29話 女神降臨。
エゼキエル宇宙港は、物々しい厳戒体制下にあった。
全ての船舶は発着陸が禁じられ、宙港ロビーには近衛師団が運び込んだ物資が詰まれている。
上空にある巨大なゲートは、多層式エアフィルターによって、軌道都市と宇宙空間を隔てるのみだ。
軌道都市上の軍事基地なども、天蓋部は同じ構造となっていた。
これらのゲートは物理的に閉ざす事も可能であるが、多層式エアフィルターの再生コストが著しく大きい為、基本的には常に解放状態にある。
現在もグリフィス領邦軍到着に備えて解放状態としていた。
無論、叛乱軍艦隊が飛来するとなれば、ゲートは閉塞せねばならない。
とはいえ、ゲートを閉塞したところで、軌道揚陸艦に穴を
「ゆえにこそ、我らがいるのだが――」
近衛師団隷下二連隊を任された副師団長は、副官に相談するかのように語った。
「――悪い話と、妙な指示が届いた」
小隊毎の布陣を終えたところで、イリアム宮が、叛乱軍の手に落ちたとの報告があった。
守備に就いていた近衛師団は崩壊し、師団長は行方不明となっている。
「イリアム宮が落ちた」
「はい。ただ、陛下は、ベルニクが救い、ご無事とのことですが――」
副官は、宙港ロビーの照射モニタに映る報道を横目で見ながら言った。
ティルトローター機で飛び立つ映像は、ベルニクの声明と共に、各メディアで大きく報じられている。
師団にとって不名誉な話しとなったが、帝国全体で考えれば不幸中の幸いであろう。
明日には、グリフィス領邦から援軍が到着するはずである。
また、銀獅子艦隊が、叛乱軍艦隊を撃退すれば、宇宙港の守護も必要なくなるのだ。
その後に、暴徒と叛乱軍など殲滅してしまえば良い。
治安が回復したならば、帝都に厳しい戒厳令を敷き、二度と乱を起こせぬようにするだろう。
だが、良からぬ噂のある君主であれ、叛乱軍に討たれてしまっては、帝国の乱れがより大きくなる。
それを避ける事が出来たのは、報道通りであればベルニクの手柄なのだが――、
「それよ、それ」
副師団長が、首をかしげた。
「その飛行船が宇宙港に降り立つならば捕縛――いや保護せよと、
「保護って――誰をですか?」
「全員だ」
◇
エヴァンからの依頼で、エゼキエル宇宙港に展開した部隊へ「妙な指示」を出したところなのだ。
――宇宙港から飛ぶ船など無い。ゆえに、ベルニクが向かうか否かは分からぬ。
――来たら、ほ、捕縛を?
――私は保護と言ったのだ。未だ帝都は安定しておらず、宇宙港には敵揚陸の恐れもある。
そう言われては、フィリップも納得せざるを得ない。
加えて、イリアム宮は落ち、帝都に残る軍は僅かである。
グリフィス領邦から駆け付けるであろう援軍は、帝都の命運を握ると言っても過言ではない。
余計な抗弁をして、そんな相手の機嫌を損ねる必要は無いと、フィリップは考えたのである。
だが――、
話題のベルニクに連なる者達と、彼の至宝が目の前に立っているのだ。
「お父さまッ!」
マリが強く掴んでいた腕を離すと、クリスは逃げるようにして父の元へと駆けた。
実際、クリス本人としては逃げた感覚であろう。
彼女の背には、常に肉切り包丁の刃先があったのである。
「クリス!!」
攫われたはずの娘が執務室に現れ、そして自身の胸の内に在る。
状況は分からなかったが、兎にも角にも強く抱きしめた。
呪われた一日にあって、ようやく得た悦びである。
「おお、良かった。娘よ――可哀相に、身体中に痣があるではないか」
「そうなの。あの人たちが無理やり大きな――」
「コホンコホン――親子の再会を邪魔したくはないのですが」
ロベニカが申し訳なさそうな声音で口を挟んだ。
早く話をまとめてしまわないと、クリスが余計な話しをして、こちらの心証が悪化すると考えたのだ。
当然ながら、クリス本人からの心証は、最悪なのである。
「フィリップ伯、幾つか目を通して頂きたい資料と――」
ロベニカが宙で指を動かすと、多量のデータがEPRネットワークを通じ、フィリップのニューロデバイスへと転送された。
プロヴァンス女子修道院で長年行われてきた神権教育の実態と、彼が愛するひとり娘の心的病理状況の詳細である。
