43話 英雄の序章。

 帝国標準時、早朝――。

 

 ベルニク軍の勝報は、瞬く間に帝国全土を駆け抜けた。

 

 火星主力軍到着の遅れを疑問視する識者もいたが、寡兵にて大軍を退けたという物語をメディアは好んだ。

 

 領主自らが兵を率い、強襲突入艦にて敵旗艦に乗り込んだのである。

 黄昏の帝国は、久方ぶりの痛快事に沸いたのだ。

 

 癇気かんき癖で知られる女帝ウルドも、自身の生誕祭に受けたこの吉報を大変喜んだらしい。

 

 若き英雄を帝都に招待するよう宰相に命じている。

 あるいは、衰えつつある女帝の権威を、野心的な諸侯に示す思惑があるのかもしれない。

 

 各領邦の領主――諸侯たちも、一様に祝意を述べた。


 オソロセア領邦を治めるロスチスラフ侯などは、戦勝を記念する祝賀会に備えるよう三人の娘達に告げている。

 ただ、彼の祝意があまりに早い事をいぶかしむ向きもあった。

 

 当然ながら、帝国辺境の太陽系こそが歓喜の震源地であった。

 無能なアホ領主という過去の風評など、誰の脳裏にも浮かびはしない。

 

 各企業は、ひと晩で英雄となった男の人気にあやかるため、新製品開発について緊急ミーティングを開いている。

 地元メディアは、トールのプライベートを知ろうと、屋敷の使用人達とのコネクションを目下洗い出し中であった。

 

 このような事情から――、

 

 統治機構と、居住空間を兼ねる領主の屋敷は、早朝から多忙の極みにある。

 

 ――そんな訳で、よろしくお願いしますね!

 ――あ、あと、帰りは明後日くらいになるかもしれません。

 ――月面基地に寄って色々と……。

 

「ぼ、坊ちゃま!よくぞご無事で――セバスは――」

 

 トールからのEPR通信を受けたセバスは、感涙している暇など無い事を思い出す。

 

 敷地の外に拡がる大通りは群衆で溢れており、セキュリティは対応に追われていた。

 首席秘書官から知らされる要人たちの来客日程は、半年先まで埋まって行く。

 

 使用人達の差配に眩暈を覚えつつ、主人から頼まれた不思議な依頼には首を傾げている。

 

 ――プールは造れるか――はて?

 

 右往左往するセバスを遠目に、メイドのマリも忙しく働いていた。

 毎日のルーティン以外の仕事が目白押しだったのだ。

 

 当分の間続くであろう多数の来客に備え、使用されていなかった部屋の清掃から、客人たちの好みに合わせた備品の手配が必要となる。

 

 また、どの使用人にも、メディアや知人から様子を窺う連絡が来ていた。

 家令のセバスは、何も答えないよう厳しく申し伝えていたが、中には思わせぶりな態度を取る使用人もいる。

 

 友人の少ないマリの元へも、両親以外からの連絡が一つだけあった。

 

 ――テルミナっていうロリな――い、いや幼い感じのコがいるんだ。

 ――彼女が地下に行きたいと言ったら、案内してあげてくれるかい?

 

「入れない」

 

 地下通路の先に部屋がある事は知っている。

 ただ、その先はセバスと、トールが並び立たねば入れないと聞いていた。

 

 ――いや、鍵はセバスさんなんだよ。彼と誰かもう一人がいればいいんだ。

 

 秘密の部屋にしては不用心に思えたが、今のマリには小さな問題だった。

 

「分かった」

 

 怖い場所から無事に帰って来てくれる事は嬉しい。

 業務連絡とはいえ、EPR通信で会話まで出来た。

 

 だが、マリには気になる点がある。

 メイドの制服に包み込まれた、自身の豊かな胸を見下ろす。

 

 ――ロリ……。

 

 彼女はエロスレーダーに、磨きをかけておく必要があると考えた。

 何も見逃さないように――。

 

 マリが新たな決意をする数時間前の事だ。

 

 ――まあ、何とか皆さん帰ってくれました。

 

 首席秘書官ロベニカ・カールセンが、トールから連絡を受けたのは、眠れぬ夜を過ごした明け方の事であった。

 

「トール様……」

 

 いつもの口調で語る無事な姿に、思わず涙腺が緩みそうになる。

 慌てた彼女は、ベッドサイドにあったアイマスクを着けた。

 

 ――あ、眩しいですか?

