第2話
プロローグ 霜の下は美しい
世界は、とっても美しいでしょ?
優しいお姉ちゃん……
当時、俺とハク姉は養育センターで暮らしていて、夜に外に出るなんて危ないことはルールで禁止されていた。そんな俺たちが初めてルール破りをしたのがこの日だった。
といっても、敷地からは出ずに外にある滑り台に登って、ただ夜空を見上げていただけ。
それだけでも……いや、それだけではなかったのだろう。
初めての悪いことが。
初めての夜空が。
俺の思い出をより一層強く記憶に残したんだ。
だからこそ――
第一章 日は常に廻る。
「また、この夢か」
――何度だって夢に見る。
朝起きれば、夢は感覚を失い、どこかふわふわとしたものへと形を変え、するりと手から抜けていくような感覚に陥る。
「くーっ! やっぱり、朝は苦手だな」
いつからか、あの頃のような無邪気な元気は体からは消え失せたせいか、今では希望の朝がただの苦痛の朝に変わっていた。
かといって、学校がある日に寝坊をして……というのも少し心苦しいものがある。それはただのサボり。何か別にしないといけないことがあるわけでもないんだから。
「杖、杖……あちゃ、倒れちゃってる」
ベットの横に立てかけてあったはずの杖が見ると床に転がっている。
まだ慣れない体のサイズ感に苦戦しながらもなんとか杖を手にして、地面に足を着けた。
「はぁ……大変な体になったもんだよ」
朝起きるだけで一苦労。これがもし、トイレにすぐ行きたかったとしたら本当に焦った。まだまだ体の変化に慣れ切れていない証拠だ。
「よいっしょっと……ふぅ」
自室から移動して、リビングの椅子に座る。
ここは、駅の近くのマンションだ。
ハク姉が借りて、俺とハク姉の二人の住んでいるマンションの一室。
……まあ、今は一人だけど。
「朝ご飯、何にしよう……」
悲しくなる気持ちを振り払うために別の話題を声に出した。
――ピンポーン!
「ん? ……ああ」
でも、悲しくなる必要はどうやらなかったらしい。
俺が歩いて玄関まで向かうよりも呼んだ方が早い。アイツには合鍵を渡してあるし。
「どーぞー」
そう声をかけると、すぐにガチャリと鍵穴が回る音がする。
中に入ってきた足音はドタバタと何かに焦るようにして、近づいてくる。
そして――
「おはようっ! ミカ君!」
元気な彼女が入ってきた。
「うん、おはよ、
合鍵を使い入ってきたのは、
元気で明るく、俺のことを好きでいてくれる。モデルというよりはアイドルのような可愛らしさがあるが、桃色の髪なんかはとてもサラサラしていて美しい。可愛いと綺麗を併せ持つような存在……とでも言えばいいのだろうか?
「ミカ君、ベットで待っててくれてよかったのに~」
「そうすると、君襲うでしょ?」
「……さ、さぁ?」
そんなことしない……というよりは知らないといった感じで上手く鳴らない口笛を吹く。何とかして誤魔化そうとしても、過去何度も実例があるので信用できない。
「と、というか! 私たち、付き合ってるんだよ? 襲うくらい問題ないじゃん!」
「君、やりすぎるでしょ?」
「……えへ?」
俺は、忘れてないぞ。初めて、俺を襲った日。凛桜が止まらなくなってしまい、結局学校に大幅に遅刻した。前までならまだしも今だと、凛桜の決して強いとは言えない力からも逃げられないのだ。加減を考えてほしい。
ジトーッと凛桜の方を訝しむように見ていると、居心地が悪くなったのか「あっ!」と大きな声をあげて、持ってきたのであろう袋の中を漁りだした。
「ご飯、作って来たよ? ミカ君、あっさりしたものが食べたいって言ってたから大根おろしのパスタにしてみたよ」
「ありがとう。いつもいつも申し訳ない……」
「いいって! だって、ミカ君は私の恋人だもん!」
そうは言っても、毎朝作ってもらうって言うのは、悪いな……と思ってしまう。
せめて、もう少しこの体に慣れれば、簡単なものくらいなら作れるようになると思うんだけど……。
「それにミカ君のお姉さん……白雪さんからも頼まれてるんだよね」
「あー、ハク姉が……。ハク姉は自分のことに集中してくれればいいのに」
全く、入院してまで俺のことか、あの人は……。
でも、もう少し、もう少しで退院だったはずだ。余裕が出てきたってことなのかもしれない。だとしたら、万々歳だ。
そっちは、いいけど……
「凛桜、まさか話してないよな? ハク姉、聞き出すの上手いし……」
