22話 Boy Meets Girl.

 かくして、新教皇アレクサンデルが誕生した。


 下馬評では聖レオが優勢であったため、メディアは驚きを持って伝えている。

 EPRネットワーク上の各報道番組は、新教皇誕生を報ずる内容で溢れたが、その俗っぷりを揶揄するメディアもあった。


 ついぞ前までは、トール・ベルニクが時の人であったが、一転して奇跡の逆転勝利を決めたアレクサンデル・バレンシアに焦点が移っている。


 当面は、この状況が続くだろうと、ソフィア・ムッチーノですら思っていたのだが――。


「――まだか」


 詩編大聖堂からの帰路にある車中、トールは何度もEPR通信を確認していた。

 ジャンヌとテルミナからの連絡を待っているのだ。


 真夜中に交わした女帝ウルドとの盟約を果たすには、今ひとつの吉報を必要としていた。


 昨夜――、


 トールは、ロベニカが調べ上げた詩編大聖堂にある隠し通路を歩いていた。

 手元に、彼女が記憶を頼りに書いた地図がある。


 無論、彼女単独では不可能だったので、ドミトリ配下にある諜報部隊の協力を得てのことだ。


 この借りは、少しばかり面倒な方法で返す必要があるのだが――。

 ともあれ、そのお陰で、トールは計画を進める事が出来た。


「こんな隠し通路、何に使うつもりだったんだろう……やっぱり謀略かな」


 と、トールは呟くが、コンクラーヴェの歴史を考えれば相場は決まってこよう。

 EPRネットワークから隔絶され、陸の孤島となった場所に相応しい謀略が繰り広げられてきたのだ。


「これを、登るのか……」


 トールの目の前には、どうにも安心できない様子の縄梯子がある。


 宇宙時代になぜかと思うが、何かあった場合に備え、簡単に処分できるようにしてあるのだろう。


 彼にしては珍しく何事かブツブツと文句を言いながら登って行く。

 数メートルほど上がったところで天井部分に着いた。


「ええと、ここら辺りに――」


 トールが平らな壁面を手で押していくと、僅かにたわむ部分を発見する。


「えい」


 ひと声上げて思いきり押すと、想定したより大きな音を立てながら壁面の一部が向こう側に倒れた。


 ――これじゃ、謀略に使えないのでは?


