3 調査開始

 次の日から、三人の魔法使い捜索は始まった。

 大臣たちの話では、ロジエの上空を延々と覆っている雲は、三か月前から居座っているらしい。冬が明けたのに、一向に晴れの日が来ないことを不審に思って調べてみると、なんとこの国の上だけが動くことのない雲で覆われており、外に出れば、そこには春の日差しがあふれていたということだ。

 確かに、この国に来る途中までは暖かだったのに、国に近づくにつれてどんどんあたりが薄暗くなって、気温も下がってきていたのを三人は覚えている。

 それぞれが受け持つ仕事は、ロイとティナが町に出ての情報収集、トルムが書庫での文献調査となった。なので、三人はここから二手に分かれての行動が続くことになる。

「幼児と間違えられて変なものもらってくるなよ」

「だ・れ・が幼児よ!いわれなくても大丈夫ですー。トルムこそ、自分の興味があることばかり調べて、無駄に時間を過ごさないでよ」

「この世に無駄なことなんて一つもないんだよ」

「はいはい、効率的にお願いしますね」

 置き土産にぺしっとトルムの背中をたたくと、ロイはティナを連れて王宮を出た。同じく情報収集係となった人たちと、範囲を分担して調査に向かう。

 ロイたちが担当となったのは、今までも何度か訪れていた町の市場だ。旅人も多く訪れるため、ほかの場所よりも二人が浮かないだろうという考えであてがわれている。その代わり、この場所は得られる情報量も多くなると考えられるため、覚えていられるようにと、二人は携帯用のペンとノートを用意して人々の中に入っていった。

「いらっしゃい、いらっしゃい!」

「あの、ちょっとお聞きしたいのですが」

「おっ、お嬢ちゃん可愛い顔してるね」

「あ、ありがとうございます。それで」

「甘いものは好きかい?うちのハチミツは、他の国とは違う特別な味をしているのさ。なんてったって、バラのミツから出来てるんだからね」

「そうなんですか、ところで」

「お嬢ちゃん、バラと聞いて、そこらの花屋で売ってるようなバラを想像しただろう?よその人は知らないだろうが、ああいうバラにはミツがないんだ。ハチミツになるようなバラは、あんな気取った形じゃなくて、牡丹みたいにひらひらした花びらがたくさん重なった形をしているんだぜ。見たことあるかい?」

「いえ、あの」

「そうか、今の時期になりゃ、王宮の庭園が開かれて、ハチミツになるバラも見てもらうことができるんだが、あいにくとバラの育ちが悪くってなあ」

「その、バラの育ちについてなんですが」

「おう、今年は全然でな、俺たちも商売あがったりなんだよ。ここに並べてるのも去年できたハチミツばかりで非常に申し訳ないんだが、ハチミツは一年そこりゃじゃ大して質は変わんねえから、今年できたものとおんなじだ。美容にも健康にもいい国一番のはちみつだぜ、さあ、お一つどうだい?」

「え、ええ・・・」

 べらべらと口の回る売り手に、ロイはたじたじになってしまい、最終的には中くらいのビンを持って、ティナのもとへ帰ってきた。

「負けた・・・」

 がくりと肩を落とし、ため息をつく。

「大丈夫です!まだ第一ラウンドですから!次挽回しましょう!」

 ティナは落ち込むロイを励ますが、今日は運悪く、市場に人があふれていた。商魂たくましい売り子の人々は、バラ製品の損失を何とか取り戻そうとセールストークに夢中で、天候の詳しい話など聞けやしない。おたおたしているうちに十八時の鐘が鳴り、王宮に戻る時間となってしまった。

「全然話が聞けなかったわ」

 悔しそうなロイの腕には、いくつもの商品が抱えられている。すべて売り子に押し切られ、買わされてしまったものだ。

「うーん、イオニアマイグス様の方が向いていたかもしれませんね。交渉上手ですし」

 顎に手を当てて、ティナは敗因を考えている。

 昼間よりは多少人が減ったものの、市場にはまだ大勢の人が行き交っていた。

「とにかく、押し負けないことですかねえ。あまりに販売意欲が高そうな方には近寄らないようにして、相手のペースに乗せられそうになったらあきらめて・・・あと、今日の場合は人が多かったのもいけなかったかもですね・・・」