「大丈夫だよ。私が二人の秘密を誰かに話したりしないって!」
「だ、だよな……」
やたらと二人の秘密を強調して、凛桜は否定をした。まあ、バレてないならいいんだけど……。
「……でも、疑ってはいたよ? ミカ君がどうして足が不自由になったのか。どうして急に
手術が受けれたのか。何より――」
「――なんで俺が女になったのか、か」
「……うん」
落ち込んだように一つテンションが下がる凛桜。
そう、俺は今男ではない。
正確にいえば、体が女になったのだ。
つまり、凛桜の恋人ではあるが、彼氏ではない。今は、彼女といった方が正しいだろう。
「そのまま、何も知らないで通してくれよ、凛桜」
「うん……二人の秘密、だもんね?」
「……ああ」
そう言って、パスタを口に運ぶ。
あっさりとした味が口の中を支配するが……
(こんな雰囲気にするつもりなんてなかったのにな……)
心の奥底では、苦みが燻っていた。
☆
あくまで人はこう言うだろう。
男が急に女になるわけない、と。
今は、医療が発展している。つまり女体化・男体化する手術自体はあるということになる。
ただ、それにもたくさんの費用が掛かるし、ましてや面影ごとが消えるなんてことはあり得ない。
今の俺は、日本の若者のような黒髪とは真逆の白髪が腰辺りまで伸び、目の色も灰色に変わってしまっている。今まで外で遊び焼いた肌も見る影もなく真っ白になっていて、背丈も三十センチ近く縮んだ。今では小学校高学年の女子の平均身長くらい。凛桜やハク姉よりも高かったのに、今では見上げてなければならない。多少なり運動で鍛えた胸筋も女性らしく柔らかなものに変わってしまった。
これだけの変化が起こったのは、俺が参加した治験が発端である。
ハク姉が入院してから一年。
薬で経過を見ていたが一向に良くなる兆しが見えず、手術を渋っていたハク姉も流石にそろそろ手術を受けないと……と考えていたとき。俺とハク姉は、ある問題にぶち当たった。
それが金銭問題。
俺たちに両親なんていない。
市からの給付ももちろんあるが、それだけでは手術を受けられる額には到底届かなかった。
ハク姉が入院した後、こんなこともあろうかと貯めておいた俺の貯金ですら焼け石に水状態。
つまり、俺はハク姉のために一刻も早く資金調達をする必要があった。
そんなときに目にしたのが、あるバイトだった。
『治験 ある薬を服用してもらう』
そんなタイトルから始まったその広告は、下に色々な詳細事項が書いてあった。
金額のこと、命に別状はないこと、期間が一週だということ……。
ここに書かれている条件を見て、俺は自分なりに調べた結果、今一番やるべきことだと心の底から思えた。
知人……凛桜や幼馴染の七海に治験に行くことに伝えて、一週間治験に臨んだ。
実際行ってみると、人数は俺一人のみ。
薬を飲んで、検査に付き合う。それだけでお金がもらえるというのなら、今の状況を考えると打ってつけと言わざるを得ない。
命の危険もないし……そう思っていた。
だが、実際の変化はすぐに訪れる。
まず、声が高くなった。
いつもなら、声変わりの終わった合唱祭ではアルトの役しか任せられないような男っぽい声だったのが、甲高くソプラノ役を任されそうな女子みたいな声になっていた。
次に力が弱くなっていた。
いつもなら持てるものが持てなくなっていて、その感覚のズレからものを落とすことが増えてしまった。
そんな体の変化が最終日に向かうにつれて酷くなり、俺の体に確実な二つの変化をもたらした。
その一つは、足が思うように動かないこと。
歩こうとすれば支えが必要だし、最終日では杖がないと歩けず、杖があってもものすごく移動が遅くなっていた。
職員からすれば完全な誤算だったらしい……そう、足が不自由になるのは。
もう一つの変化……体が女になっていたこと。
これは、職員の予測していた変化であり、今回の薬の目的だったそうだ。
当然俺にはこんなこと知らされておらず、ハメられたような感覚だった。
それでも、職員は十二分に金を払い、俺の反論や声を閉ざした。
そして、俺もハク姉の手術費のためにはこの金をもらうべきだと分かっていたため、何も言わずに金だけ受け取って帰った。
その後、ハク姉は無事に手術を受けられて、もうそろそろ退院となる。
帰ってきたときも国だかのおかげで今までと同じ戸籍で暮らせるそう。
万事解決……となったと思う。
