28話 聖レオの伝言。

 女帝強奪より、少し時を遡る。


 途中、イリアム宮の謁見台で降ろされたドミトリと配下三名は、宮の地下に在る獄に向かっていた。

 陛下の元へ早く行かないと刎ねられます、などと文句を言いながら、内裏だいり常在役のシモンが駆け足で先導をしている。


 叛乱軍の侵入に備え、ほとんどの衛兵は入り口付近を固めており、宮内に在る兵は少ない。

 

 途中、らせん状の階段で出会った衛兵達は、シモンが何かを渡し耳打ちをすると、用事が出来るらしく上を向いて立ち去った。


 ――どうにも、お寒い状況だな。


 ドミトリは、帝国の腐敗を垣間見た気がして不快な気分になっている。同時に、オソロセアにはロスチスラフが健在である事を女神に感謝した。


「ここです」


 地下の最も奥に在る獄であった。

 格子の向こう側では、小柄な男が床に伏せっている。


「――お待ちを」


 そう言ってシモンが壁面のパネルを操作すると、金属音を響かせ格子の一部が開いた。


「何と呼べば良いのか、分からんのだが――ともあれ、起きられよ」


 上司ではないが、目上にあたる人物は、この男を「道化さん」と呼んでいた。


 ――道化さんの救出は、ドミトリさんにお願いしますね。

 ――獄までは、シモンさんが案内してくれるはずです。


 自身の命を狙った男を救う理由など、ドミトリには分からない。


「ベルニク領邦領主、トール・ベルニク子爵閣下が、貴方をお救いしたいとのことだ」


 その名に反応したのだろうか。

 伏せっていた男が、むくりと身を起こす。


「へぇ――ししゃくかっか」


 間抜けな顔をした年若い男で、黒髪であった。


「誰だぁ、そりゃぁ?」


 相手を何と呼べばよいかは分からないが、目的の人物でない事だけは分かった。


「シモン――獄を閉じ、陛下の元へ駆けよ」


 ◇


 ――トール・ベルニク子爵閣下より、各報道機関宛に打電がありました。


 照射モニタに映る女は、些かかおを上気させながら、事の次第を伝えている。


 ――我、賊より陛下をお救いせり。

 ――安じてまつりごとを差配頂けるよう、臣下の務めを果たす。


善哉よきかな


 映像が切り替わると、イリアム宮からティルトローター機が飛び立っていた。


 ハッチから垂れる舷梯げんていに下がる血濡れの白い兵士が、大剣を地上に投擲とうてきしたところで映像が途切れる。


「いわんや、痛快である」


 呵呵かかと大笑した後、執務机の上にある菓子皿に手をやりながら、前に立つ女を見やった。


 女は、天秤衆の装束に身を包み、ハルバードを構えている。

 ブリジット・メルセンヌであった。


「なれど、貴様は哀れなり」


 そう言うと、アレクサンデルは、真実、少しばかり悲し気な表情を浮かべた。


 コンクラーヴェには勝ったが、正式な即位には、聖都で「忠実なる僕の儀」を執り行う必要がある。

 だが、帝都における動乱に巻き込まれ、今もってハイエリアの私邸に在った。


 無論、暴徒や叛乱軍とて、聖職者の住まう屋敷は襲わない。天秤衆が訪れるまでは、静謐が保たれていたのである。


「訪ねると言うので許してやったが、女神も畏れぬ狼藉――哀れなものよ」


 レオ・セントロマ枢機卿すうきけいから、至急の秘事を授かっているという用向きで、ブリジットから謁見の要請があったのは数刻前の事だ。


 アレクサンデルの瀟洒しょうしゃな邸宅は天秤衆に制圧され、助けを呼んだところで間に合わないだろう。

 加えて、治安当局と軍は、暴徒や叛乱軍の始末に追われている。


「――哀れ――とは?」


 ブリジットは問答などするつもりが無かった。


 自身の聖務は、儀が終わり正式な教皇として即位する前に、腐った肉塊にくかいくびを、ハルバードで斬り落とす事のみである。

 それこそが、天秤衆総代より下った神意なのだ。


 ところが、腐った肉塊にくかいは、芯から哀れんでいるように見えた。

 忠実なる女神の僕として、光の中を歩む天秤衆ブリジット・メルセンヌを哀れんだのである。


 このままアフターワールドに渡らせては、心の隅に淀みが残ると考えブリジットは問い返したのだ。


