21話 コンクラーヴェ。

 ――夜が明けた。


 各部屋へと朝餉あさげを運ぶ従卒達の足音が、一日の始まりを告げている。

 厨房で銀の盆を受け取り、己が主人の元へと急ぐのだ。


 司祭、修道士たちが、遠方より聖堂を訪れた際に提供されるものと同じため、諸侯などからすれば素食が過ぎる。


「――ふぅ――今朝も寝過ごされるのか」


 盆を持った使用人が、女帝ウルドの居室の前で呟いた。

 内裏だいりでも乱れた生活を送っており、このような事は茶飯事である。


 おまけに、彼の上司にあたるシモン・イスカリオテは、ひと晩部屋に戻らなかった。


 ――どこを、ほっつき歩いているのやら……。


 上の乱れは、下の乱れに通ずる。

 昏い内裏だいりの行く末を見た気がした彼は、EPRネットワークで見たトール・ベルニクの話を思い起こした。


 ――現状に不満のある皆さん。新天地ベルニクで、人類発祥の惑星が回る太陽系で、人生をリセットしてみませんか?


 真剣に検討しようと決意し、ウルドの居室前から立ち去った。 


 ロスチスラフの使用人は、長年仕えてきた男が、昼夜を問わず本物の肉以外を好まぬと知っていた。

 

