6話 歯抜けのルキウス。

 トールより裕福そうなドアマンが開いた扉の向こうは別世界であった。


「わぁ、ホントにカジノみたいですね!」

「いや──」


 本当のカジノに決まっておる、と応えようとしたロスチスラフだったが、待ち構えていた紫紺のドレスを纏った女に遮られる。


 女は優雅な屈膝礼カテーシーをした後、自然な仕草でロスチスラフの脇に歩み寄ると腕を添えた。


 と、同時に、主人の安全を確保するべく、控えていた護衛官達がホール内のそこかしこへと目立たぬよう散って行く。

 ロスチスラフは、領民の遊興を妨げる無粋を好まないのである。


 また、常の事であるのか、女も気にする様子が無かった。

 

「お久しぶりね、ノヴォ」


 幾分か鼻にかかったハスキーな声音である。


「うむ」


 二つ名の由来は分からないが、この場における彼の呼び名のようだ。

 顔を隠している訳でもないので、訪れる客や従業員達も、それと知った上で彼をノヴォとして遇するのだろう。


「今日は、客人を遊ばせたいのだ。こちらの──」


 そこで、珍しくロスチスラフが言葉を詰まらせる。


「カートです」


 阿吽の呼吸で、トールは適当な名を告げた。


「カートにノヴォ。素敵な名前だわ」

「ありがとうございます。ええと──」

「私はアリス」


 雰囲気と名前が一致しないな、とトールは思ったが口にする事は無かった。 


「一夜の夢を供する女、アリス・アイヴァースよ」


 そう言って微笑むが、目元は緩んでいない。


 アンチエイジングに長けたオビタルの年齢を読み取るのは困難だが、落ち着いた物腰と雰囲気からよわいは重ねているだろうと察せられた。


「以後、お見知りおきを──それはそうと、ねぇノヴォ」


 興味を失ったかの如くトールから視線を外したアリスは、ロスチスラフに少しばかり甘えた声で囁く。


 この辺りの所作は、年増女の知恵なのだろう。

 アリスは成功した男の嫉妬深さを熟知しており、無駄にいさかいの種を育まぬ心遣いに長けていた。


「あなたにしか出来ない相談があるの──。お連れ様が居るのに申し訳ないのだれど、付き合ってくださる?」

「相談──いや──」

「あ、どうぞ。ボクにはお気遣いなく」


 心底から思っていたので、トールは笑顔で告げた。


 多数の護衛官が潜む安全な場所である。

 

 初めて経験するカジノという場所を一人で散策するのも悪くないと考えたのだろう。


「ちょっと、見物してますよ」


 ◇


 瀟洒な外観とは異なり、邸宅の中は吹き抜けの大ホールとなっていた。


 ──映画で見た感じと同じだなぁ。

 

 カードを楽しむテーブルや、ルーレット、乱数生成機器──つまりはスロットマシンなどが配置され、銀盆にグラスを載せた美女達が行き交っていた。


 トールも適当なグラスを受け取り、名前も分からぬ酒を少しだけ口に含んだ。


 ──これは、ロベニカさん向きの強さだな。


 舌を少し出したトールは、酒よりもマリ特製炭酸水を欲した。

 

 ロベニカやセバスから聞いた話によれば、以前のトールはインフィニティ・モルディブのカジノで良く遊んでいたそうである。

 とはいえ、その記憶が彼には一切残っていない。


 ──競馬や競輪も行った事ないしなぁ。

 ──ボクって、本と剣道で満足してたんだよね……。


 トールの記憶のみに生きる秋川トオルの人生はシンプルである。


 真面目に働き、読書を愉しみ、週末は道場と呼ぶ訓練施設に通った。


 さりとて、現状の彼もさほど変わりは無い。


 異なる点と言えば、夢想していた艦隊戦を指揮できる立場を得た事だろう。


 ──あれ──なんだか、凄い違いじゃないか?


 責任と命を対価として、自身の夢想が全て具現化した状態である。奇妙な現実認識のおかげで幸いにもストレス負荷も高くはない。


 つまり、トールは満たされており、代償行為など不要である。


 その事実に気付くと、急速につまらない場所に立っている感覚に襲われた。


 ──ロスチスラフさんには悪いけど、何だか帰りたいなぁ。


 EPR通信でそうと告げるのも気が引けた為、ロスチスラフの姿を探そうと辺りを見回した。


「どうしたんだい?」


 人を探すトールの姿が、迷子にでも見えたのかもしれない。彼は実際に歳若く、どちらかと言えば小柄であるせいか少年のようにも見える。


 そんなトールに声を掛けたのは、頬の傷は目立つが、数多の女を泣かせたと思わせる伊達男だった。


「あ、いえ、ちょっと──人探しを」

「へえ?」


 男は面白そうな様子で眉を上げた。


「大方、他に良い男が居たんだろうさ」


 トールの探し人が、連れ合いの女であると決めつけたらしく、悪戯っぽい笑みを浮かべている。


「負けた男は捨てられるってね。俺も似たようなもんだから──お仲間だ」


 そう言って肩を竦めて見せ、数枚のカジノコインを宙に放る。


 明らかに法螺話だが、不思議な可笑おかしみを感じさせた。


「俺はスキピオだ。キミは?」

「ボクはト──あ、いや、カートでした」

「そうか」


 スキピオは名前の言い間違いを気にする様子も無かった。つまり、トール・ベルニクであると知った上で接近したに違いない。


 メディア露出の増えた男が、顔も隠さずにボウと歩いているのだから当然とも言える。


 騒ぎにならないのは、ここに集う人々の矜持か、あるいは賭博によって放出される脳内麻薬によるのだろう。


「ここがいいな」


 いつの間にかトールはバーカウンターにいざなわれていた。


 スツールには先客が一人いる。スキピオは、なぜかトールを先客の隣に座らせ、自身もトールの隣に腰掛けた。


「飲もう」


 断っても良かったが、相手に対する好奇の勝ったトールは素直に頷いた。


 無論、スキピオが叩く軽口に興味を抱いた訳ではない。


 ──珍しいな。


 帝国のオビタルならば浮浪児ですらニューロデバイスを埋め込まれた膨らみがある。


 他方、トールを襲った狂人ルーカス・ベルツ、そして消えた道化などは膨らみの代わりにニューロデバイスの切除痕があった。


 だが、眼の前の男には、そのいずれも無い。


「大将」


 相手の身許について考えを巡らせるトールをよそに、スキピオはトールの隣に座る先客に声を掛けていた。


「お連れしたぜ」


 首を左右に振るトールに、スキピオはグラスを掲げる。


「大将って──蛮族だからですか? 執政官と呼ぶべきでしょう、スキピオ君」


 先客の男は苦笑交じりに応えた。


「いやはや、こんな形で失礼しました。トール・ベルニク伯爵──それとも──」


 男の瞳が悪戯っぽく光る。


「──銀獅子権元帥ごんげんすいとお呼びすべきですかね?」


 トールが拝命する羽目となった官職を告げた。


 法制度上は存在しない官職だが、遥かな昔、多数の領邦が連合を組んで敵と当たる際に置かれた総司令官を示す職位である。


「アハハ、大袈裟ですよね」


 見知らぬ相手が公表されていないトールの官職を口にした不信より、改めて聞くその名が持つ響きに笑ってしまった。


「で、ええと、あなたは?」


 トールの問いに、男は爽やかに微笑むが、惜しむらくは幾つかの歯が欠けていた。


「ルキウス・クィンクティと申します。まあ──スキピオ君の言う通り、蛮族の大将ってわけです」


 歯抜けのルキウス──。


 やがて、断頭台に登る男である。

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