「言うたままの意味よ。我は教皇として、プロヴァンスなど業火ごうかにくべるつもりであるが、既に在る忌み子どもはどうするべきか――悩み、哀れんでおる」

きわに、世迷言を申されましても困ります。猊下げいか


 ブリジットは笑みを浮かべたまま、敢えて聖下とは呼ばず応えた。


「ですが、プロヴァンスと天秤衆への雑言――やはり私の聖務が必要と、改めて認識させて頂きました」

「肉人形の認識など、全てが錯覚、錯誤、誤謬」

「に、にく――」


 ハルバードを握る手に、力が入る。


「忌まわしい術にて、こんとなった幼子を腐毒で満たす。鋼の仮面を着けさせて、周囲をたばかるる肉人形と化す。それが貴様らよ」

「やはり、猊下げいか――否、貴方は大罪を犯す異端者にほかなりません」


 異端、異端、異端、とアレクサンデルは三度みたび呟いた。


「詩編第三章二十三句を、尻からそらんじてみよ」


 ラムダ聖教会には、誰が記したとも知れぬ聖典がある。

 聖典の一部を成す詩編には、女神を称える詩が編纂へんさんされていた。


「な、なぜ、それを――?」


 狼狽えるさまを見せ、ブリジットの笑みが初めて崩れる。

 悪漢アレクサンデルが口にしたのは、天秤衆とプロヴァンスに伝わる秘儀中の秘儀であった。


「嫌なら、我がそらんじてやろう。聖典の一言一句、脳裏に刻んでおる――いや、それはメディア向けの虚言であった。自身でも今時点まで信じておったわ」


 執務机の引き出しを開ける。


「照射より、書物の方が良かろう」


 そう言って、分厚く黒い装丁の書籍を取り出した。

 舌で指を湿らせつつ頁を繰る姿は、ブリジットの忌まわしい深層記憶を刺激する。


「やめよッ!!」


 思わず叫んだブリジットは、微笑みの仮面が外れ鬼相となった。

 聖典を取り上げようと腕を伸ばす。


「――お前は聴かねばならぬ」

「イヤ!!」


 常の余裕を失い、口調と声音を取り繕う事も出来ない。 

 への恐怖が全てを上回る為だ。


「聴けいッ」


 アレクサンデルが大喝だいかつすると、童子に還るが如く、ブリジットは耳を塞ごうと手を動かす。

 

 そこでようやく思い起こしたのだ。

 自身の手に握られている、唯一無二の真実を――。


 余計な問答などせず、出会い頭にくびを刎ねるべきであった。

 不道徳な異端者とはいえ、次期教皇という虚飾に遠慮したのが間違いだった、とブリジットは歯噛みをした。


「異端――」


 ハルバートを水平に引き、足腰の回転を効かせ、アレクサンデルのくびを目掛け振り抜く。

 

「――死すべしッ!!」


 寸分たがわぬ狙いである。


 が、執務机の下方からでた小さな影とバヨネットが、耳障りな金属音と共にハルバートの軌道を反らす。

 アレクサンデルの頭上に残る僅かな毛髪を剃り空を切った。


 勢いそのまま小さな影が、執務机の上に立つ。


「ジジイ、足くせーぞ。でもって、テメェは殺す」


 テルミナ・ニクシーは、愛用のバヨネットの刃先をブリジットに向けた。


「小娘。易々と殺すでない」


 落ち着き払った様子で、アレクサンデルがテルミナをたしなめた。


「この女は我が貰う。なかなか――良い」


 いや、たしなめたのではなく、良からぬ事を考えているようだ。


 他方のブリジットは状況の把握に少しばかりの時間を要した。

 数舜の後、執務机の上に立つ幼女が、自らの想い人であると気付く。


「て、テルミナちゃん?」


 些か状況にそぐわぬ口ぶりとはなった。

 長年の呼称は、そうそうに変えられないという事かもしれない。


「天秤衆が来ると聞いて、何も準備をせぬと思ったか?」


 アレクサンデルも、その巨体を椅子から持ち上げた。

 窓から差し込む光が遮られ、ブリジットに影が落ちる。


「愛し子の屍を超えて我を討つか。それとも逆さ聖句を聴くか。選べ」


 その瞬間、ブリジットは、苺の下に隠された聖レオの伝言に従うべきであったと悟る。


 ――私が敗れし時、一切を捨て置き、グリフィス領邦へのがれよ。決してたがえるな。


「安心せよ、女」


 悪漢は嗤う。


「罪ごと喰ろうてやるわ」



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