その六 均衡は揺らいでいく
明け方。空が白み、星々の輝きが見えなくなった頃。
今度は夢を見なかったマヤリスが、いつものように目を覚ますと、一緒に寝たはずのアキュティシマ王女はベッドからいなくなっていた。
「あ、あれ? 姫姉様、どこ? え……?」
マヤリスが不安になって上体を起こして周囲を見渡すと、シャワー室の灯りが点いていて、奥から水の流れる音が聞こえていた。
「あ……」
シャワー室から水の流れる音が聞こえなくなって少し経ち、その中から、シャワーを浴び終えて着替えたアキュティシマが出てきた。
「あ、マヤちゃんおはよう。よく眠れたみたいね」
「…………」
「ん、どうしたの?」
「良かった、夢じゃなかった……」
マヤリスは心底安心した様子で呟いた。
「え? ……ああ、そうか。不安にさせちゃったのか。ごめんなさい」
「あ、いやいや、そんなそんな……」
マヤリスはアキュティシマに謝られて、慌てた様子で両手と首を振った。
「そう? ならいいけど……。シャワー、浴びる?」
「あ、はい」
マヤリスは頷くと、人工膜宇宙の窓を開き、丁寧に畳まれた着替えを取り出した。
「シャワー浴びて朝食摂ったら、この町を見て回ろう」
「えっ⁉」
そう言われて、マヤリスは仰天してアキュティシマを見た。
「え……あの、怪獣……ユニヴァース・イーター、倒さないんですか⁉」
「そっちは、追々ね」
「追々って……姫姉様、ふざけてるんですか⁉」
「違うよ」
アキュティシマはそう言い切りながら首を横に振った。それから、静かに拳を握り締めた。
「アイツは、私達の人工膜宇宙を経由して移動する能力を奪ったの」
マヤリスは、愕然とした様子になった。
「姫姉様、それって……見つけるの、無理、じゃないですか……」
アキュティシマは、悔しさの滲む表情で頷き、
「あの空間の広さは誇張なしの無限大だ、一度入られて超長距離を移動されでもしたら、今の私じゃ追いかけられない……宇宙の膨張より速く飛ぶ事すら出来なくなってるから」
アキュティシマはそう言いながら、普段なら『ケートゥス』が吊ってある位置に触れる。
「いつからか、呼ばれるようになった『ガンファイターエルフ』を率先して名乗って、百年間あちこちで戦ってきたのも、ヤツに自分から動いてもらうためなんだ。特徴を聞けば、食べ残しだって勘付くかもしれないでしょう? ……後手に回り続けないといけないのは、とっても業腹ではあるのだけど」
アキュティシマは、迷いを振り払うように首を振って、困ったような笑顔をマヤリスに向けた。
「だから、今の私が出来るのは、問題が発生するまで待機する事と、問題が発生したらその時出せる全力で戦う事なんだよ。今は、待機の時間」
「そう、でしたか……それは、怒鳴ってごめんなさい。でも、先に説明して欲しかったです」
「それは私が悪いからね。怒って当然だよ。こちらこそごめんなさいだ」
アキュティシマは申し訳なさそうに言って、
「後ね、勿論今言った事は本音なんだけど、もう一つ理由があって」
何故か楽し気に言いながら、右手の人差し指を立てて見せた。
「何ですか?」
「マヤちゃんと百年ぶりに会えたんだもの、埋め合わせをしたいんだ」
§
「という事で、マヤちゃんとクロウディウムを観光する事になりました」
アキュティシマは、マヤリスとリカーとスミラと四人で宿屋が用意した朝食を食べながら、今日の予定を伝えた。
因みに、朝食の内容は、少し固めのパン、黄身にしっかり火を通した目玉焼き、葉野菜のスープ、おかわり無料の水だった。
「いや、何が『という事で』なんだよ」
スミラが呆れた様子でツッコミを入れた。
「え、駄目?」
「あのですね……あー、えっと……」
リカーは何か言いかけて、少し困った様子になった。
アキュティシマはそれを見て首を傾げて、
「リカーさん、どうかした?」
「いえ、貴女を、どうお呼びすれば良いかと思いまして」
「あ、じゃあ今まで通り、ツルバミでお願いします」
アキュティシマ────ツルバミはそう言って、顔を寄せて、
「本業はお休み中なので、周りにあんまり詮索されないようにしたいです」
「……了解しました」
「分かった。後でクリスにも言っておくよ」
リカーとスミラはそう言って快諾した。
ツルバミはスミラの発言を聞いて首を傾げて、
「スミラさん。そういえば、クリスちゃんは?」