その代償として、俺の男としての体と自由に動ける足を失ったが……。
☆
朝の登校時間もいつもよりも早くなる。
今までよりも歩くのが遅くなり、今までよりも移動に時間が掛かるからだ。
朝の風景は、一時間早いだけでも大きく姿を変える。
夏ということもあり、夜の蒸し暑さや暗がりが残るなんてことはなく、この時期で一番心地よい時間だ。
そんな時間に彼女を隣に歩いて行く。
「今日の授業、体育あったけ?」
「うん、あるよ? ミカ君は多分見学だね」
「まあ、それは仕方ない」
学園にも俺の体の異常については話されている。
だとすれば、俺が体育を見学することになるのも仕方ないだろう。
でも、それ以上に憂鬱なのは……
「俺、女子更衣室で着替えたくないんだよ……」
「あ、あー」
凛桜は、気まずそうにそれでも納得したと言わんばかりに声をあげる。
俺の体は確かに女になったが、心まで……と言われるとそうではないと言わざるを得ない。
事実、女子更衣室に入るのはためらうし……。
「先生に相談しても、かと言って男子と着替えるのは……って言われるしなぁ」
「それは仕方ないよ。クラスの男子からしたら、今のミカ君、すっごい可愛いもんっ! もちろん私もそう思ってるよ?」
「正直それも嬉しくない……。どっちかって言ったらカッコいいって言われたい……」
「あ、あはは……」
まあ、こんな愚痴を言っても仕方ないけどさ。
「それじゃあ、ミカ君、私に隠れて着替える?」
「いや、それもそれで……なぁ」
「なんでさ? 私は彼女なんだよ?」
「うーん、そもそもあそこの空間にいること自体ちょっとなぁって思うし」
「そういうものなんだ? 他の人は、ある程度事情知ってるから気にしなくてもいいと思うけどなぁ」
励ましてくれてる……というか慰めてくれているのは分かるが、どうにもその話には首を縦に振ることはできない。
そうすると、また俺が一つ女に近づく気がして……。
二人で心地よい朝を歩く。
その空気は、決して今までとは違う。
時間も……関係性も。
俺は、このまま凛桜の恋人でいていいのだろうか。
このまま、
今や、生活の一部を凛桜に依存しないと以前のように暮らせなくなった俺が、このまま……。
「……はぁ。ミカ君」
「……え? な、なに?」
「ミカ君は、悩んでるときに相談しない癖があります」
「そ、そう? 一応、頼ってるつもりでは……」
「癖があります」
「……はい」
有無を言わさず詰め寄る凛桜に少し怯んでしまう。
「ミカ君は、ミカ君だよ。私の恋人で、白雪さんの弟で、四季さんの幼馴染。それで養育センターの子供たちのお兄ちゃん。そこは変わらないんだよ。ミカ君がどんな姿になってもね」
「……うん」
頭を撫でられ、諭すような口調で俺に言う。
心の突っかかりは取れることはない。
それでも、俺はまだやっていけそうだ。
☆
学校に着くのは、早く出ても今まで通りの時間。
移動時間が長くなったことには僻壁とするしかないが、それ以上に早起き尚且つ長時間の運動で着く頃には体がへとへとだ。
委員会に入っている凛桜が席を外すと、一人で机に突っ伏していた。
「おはよ」
でも、眠れることはなかった。
「……うん。おはよ、
「ん」
隣の席に腰を下ろした幼馴染の存在によって……。
「ミカ、そういえば昨日の夜、流れ星見れたんだよね。見た?」
「いや、全然」
「そっか、結構綺麗に見れたんだけどなぁ」
「……何時くらい?」
「えっと……一時? とか」
「起きてないわ……。つーか、七海はそんな時間に何してるんだよ」
「散歩」
補導の時間が過ぎてることを一切気に留めてないのか、さらりと言っていた。
「夜更かしはお肌に悪いぞ」
「んー? べーつに、今までもやって来たから変わらなくないかな?」
「……そういう油断がだな」
「はいはい」
淡青色に染まった髪をかき上げながらそう言う七海。相変わらず自分のやりたいこと中心の生活してるなぁ。
「あ、そうだ。ミカ、今日の授業体育あるでしょ?」
「……ああ」
「その授業さ、ちょっと一緒にサボらない? どーせ、ミカ暇だよね?」
「お前なぁ、一応授業――」
「はい、決定」
「んな、強引な……」
まあ、俺もこれで女子更衣室に入らなくて済むならいいけど……。
「遠くには行けないぞ」
「分かってるって。大丈夫、その時間丁度近くのバス停にバス来るから」
そもそも遠くに行こうとするなよ、授業中だぞ?