 

「い、いえ。ぐず。なんでもないですから」

 

 光過敏の傾向のある彼女が、大学時代から使っているアイマスクだ。

 友人からの誕生日プレゼントだった。

 

 ――鹵獲ろかく艦艇の差配とか色々面倒なんですけど――すみません。

 ――そちらも忙しくなると思いますが、よろしくお願いしますね。

 

「はい。お任せ下さい」

 

 ――それじゃ。アハハ――それ――いや、まあ、それじゃ。

 

 少しばかりの含み笑いを残し、トールはEPR通信を終えた。

 変な恰好でもしていたのかと思い、アイマスクを取って自身の姿を見る。

 

 連絡があればすぐに仕事へ行けるようにと、今夜は夜着では無かった。

 スーツではないが、セミフォーマルな――。

 

「ま、いいわ。すぐに屋敷に行かないと」

 

 アイマスクをベッドサイドに放り投げ、シャワー室へ向かう。

 

 投げられたアイマスクは綺麗な放物線を描き、元の場所へポトリと落ちる。

 天上を見上げるその表には、コミカルなカエルの瞳があった。

 

 ◇

 

 月面基地に戻った中央管区艦隊は、鹵獲ろかくした多数の艦艇を引き連れている。

 

 基地の収容能力は十分にあるのだが、受入れ要員が不足していたため、出撃時以上に負担を強いる事となった。

 

 女神が乗る敵旗艦については、バスカヴィ宇宙港への停泊が指示されている。

 ただし、船体の修理が終わるまでは、月面基地で預かる事となった。

 

「そんなぁ。ウソつき」

「返す言葉もありませんが、一ヵ月ほどこの船は修理が必要なんです」

「じゃ、トオルもいればいいじゃん」

 

 ――女神の口調を知ったら、みんな驚くだろうな。

 

「二日間、こちらに滞在します。ただ、その後はお仕事がありまして――」

 

 ロベニカが仮決めした今後一ヵ月の予定は、EPR通信で既に共有されている。

 なぜ夢から覚めないのか、自分でも不思議に思う過密日程であった。

 

「約束が違うぅ」

 

 女神は話したかった。

 四六時中、トールの声を聞きたかった。

 

「――か、閣下」

 

 恐る恐るといった様子でケヴィンが、μフロントに入って来た。

 

 待ち受けているはずの憲兵隊は月面基地におらず、トールからは、今後もよろしく、などと言われている。

 赦免されたというより、裏切り者の処遇を女神と相談しているのではと考えていた。

 

「ケヴィン准将。ニューロデバイスが無い人とEPR通信する方法ってありませんか?」

 

 想定外の質問に、彼は一瞬言葉に詰まる。

 

「――は、と言いますと?」

「遠くにいる人の顏を見たり、話したりする機械って無いんですかね?」

 

 暫し考え込んでいたケヴィンであるが、ようやく何かを思い出したらしい。

 

「ご希望通りかどうか――子供の時ですが――」

 

 ケヴィンが少年時代の話を始めた頃――、

 

 傷だらけとなった愛艦ホワイトローズを、ジャンヌ・バルバストルはドッグデッキから見下ろしていた。

 

 トールの初陣を飾ったこの船を、彼女は誇らしく思っている。

 

 月面基地を彼が訪れたあの日――。

 

 ロベニカの話や、メディアの報道で領主への先入観があった。

 乗艦させるつもりなど無く、無理にでも乗ると言うならば、いっそ軍など退官して旅に出ようと考えていたのだ。

 

 領邦や軍の不甲斐なさへの幻滅もあったのだろう。

 だが、全ては変わった。そして今後も変わらざるを得ない。

 

 ――女神の御子みこを得たのですから。

 

 ホワイトローズの艦尾には、未だ旗艦を示す徽章が残っている。

 次回就航では消されるだろうが、ジャンヌとしては寂しいなどと思わない。

 

 ――閣下に相応しい旗艦が用意されるべきですもの。

 

 強力な武装と装甲を備え、ひと目でそれと分かる優美な艦影が良いだろう。

 その旗艦ブリッジから指揮するトールの元で、勇猛果敢に敵艦へ突入するホワイトローズを夢想した。


 そんな、夢見る乙女の遥か上空では、小型軍用機が地球軌道を目指し飛んでいる。

 

 火星軌道都市での任務を終えたテルミナ・ニクシーと、ガウス・イーデンが後部座席に座っていた。

 テルミナは、短い脚を前部シートに乗せ、並々と注がれたワイングラスを右手に持っている。

 

「そういえば」

 

