4話 奸雄が治める国。

 ――相変わらず窓の外を見るのが好きな人ね。


 首席秘書官のロベニカは、向かいに座るトールを見ながら思った。


 二人が乗る旅客船は、バスカヴィ宇宙港から火星ポータルを抜け、オソロセアが治めるタウ・セティ星系に入っている。

 邦都は、同星系に属する惑星ルサールカの軌道都市であった。


 この場所で、オソロセアとの親善行事と、グノーシス船団国との密議が予定されている。


「御前会議かぁ」


 ロベニカの話を一通り聞いた後、トールは長らく窓外そうがいを見詰めたまま黙考していたのである。


「――はい。懸念を抱いている重臣もいます」


 その筆頭格は、ロベニカに正面切って懸念を表明した国務相リストフだろう。

 リストフから「怪しい動き」を忠告された内務相も、同種の懸念が動機――という可能性はある。


「そりゃそうですよね」


 オリヴァーを陥れる為、また帝国二分割という奇想を実現する為、これまで情報は極めて限られた範囲で共有されてきた。

 執務室に集う選ばれし面々にとって、それは居心地の良い空間だったかもしれない。


 ――そもそも御前会議なんて面倒だと思っているはずよね……。


 トールが形式張った事を嫌うのを、ロベニカとて熟知している。

 真面目で、基本的に礼儀正しい男であるが、仰々しい仕来りを避ける傾向にあった。


 とはいえ、臣下を軽んじて良い理由とはならない。


「分かりました」


 却下されると身構えていたロベニカの鼓膜に、予期せぬいらえが響く。


「戻ったら御前会議を復活させましょう」

「え――あら――いえ、あ、有難うございます」


 礼を言うのも妙であるが、あっさりと受け入れたトールに驚き、思わず口に出てしまった。


 これまでの所、彼は彼のやり方で物事を成功裏に運んで来たのである。


 全て上手くいっているではないか、と言下に否定する権力と結果を、トールは持っているのだ。


「良かった――です――本当に。重臣達も安心すると思います」


 ロベニカは、その豊かな胸に手を当てて軽く息を吐いた。


 彼女としては、ガバナンスと重臣達への不信の狭間に在り、心中迷いがあったのである。それが一刀の元に両断された感があった。


 お節介な父の友人が喜ぶ姿が脳裏に浮かび、自然とロベニカの表情も和らいだ。


 ――これで、叔父様も余計な話を忘れてくれるかもしれないわね。


 私情混じりの安堵となるが、今現在の彼女は、結婚はもとより恋人を作ろうという気持ちが皆無なのである。

 ロベニカを通じて自身の意見が受け入れられたと知れば、日常の些事など忘れるのではないかと考えたのだ。


 ――蛮族を討ち、逆賊から陛下を救い、それでいて臣下の忠告に耳を傾ける。


 ロベニカの動悸が少しばかり早まっていく。

 火照りを伴うこの感覚は何だろうか、と自問するいとまも無かった。


 ――時々、疑わしい時もあるけれど、やっぱりトール様って真の英雄なのだわ。


「あ、ただし、ちょっと人事異動はしようと思うんですよね。いや、かなりかな。う~ん、でも、みんなに怒られないか心配だなぁ――アハハ」


 呑気に笑って頭を掻く男を見て、ロベニカの火照りは一瞬にして鎮まった。


 実に嫌な予感がしたのである。


 ◇


「うわぁ、何というか――」


 惑星ルサールカの軌道都市に在る宇宙港から、迎車に乗ってロスチスラフの屋敷に向かっている。


「――とっても活気がありますね!」


 宇宙港の様子からして、ベルニクや帝都とは様子が異なっていた。


 歴史的趣がある訳でも、最新技術を誇る訳でも、洒落ている訳でもない。

 街並みは雑然としており、どちらかと言えば、野暮ったいという表現が相応しいだろう。


 だが、ともかく人が多い。交通量もベルニクの比ではない。

 建設工事も至るところで行われている様子が分かった。


「この辺りも、私が幼かった頃とは、随分と様子が変わりましたな」


 二人を迎えに来たドミトリが、独白めいた口調で告げた。


 彼はベルニク領邦領事として、同盟締結に向けた地ならしを進めている。

 三人娘を交えた親善行事もその一環である為、自らトール達を宇宙港まで出迎えたのだ。


「ドミトリさんが幼い頃というと――」

「先代領主の時代ですな」


 ロスチスラフは簒奪者であり、先代との血縁関係は全く無い。


 一介の下士官から軍上層部にまで上り詰めた後、数多の血と権謀術策を弄して、二つの星系を治める大オソロセアを得たのである。


「あの時代は、皆が本当に貧しかったのですが――」


 ドミトリの言葉に深い実感がこもる。


 酒に溺れた父の焦燥と、何処かへと失踪した母の苦悩――。

 全てが為政者の責任などと言うつもりはないが、それでも恨みがましい気持ちがドミトリの中に残っていた。


 ゆえに、多くの庶民にとって先代治世は忌まわしい記憶であり、簒奪者ロスチスラフこそが生活を豊かにした救世主なのである。


「やっぱり、凄いですね」


 と、改めてトールは感じた。


 ――巨乳戦記だと、最終的にはやられ役だったけど……。


 簒奪者でありながら、安定した領邦運営を果たし、民を富ませている。

 

 ロスチスラフは、家柄と縁戚関係で固定化された体制を一新し、出自を問わず有能且つ忠実であれば重用した。

 その上で、経済と教育に重点を置いた政策を推し進めて来ている。


 他方、逆らう者や、邪魔と判断した存在への冷徹ぶりは有名であった。権力掌握の経緯も含め、彼の悪評を広めた一因と言えよう。


 だが、大衆からすれば、為政者の人柄などどうでも良いのだ。

 民に食と安全を供せぬ無能な君主に、忠誠を誓う義理などあるだろうか?