まさに自由人。でも、それが七海の魅力であり、俺が七海と一緒にいて楽しいと思うところだ。
と、七海と適当に会話をしているところで先生が来て話が打ち切られる。
今日の体育は三時間目。そこまでは大人しく受けていよう。
☆
高校の授業なんて、あっという間に過ぎ去るものである。
それが三時間目までともなれば、瞬きする間にというやつだ。まあ、実際にはそんなに早くはないから比喩にはなるけど。
ぞろぞろとクラスメイト達が更衣室へと移動していく中、俺は隣に座る七海が動き出すのを静かに待っていた。
「ミカ君! それじゃあ、行こ?」
そんなときに来たのは、俺の彼女の凛桜だ。
「え、ああ、凛桜。俺、今日はこの授業休むからさ」
「え? ……もしかして、またこの女?」
そう言って、凛桜が指を差したのは七海の方だ。
七海は自分にフォーカスが当たっていることに気づいているのか、いないのか……どこか他人事のように一切反応を示さず、スマホを弄っていた。
「聞いてるの? 四季さん?」
「……ん? どうかしたのかな? 芹澤さん」
二人の間に火花が散る。
この二人、いつもこうだ。顔を合わせると、どことなく危ない一触即発の雰囲気を漂わせる。そんでもって、口論に発展するのだ。
原因は、間違いなく俺。鈍感系主人公として生きているわけではないから、それくらいは容易に気づけた。
「また、ミカ君をどっかに連れ出すつもり? これで何度目よっ!」
「さぁ……私がミカと遊んだ回数なんて、数えてたらキリがないからね」
「ぐっ……で、でも、次は授業中だよ? そんなときに連れ出したら……」
「授業一回出なかったくらいで成績が危なくなることなんてないよ。それだったら、あたしとミカはもう留年になるね。来年、よろしくね? 先輩」
「ほんと、可愛くない幼馴染……っ!」
「いつまで経っても彼女っぽくなってないよね、芹澤さん」
「何よ!」「なに?」
このように……大体話題の中心は俺になる。
まあ、凛桜からすれば彼氏のこと。七海からすれば、唯一の友達で幼馴染のこと。
それ以上に彼女らの間で話す話題なんてないのだろう。
とはいえ、これ以上続けられても注目を集めるから困るんだけど……今の姿になってからは注目なんて今までよりもずっとされたくないしな。
「まあまあ、落ち着けって二人と――」
「「ミカ(君)は黙っててっ!」」
「えぇ……」
どんどん白熱していく二人の討論に俺は入り込む隙なんてなかった。
これは……注目から逃れるために一時避難しないといけないかもしれない。
辺りを見渡して、なるべく人込みから離れられそうな場所を探す。
「あ」
探しているうちに見知った顔がこっちを覗いているのが目に入る。
セピア色に輝く髪がぴょこぴょこと跳ねている。
おそらく、あれは……
「だーかーら! ミカ君は!」
「そうじゃないんだって、ミカは!」
二人の口喧嘩がどんどん激化していくにつれて、注目は俺たちから俺を除いた二人だけに変わっていく。ちょうどいいので、俺はゆっくりと杖を突きながら、その場を後にした。
そして……
「よっ、
「はい。こんにちは、御影先輩」
ちょうど、この場に来ていた後輩……
「また、芹澤先輩と七海先輩が言い合いしてるみたいですね……」
「そうなんだ、困っちゃうよ……」
「あ、あはは……大変そうですね」
小萩ちゃんとは、結構長い期間の付き合いがある。多分、ハク姉と七海の次に長いんじゃないだろうか?
その関係性というのも至ってシンプルで――
「あ、先輩。今日も持ってきました。続きです」
「おう。また、読んだら感想送るよ」
茶色い封筒を受け取る。
この中には、ここ数日間の小萩ちゃんの努力と発想の結晶が綴られた十枚程度の紙束が入っている。
これが俺と小萩ちゃんを繋ぐ関係。
――ファンと……作家の関係だ。
「ぜ、前回渡した部分はどうでした……?」
不安そうに声を出す小萩ちゃん。一度、メッセージでは送ってるんだけどな。
「そうだなぁ、前回の部分だと、ヒロインとのデートシーンだったろ? そうなると、もう少しヒロインの可愛さを描けるといいんじゃないかな? 今の感じだと、二人のカップルとしての魅力しか描けてないと思う?」
「ふむふむ……」
「まあ、でも二人の関係性的な意味合いでいえば、めっちゃ魅力的だったな」
「そ、そうですか⁉ 良かったぁ……」
「一回言ったんだけどな、メッセージで」
「メッセージと生の声はまた違うんですよ? 御影先輩は、結構気を遣う人ですからね。毎回、気を遣われてるのかな? って不安なんですよ」
「そんなに……?」
「そうですっ」
気を遣ってるって、そんな気持ちはないんだけど……。
それどころか、割としっかり言ってるつもりなんだが。
俺がそんなことを考えていると、小萩ちゃんはクスッと笑った。
「それに気づいてないところも先輩らしいですね」
「そうかぁ……?」
自分では、しっくりこないんだけどな。一応、そういうことにしとこう。
「それじゃあ、次からはしっかり口頭でも言うよ。……まあ、小萩ちゃんに来てもらうことになるかもしれないけど……」
「い、いえ、気にしないでくださいっ! むしろ、私の方が頼んでるので、出向くのは当然です!」
「そう?」
「はい! 本当に気を遣い過ぎです。それよりも自分の心配の方をしてくださいよ」
「あはは……」
杖に支えられていても震えてしまう足を見る。
立っているだけでもやっと……みたいな感じに見えてるのかな?