 どんっと肩が誰かにぶつかる。

「気をつけろ!」

「あっ、申し訳ありません!」

 ティナは慌てて深く頭を下げた。ぶつかった男の人は、鉄の輪をつけているティナを見て顔をしかめると、足早に去っていく。

 揉め事にならなかったことに安堵して、ティナは足を止めさせてしまったことを謝ろうと、ロイのいる場所を向いた。

 そこに、ロイはいなかった。

「・・・えっ」

 あたりを見回すが、遠くからでも見栄えのする漆黒の髪は、どこにも見えない。

 さあっと血の気が引いていく。

「ご主人様・・・?」

 なんてことだ。考え事にかまけて、主人から離れてしまうだなんて。足を止めさせたことなんかよりも、従者として情けないことだ。

 早く合流しないと。そう思い動き出そうとしたその時、甲高い叫び声が市場に響いた。一人の女性が、ティナをふるえる指で指し示している。

「つ、使われ人よ!北の大罪人よ!なんでこの国にいるの!」

 道行く人々はみな立ち止まり、ティナの手足につく鉄の枷に注目していた。

「使われ人」

「こんな子供が?」

「人殺しの印をつけている」

「人殺し?」

「殺される?」

「殺される!」

 ざわめきは津波のように膨れ上がり、人々はわあっと逃げ出した。

「ま、待ってください!私は」

「来るな、犯罪者!」

 逃げ行く人が投げた石がティナの頭に当たり、目の前に星が飛ぶ。

「違います!私は、皆さんの命を奪ったりなんて・・・」

 絶対にしません。

 そう、言おうとした。

 しかし、その言葉が発せられることはなかった。

「そうだ、よそへ行っちまえ!」

「俺たちの国から出ていけ!」

 ティナが反撃しなかったことに気をよくしたのか、男の人を中心に、人々は逃げるよりもティナを排除する方針に切り替えたようだ。地面に落ちていた石や木の枝が、彼女に襲い掛かる。

「やめて、やめてください!」

 叫ぶティナの言葉など、誰も聞きはしない。

 人は言葉の扱いに堪能だ。無限に存在する音の組み合わせによって、事実を正確に伝えることができる。反面、事実ではないことをまことしやかに語ることにも長けている。

 だから、彼女も言うことができるはずだった。自分は他者の命を奪うことなど絶対にしないと。そうすれば、今のように傷つけられることにはならなかっただろう。

 でも、彼女はそれが言えなかった。それが彼女の誠実さだった。

 降り注ぐつぶてに、別の景色が重なる。

 とどろく地鳴りに、潰されていく家。

 降ってくる砂粒、目の前に倒れる大木。

 人々の悲鳴、土に飲み込まれる赤ん坊。

 助けを求めるように伸ばされた、岩の下の親友の腕。

 これらはすべて、ティナの引き起こした出来事。

 たった一人で生まれ育った村を滅ぼした彼女は、幼いその身に、何十年も消えぬ重い十字架を背負うことになった。

 たとえ自らの過ちを心から悔いていたとしても、定められた時が過ぎるまで、そのくびきから逃れることはできない。

 鉄の輪をつけていれば、それだけで危険な人間とみられてしまう。

 それが、使われ人の、彼女の運命であった。

「おい、何をしている!」

 人の壁の向こうから、男の声と鎧のぶつかる音が聞こえた。兵士が騒ぎを聞きつけやってきたのだ。石を投げる人々の意識が一瞬そちらへと引かれる。そのすきを逃さず、ティナは走り出した。

 自分を囲む人たちの隙間に潜り込み、ぶつかりながらも厚い壁を抜け、一目散にその場を逃げ出す。行先なんて決まっておらず、ただ目についた道を走りに走って、人の声の届かない路地に駆け込むと、ようやくティナは息をついた。

 向けられた悪意に傷つけられた心が、じくじくと痛みを発している。その場にしゃがみこんで、大声で泣きだしたい気分だったが、長くこの場にいてはまた誰かに見つかってしまうかもしれない。

 こんな時ご主人様がいれば、優しい言葉で慰めてくださるのに・・・と考えた時点で、はたと思い出した。

 そういえば、自分はロイとはぐれたんだった。

 けれども、あれだけの騒ぎを起こしておいて気付かないわけがないから、あの市場にはもうロイはいなかったということになる。

 だとしたら、一体どこにいってしまったのだろう。

「おまえさん、人を探しているね」

「ひゃっ!」

 突然声をかけられて、ティナは文字通り飛び上がった。

 細く薄暗い道の先には、水晶玉を片手に持ち、紫色の布をかぶった、腰の曲がった老婆が立っている。

「こちらへきてごらん。使われ人の娘さん」

 湿った声に誘われて、ティナはふらふらと老婆に近づいた。

「今日はずいぶんと調子がいい。特別にお金は取らないよ。ほら、探し人の姿かたちをよおく思い浮かべてごらん」

 いわれたままに、ティナはロイの風貌を頭に描く。水晶玉をのぞく老婆は、しばらく口をもごもごさせていたが、ふっと息をついてティナに告げた。

「おまえさんの探し人は、ずいぶんと高貴な人のようだね。それに、おまえさんのことをとても大切にしている。探し人は王宮にいて、姿の見えないおまえさんのことを心配しているよ。早く行っておやり」

