い事だけを、面白おかしく言うだけで勝てましたね」

「税金を安くしますとかですか?」

「それだけじゃ弱いですね。野蛮な帝国の領邦を懲らしめるとか――異端の都アヴィニョンを焼き払うとか――まあ思ってもない事をペラペラ言いました」


 やろうとも思っていないし、実現不可能な公約を威勢よく次々に打ち上げた。


 多数の大衆は、理論武装した退屈な能吏を求めはしない。

 優越感を刺激し、劣等感を慰撫し、そして情動を揺さぶる存在に惹かれるのだ。


 歯抜けのルキウスは、奴隷から祖国に忠実な男への成長というナラティブを提供したのである。


「でも――嘘――だったんですね」

「そうです」


 ルキウスは大きく頷いて、自らの詐欺行為を認めた。


「となると、執政官になった理由は何なのです?」


 尋ねつつも、トールはその真意に凡そ見当が付いている。


「奴隷制度の廃止です」


 やはりか、とトールは思った。

 ルキウスが、これまでに打って来た手、そして今後の打ち手も、そこに繋がっているのだろう。


「私は全てを捧げる。歯抜けのルキウスの文字通り全てをです」


 そう告げる彼の瞳は、異様なまでに澄み切っていた。

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