「もう……いいですよ。その代わりに何かあったら、私でも先輩たちでもいいのでなんでも言ってくださいね?」
「はいはい、そのときが来たらな」
「ほんとですよ?」
「分かったって」
ジトーッと俺の顔を凝視してくる小萩ちゃん。どこまで信用されてないのやら……。
小萩ちゃんは、その後移動授業があると言って立ち去って行った。
五分くらいの短い時間だったが、二人は治まってくれたのだろうか。
「違うんだってば! ミカ君は!」
「ミカはそういうのじゃないんだって!」
まだまだ、白熱しているようで……それは、三時間目の予鈴が鳴るまで続いた。
☆
結局あの後、根はしっかり真面目ちゃんの凛桜だけが急いで体育に向かい、俺と七海は学校の外へと出てきていた。
本来、許された行為じゃないことは確かだけど……。
二人で並んで歩いていく。
昔よりも流れる空気がゆっくりになっているからか、良いように言えば穏やかであり、悪いように言えば退屈な時間になっていた。
自由をこよなく愛し、行動力を持った七海にこんなにも退屈な時間を過ごさせてしまっていることが申し訳なく思えてくる。
でも、当の本人は、気にする様子もなく鼻歌交じりに歩いていた。
「七海」
「んー? ちょっと歩くの速かったかな?」
「いや、そうじゃないけど……。どこに行くんだ?」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「おう」
「そっかそっか~」
鼻歌交じりで楽しそうに歩くのだ、よっぽど行きたいところなんだろう。七海は一見クールに見えて実は分かりやすい性格だったりするのだ。今回も鼻歌を歌っちゃうくらい楽しみな場所があるのだろう。
七海は、にぃーっと歯を見せて笑い、スマホの画面を向けてきた。
そこに表示されていたのは……静岡県では有名なレストランのメニュー表だ。
「実はさ、最近さわやか行けてなくてね。夏デザートに変わってから一回も行けてないんだよね」
「……つまり、それを食べに行きたいと?」
「そういうこと」
「奢らないぞ?」
「えー、ケチだなぁ。バイトしてるからいいじゃん」
そういう問題じゃないと思う。
まあ、幸いにもあの治験のおかげでハク姉の手術費を出した後もそれなりに金が余ってるから奢れないこともないけど。
唇を尖らせて、文句を言う七海、コイツはどこまでも――
「――変わらないな……」
「ん? なんか言った?」
おっと、口に出てたか。
「いや、なんでも。それよりも本当に奢らないからな?」
「はいはい、分かりましたよー」
拗ねたのか、俺よりも一歩先に行ってしまい顔が見えなくなる。
それでも、俺たちの距離は一定。歩くスピードが速くなることもなく、遅くなることもなく……そのままの速さで進んで行った。
☆
結局、あの後三つもデザートを食べて満足そうにしている七海と学校に帰った頃には、四時間目の授業の終盤。出てももう出席にはカウントしてくれそうになかった。
スマホを見ると、凛桜から大量のメッセージが来ている。
これは、悪いことしちゃったかな?