「まだ寝てるよ。仕事以外だと朝弱いんだよ、アイツ」
「あー」「あー」「あー」
スミラ以外の三人が異口同音に納得の声を洩らした。
それから、リカーは気を取り直すように咳払いをして、
「ア……ツルバミさん。貴女達、昨日騒ぎを起こしたばかりの監視対象なんですよ? 少なくとも、行政のお歴々はもう暫く警戒するはずです。我々も、最低七日間は張り付けと命ぜられましたし……」
「宿屋に籠ってなきゃ駄目?」
「そうしてもらえると大変ありがたいんだが……ツルバミお前、抜け出す気満々だろ。鍵のかかった部屋から誰にも気付かれずに抜け出す、なんて芸当は楽勝だろ?」
「…………」
スミラに指摘され、ツルバミは目を見開きながら口元に笑みを浮かべ、
「バレたか」
「バレるわ。俺達にやって見せただろ」
「ええっ⁉」
マヤリスが驚いて声を上げ、
「え、ちょ、ちょっと姫……じゃなくて。お、お姉様、何やってるんですか⁉」
「いやあ、成り行きでね?」
「成り行きでって……!」
マヤリスは一瞬だけ監視役二名の方を見て、テーブルの下でツルバミの手を掴んで、
〈国が外と殆ど交流してなかったのって、技術段階に差がありすぎるから追い付くまで待つのが理由だったんでしょう⁉ 大っぴらに見せたら流石にヤバイですって!〉
他の人類が聞き取れない周波数を利用して、言葉を直接送り届けた。
ツルバミも同様にマヤリスに言葉を送る。
〈もっと言うなら、宇宙空間で活動出来るようになって、協力して宇宙探査出来るようになるまでなんだけどね。まあ、よっぽどじゃない限り、まだ理解も再現も難しいみたいだから、多少なら大丈夫でしょ〉
〈そんな呑気な……〉
スミラは、無言で何らかのやり取りをしているように見える二人を見て、怪訝な表情で、
「おーい、大丈夫か?」
ツルバミとマヤリスはパッと監視役の方を見て、
「ん、大丈夫大丈夫」
「大丈夫じゃない気がしますけど、この感覚懐かしいなーって感情で補強してます……」
バラバラの方向を向いた解答を送った。
「お、おう……? そうか?」
「して? 出歩いて良いの? 良くないの?」
ツルバミに聞かれて、スミラはリカーを見た。
「……どうするよ?」
「……ふむ。待機させようにも誰にも感知させずに出て行けるのであれば、どのみち好きにさせざるを得ないでしょうね」
そう言ってリカーは少し考え、
「二人だけで観光する代わりに、遠巻きに監視する
その提案に誰よりも意外そうな反応を見せたのは、ツルバミだった。
「え、いいの、それ? 左右をがっちり固めるみたいにしても、いいんじゃない?」
「だって、ツルバミさんとマヤリスさん、百年ぶりに再会出来たのでしょう? 水を差す真似をする方が無粋ですもの」
「そりゃ気遣ってくれるのは嬉しいけど……ここで決めちゃって大丈夫なの?」
「監視役を押し付けられた時、人の業務を圧迫してきた仕返しに決定権を毟り取って差し上げたので、お気になさらず」
リカーは、だいぶ悪そうな笑顔を浮かべて言った。
「ひゃあ……」
「わあお、大胆」
マヤリスとツルバミは、それぞれ感心した様子で呟いた。
それからツルバミは何度か頷いて、
「……じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな」
とても嬉しそうに言った。
「あ、あの、リカーさん」
マヤリスは、リカーに話しかけた。
「何でしょう?」
「ありがとうございます。姫姉……お姉様の無茶振りを叶えてくださって」
「え、あの、マヤちゃん?」
「うふふふ」
「リカ……え、リカーさん⁉」
ツルバミが困惑する前で、笑い終えたリカーは、小さく首を横に振った。
「いいえ、無茶振りだなんて少しも。……独りぼっちは、どうしても寂しくなりますから」
リカーは憂いを帯びた目になって言って、咳払いと共にそれを取り払った。
「それで、本日はどこに観光に行く予定ですか?」
ツルバミはリカーの質問を受けて少し考え、
「そうだなあ、まずはクロウディウム南の露店大通りを見て回って────」
マヤリスと優先的に見たい場所を応えようとした、その時。
周囲の物が小刻みに揺れ始め、すぐに大きな揺れへと変わった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます