42話 夢だといいな。

 新たに現れた増援艦隊は、艦種問わずの総数で二千隻程度であった。

 超大型艦も一隻確認されているので、別の女神がいるのだろう。

 

 ベルニク軍側は、既に敵旗艦を掌握しており、旗下の各艦艇に指示を出せる状態にはあった。

 

 ――けど、砲撃命令はさすがに厳しいだろうなぁ。

 

 味方である増援艦隊への砲撃命令は、各艦の判断で実施しない可能性が高い。

 

 ――旗艦喪失のお知らせをして、艦から逃げて貰うのが一番良いんだけど……。

 ――増援艦隊を叩いてからじゃないと無理か。

 

 仕組みが分からないため確定では無いが、増援部隊の女神を生体通信ハブとして利用する可能性はある。


 それを避けるには、まだ旗艦喪失を伝える訳にはいかなかった。

 

 ――現在時は……。

 

「ジャンヌ少佐ッ!」

「は、はいっ」

 

 珍しく興奮を隠せぬトールの声に、思わずジャンヌのいらえが乱れた。

 あるいは、先ほどの恍惚の余韻に浸っている事を、咎められたと誤解したのかもしれない。

 

「全艦隊、立体縦陣じゅうじんを陣立てした後、戦域より離脱。なお、火星方面からタイタンポータル面への射線は開けて下さいね」

 

 叱責で無かった事に安堵しつつ、ジャンヌは戦士の表情に切り替える。

 トールの意図するところが理解できた為でもあるだろう。

 

「承知しました」

 

 EPR通信で旗艦ホワイトローズへの指示を開始した。

 

「みゆうさん!」

「え、何なの。もっと優しい声にしてよぉ」

「ご、ごめんなさい。ええと」

 

 女神の扱いは難しいな、とトールは考え始めていた。

  

「また、を流して下さいね」

「うん」

「全艦、旗艦に続け」

  

 さながら、鹵獲ろかく艦隊と言ったところだろう。

 

「みゆうさん、ボクらはいったんブリッジに行きますけど――良いですか?」

「いいけど――」

「戻ったら、たくさんお話ししましょう」

「――うん。けど、この船なら、全部見えて聞こえる。それに――話せる」

 

 ――ホントに単なる生体通信ハブなのかな?

 

 トールはふと疑問が湧いた。

 女神には、本人や異端船団国が考えた以上の能力があるのかもしれない。

 

 ――でも、家に帰ってからだ。

 

「閣下、EPR通信を」


 ジャンヌが指先を動かすと、空間照射モニタが部屋の中央に現れる。

 

「わぁ」

 

 見た事が無かったらしく、女神が驚きの声を上げた。

 

 彼女を隠すかのようにトールが前へと動く。

 だが小さな身体では隠せぬ巨躯の為、意図を察したジャンヌはモニタの位置を調整した。

 

 今は衆目を集めるタイミングではないと判断したのだろう。

 相手の処理すべき情報が増えすぎるためだ。

 

「――間に合ったようです」

 

 映像に映るのは、待ち人パトリック・ハイデマン大将だ。

 火星方面管区艦隊を率い、ベストなタイミングで戦域に到着してくれた。

 

「はい!」

 

 久しぶりに老将の声を聞いた気がしていた。

 さほどの時間も経っていないのだが、あまりに密度が濃かったのだろう。

 

 積もる話はあれど、時が無い。

 

「まずは、タイタンポータル前の掃除を。射線をこれから開けます!」

 

 艦艇数の差からすれば、火力で負ける余地は無い。

 しかも指揮を執るのは老練な司令官である。

 

 トールは勝利の前提で話を進めた。

 

「その後、鹵獲ろかく艦隊をですね――いや、ええと、鹵獲ろかく艦隊とはですね――」

 

 次々に飛び出すトールの注文を、老将は少しばかり嬉しそうな表情で聞いていた。

 

 ◇

 

 女神の旗艦、その制圧したブリッジに立っている。

 ブリッジにいた敵生存者は、捕虜として別室にて拘禁されていた。

 

 ジャンヌが操舵する旗艦に、異端船団国の艦艇は付き従っている状況だ。

 

 ――ただし、救命艇がポータル面に届く距離でお願いしますね。

 

 というトールの指示を守りつつ、立体縦陣じゅうじんで航行する中央管区艦隊を追っていた。


 神の視座で見下ろせる目があれば、潰走する中央管区艦隊を、グノーシス異端船団の艦隊が追っているようにも映ったであろう。

 

 実際、戦域に入ったばかりの敵増援艦隊は、そのように判断したふしがある。

 逃げもせず、かといって追うでも無く、戦域との相対距離を保とうとしたのだ。

 

 そのため、火星方面管区艦隊から射出される荷電粒子砲の餌食となった。

 

 ――そろそろかなぁ。

 

 先刻より、砲撃数はかなり減っている。

 ほとんどの味方艦艇は、ポータル面口への砲撃を止め別任務へ移行中だからだ。

 

 敵増援艦隊は、ポータルの先へ――つまり、星間空間へと退却した。

 女神が乗るであろう超大型艦もすでに消えている。

 

 だが、退却時の旋回運動で大損害を被っているはずだ。

 

「きれいだね」

 

 ブリッジに女神の声が響く。

 モニタに映る荷電粒子砲の光跡を指しての事であろう。

 

 声の主の正体を知るのは、トール、ジャンヌ、ケヴィンの三人だけだ。

 

 女神が話すたびに、ケヴィンは落ち着きなく辺りを見回した。

 裏切りの天罰が下るのを恐れていたのかもしれない。

 

「ですねぇ」

 

 女神は度々、多くはくだらぬ戯言ざれごとをトールと交わした。

 