それなりにお腹も膨れたからなのか、七海は少しうとうとしていて、学校に着くなり空き教室に行っちゃったし、完全に一人の時間だ。
流れでスマホを見ていると、ある人物のトーク欄が目に入る。
「ちょっとだけなら……いいかな?」
こそこそと音が聞こえないように俺はスマホを耳に当てた。
数度の呼び出し音が響いた後、電話に出る音がした。
『もしもし、ミカくん?』
「あ、ハク姉。もしもし」
電話をかけた相手は、姉の真霜白雪だ。
ハク姉は、手術が終わって、今は退院に向けて色々準備をしている段階。前に聞いた話だとそろそろ帰って来れそうとのことだった。
『どうかしたの?』
心配そうな声をあげるハク姉に「今、授業サボってて暇でさぁ」とは言えず、
「いつ退院できるのかなぁって思ってね」
『あらあら、そんなにお姉ちゃんが恋しいのかしら?』
「そ、そう言うのじゃないけどさ……」
『むぅーっ、そこは「そうだよ」って言えばいいのに。照屋さんなんだから』
「……」
幼い頃から……というか、俺に至っては物心が付いたときにはすでにハク姉がいた。養育センターの俺が知る限り最も長く、最も仲の良かった姉だ。少なくとも俺の気持ちを一番見抜ける人というのは間違いないと思う。
実際、もう一年もハク姉は家に帰ってきていない。はやる気持ちもあるというのが本音だ。
でも、それを真正面から伝えてしまうとハク姉が調子に乗るから絶対にしないけど。
『えっと、いつ退院できるかでしたよね? ……あ、来週の火曜日になりますわ』
「来週の火曜日ね……。あと五日か」
『ええ。もっと早くミカくんは会いたいでしょうけどね』
「だから違うって!」
『うふふ』
やっぱり食えない人だ。見透かされてるようでその上遊ばれているようで……。
でも、自然と懐かしい思いが甦る。
また、ハク姉と……。
家族というのは、素晴らしいものだ。それだけで一緒にいたいと思えるんだから。
養育センターにいる弟妹は元気かな? また今度、ハク姉と一緒に顔を出しに行こう。
「ハク姉」
『はい』
「退院おめでとう。家で待ってるから」
『……ええ。ありがとう、ミカくん。楽しみにしていますわ』
ほんの少しの時間だったが、通話が終わる。
うん、楽しみだ。
ようやくハク姉が帰って来られる。俺の頬もどうやら緩んでしまっているらしい。通話が終わって暗くなった画面には、可愛らしい笑顔を放つ少女……つまり、俺がいた。
☆ √春
体育の授業が始まって少ししてから私は授業に合流した。
まったく……あの幼馴染は引くことを知らないんだよね、本当にさ~。
ミカ君のことになると、いっつも四季さんとは言い争いになってしまう。本当ならミカ君の大事な人だから仲良くしたいんだけど、どうにも仲良くできない。
それは、四季さんが自分の方がミカ君のことを理解している……というスタンスで来るからだ。
確かにミカ君と過ごした時間は、私の方がとても短い。
幼馴染の四季さんはもちろん、姉である白雪さんよりも、ましてや後輩の米月さんよりも短いのだ。ミカ君の周りだと一番付き合いが短い……これは由々しき事態。
「凛桜ーっ! ボール行ったよ!」
「あ、うん」
飛んできたサッカーボールをしっかりと足で受け止める。
私もだいぶ上手くなってきたものだ。始めたての頃はミカ君の転がしたボールに足を当てれないこともあったのに。
私は、ミカ君に救われた。
引きこもっていただけの私を連れ出してくれて、趣味を見つけてくれて、そして私の好きな人になってくれた。
そんな誰に起こっても可笑しくないただ一つの奇跡みたいな話。
主人公みたいだったとミカ君に言うと、いつも照れて「そんなことない」ってはぐらかされるけど、今でも私にとっては主人公だ。
「凛桜、パースっ!」
「うん……はいっ!」
ボールをチームメイトの方まで蹴り飛ばす。
真っ直ぐ一直線に地を這うボールはピタッとチームメイトの足に吸い付き、そのままシュート。私たちのチームの得点になる。
ミカ君は、サッカーが好きだった。
元々はサッカー部に入っていたし、よく海外サッカーを見ていた。
そんなミカ君が今では、杖なしでは歩けなくなってしまい、男ですらなくなってしまった。
大好きだったサッカーも……やめなければならない。
ミカ君の中の一つの趣味が死んだのだ。
趣味がないことの辛さは私が知っている。話に付いていけなくなり、疎外され、一人孤立する。
趣味は大事なもの。それは、人を構成するからだ。
人間関係も、人格も、喋り方も……。
ミカ君は、それを私にくれた。
もう、これは実質私はミカ君って言っても過言じゃないよね? うん、きっと、そう。
だから、私はミカ君にもらったものを返してあげたい。
ミカ君が私を連れ出して、そして今がある。
ミカ君の恋人になったことも。
今みんなと楽しく授業に出れていることも。
ミカ君にもらったものだ。
ミカ君には、失ってほしくない。
私がミカ君に依存してここまで来たように、これまで以上に私に依存してほしい。
依存しないといけないんじゃない、依存したいって思わせるんだ。
その第一歩として、生活の手助けをしている。
「凛桜、チャンスだよ!」
そう、チャンスだ。
ミカ君のことをもっと私色に染める……。
今はまだ、ミカ君の方から全て委ねてくれることはないだろうけど、いつかきっと……。
ボールを蹴って、ゴールネットを揺らし、私の勝利で終わった。
☆ √夏
お腹が膨れて眠くなったあたしは、空き教室に一人で向かった。
連れ回しちゃって大丈夫だったかな?
