その九 呑み込んだ名は、闇無大虬/眩波大虬(クラナミズチ)

「おしえてやるよ────しりたいんだろう?」


 男とも女ともつかない得体の知れない何者かは、あらゆるものを飲み込むような強い重力を放ち、まるで狩りの最中の高い知性を持つ怪獣のような、凶悪な笑顔を浮かべていた。

 それを見た瞬間、アキュティシマ/ツルバミは『ケートゥス』を抜き腰の高さに構え発砲音が殆ど一回にしか聞こえない程の速さで三発撃っていた。警告は一切しなかった。


「ちょ、何してんの⁉」


 クリスは仲間の凶行に困惑した。

 ツルバミは苛立ちを隠しきれない様子で、


「駄目か」

「当たり前でしょ⁉」

「クリスちゃん構えて。マヤリスは立って。早く!」

「は、はい……!」


 先に応じたのはマヤリスだった。足腰に力を入れて、何とか立ち上がる。

 その目は怯えていたが、決して闘志は失われていなかった。


「は、はあ……?」


 クリスは、ツルバミに理解出来ないを見るかのような表情を向け、


「は────」


 直後、何者かが立っていた方向から、男とも女ともつかない声が聞こえてきた。


「え?」


 クリスが何者かの方を見る。

 そこには、無傷のままの何者かがいた。

 クリスの知る限り、ガンファイターエルフが銃撃を外すのはわざと意外では有り得なくて、彼女は明らかにそのつもりではなくて、


「ははははははは────!」


 何者かは、それを蹴散らすかのように高らかに笑った。


「これは、おもしろいものをつくったな、ひかりのひと。よきかな。ひりりとはじけて、うまい」


 何者かは心地良さげに言い、ツルバミ達に舌なめずりして見せた。

 ツルバミは無言のまま『ケートゥス』の撃鉄を上げながら肩の高さに構え直して一発、撃鉄を左手で操作して二連射した。

 頭部、続けて心臓と頭部に向けて放たれた恒星ステラーウィンドバレットは、標的の僅か一メートル前で静止すると同時に極限まで引き伸ばされ細長い気体ガス状に変わり、凄まじい速度で回転して円盤を形成し、近付きすぎた箇所から真っ直ぐ落ち込むように吸収された。


「……何、今の」


 クリスは、目の前で起こった出来事を全く理解出来なかった。


「たべた」


 何者かは短く応えた。


「食べた?」

「ヤツはその場に存在するだけで周囲のあらゆる物質をそのエネルギー諸共吸収し自分の力に変えます。少なくとも惑星に存在してはいけない怪獣です」


 ツルバミは殆ど呼吸せずに言い切りながら『ケートゥス』の回転弾倉を交換した。

 それを見聞きし、怪獣と呼ばれた何者かは、きゅうっと口角を吊り上げて、視線を引き寄せて離さない笑顔を形作った。


「ふふふ。かいじゅう、かいじゅうか。ひかりのひとがあたえるいみは、とろけるようにあまくてうまいな。もっとよこせ」

「おいそれとくれてやるものか……!」

「ははははは! ならばうばおうか!」


 怪獣は目を見開いて哄笑した。


「……何なの……?」


 その姿を見て、クリスは、身も声も震わせた。


「見てるだけで、聞いてるだけで、身体が震える……。あたしの心から来るものじゃない、この感覚は何……?」

「あの怪獣から放たれる重力波です」


 マヤリスが答えた。先程までの弱りきっていた姿からは想像もつかないような、重力波ふるえを跳ね除ける力強い声だった。


「重力……? いや、どう見てもヒトじゃあ……?」

「いいえ、あの見た目から怪獣に変わるんです」


 ツルバミが、マヤリスの代わりに答えた。


「百年前、王国に現れた時も、最初はヒトの姿をしていました。でも、その日の夜に姿を変えて、破壊の限りを尽くしたのです。可視光から取得出来る情報に騙されてはいけません」