 疲れを癒すため瞳を閉じていたガウスが、何かを思い出したように口を開いた。

 

「好きな本を読んでいいって、どういう意味だ?」

 

 つい先刻まで、EPR通信でトールへ報告をしていたのだ。

 

 ――テルミナ少尉に伝えておいて下さい。

 ――あの場所で、好きな本を読んでも良い、と。

 

「ご褒美だと仰っていたが――」

「あ?」

 

 言える訳ねーだろ、とテルミナは思っている。

 救国の英雄が、ヴォイド・シベリア送りとなりかねない。

 

 ――気付いてやがる。

 

 テルミナ・ニクシーが内奥で抱く、女神ラムダへの昏い不信。

 その答えが、あの部屋にはあるのかもしれない。

 

「知らねーよ」

 

 そう答え、ワイングラスをぐいとあおる。

 

「飲み過ぎだぞ。何だ、その真っ赤なワインは?」

 

 呆れ顏でガウスが尋ねる。

 

「いちごジュース」

 

 テルミナ・ニクシーは、苺が大好きである。

 

 ◇

 

 ――バスカヴィ宇宙港。

 

 トール・ベルニクがトール・ベルニクで無くなった日。

 彼は敵から逃亡するため、家令と共にバスカヴィ宇宙港へ向かっていたという。

 

 忠実な当の家令であるセバス・ホッテンハイムの証言もある。

 ロベニカ・カールセンのEPR通信記録も、この事実を示していた。

 

 だが――、

 

 本当に彼は逃亡などしようとしていたのか?

 全ては敵を欺くための欺瞞工作では無かったのか?

 

 そう思いたくなるほど、宇宙港ロビー、施設周辺、ハイウェイに至る道、遠く離れた街角であれ、彼を称える人々で溢れ返っていた。

 月面基地でとされる政務を終え、いよいよ邦都である地球軌道都市に戻って来たのだ。

 

 既に彼が乗る軍用機が、バスカヴィ宇宙港に到着していた。

 

 搭乗口から絨毯を敷き、家臣と軍高官が出迎え、楽隊を用意致します――という内務省の提案については、ロベニカを通して却下している。

 

「なんだか、久しぶりに戻って来た気がするなぁ」

 

 トールは窓から発着場を眺めていた。

 

「私は初めてだけど」

 

 肩に乗った猫が答える。

 

「そうなんですか?地球軌道なんですが――」

「初めてだよぉ」

 

 子供向け玩具として開発された、ネコ型オートマタである。

 光速無線通信で映像と音声が伝送され、簡単な動きであれば遠隔操作が可能らしい。

 

 月面との時差が1秒ほど発生するが――。

 

「色々見て回りましょう。そういえばボクもあんまり知らないな」

 

 ロベニカかマリに街を案内してもらおうと思いついたところで、当のロベニカからEPR通信が入った。

 

「トール様!」

「やあ、ロベニカさん。あのう、今度の休みなんですが――」

「それどころではありません、トール様」

 

 大変な事が起きた様子ではあったが、トールにはもっと気になる点があった。

 

「――え、あ、はい。どうしました?」

「ラムダ聖教会教理局より、召喚状が届きましたッ!」

 

 トールは真剣な眼差しで、空間照射モニタの映像を凝視している。

 

「天秤衆も動くという噂が流れています――こ、これは――」

 

 ――だ、だ……。

 

「異端審問ということですッ!!」

 

 ――第二ボタンまで外されている!!

 

 猫がトールの首を噛んだ。



[起]転承乱結Λ.....了


------------------------------------------------------------


―― [起]転承乱結Λ あとがき――


 多くの方に読んで頂くのが夢でした。ボク的には想像もしなかった多数の方々に読んで頂いており、嬉しくて怖くて――でもやっぱり嬉しいです。


 なお、これにて[起]転承結Λは終了となります。妖しいタイトルのSFを恐れずお読み頂いた皆様に感謝を。いいね、フォロー、評価、感想、ギフトなどなど恐縮しております。改めて御礼申し上げます。


 以下URLで評価頂けますので、ご支援頂ければ励みになります!

 https://kakuyomu.jp/works/16817330648495045364#reviews


 なお、近況ノートには、性癖と本音が駄々洩れた文章を連ねております。ご不快に感じられないようであれば、そちらもお読み頂ければと思います。


 それでは、多くの皆様と次章で再会できますように。


 次章: 起[転]承乱結Λ 「女帝 with 道化」


S.M. / S.S.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る