奢ってなんて言っちゃダメだったかな?
今になって自分の行動が気になる。
ミカは、優しいからあたしがなにをしても「それが七海だからな」と笑って許してくれそうだけどね。
その優しさに救われたことだって何度もある。
あたしは、基本自由人だ。
やりたいことをやりたいようにやるのが人生の楽しみ方だと思ってるし、やりたくないことをどうにかして交わすのが上手い生き方だとも思う。
でも、それにも限界がある。
やりたいことにもいくつか種類があって、一人でできることとできないこともある。
一人でできることであれば問題はないけど、複数人でしかできないことはあたしには当然できなかった。
なぜって? それは、友達がいなかったから。
自由人は行きすぎると、他人に合わせることができないことにもなる。
あたしもそうだった。
自分のやりたいことはしたいし、一緒にしてほしい。でも、相手に合わせて自分のやりたくないことをやるのは嫌だ。
わがままでどうしようもないあたしの小さくて、深い悩み。
それを解決してくれたのは、間違いなくミカだった。
ミカは、いつも自分勝手に動くあたしに構い、付いてきてくれた。
いつかいなくなるんじゃないか、と思っていたが、ついには高校二年生の今でも幼馴染として仲良くやっていけてる。
間違いなく、ミカのおかげだ。
親でさえ、もう軽く放置するほどなのに、ミカはいつまでも付いてきて一緒に楽しんでくれる。
今日も授業をサボらせてまで、ただご飯を食べに行っただけ。
でも、文句すら言わない。それどころか、楽しそうに笑ってくれた。
やっぱり、ミカは優しい。
どんな姿、どんな状況になっても……。
だから、あたしも変わらない。
どんな姿のミカでも、どんな状況のミカでも……あたしは変わらず接し続ける。
それがあたしにとっても、ミカにとっても一番いい。
……あたしって、ひょっとしてミカのこと好きなのかな?
常に考えるときにミカのことも組み込むようになってしまった。
「ふふっ。まあ、これも依存ってやつなのかな?」
あたしがそうであるように。
ミカもそうである。
共依存……なんか芹澤さんにも勝った気分になる。
まあ、そんなことどうだっていいんだけどね。
スマホを開き、ホーム画面を眺める。
昔のあたしと昔の……男だった頃のミカのツーショット。
これからも増えていくであろう思い出。その一つにあたしは微笑んだ。
☆ √秋
昼休みに入って、御影先輩に言われたアドバイスを頭に巡らせる。
「ヒロインの可愛さ、かぁ」
小説を書くには、色々なことに気を回さないといけないから大変だ。
物語の本筋、キャラの価値観、喋り方、情報の出し方……本当に気を遣う場所が多い。
自分だけじゃ気づけないことを御影先輩は気づかせてくれる。
もちろん、七海先輩の意見も参考になるけど、御影先輩ほど細かくは指摘してくれることはない。大小の変化はあれど、大体の人は七海先輩と同じくらいかそれよりももっと大雑把な指摘しかしてくれないと思う。
そう考えると、御影先輩は私の夢を本気で応援してくれてるのが伝わって嬉しい。
私の夢は、物語に携わること、だ。
小説だけじゃなく、映画の脚本や漫画の原作、ゲームのシナリオなど、幅広くやりたいと思っている。
それが難しい夢だということはしっかり理解している。
だけど、それが私の夢なんだ。
昔から、物語に憧れて、小学生の頃にはもう拙い文を綴っていた。
最初は、ただただ楽しいという気持ちだけだったが、次第に自分の中の欲というのは膨れ上がっていき、人に読んでほしい、面白いって思ってほしい、という気持ちが強くなっていた。
でも、自分の周りにはそんな親切な人はいなかった。
私の夢を聞けば、なれるわけないと言われることが多く、もっと酷い人は私に諭すように馬鹿なことはやめろ……とまで言う始末。
それでは、ダメなんだ。そう思うと同時に夢に向かう気持ちが折れかけていた。
自分の方が間違ってるんじゃないか? 夢を見るのは無駄なことじゃないか?