 ツルバミの説明を聞いて、怪獣はくつくつと笑い、


「ならば、やってみせようか!」


 怪獣がそう言った瞬間、その身体に異変が起こった。

 全身が罅割れ、微細な粒子になって崩壊した。その内側には凄まじい速度で回転する極小の青白く輝く球体があり、粒子が『ケートゥス』の銃弾と同じように吸収された。

 青白い球体は天高く浮かび上がると、突如回転を止め、放射状に広がって新たな形を形成した。

 その余波を受け、周囲のあらゆるものが一瞬だけ引き寄せられ、すぐに吹き飛ばされた。


「うわあっ────⁉」

「危ない!」


 マヤリスが爆風に巻き込まれて吹き飛ばされかけたクリスの腕を掴んだ。

 そのまま諸共飛ばされそうになったのを、ツルバミが重力を操作する事で引き留めた。


 光が消え、爆風が収まり、不安定に揺らめく黒緑色の凶悪な姿が、全く違う、確かなものに変わる。

 身長は八十メートル以上あり、全身が金属光沢のある薄青と白銀に輝いている。

 顔のない頭部には、幾重にも重なる環を描く角を冠のように乗せている。

 すらりと背が伸びた胴体の中央には、不気味な音を放つ青白い発光器官がある。

 両腕と両脚、尻尾は何千年も生きた巨木のようだが、研ぎ澄まされた刃のように均一な質感を持っていた。


 それこそが、いずれこの宇宙を蝕むものの姿だった。




§




「うう……」


 町の南部に向けて避難していたモクレンは、怪獣の変貌の余波で吹き飛ばされて地面を転がり、身体のあちこちに擦り傷や青痣を作っていた。それでも、痛みに呻きながら何とか立ち上がった。


「何だ急に……⁉」


 吹き飛ばした力の正体が判らないまま、それを感じた方向を見る。

 そうして、寸前までそこに存在していなかった、円冠の角を持つ顔のない怪獣をしかと見た。


「あ────」


 モクレンの瞳に怪獣の姿が映り、その脳裏に、最初に頼まれた事と、友人が語った使命が浮かび上がる。


 何者をも喰らい潰す宇宙そらを乱す脅威。

 宇宙Universe喰らいEater

 悪魔のような怪獣。


「あああ、あれか……アイツかあッ‼」


 モクレンが叫んだ。確証はないが、確信はあった。


〔その通りです!〕


 直後、森の中で聞こえる葉擦れのような涼やかな声がモクレンの脳内に響き、拳大の金色の光球が出現した。


「今度はなん────いや、覚えてる……その声!」

〔はい。ご無沙汰しています、惑星エーテラースです! ごめんなさい、を出すのに四百八十九年かかりました!〕

「や、構いませんけど……それより、頼まれたのってアレですよね⁉」


 モクレンが怪獣を指差しながら確認する。


〈はい!〉

「どうしよう、初めて会ったし倒し方なんて……!」

〈ええ、一度距離を取りましょう。可能ならば壁の向こうまで〉

「え、いいんですか⁉」

〔今、とびっきり強いヒトの生き残りが戦おうとしています。どうやら、年月を賭けたとびっきりの大技を使うみたいですよ!〕




§




「嘘でしょ……⁉」


 クリスは、ヒトのように見えた何かが未知の怪獣へと変貌したのを、呆然と見上げる事しか出来なかった。


「姿が全然違う……⁉」


 マヤリスは愕然とした。

百年前のあの日に見たのは、六十メートル程の身長に、黒緑色の鱗に覆われた身体。獰猛な顔つき。炎と星にも負けない程に爛々と輝く両目。メーテオーリースの森に在った巨大な古木を彷彿とさせる腕や足、尻尾────所謂肉食の凶悪な怪獣のそれだったからだ。

 目の前で自分達を見下ろすのは、それとは全く違っていた。

 唯一つ、全身から放つ特有の重力波を除いては。


「時を経て姿を変えたか、あの時と同じように……!」


 ツルバミは拳を握り締めた。

 あの日映像越しに見て脳裏に焼き付き、たった今目の前で目撃した、ヒトの形をした何かが怪獣に変貌する光景を目に焼き付けて、


ユニヴァースUniverseイーターEater────クラナミズチ!」


 かつて守れなかった同胞達と共に名付けた異容の怪獣の名を、怒りに乗せて叫んだ。


『あはっはははははははははははは────!』


 クラナミズチが楽しげな笑い声を上げた。それに怪獣の雄叫びのような音が混じった瞬間、周囲の地面が砕けて浮かび上がり、気体ガスのようになって空気諸共吸収され始めた。


「まずいっ!」


 瞬間、ツルバミが動いた。

 クリスとマヤリスを抱えるように腕を回すと、赤い光の球になって人工膜宇宙の『窓』に飛び込み、クラナミズチからある程度離れた中央広場に一秒とかけずに移動した。

 赤い光の球体がほどけて、三人はふわりと着地した。


「え、あ⁉」


 クリスは驚いて周囲を見渡して、自分の現在位置と何が起こったのかを理解した。


「クリスちゃん、マヤちゃんをお願い。可能なら皆と合流して」


 ツルバミはクリスの両肩に手を置いて頼み、続けてマヤリスを見て、


「マヤちゃん、『窓』は開けられるようにしておくから、危なくなったらすぐに逃げて」

「姫姉様は⁉」

「アイツを倒す。大丈夫、今度は負けない」


 ツルバミ────アキュティシマは、問いかけに答えながらクラナミズチの方へ数歩歩き、振り向いて左肩越しにマヤリスを見た。

 その表情は、微かに笑っていた。


「! ────解りました。ご武運を!」

「ありがとう、行ってくる!」


 アキュティシマはそう言って、赤い光の球に包まれ、飛び立つと同時に周囲に一切の被害を出さずに音の壁を突破、一条の軌跡を残して飛んで行った。

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