逆さ聖句の段階には至っていないため、ブリジットよりは軽症であろう。
「――トール・ベルニク子爵閣下からの提案が御座います」
彼がまともな親ならば、
◇
トール達を乗せ、ティルトローター機はエゼキエル宇宙港を目指していた。
アレクサンデル邸からテルミナを回収した後、
ロベニカは、
「運転って、意外に楽しいのね」
小さく呟くロベニカの横顔を、マリはチラリと見たが何も言わなかった。
だが、心中では、ロベニカと古生物パークには、絶対に行かないでおこうと思っている。
「皆さん、お疲れ様でした」
ようやく、機内に全員が揃ったのである。
ロベニカ、マリ、ジャンヌ、テルミナがいる。
選抜兵もひとりは重症を負っているが、ともあれ帰還は出来た。
ドミトリとその配下もいる。
道化の救出以外は、概ね計画通りに進んだと言えるだろう。
「バタバタとしていて、ご紹介が遅れたんですが――」
機内前方に立つトールの隣には、乗馬服に身を包む少女がいた。
紹介されるまでもない畏れ多き相手である。
本来ならば、ピュアオビタルでなければ、謁見すら叶わぬ存在なのだ。
だが、急な状況が続き、同じ機内に在ることすら忘れかけていた。
女帝ウルドが、前方の席で静かにしていたせいもあるだろう。
「ええと、女帝のウルドさん――あ、いえ、ウルド陛下です」
この男は、自身だけでなく、他者の紹介も得手ではなかった。
が、名を告げられては、下々としては下々の対応をとる必要がある。
全員が席を立ち、狭い通路で臣下の礼を取ろうとした。
「あ、いや――」
「良い」
ウルドが言った。
「非常の際である。ゆえ、余に構わず――励め」
普段通りに行動せよ、と言いたいのである。
――妙だな。
足首を骨折した為、二席を占有させてもらっているシモンは首をひねった。
アポロニオス結束体による応急措置のお陰で痛みは無い。
――朝から妙だな。いや、もっと前から妙なのか……。
思い起こせば、コンクラーヴェからなのだ。
シモン・イスカリオテの呪われた夜から、女帝ウルドは日々変化を続けている。
果たして、良い変化であるのか否か、誰も答えを持ち合わせていない。
◇
エゼキエル宇宙港の管制室に緊張が走った。
「多数の艦隊――グリフィス領邦軍か?」
「高速ドライブで接近中です。到着まで一時間少々かと」
銀獅子艦隊と叛乱軍艦隊は、ユディトポータル方面で未だ交戦中であった。
となれば、この宙域に現れる可能性がある艦隊は、援軍に向かうグリフィス領邦軍のみとなる。
だが、それも到着は明日と聞いていた。
「いえ、ベルニク領邦軍です」
「は?」
管制室室長は、些か間抜けな
「どこから?」
ベルニク領邦から帝都までは、休まずポータルを乗り継いだとしても一週間は要する。
また、途中のポータルからも、ベルニク領邦軍通過の報告が上がっていない。
「航跡を追うとハバクク方面からなのですが、ポータルなど有りませんし……」
次から次へと問題が起きると、室長は頭を抱えた。
だが、帝国が招集していない艦隊を、このまま座視して良い訳も無い。
何より、厳戒体制にあるエゼキエル宇宙港は、全船舶の発着陸を禁じているのだ。
ゲート閉塞の要否の決定、そして壁面砲台の準備――
上に連絡をして緊急対策会議を開く必要があった。
航宙管理局、治安維持局、軍、それから、それから――席を立った室長は、至るところにEPR通信を始めた。
こうして――、
急な事態への対応が定まらぬうち、管制室と宇宙港に居た人々は、天蓋部ゲートに現れた異質な存在を目にする事となった。
中央に球体を擁する巨大なシルエットは、帝国のあらゆる艦艇と趣を異にする。
他の艦艇を従え飛来する
女王蟻は有無を言わさぬ威圧感を伴い降下していく。
艦後尾に、ベルニク領邦軍を示す
これらを率いてきた、ケヴィン・カウフマン准将に言わせれば、女王蟻などという物言いは不敬となろう。
ゆえに、訂正しよう。
女神降臨である。
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