日々、自問自答。答えなんて当然ない。そんな時に苦しんでいた。
そんなある日、御影先輩に出会う。
御影先輩が図書室にやって来たときのことだ。
先輩は、サッカーのフェイント集みたいな本を図書室に返しに来ていたんだ。
当時の私は、中学一年生の入学してから半年くらい経った頃だった。そんな私でも先輩の名前は知っていた。
サッカー小僧の真霜御影。
そう呼ばれることが多かった御影先輩は、外部のクラブチームでサッカーをやっていたそうで、この世代では有名な選手だった。
応援のときには、先輩の暮らす養育センターの子供たちが応援に来て、必ずその声援にも応える……割と人気のある人。
その程度のイメージでしかなかった。
私は、スポーツが苦手でスポーツをしている人とも相容れないと思っていたため、先輩を避けるようにして図書室を抜け出そうとしていた。だが、神様のいたずらか、はたまた運命の歯車が動き出したのか……。
先輩と私は、出会った。
たしか私が別の人とぶつかったことがきっかけでよろめいたのを助けてもらってからだったと思う。
そんな物語の中でありがちな出会いをした私は、物語脳全開で何かが動き出す、そう確信して先輩に私の夢について話した。
正直に言えば、不安ではあった。今まで誰にも受け入れてもらったことがない夢だ。また先輩にも……と。
でも、そうはならなかった。
先輩は、私の夢を応援すると同時に自分の夢についても話し出した。
サッカー選手になって、たくさんいる弟妹たちの誇りになりたい。
お互いに大きすぎる夢だな、と笑い飛ばし、何かあったら相談にも乗るとまで……。
優しい。優しすぎる。
この先輩の言葉に救われて、高校一年生の今も物語を書き続けている。
親を説得して、応募したりするのは高校二年生からということになった。そのときに全力を、私の面白いを伝えられるように……。
それに、もう叶わなくなった先輩の夢の分まで。
「よしっ! もうひと頑張り!」
先輩の夢はもう叶わない。
だから、私だけでも叶えるんだ。先輩の夢への思いも乗せて……先輩の分まで。
いつか、御影先輩に「小萩ちゃんと出会えてよかった」って言わせるんだ。
私がそうであったように。
ノートにペンを走らせていく。
うん、いい文が書けそうだ。
☆ √冬
通話を切り、スマホに表示されたほんの少しの時間のタイマーに目を向ける。
ほんの一分と少し。それだけしか話していないのに頬が緩んでしまう。
やっと、やっとだ。
また、ミカくんと暮らせる。
病気になったときは諦めかけたけど、それでも今こうして回復して、退院できるところまで来た。
それが堪らなく嬉しいのだ。
「真霜さーん」
「あ、はい。今行きますよ」
看護師に呼ばれて、そそくさと戻る。
本当に回復してよかった。
手術を受けないといけなくなって、でもお金が足りなくて……それが国から支給されたとミカくんが持って来てくれた。
本当に奇跡みたいなこと……のように見える。
多分だけど、これは奇跡でも何でもない。
ミカくんも彼女である凛桜ちゃんも幼馴染の七海ちゃんも教えてはくれないし、知らないと突き通される。
でも、私だって馬鹿じゃない。
お金が用意できたと言いに来たミカ君が女の子になって、足が不自由になっていた。
これが偶然だと言えるだろうか? もし、偶然だとしたら神様は私たちに容赦がなさすぎる。親がいなくて、その上で私を病気にして、ミカくんの大事なものも奪って……。
だから、これは神様の仕業じゃない。
きっと、ミカくんが何かしたんだ。
ミカくんのことだし、やりかねない。
もし、私を助けるためにお金が必要で、お金を得るために必要であれば……。
だけど、それが分かったとして、私がミカくんにできることは何だろうか?
説教? 違う。私の命を助けてくれたんだ。そんな可愛い弟に感謝こそすれ、説教なんてしたくない。
褒める? 違う。ミカ君はそれを望んではいない。あの子は、本当にただ純粋に私がいなくなって欲しくないだけだ。
ミカくんは、親がいない。その分、今周りにいる人たちに優しく接し、とても大事にしている。
それと同時にあの子は周りの人たちに依存しているのだ。
自分の中の全てが他人で構成されている。誰かから貰ったもの。誰かのことを見て学んだこと。
普通のことではあるが、ミカくんはこれに執着をしている。
だからこそ、一番長い付き合いの私がいなくなることをよしとしなかったんだろう。
嬉しさと同時に危うさも感じる。
ミカくんが私に依存するのはいい。むしろウェルカムって感じだ。
でも同時に私もミカくんに依存している。
今回の件も、これまでのことも……。
だからこそ、ミカ君がいつか本当に駄目な方に進んだときに止められなくなりそう。
「しっかりしなさい、真霜白雪。私は、お姉ちゃんなんだから」
決意を決める。
退院したら、まず思いっきり甘やかしてあげよう。
今はまだ、大丈夫。
だから、今だけは姉として、弟のことを可愛がってあげよう。
ベットに戻って、ミカくんの持ってきた花を眺める。
アイビーの花……この子も我が家に迎えよう。
花びらにそっと手を当てて、そう思った。
②アイビーの花束を君に捧ぐ。 海印の飴 @Ame_Umijirushi
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