 ――案外、オリヴァーさんの目論見通りでも良かったのかもなぁ。

 ――なんて考えると、ボクは頑張らないとね。


 自身が知る筋書を変えた以上、太陽系に暮らす人々を富ませる責任があるのだと、改めてトールは自戒した。


 とはいえ、


 ――そうしないと、艦艇も増やせないし……。


 大規模な艦隊戦への児戯じぎた憧れも消えてはいないのだが――。


 ◇


「お姉さま」


 オソロセアの至宝のひとり――三人娘の次女レイラが、長女フェオドラの居室を訪れた。


「――ああ、レイラ――ちょうど良かったわ」


 彼女の周囲に散乱したドレスと、疲れ切った様子のメイドが浮かべる表情から、これまでの苦闘ぶりが伺い知れた。


「私――もう、何を着れば良いのか分からなくなっていたの」


 そう言ってフェオドラは、下着姿で深い溜息をついた。


「あら、ロクサンダに仕立てさせたドレスがあったのではなくて?」


 胸元を大胆にカットアウトしたデザインで知られるブランドである。


「私に似合うと思う?」

「ええ、とっても――」


 と、言いかけてレイラは口をつぐんだ。 

 今や巷間で知らぬ者は居ないであろう、トール・ベルニクの有名な性的嗜好を思い出したからである。


 確かに、彼を英雄と持て囃す者は増えた。


 新生派オビタル帝国の勢力圏内においては、トールが女帝ウルドをイリアム宮から救い出す様子を、神話的物語として大人が子供に語る。

 それは、多くの少年少女が憧憬する光景であったかもしれない。


 EPRネットワーク上では、プロ、アマを問わず、そのシーンを再現した絵物語も当世の流行となっていた。


 ただし、何れの絵物語においても、不敬にならぬ程度にではあるが、女帝ウルドの胸のサイズが事実と少々異なるのである――。


「そうね――。似合うけれど、少し足りないかも」


 忌憚のない次女の意見に、フェオドラは鼻に皺を寄せるが、すぐに悲嘆に暮れた表情となった。


 彼女も本気なのだ、とレイラは理解する。


 父ロスチスラフの評価が芳しく無かったせいもあろうが、当初は三人娘のトールに対する感情は最悪であった。


 ところが、道化との剣戟けんげきから、すっかりと風向きが変わり始める。

 真に現金な話であるが、今となっては希代の英雄であるなどと、三人娘が寄ればトールの話題となっているのだ。


 ロスチスラフ自身は、既に婿としない方針でいたが、それと反比例するかのように娘達のトール熱は高まってしまっている。


 ――といっても、私は現実が見えているけれど……。


 幾分か醒めた眼差しでレイラは姿見の前で悩み続ける長女を見やる。


 ――結局は銀冠が無いものね。


 胸のサイズより、ピュアオビタルでない事の方が問題だろうと考えていた。

 ピュアオビタルが、自らの子孫に銀冠が遺伝しない恐れのある選択をするとは、レイラには思えなかったのである。


 ――フェオドラお姉さまは、もう少し冷静になれば気付くでしょう。

 ――ただ、あのは問題だわ……。


 三女オリガの様子が脳裏に浮かんだ。

 父に最も従順で、さらに奥手な彼女は、三姉妹の中でも目立たぬ方であった。


 ところが、トールに関しては相当に気力を漲らせている。

 姉達と異なり、自分には可能性が――と、固く信じているせいもあるだろう。


 ――私は、まだ成長期なの。


 というのが三女の口癖となりつつあった。


 部屋中をトールの照射映像で埋め尽くし、古今東西あらゆる手法を取り入れて、サイズアップを図っている――。

 怪しい商品が並ぶ彼女の居室を思い起こし、レイラは小さく息を吐いた。


 ――明日の食事会で現実を知るほかないわね……。


 レイラは、姉妹達の傷口を拡げぬためにも、トールに対して直截に尋ねる予定でいるのだ。

 叶わぬ夢ならば早く覚めた方が良い。


 彼女がそう達観したところへ――、


「フェオドラ様――あ――レイラ様も」


 慌てた様子で、別のメイドが部屋に駆け込んで来た。


「参られました。参られましたわよっ」


 フェオドラとレイラが顔を見合わせる。


「ベルニクの伯爵様でございます!」


 話題の英雄の来訪に、ロスチスラフ家の女達は立場を越えて湧いた。


 ドミトリが居合わせたなら、その様子に皮相な笑みを浮かべたかもしれない。

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