 ――戦艦と女の子。ボクが昔はまったゲームみたいなんだよなぁ。

 

 などと考えていると、隣に立つジャンヌから報告が上がる。

 

「閣下、準備が整ったようです」

 

 パトリック率いる主力軍は、鹵獲ろかく艦隊を包むように布陣していた。

 ジャンヌによる巧みな旗艦誘導の成果でもあるだろう。

 

「みゆうさん、またお願いします。ちょっと色々あって大変かもですけど」

「うん。頑張る」

 

 まず、トールは、鹵獲ろかく艦隊の各艦艇の通信を制限した。

 艦艇間の通信を阻害し、局所的な連携すら不可能にしたのである。

 

 完全に孤立した各艦に向け、トールは語りかけた。

 

「こんにちは。トール・ベルニクです。皆さんの旗艦は頂きました」

 

 女神の「目」を通して、にこやかに話すトールの映像もまた、各艦にブロードキャストされている。

 

「増援部隊も退却したようです」

 

 依るべき女神が、この宙域に存在しない事を伝えたかったのだろう。

 

「現在、皆さんは互いに通信する事が出来ません」


 それだけでは、まだ相手の戦意を削ぐに十分では無かった。 

 

「また、皆さんの操舵や砲撃精度を落とすため、船内ネットワークのトラフィックを過負荷状態にさせて頂きました」

 

 女神を通して多量のノイズパケットを送出している。

 すでにその影響は出始めているはずだ。

 

「そんな状況下で申し訳ないのですが、三十分後より、我が方から一斉砲撃を開始します」

 

 殲滅する――という宣言に等しい。

 実際、気付けば敵艦隊によって包囲されているのだ。

 

「ですが――」

 

 ここから先の取引を受け入れて欲しいと、トールは祈るような気持ちでいた。

 

「――お帰りのポータルは、救命艇の航行範囲内にあります。小型艇でも辿り着けます」

 

 敵味方共、十分に人が死んだ。この時のトールは、心の底から逃げて欲しいと願っていたのである。

 勿論、ルチアノへの手土産という都合もあったのだが――。

 

「だけど、艦を捨てて逃げちゃうと、給料が減らされるかもしれませんよね?」

 

 減給で済むか否かは分からないか、グノーシス異端船団国の政治システムからすると、国民に対して過度に残酷な懲罰は無いだろう。

 

「公式発表としては、大破か轟沈にしておきます」

 

 鹵獲ろかく艦隊を、特別支援船団の残艦として処理するつもりなのだ。

 少しばかり元の数より増えるのだが、そのあたりの調整はロベニカに任せるつもりであった。

 

 トール・ベルニクの首席秘書官は、実に苦労の絶えぬ職務である。

 

「では、ご検討下さい。トール・ベルニクでした」

 

 敵兵への演説を終えた彼は、身動きもせずブリッジに立ち尽くしている。

 

 無慈悲な殲滅戦が始まるのか、それとも――。

 誰もが固唾を飲んで見守っていたが、十五分を過ぎたところで動きがあった。

 

 タイタンポータルから最も遠い位置にいた艦艇から、最初の救命艇が飛び立ったのである。

 その動きは、他の艦艇の索敵モニタでも検知されたのだろう。

 

 雪崩を打ったかの如く、救命艇が動き始めたのだ。

 妻や子に会うため、待っている恋人のため、老いた両親のため、タイタンポータルへと光が奔った。

 

「か、勝った――」

 

 ケヴィンが呟く。

 

 それが合図となったのか、ブリッジに歓声が拡がった。

 ベルニク軍の全艦艇で、似たような光景が繰り広げられただろう。

 

 こうした喧騒の中、虚脱した様子で総司令官はシートに座り込んだ。

 周囲から浴びせられる祝意にも、生返事を返す程度であった。

 

 ふと、何事かを思い出したかのように、再びシートから立ち上がる。

 

「ジャンヌ少佐」

 

 いつになく真剣な表情であった。

 

「戦果報告をお願いします」

「艦種問わずの概算ですが、轟沈三十、大破中破数百、その他は無傷で鹵獲ろかく――となっております」

 

 彼女としては己が事のように誇らしい。

 さすがは神の御子みこによる差配の結果といったところだろうか。


「そうですか――。それで、こちらは?」

「轟沈五十、大破中破五百程度。特別支援船団については轟沈二千、大破多数――」

 

 トール達が揚陸戦を実施している間、善戦したとはいえ火力で劣るベルニク軍の損害はやはり大きかったのだ。

 また、ルチアノグループから借り受けた商船は、半数近くが宇宙の藻屑――デブリとなった。

 

「とはいえ、戦史に残る大勝たいしょうですな」


 ケヴィンは僅かに笑みを浮かべ言った。

 戦力差と鹵獲ろかく数を考えれば、確かにそうなのだろう。


「――うん。そう――かな――。いや、そうなんだね」

 

 トールは、自分でも不思議に感じていた。

 あれほど胸焦がした艦隊戦、そして揚陸戦であったのに、なぜ勝利の美酒に酔えないのかと。

 

 ともあれ――、

 

 トール・ベルニクは初陣でやってのけた。

 裏切り者オリヴァーを排し、寡兵により侵略者を退け、多数の敵艦艇を鹵獲ろかくしたのだ。

 

 彼は疲労の極みにある。

 

 再びシートに座ると、大きくはない身体を背もたれに預け、制帽で自身の表情を隠した。

 ケヴィンによれば、数分後には小さな寝息を立てていたという。

 

 ただ、傍にいたジャンヌだけは、彼がこう呟くのを聞いた。

 

 ――夢だといいんだけど。

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