 盆の上を見て、溜息をつきながら扉を叩く。不機嫌になるであろうと容易に予測がつくからだ。


「うむ――朝か。入れ」

「はっ」


 恐る恐る戸を開けると、彼の主人は、なぜか屈伸運動をしていた。


「何をボウとしておる。早く坊主飯を寄こせ。腹が空いておるから、お前ごと喰らうぞ。ワハハ」


 不思議と機嫌は良いと胸を撫でるが、同時に瞳の中で猛る獣光にも気付く。


 他方、トールの寵愛を受けているメイドと噂されるマリは、普段通りの表情で主人の居室を訪れていた。


「朝ごはん……」


 マリは隠し事が出来てから、後ろめたい気持ちが常にある。

 全てを吐き出してしまいたいが、相手の反応が怖かった。


 いや、何より恐れていたのは、話の進み方次第では、屋敷のメイドなどではいられなくなる事である。


「おはよう、マリ」

「――うん、おはよう」


 そんなマリの不安など露知らず、本日のトールも呑気に元気そうであった。


「ここの野菜、美味しいんですよね。帰る前に仕入れ先とか聞いておきましょうか」


 ◇


 コンクラーヴェは、応報の間と呼ばれる広間で執り行われる。


 ――なんだか、ホントにμフロントみたいだなぁ……。


 トールの抱いた感想通り、鹵獲ろかくした旗艦で見た場所と同じく、あまりに広い空間が拡がっていた。

 入って向こう正面には、巨大な女神像がしつらえられている。


 異なるのは、溶液で満たされた水槽が無い事と、女神が言葉を発さない点であろうか。


「方々――お静かに」


 詩編大聖堂を預かる司教である。この場において最も身分が低く、選挙人でも無いのだが、進行役に任じられていた。


 円卓を囲む諸侯と大司教達のさざめき声が静まっていく。


 枢機卿すうきけい達は、もとより口を閉ざしており別卓にあった。

 大食堂と同じく、彼らは一段高い位置に座している。


 彼らは、コンクラーヴェが終わるまで、何を語る事も許されない。


「――刻限となりましたが――暫しお待ちを」


 なぜか――などと問う者は居なかった。

 女帝ウルドが不在である事に、誰もが気付いていたのだ。


 大方の予想は、寝坊でもしているのであろう、というものである。


「よろしいか」


 エヴァン・グリフィス公爵が席を立った。


聖事せいじは刻限通りに始めるほかないでしょう。途中で陛下がお越しになるならば、そこで投じて頂けば良い――」

「た、大変でございます」


 慌てふためいた様子の司祭が駆け込んできた。


 コンクラーヴェ中に許されぬ愚行であるが、事の重要性から戸口に立つ番人が、特別に入室を許可したのである。


「陛下の従卒より報せがあり――畏れ多くも――女帝ウルド陛下ご逝去と――」

「な、何ッ!?」「バカな」「何ごとなのだ」「近衛師団――いや医官を」


 広間で一気に喧騒が拡がっていく。


 何名かは、うなじのニューロデバイスに触れ、ここでは役に立たない事を思い出したのか悪態をついていた。


「落ち着かれよ」


 沈痛な面持ちながら、エヴァンが一喝する。


「何が在ろうと――否、例え世が滅びようと、聖事せいじ中である」


 女帝ウルドの生死より、聖事せいじを上に置いたのだ。

 俗世における感覚はどうあれ、帝国の価値観からするならば自然な理屈ではあった。


 女帝とは、教皇を通して女神ラムダに支配権を委任された存在なのである。


此度こたびの悲劇、まずは下々に任せ、我らは先に進まねばらならぬ」


 女神の代弁者を先に決め、その後に俗世の問題に当たろうと言う趣旨なのだろう。

 コンクラーヴェが終われば、外部の人間を聖堂内に入れる事も叶う。


「待たれよ」


 続いて口を開いたのは、ロスチスラフ・オソロセア侯爵である。


「世が滅びても――とは大言が過ぎよう。陛下のご逝去は帝国の一大事である。我はコンクラーヴェの延期を提案する」


 何名かの諸侯は、それに同調する声を上げた。

 だが、本人が言う「仲良し」であるはずのトール・ベルニクは、何も語らずボウと部屋の様子を眺めているようだ。


「私は言葉通りの思いを述べたまで。また、それこそが真であろう。我らは女神ラムダの御前に在るのでは?」

「ハッ。貴公であれば、娘の死すら後事にするのであろうな」


 その言葉は、周囲に緊張を奔らせた。


「――生憎、未だ独り身と、ご存じなかったか。それともお忘れかな――ご老侯」

「なるほどの。節操の無い鞘は――」

「ええと」


 衆目からすれば、意外な人物がロスチスラフの口舌を遮った。


「やるならやるで早くやりましょう。その方が陛下も浮かばれるというものでしょう」


 浮かばれる――とは微妙な言い回しであるが、一理はあると周囲は感じた。

 無駄な議論に時を費やすより、決めるべき事を決めた後、女帝崩御という大事に当たれば良い。


 こうして、各人ざわつく思いを抱えたまま、コンクラーヴェは始まった。


「で、では――」


 辺りを見回した後、進行役である司教が口を開いた。


「女神ラムダの唯一の代弁者にして、俗世のしもべを決する日となりました」


 同時に、女帝が崩御した日ともなったが――。


枢機卿すうきけい方々より、しもべとして推挙された者が二名おります」


 新教皇の候補者は、枢機卿すうきけい達の合議で、自分達の仲間内から二名を推挙する習わしである。


 選挙人の投票により一票でも多い者が新教皇となる。


 ただし、票が同数となった場合には、候補者以外の枢機卿すうきけいも票を投ずるのだ。

 枢機卿すうきけいの員数は十三人と決まっており、候補者は二名であるから、必ず片方に天秤は傾くという次第である。


 幾多の選挙方法が試行された後、このような段取りとなった。


「アレクサンデル・バレンシア」


 名を呼ばれ、悪漢アレクサンデルが席を立つ。


「レオ・セントロマ」


 聖レオも席を立った。


「この二名が、枢機卿すうきけい方々より推挙されております」


 投票は挙手制である。

 裏切れば露見するため、事前票読みを違う事はまずない。


 ――ボクと女帝が居ない時は、一票差でレオさんが勝った。

 ――となると、今回は……。


「アレクサンデル・バレンシアを、しもべとする方々は挙手を」


 諸侯 十六名。

 大司教 十三名。

 合計で二十九名である。


「レオ・セントロマを、しもべとする方々は挙手を」


 諸侯 六名。

 大司教 二十三名。

 合計で二十九名である。


 聖レオに投じた諸侯の内訳は、エヴァン、選帝侯二名、ウォルデン公爵家当主、他二名である。


 やはり、原理主義者である聖レオを、諸侯たちは忌避したのだ。


 事前の票読みでは、ウォルデン公爵家が出自である女帝ウルドは、聖レオに投ずるとされ、アレクサンデルは敗れると分かっていた。

 ウルドが逝去した事で、同票となり状況は改善したかに見える。


 ただし、同票となれば、枢機卿すうきけい達の票で決まってしまう。

 そうなると、アレクサンデルは、非常に分が悪くなるのだ。


 悪漢アレクサンデルは、トールを睨んでいる。


 ――ここから、どうする気なのだ?よもや、枢機卿すうきけい達を取り込んであるのか……。いや、朴念仁どもは、我とは異なり金や女では動かぬぞ。


 とはいえ、トールとしては為す術もない。

 彼は待っているだけなのだ。


各々おのおの、待たせたな」


 司祭が、枢機卿すうきけいによる票入れを宣言しようとしたところで、楚々とした常の仮面を外した声音が響く。


「死んだように眠っておったわ」


 楚々ではないが、さりとて癇気かんきが感じられるわけでもない。

 何らかの覚悟を決めた女の声音である。


「ひとつ、余も投じようではないか。しもべとやらを決するのであろう?」


 ロスチスラフは笑い、アレクサンデルは鼻を鳴らす。

 エヴァンは奥歯を噛み、レオは祈る。


 トールは――、


「あ、おはようございます。遅かったですね、陛下」


 ――朝の挨拶をした。

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