 穿うがった穴の向こうでは、女帝ウルドが、ベッドの上で謎のポーズを取っていた。


 ◇


「さっきのは、何だったんですか?腕をこうして――こう――あれ、難しいな」


 悲鳴を上げなかったのは、さすが女帝といったところなのだろうか。

 あるいは、トール・ベルニクの呑気な顔の為せる業だったのかもしれない。


 とりあえずは、ロスチスラフの部屋にあったと同じ、小さな丸テーブルを挟んで座る状態にはなっている。


「妙な通路を辿り、三度みたびまで余を愚弄しに来たか」


 一度目は、今でも宮廷雀の間で口端に登る不敬な挨拶。

 二度目は、思惑の外れた道化との剣戟けんげき


 三度目は、女性の――しかも帝国最高権力者の寝所に忍び、彼女の秘したるエクササイズを目撃したのだ。

 従卒を呼ばなかったのは、意地なのか、あるいは油断か――彼女にも判然としていない。


「あ、いえいえ。お救いに上がったんです」

「片腹痛いわ。田舎領主が余を何から救う?」

「エヴァン公です」


 いずれにせよ、時が無い。

 ロスチスラフと対した際と同じく、単刀直入に話を進める事にしたのである。


「な――」

「あなたは今夜、この部屋で殺されるんです。理由は幾つかあるのでしょうが、最も大きな理由は明日の選挙ですね」


 女帝ウルドが、聖レオに投じるか否かをエヴァンは疑っているのだ。

 万が一にも相手側に転べば、アレクサンデルが勝ってしまう。


 仮にトールが死亡していたとしても、同票を避け確実を期すためエヴァンは女帝を殺害したのであろう。

 どうあれ、いつか消す予定の相手なのである。


 ならば、おあつらえ向きの場所で、彼女を恨む人物をそそのかせば良い。


「――よもや、道化の狼藉ろうぜきもエヴァンの差し金と申すつもりか?」

「実は、そこはまだ良く分かりません」


 なぜなら、あの時点では、エヴァンが危険視するほど、トールとロスチスラフの仲は接近していないからだ。

 道化の一件については、本人に聞いてみるほか無いだろう。


 イリアム宮に押し掛ける予定ではいるので、獄にも寄っていこうか、などと軽く考えていた。


「とはいえ、これから下手人が来ます。まずは、それからお救いしましょう」

「く、来るのか?」


 来ますよ、とトールは頷いた。


「ただ、あなたの生存がエヴァン公にバレると、派手な騒ぎ――帝都叛乱でしょうかね。それを前倒しして、コンクラーヴェの延期を図る恐れがあります」


 女帝ウルドの一票があれば、間違いなくアレクサンデルは勝てる。

 トールとしては、明日のコンクラーヴェを延期させたくはなかった。


「とりあえず時間までは死んだ振りをお願いしますね。つまりは、寝てれば良いだけです。後はボクらで何とかしますから」

「――うぬは、正気か?」

「陛下」


 トールは口調を改め、自身としては最大限の真剣な表情となる。


「危機はこれで終わらないのです」

「顔が近い。――が、続けよ」

「す、すみません」


 思わず乗り出していた身を引いた。


「失礼ながら、陛下はこれまで愚かで怠惰で怒りっぽくて二言目には首を刎ねよと言ってきたどうしようもない為政者です」

「――ぐ」


 立て板に水で雑言を並べられ、罵倒する間も無かった。


「つまり、あなたが死んでも誰も悲しまず、喜ぶ者の方が多いでしょう」


 だからこそ、そそのかされた下手人が、ノコノコとやって来るのだ。


「これは、帝国を崩壊させ、自身の理想とする社会を再構築したいと考える人間にとっては、得難いほど素晴らしい人物です」


 エヴァン公が理想とする社会――。

 彼には自身の胸に秘めたる思想と理想があった。


 それを実現する為に、あらゆる犠牲を払う覚悟でいるのだ。


「今宵の難を逃れたとしても、帝国内の各所で叛乱を起こし、そのドサクサに紛れあなたを害するでしょう」


 何をするにしても、エヴァン公にとっては有利な状況である。


 イリアム宮の警備責任者は子飼いであった。

 女帝を守護する近衛師団を預かる禁衛府きんえいふ長官は、彼の派閥に属している。おまけに娘は天秤衆の籠に入れられているのだ。


 やがて切り捨てるとはいえ、聖レオが教皇になれば、教会とて彼を守る砦となるであろう。


「陛下――あなたはいずれ、殺されます。この未来は揺るがない」


 ウルドにも、そのような予感はあった。

 男と――父と自称する男の瞳を見た瞬間から、その予感はあったのだ。


 だが、逃れようが無かった。

 女帝という煌びやかな拘束衣を纏わされ、内裏だいりという名の牢獄に在ったのである。


 彼女にどうしろと言うのだ?


「構わぬ、と言ったら――どうだ。アフターワールドとやらで面白可笑しく暮らせば良い。余は銀髪であろ」

「いいえ、陛下」


 と、トールは首を振った。


「そこを見た者がおりますか?そこから還った者がおりますか?そこで暮らす者の声は聞こえますか?」


 いつになく、トールの言に熱が入る。彼は、この手の考え方を好まない。


「それよりも、陛下――。あなたが、真に怒りをぶつけたい相手に――いや――その相手を、ボクと一緒に出し抜きませんか?」

「だ、誰を指す――貴様――まさか、噂を真に受けて――んぐっ」


 トールは、人差し指を自身の唇にあてながら、左手では女帝ウルドの口も塞いだ。

 不敬極まり無いが、緊急事態だったのである。


 自身が穿うがった穴は、壁を元に戻してあった。

 が、音はそこではない。


 粗末なベッドの下の床から、微かな振動音が聞こえてくるのだ。


 暗くします、とトールは小声で囁きながら、部屋の照明を落とした。

 灯りが漏れれば、侵入者を取り逃がす恐れがある。


 こうして、皇帝弑逆しいぎゃくという裂帛れっぱっくの決意を秘めた不運な使用人は、聖剣を構えたトールの元へと転がり込んで来た。


 ――謀略に使うのは、こっちの通路だったのか……。

 ――ロベニカさんでも間違える事はあるんだな。


「こんばんは。シモン・イスカリオテさんですね」


 後に同じ挨拶を厨房で聞き、シモンを驚かせることになる。

 

「幾つかお願いがありますので、良く聞いて下さい」


 照明の落ちたウルドの居室で、多数の血を吸ったトールの聖剣が鈍く光った。


 ともあれ――、


 これが、トール・ベルニクと、オビタル帝国最期となる女帝――否、オリヴィア・ウォルデンとの出会いである。

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