5話 成り上がり者の流儀。
「――ほう?」
侍従長に取り立てられたシモン・イスカリオテの話を聞き、女帝ウルドは飲みかけのグラスをテーブルに置き片方の眉を上げた。
謁見の務めを終えた昼下がり、改装工事の続くオリヴィア宮の様子を見下ろしつつ、テラスで暫しの安らぎを得ている最中の事である。
新生派オビタル帝国とは、新たな国造りに等しい。
また、エヴァンを中心とする復活派との対立は、諸侯だけでなく、経済界、宗教界、さらには学問の世界に対して避け得ぬ踏み絵を迫っていた。
結果、新帝都フェリクスを訪れる者が急増している。
商機を求める者、安全を求める者、あるいは自身の目で新帝都と女帝を見極めようとする者等々、各人の思惑は様々だったが──。
ともあれ、多忙を極める日々となったウルドにとって、午後のこの時間は貴重な休息時間であった。
「ロスチスラフのバカ娘共が浮かれておると?」
「い、いえ――大層に歓迎されていたご様子というだけでして――」
トール・ベルニクに関わる噂や伝聞となれば、即座に女帝へ伝えるのが侍従長の重要な務めとなって久しい。
「同盟締結の露払いと聞いておったが――」
そう呟きながら、ウルドは照射モニタに映像を映し出した。
ロマネスク様式の城めいたロスチスラフの屋敷を、つい先ほどトールが訪れた様子を報ずるオソロセア領邦のメディアである。
領邦上げての歓迎式典をトールが断った為、ロスチスラフと彼の家族、そして使用人達のみで出迎える事となったのだ。
それが逆に両者の親しさを演出しているようにも見えた。
「相変わらず護衛も連れず豪気な男よの」
トールが伴っているのは首席秘書官のみである。
「剣の腕に相当な自信がおありなのかと。噂では、閣下の持たれる剣は、女神の恩寵を受けた聖剣とも――」
「むう、これかッ」
ウルドの表情が険しくなったのに気付き、シモンは即座に口を閉ざした。
背後にそろりと回り込み、彼女が睨む映像を覗き込んだ。
「なるほど、確かに
そんな事は言っておりませんが、と怯えながらシモンは、照射モニタに映る三人の少女がはにかんだ様子で微笑む様子を見やった。
初老となった彼には、心温まる光景に感ぜられたが――。
「惚れておる、惚れておる、惚れておるわ――」
ウルドは三度呟いた後、腕を組んで暫し黙った。
この沈黙こそが、シモンは怖い。
何か良からぬ事を言い出す前兆なのである。
――荒れる――これは荒れるに違いない。今回こそは、逃げねばッ。そういえば、何でも手伝うと言う奇妙な女が居たが……ええと、連絡先は……。
だが、幸いな事に彼の懸念は現実とはならなかった。
「とはいえ――」
ウルドは、落ち着きを取り戻した声音で告げた。
「――所詮は銀冠を持たぬ小娘どもよ。相手になるはずも無し」
「さ、左様――左様でございますっ!」
ここぞとばかりに、シモンは追従をした。
「で、あろ」
トール・ベルニクは英雄であり、尚且つ誇り高きピュアオビタルである。
大オソロセアの娘だとしても、唯のオビタルでは釣り合うはずも無い。
銀冠を戴く女帝ウルドは、早々に、かような結論を導いたのである。
「下らぬ話しに
ははっ、とシモンは頭を垂れた。
未来永劫、仕事一筋の女帝であれば良いと女神に願いながら――。
無論、彼の願いは届かない。
◇
「では、参ろうぞ」
夕刻、ロスチスラフは独りでトールの居室を訪れていた。
翌日催される親善行事を交えた食事会とは別に、今宵はトールを屋敷の外で密かに
「あ、時間ですね。はい、分かりました」
領邦領主自らの来訪に、トールは気にする風もなく応じた。
成り上がり者であるロスチスラフは、多分に市井の感覚を残している。
その点こそが生粋の貴族から軽んじられる原因なのだが、トールにすれば気負わずに付き合える相手として好ましく映った。
「じゃ、ロベニカさん。ちょっと行って来ますね」
テーブルの向かいに座っていたロベニカに告げる。
先ほどまで、二人で人事異動に関する打ち合わせをしていたのだ。
ロベニカとしては冷や汗の止まらぬ内容であり、親善行事どころではなくなっている。
「は、はい――。私は、ちょっと整理を――色々と整理を――」
そう言って、ロスチスラフへの挨拶もそこそこに部屋を後にした。
「ふむん」
首席秘書官の後ろ姿を見送った後、ロスチスラフは意味ありげな笑みをトールに向けた。
「――また奇想が浮かんだか?」
「そういう訳でもないんですが――、ちょっとロベニカさんは驚いたみたいです」
「ワハハ、それが奇想と言うものよ」
ロスチスラフは、すこぶる機嫌が良い。
今日という日を楽しみにもしていたし、グノーシス船団国との取引にも心が湧く。
尚且つ、新生派オビタル帝国を支える中心人物として、その勢力拡大に奔走する楽しみも有る。
辺境で吠えるだけの虎では無くなったのだ。
だが――、
「果て無き世事は、暫し忘れよう」
誰しも休息は必要である。
「今宵は楽しもうではないか」
ロスチスラフは、目の前にいる昼行燈のような男に、夜の愉しみを教えてやるつもりであった。
◇
オソロセアの邦都には多数の歓楽街がある。
所得に見合った街を選べば誰もがそれなりに遊べる為、トスカナやケルンテン等の小領邦から訪れる者が多く観光資源となっていた。
「まあ、安全な街だ」
お忍びで来てはいるが、さすがに多数の護衛官を忍ばせている。
「ここへは良く来るんですか?」
歓楽街と言えどハイエリアに位置しており落ち着いた街並みである。
「
「そういうものですか」
問いを重ねるのも躊躇われたので、トールは相槌を打つに止めた。
――ボクなんかより、色々と経験しているからな……。
――会社の上司が飲みに行きたがるのって、そういう事なのかな。
トールは酒をさほど嗜まないし、そもそも酒宴に興味が無かった。
かといって、漁色にも走っていない。
どういう事だ、とロスチスラフは考えている。
トールの周囲には、彼好みであるはずの美女が揃っていた。
だが、ドミトリの報告を信ずるならば、全く手を出していない。
――このままでは潰れるのではないか?
余計なお世話とも言える懸念をロスチスラフは勝手に抱いていた。
領主という孤独な立場は、領邦と領民の為を想えば溺れても狂ってもならない。
故に、あらゆる欲望と程よく付き合う必要がある。
――性欲で無いとしたら、まずは手始めに……。
ロスチスラフの目論見は、トールの秘したる欲を探る事にあった。
「ここだ。トール殿」
周囲とは趣を異にした白亜の大邸宅があった。
瀟洒な外観からは、何を目的とした建物か判然としない。
「はあ、ここですか。いや、ええと――ここは何ですか?」
「早い話しがだな――」
この辺りの感覚が、ロスチスラフという男の生い立ちなのだろう。
「――博打を楽しもうではないか」
よく言えば庶民的であり、悪く言えば、やはり成り上がり者なのである。
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