 それを聞いたティナは、困ったような顔をしながら、路地の出口方向へ数歩歩きだす。

「言っただろう、お代はいらないよ」

 老婆の声を聞き、ティナは頭を下げると、今度こそ外へ向かって駆けていった。夕暮れの街を、丘に向かって全速力で走る。

 王宮につくと、近くにいた召使いにロイの居場所を聞いた。召使いは客間にいる、と答える。ティナは自分たちに与えられた部屋に行くと、恐る恐る扉をノックした。

「はい」

 トルムの声が聞こえ、扉が開かれる。扉の向こうに立っていたティナを見て、トルムは目を丸くした。

「お前、どこにいたんだ。シャーヤはとっくに帰ってきてるぞ」

「ティナ!?」

 トルムの背後からロイの声がして、パタパタとティナのほうに駆け寄ってきた音がする。老婆の言う通り、ロイは王宮に戻ってきていた。

「よかった!急にいなくなるから心配したわよ」

「申し訳ありません!」

 ティナは謝る。

「ほら、早く入って。夕ご飯を食べましょ」

 丸いテーブルの上には、三人分の夕食が並べられていた。召使が持ってきた時間はとうに過ぎているのに、まだ手を付けられていないそれを見て、ティナは二人が、空腹を我慢して自分のことを待っていてくれたことを知り、ますます申し訳なくなって縮こまる。

 トルムの合図で、三人はお祈りをしてから食べ始めた。

「で、何で遅くなったんだ?」

 トルムがティナに昼間のことを聞く。

「本当に申し訳ありません。考え事をしながら歩いていたら、ご主人様と離れてしまいまして。そのあとちょっとトラブルがありまして、帰るのが遅くなってしまいました」

「トラブル?」

「その・・・」

 ティナは唇をかんだ。先ほどの出来事が頭によみがえり、じわっと涙が浮かんでくる。その様子を見て、二人はああと理解した。

「辛かったでしょう。ごめんなさい、置いて行ってしまって」

「いえ、私の注意が足りなかったせいで、このようなことになってしまったんです。今度は、こんなことにならないよう、気を付けます」

「シャーヤも気をつけろよ。使われ人のことを良く思っていない人だって、大勢いるんだからな。面倒を避けるためにも、外に出るときは絶対オセユアから目を離すな」

「わかった」

「そんな、ご主人様ではなくて従者である私が気を付けるべきなんです!」

「シャーヤも気をつけろ、オセユアも気をつけろ。二人で注意してりゃ確実だ」

「私だけじゃなくてトルムも気を付けてよね。二人で行動することもあるでしょ」

「当たり前だろ。俺はお前とは違って思慮深いもんな」

「何よその言い方ー!」

 普段通りの二人の言い合いを聞いて、落ち込んでいたティナの心は少しずつほぐれてきた。

「そういえば、トルムは今日何してたの?」

 ロイが尋ねる。

「俺はこの国にいた魔法使いについて調べてた」

 サラダを少しずつ食べながら、トルムは答えた。

「何かわかった?」

「まー少しは。確かに、この国では建国から数十年の間、魔法使いが国の政治に協力していたらしい。王様の言う通り、記録上は彼以降この国に魔法使いが生まれたという話はない。卵ならいたらしいけれど、それも年に一人か二人ぐらいだ」

「だとすると、最近になって、何十年ぶりに卵の人が魔法使いになったんじゃないかな。報告されてないだけで」

「それもあるかも。そもそも魔法使いっていうのは普通遺伝しないから、いつどこでだれが魔法使いになるかは全く予測できないからな。今回偶然卵から魔法使いに成長出来た人がいて、国に認知されていないから見つかるリスクが低いと分かって、異常気象の騒ぎを引き起こしたってのもあり得る話だ」

「じゃあ、この国に魔法使いがいるってのは確定?」

「おそらく」

 ぱあっと瞳を輝かせて、ロイはティナの手を取った。

「やった!これでやっと、私たちの願いが叶うわよ」

「はい、よかったですね!」

 ティナもニコッと笑って答える。

「ついにこの旅の目的も達成か。案外早かったな」

 トルムが食後のコーヒーを飲みながらつぶやいた。

「あ、こら、トルム、お肉残してるじゃない」

「もう腹いっぱい。お前食って」

「なんでよ、私より大きいんだからちゃんと食べなさい!」

「お前身長伸ばすんだろ」

 ロイとトルムはメインディッシュの押し付け合いを始める。それは召使いが食器を回収に来るまで続いて、結局ティナが一口で食べてしまったことで決着がついた。

「大食いだな」

「歩き回ってお腹空いたんですよ」

 満足満足とティナはお腹を撫でた。

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